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序章 10


 

 後にして思えばこの裏切りによる奇襲は、まったく予兆がなかったわけではない。


 しばらく前からヴァビロン帝国が楼桑国に対し、さまざまなちょっかいを出し始めたのである。

 それは些細な難癖から、取るに足らぬ些事まで多岐にわたった。

 しかしそれがここまでの大事に至るなど、当の楼桑国さえ夢にも感じてはいなかった。


 考えてみるとこれがいつもの、ヴァビロン帝国の常套手段なのだ。

 小さな難問を幾度となく突きつけ、相手の弱点を詳細に調べ上げ一気に仕上げにかかる。

 気づいたときにはすでに遅く、赤児の手を捻るがごとく簡単に目的を達成する。

 具体的行動の前に、すでに計画は成っているのだ。


 九年前に仕掛けた時にとった手は、王女ロザリーとの縁組みであった。

 だがその目論見は、互いに手を握り合った楼桑国とサイレン公国の縁談という形で計画半ばにして失敗に終わっていた。


 このとき大国ヴァビロンは『太祖三公家』のひとつ、ロッキンガム公家との縁組みを妨げられ、大恥を掻く結果となった。

 ヴァビロン皇帝はこの恥辱を、決して忘れはしなかった。


 その恨みは楼桑国に対してよりも、サイレン公国への《《それ》》の方が大きかった。


〝潰すのはサイレン〟


 そのときから、ヴァビロンの真の標的はサイレン公国と決していたのであった。


 繰り返される嫌がらせとしか思えぬ難癖は、取り立てて脅威と言えるほどのものではなく、多少の譲歩さえすれば解決できる程度のものであった。

 しかもその譲歩に対して、見返りとも取れる好待遇を示すこともあったために、まさか自国が狙われているとまで考えていなかった。


 そんな安穏とした日々が一変し、情勢は急に《《きな臭さ》》を漂わせ出す。

 いや、そんな生温い言葉では済まされぬほどに事態は動いていたのである。



〝楼桑国の内部で《《なにか》》が起きている〟

 との一報が、間者からもたらされたのがほんの十日前のことである。


 それが大国ヴァビロン帝国の力を後ろ盾にした、王兄ヴォーレンの軍事叛乱であり、シリウス王は実権を奪われ、幽閉の身であることが知れたのが昨日の早朝。

 しかもヴァビロン帝国は大量の正規軍を電撃的に投入し、楼桑国が気付いた頃には完全に身動きが取れない状態となっていたのだ。


 それから僅か一日しかたっていない。

 まさに寝耳に水の状態だった。


 この情報は、シリウス王が幽閉直前に密使として送った、乳兄弟であり股肱の臣でもある、スナイデル卿によって持たらされたものであった。


 スナイデル・ガンツ、歳はまだ若いがシリウス王が頼みとする右腕であり、内務卿の重職に就いている家臣である。

 いや、家臣というよりも兄弟と呼んでもいい存在であった。


 スナイデル卿の母は、シリウス王とロザリーふたりの乳母を務めた女官である。

 夫は先代ロルカ王の側近でこれまたふたりの守り役、アルバート・ガンツ伯爵だ。

 同じ女性に育てられた三人は、身分の違いを超えた固い絆で結ばれた間柄だった。


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