破 ~ 驟雨、来たれり ~
「はぁ……」
リュシアンに指を突き付けられたサエは、小さく溜息をもらした。
その視界の隅に、一人の青年が参列者を割って歩み出ようとするのが見えて、目線だけでそれを止める。
「いくつか、言いたい事があります」
この国で最も貴ばれる存在である国王。その第一王子である自分に対する粗雑な態度に、リュシアンは不快感を露にする。
「この期に及んで何を言う事があるというのだっ!」
「殿下、傾国の罪人とは言え彼女は聖女として迎えられた身、その話を聞く寛容さもまた、尊き御身に相応しき振る舞いでありましょう」
軽く片手を挙げて発言権を求めるサエに、リュシアンが食ってかかるが、クリスティーヌの言葉に頷く。
「成程、クリスの言う事も尤もである。よかろう、発言を許す。精々戯言を奏でると良い」
殊更に愛称を呼ぶ事で親密さを強調でもしているのかと思いながら、折角許可も出たことだしとサエが口を開く。
「まず一つ目ですが、『許しが無ければ目下の者は目上の者に話しかけてはならない』でしたか? であれば、貴女方こそ私に許しを乞うてから話しかけるべきですね」
「なっ!?」
サエの発する言葉に、目を向けられたクリスティーヌが言葉を失う。
何故なら彼女は筆頭公爵家令嬢。この王国において、彼女より立場が上の存在など、王家以外に在り得ないのだから。
「私は、そこにふんぞり返っている国王自らに乞われてこの国へ来たのですよ? まぁ、『礼を以て遇する』とまで言われながら、宛がわれた住居が場末の安宿なのには少々驚きましたが。ともあれ、言うなれば私は国王にすら礼を尽くされる立場の人間です。他の者がどう接するべきかは、言わなくてもわかりますね?」
後ろ手に国王を指さしながら、サエが少々わざとらしい澄まし顔で首を傾げる。
「き、貴様! 恐れ多くも国王陛下に対しなんと言う無礼な物言いだ!」
リュシアンが声を荒げるも、サエは気にした風も無く言葉を続ける。
「二つ目、私の学園での行いを見て茶会に誘わないようにしたと言われましたが、これは先程述べた通り、貴女方の認識がそもそも間違っています。加えて、私が王都の安宿に入ってから学園に通うまで些かの時間がありましたが、入学前日まで何の音沙汰も無いあたり、学園での態度云々を論ずる前に、最初からお茶会に招待する気など無かったという事でしょうか? 国賓として招かれた以上、少なくとも国王を始めとした上級貴族を称する方達からは、何かしらのお話やお誘いが有るものだと思っていました。少なくとも私の国ではそうしますが、この国の常識は少々毛色が違うようですね」
「きっ、貴様っ!」
自分を、自分達の国を殊更小馬鹿にしたようなサエの口調に、リュシアンのみならず、居並ぶ貴族達にも反感の色が見え始める。
最も、当のサエ本人は先程よりそのような事は気にかけても居ないのだが。
「三つ目、『婚約者の在る異性に気安く近寄るな』でしたか? 確かに貴女からは度々そう言われましたね」
「そ、そうです! 私は彼女に幾度と無くそう忠告してきました。それは私の周りの者達も良く知っておりますわ!」
「ですが、それだけです」
サエの言葉に、我が意を得たりとクリスティーヌが口を開くが、それも続く言葉に切り捨てられる。
「彼女とその取り巻きの方々は、それだけ、言いたい事だけ言うと、私の言葉を聞きもせずに立ち去りましたね」
「そ、それは! 先程も言ったではありませんか! 立場が下の人間が話しかけるには許しが ――」
「―― ですから、その認識がそもそも間違っているのです。先程言いましたね? 立場のお話なら私の方が上であると」
「な、なっ……」
サエの言葉に、クリスティーヌは二の句を告げる事も出来ずに口籠る。
王族以外は全て自分より格下であるという人生を送ってきた彼女にとって、言葉を遮られる事も、まして反論される事など初めての経験であるが故に、それも致し方の無い事かも知れない。
「もう一つ訂正しておきたいのですが……」
そう言ったサエの視線が、今度はリュシアンへと移る。
「貴女方は、私が殿方を侍らせていると言われましたが、勝手に寄って来ていたのはそこの王子達の方ですよ」
「な、なにを言って……」
都合の悪い事を指摘されて今度はリュシアンが言葉に詰まる。
「私は迷惑なので近寄らないようにと、常々訴え続けてきました。にも拘らず、常に私に付き纏って来るのですから、耳が悪いのか、或いは……と不憫に思ったものです」
「なっ! 山奥から出てきて心細いであろう貴様を思いやっていた私を愚弄する気か!」
頬に手を当て、少々困ったような顔を作って首を傾げるサエを、リュシアンは怒鳴りつける。
尊き血筋の自分の施しに、頭を下げて感謝するべきところを、よりにもよって侮辱で返すとは何事であるか、と。
リュシアンの思考回路もまた、クリスティーヌと大して変わらない造りをしていた。
尤も、これは二人に限った話ではないのだが。
「まぁ、大神殿が山奥にあるのは事実ですが、その思いやりとやらで安宿の部屋まで押しかけて来たのには本当に驚きました。自前で内鍵を追加していなければ、或いは室内にまで侵入して事に及ぶつもりだったのでしょうかね?」
先程までの揶揄うような仕草は鳴りを潜め、サエの言葉と視線に、はっきりとした冷たさが宿る。
その視線に射竦められ、リュシアンの肝を冷やした。
この国で最も高貴な血に連なるものとして、持て囃され育って来た彼にとって、断罪などと言うものは自分が行うものであって、自分がされるものでは無かったからだ。
彼が言葉を発すれば、全ての者は頭を下げてそれに従う。
それが、彼の今までの人生であった。
「だ、黙れ! 貴様のような下賤な血の者など、陛下が迎えた聖女でなければ誰が相手にするものか! 下種な勘ぐりで我が行いを愚弄する気か!」
それでも、尊き血の者としての誇りが彼に言葉を発せさせる。
たとえそれが、誰を侮辱しているのか理解出来ていない言葉だったとしても。
「あぁ、そう言えばそんな名目で私はこの国に招かれたのでしたね。ですが、それだけでは無いのでしょう?」
「な、なんの事だ……」
サエの黒い瞳は、リュシアンを捉えて離さない。
まるで、『お前達の成そうとしていた事は全て知っている』と、言外に言われている気がして、リュシアンは口籠る。
「『加護』……」
サエの口から発せられた一言に、リュシアンの両目が見開かれる。
「大方、『山奥から出てきて不遇な扱いを受けている少女に高貴なる者である自分が優しくしてやれば、容易く加護を授けるに違いない』などという浅はかな考えで私に近付いてきたのでしょう? 見え透いた安い芝居に、噴き出すのを堪えるのに必死でした。あぁ、私の態度がお気に召さない様子でしたが、いつも顔を顰めるか無表情だったのはそのせいですよ。口を開いたら笑ってしまいそうでしたから」
「ぐっ……き、貴様……!」
「あぁ、付け加えておくなら、私はただ躓いて足を捻っただけです。それに、『誰かに突き飛ばされて』などと言う絵空事を付け加えたのも、思いやりとやらの成せる業なのでしょうか?」
止まる事を知らないサエの言葉に、その内容に、自らの行いを看破されていたのかと満足に言葉を紡ぐ事の出来ないリュシアンであったが、それでも彼の考えていたのは、
自分の様な高貴な血筋の人間に、出自すら定かでない下賤な者が逆らうなど在り得ない!
と、その程度の事であった。
故に、彼はその浅慮から最後の札を切る。
それが、どちらにとって最後の札となるか。などという事に思いを馳せる事も無く。
「ふんっ! 先程から随分と賢しげな口を聞いてはいるが、影からの報告で聞いているぞ! 貴様は私と言う者がありながら、連日のように自室に男を連れ込んでいたそうではないか!」
リュシアンの言葉に、場を見守る貴族たちからも明らかな失望と侮蔑の色が浮かぶ。
そのような空気を感じ取り、サエは呆れたように溜息を吐いた。
「御自分の婚約者様の様子は聞いていないのに、私の私生活を出歯亀した報告は聞いてるんですね。変質者ですか? そもそも、それを知りながら婚約するのなんのと仰っていたのですか?」
そもそもこの国の王子が場も弁えず婚約者を断罪し始めたのが事の発端ではなかったか。
それが何時の間にか、断罪していた王子はその非を指摘され、断罪されていた令嬢が手を取り、今度は共に王子が庇護していたと主張する少女を断罪しようとしてまた返り討ちにされている。
目まぐるしく変わる空気に周囲の、特に各国から招待された者達の間にざわめきが生まれる。
そのざわめきには、些かの戸惑いと呆れが含まれているようだった。
「私は貴様の聖女にあるまじき行いについて問いただしているのだ! 話を逸らすのは身に覚えがあるからではないのか!」
サエの態度に憤懣遣る方無いと言った様子で声を荒げるリュシアンであったが、時此処に至ってもサエの態度には悪びれた様子も無い。
「身に覚えはありますが、それが何か問題でも?」
「なっ……!?」
あっけらかんと言い放たれたサエの言葉にリュシアンが絶句する。
と同時に、周りの人垣からもどよめきが生まれる。
聖女として国に招かれた身でありながら、連日部屋へ男を連れ込む。
その行いを恥じ入るどころか事も無げに肯定して見せたのだから無理からぬ事ではある。
「さっきから聖女聖女と繰り返していますが、私は自分の事を聖女などと言った事は一度もありません。貴方方がそう言って勝手に持ち上げていただけです」
小さな子供に道理を説くような態度で、サエの言葉は続く。
「確かに私は神子ではありますが聖女などと言う者ではありませんし、女神様は神子に対し色恋を禁じてはいません。むしろ推奨しています」
「だ、だが、女神は不義密通を許している訳ではあるまい! 私を差し置いて男を連れ込む貴様の行いは、女神の意に反する事ではないのか!」
「何を以て私の行いを、不義だの密通だの言われるのか理解に苦しみますね」
リュシアンの言葉に、サエは首を傾げる。
「お互いの認識にずれがあるようなので念の為に言っておきますが、別に私と貴方は恋人でも無ければ、まして婚約者などと言う者でもありません。少なくとも私にそのような話はありませんでした。なので、何故『自分を差し置いて』などと言う言葉を向けられなければならないのか理解に苦しみます。貴方の婚約者とは、先程真実の愛とやらに目覚めた隣に立っているその方ではないのですか?」
「はっ? えっ?」
サエの思ってもみない言葉に、リュシアンは狼狽える。
父である国王からは、大神殿より聖女を迎えると伝えられた。
それはすなわち、自分の妻とする為だと思っていた。
国の歴史に名を遺す建国の聖女。
その再来を妻に向かえるならば、それは王家として非常に大きな意味を持つからだ。
「ち、父上……」
リュシアンの視線が、貴賓席に座している父へと向かう。
視線を向けられた国王は、椅子より立ち上がり、手摺に手をかけてその様子を見下ろしていた。
「皆の者、静まるが良い……」
国王の放つ言葉に、ざわつきは消え、広間に静寂が満ちる。
その場にいる貴族達は、国の内外を問わず、一様に膝を折り、頭を垂れて国王の言葉を待つ。
そしてそれは、息子であるリュシアンと、その婚約者であるクリスティーヌとて例外ではなかい。
数少ない例外は、警備の為に壁際に配置されている衛兵とサエ、そして参列した貴族の中に紛れていた一人の青年だけだった。
「確かに我が息子リュシアンにも、聖女として迎えたサエ・ヒラサカにも、将来の婚約やその立ち位置について明言した事は無い」
そう言ってから、国王クリストフ・エル・アラールは眼下の者達を見渡す。
そしてそこに、自らに平伏していないサエともう一人の姿を見付け、眉を顰める。
が、それも大事の前の小事と、寛容な心で言葉を続ける。
「だが、建国の母として癒しの聖女の伝説を受け継ぎ、深い畏敬の念を未だ残す我が国へ招かれたからには、そうあるべしと心して然るべきではあるまいか?」
クリストフの言葉に、サエは心の中で溜息を吐く。
どうにもこの国の人間、それも上級貴族や王族などの、『何も言わずとも自分達の考えが通って当然』な考え方と言うのは理解出来ない。
立場が上の連中とやらは常に自分より下位の者を見下し、自分の望むところが言わずとも叶うと信じている。と言うより、それが当たり前と思っている。
立場が下の人間は、いつだって上位の者の機嫌と表情を窺い、その機嫌を損ねないように卑屈な笑顔を浮かべ続ける。
自分の育った大神殿の孤児院ではそんな事は無かった。
子供達の言葉に、先生たちも真剣に向き合い、皆が平等に考え、悩み、笑い合っていた。
興味本位で王国の招待に応じてはみたものの、一月も経たないうちに失望し、それでも三年もの時間をこの国で過ごしていたのは、偏に『学園を卒業するまでは王国に留まる』という最初の約束があったからであり、破れば神殿の皆に迷惑が及ぶかもと考えればこそである。
それも今日までの話と多少の寛容さを以て国王の言葉に耳を傾けていたサエであったが、続く言葉に今度は頭を抱える事になる。
心の中で、ではあるが。
「加えて、先程よりの王家及び公爵家に対するに対する不敬、祝いの席と思えばこそ目を瞑ってはいたが、最早看過ならん」
手を掲げて視線を壁際に控える衛兵に向ける。
「不敬の罪人であるサエ・ヒラサカを捉えよ。その身は奴隷とし、王家預かりとする。それまでの間は地下の牢獄へ捉えておけ」
王の言葉に従い、壁際に控えていた衛兵がサエに向かい、その足を進め始めた。
サエは心の中で、本日何度目になるかわからない溜息を吐いた。
殊更に止めようとした訳でも無いが、彼らは自身の意思でここに辿り着いてしまったのだと。
情が湧いている訳でも無いが、これからの彼らの未来を憂い、衛兵より早足でこちらに向かってくる青年の姿を横目で捕らえ、今度は心の中ではなくその口から、深く静かな溜息を吐いた。
明けましておめでとう御座います。