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僕と少女のちっぽけな冒険  作者: れおすぎ
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 恐ろしいほどパッチリ目が覚めた。

 充電器の挿さったスマホをつけると午前一時。入眠から一時間しか経ってない。

 原因は強烈な尿意だった。

 寝る前に行っておけばよかったと後悔しつつ、ノルちゃんを起こさないよう部屋を出る。たしか階段側の突き当たりがトイレだった。共用のやつ。僕らの部屋にはトイレがなかった。

 僕は忍び足で踏み出す。他のお客さんに迷惑をかけてはいけない。そーっと、そーっと、そ――っと。

『やっぱりそうかしら』

 声が、階段下から聞こえてきた。恵さんのだ。

『それ以外ありえないだろ?』

 こっちは低い男性の声。旦那さんかもしれない。

 僕らが来た時にはいなかったが、つい今しがた帰ってきたのだろう。

『でも家出なんて、何か事情があるんじゃないかしら?』

 家出、という単語に、僕の胸がドキリと高鳴る。まるで心臓に杭を打たれたようだった。

『ほら、虐待とか。もしそうだったら家に帰すのは酷じゃない? 私たちでなんとか……』

『バカ! それこそ俺らの手にはおえないだろ⁉』

『それはそうだけど』

『明日の朝にでも警察に通報して、そういう可哀想な子供を対処するプロに任せるべきだ』

 可哀想な子供。――そうか。やっぱり僕たちは、可哀想な子供なんだ……。

 薄々気づいてはいた。この年になれば、周りと自分との差異くらい理解できる。普通から逸脱しているのは明白。自分でいうのはちょっとアレだが、僕の境遇はお世辞にも幸せだとは言い難い。

 特に母親。あれは僕の幸福を食い尽くす寄生虫のような人だ。

『可哀想』

 分かってはいた。分かってはいたが……。――客観的事実として他人から言葉にされると、こう、胸に重くどす黒い何かがいっぱいになるのを感じる。

 と思いつつ、僕はハッとした。――やばい。このままじゃ通報される。もはや、トイレどころでは……。

 理解してからは早かった。音を立てないように部屋へ戻り、急いでノルちゃんを起こす。

「ノルちゃん! ノルちゃん!」

 小声で精一杯緊迫感を出した。緊急事態を察知してもらいたかったから。

「んにゅ……」

 僕の焦りとは裏腹に、彼女はまったく起きようとしない。深い眠りの底でとろけるように顔を弛緩している。

 仕方ない。

 時刻は深夜一時。小児には夜が深すぎるし、今日は一日大移動だった。疲労困憊だろう。僕もそうだ。

 ただ、起きてもらわなければ困る。朝には通報されてしまうのだ。今のうちにここから出ていかなければ。

「ノルちゃん! 起きて!」

 僕は肩を大きく揺すった。

「んにゅ……? にぃに?」

 ノルちゃんは舌足らずに言った。

「そう! にぃにだよ! 夜遅いけど、もう、出ないと!」

 急かすように言うと、ノルちゃんはニンマリとして――。

「ノルの服かわいい?」

「……え?」

 意味が分からなかった。

 着ている服といっても首から下は布団で覆われているし、そもそもグレーのパジャマだ。内側のモコモコがかわいいといえばかわいいが……。

「ノルが着てる服、かわいい?」

 無邪気に問う彼女は、トーストの上でとろけるマーガリンのような笑顔。――ダメだ。完全に寝ぼけている。

 確信した僕はさっさと頭を切り替えた。

 ノルちゃんを起こすことが目的じゃない。

 目的と手段を混合してはならない――と、偉ぶった高校の先生が言っていた。

 僕の目的はノルちゃんに幸せになってもらうこと。ディズニーで楽しんでもらうことだ。

そのためには別に、ノルちゃんを起こす必要はない。

 ここから脱出さえしてしまえばいい。

 僕がおぶっていけば、いい。

 散らかった荷物を乱雑にリュックに押し込む。寝ぼけたノルちゃんに可愛らしいダウンを着せ、リュックをお腹に、彼女を背負う。前はリュック、後ろはノルちゃん。前後の装備が整ったところで僕は固まった。

――どこから、出ればいいんだ?

 まったく考えていなかった。

 この部屋は二階。一階に行くには階段を降りてダイニングを通る必要がある。三枝夫妻がいるであろう、あそこを。

 それは無理だ。絶対にバレる。

 だったら彼らが寝るのを待つか。――いや、今すぐここを出たい。

 旦那さんは朝にでも、と言っていたが、いつ気が変わるかも分からない。通報されてしまえば、僕らの冒険は終わる。僕らはまた、それぞれの鳥籠に返されてしまう。それだけは認められない。

「そうだ」

 思いついた僕はカーテンを開ける。

 瓦が斜め下に向かって規則正しく配列されていた。

 窓の向こうは縁側の上だった。二階フロアからはみ出した縁側には屋根がついている。しかも都合の良いことに、僕らの部屋から乗ることができる。屋根の先なら、飛び降り可能かもしれない。

 幸いにも古民家は天井が低い。おそらく三メートルくらい。バスケットゴールと同じ高さだ。

 窓をゆっくり開け、窓枠に腰をかける。ビニールからスニーカーを出して、靴紐をきつく結んでから、慎重に屋根の際まで足を進めた。

 瓦から下を覗き込んだ瞬間、尾てい骨から背中にかけて虫が這いずったような感触がした。

思っていたより、高かった。――どうしよう……。

 足がすくんで動けなかった。背中のノルちゃんがやけに重く感じる。肌に刺さるような冷たい風が、僕の足を凍てつかせてしまったようだった。

 でも、やるしかない。

 ここで飛び降りなければ、僕は一生後悔することになる。何であのときやらなかったんだろう、って。

 それは嫌だ。

 飛び降りるのは怖い。

 でも、ここから飛び降りられなかった自分はもっと怖い。

 何も成せずに終わるのは、もっともっと怖い。

 だったら、やるしかないだろ?

 後悔するのが怖いなら、行動するしかないだろ?

 思い切って、踏み出すしかないだろ?

 後のことは、自分で何とかすればいい。

 屋根の際で椅子へ座るように腰を下ろした。両足をぶらぶらさせ、ノルちゃんを片手で抑え、もう片方の手で瓦を押し、尻をゆっくりと屋根の外へ滑らせた。

 一瞬の浮遊感の後に、膝から下に電撃が走った。

「〜〜〜〜〜〜っ!!!!」

 歯を食いしばって声を抑える。

 ビリビリが消えるまで耐えてから、一歩踏み出した。

 三枝宅から出て初めの角を曲がったところで、スマホの地図アプリを開く。

 仙台駅まで徒歩五時間弱。

 僕は大まかな道順を覚え、アプリを落とす。

 始発の新幹線には、乗れそうだ。

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