6話
「ほら、出てきたぞ」
「あ、ありがとうございました……!」
ヴァンに案内されるままについていくと、無事表通りに戻ることが出来た。
ソフィアはぺこぺこと頭を下げてヴァンにお礼をする。
「気にしなくていい。俺が勝手にやっただけだ」
「いえそんな……! お礼をさせてください! これからどこかへ出かける用事とかは、ありますか……?」
「……これからは図書館に行くつもりだが」
「図書館!!」
ソフィアは目を輝かせた。
本を読むのは好きなので、図書館という本の沢山ある場所に興味があった。
「ぜひ! ご一緒させてください!」
「自分で行けよ……」
「まだこの街に来たばかりで図書館がどこにあるのか知らなくて……」
「……仕方ない。入り口までだからな。その後は別々行動だ」
ぶっきらぼうな口調のヴァンだが、意外と優しかった。
「ありがとうございます!」
◯
その後、当然ソフィアはヴァンから離れることは無かった。
図書館についた後もヴァンの後ろをついてまわった。
ヴァンは迷惑そうな表情をしていたが、さっき男たちに絡まれていたソフィアのことが心配で、結局側にいることを許していた。
図書館を出ると、二人は近くの喫茶店に入りお茶をした。
ソフィアとヴァンの話は弾んだ。
ヴァンは読書家なためかかなり教養があり、正妃教養を受けたソフィアに匹敵するほどの知識があったのだ。そのためヴァンのことを平民だと思っていたソフィアは驚いた。
ずっと仏頂面だったヴァンもいつの間にか顔に笑みが浮かんでいた。
店を出るとき、ソフィアはお金を持っていなかったためヴァンに全額払わせることになり、何度も謝ることになった。
そして日ももう沈みかけていたので、ヴァンはソフィアを家まで送った。
「ここで大丈夫です」
「……」
「どうかしましたか?」
ヴァンは屋敷を無言で見上げていた。
しかしソフィアの問いかけに頭を振って答える。
「いや、何でもない。じゃあ、またな」
「はい! また!」
ソフィアとヴァンはまた会う約束を交わし、別れた。
屋敷に戻ったソフィアは使用人達にこっぴどく叱られることになったのだった。
それからヴァンとソフィアは頻繁に会うようになった。
一週間に一回会っていたのが二、三日に一回になり、最終的に毎日会うようになった。
ヴァンと過ごす時間はソフィアにとって幸せな時間だった。
ヴァンはいつも知らない世界を教えてくれる。行ったことのない場所へと連れて行ってくれる。
ヴァンにとってソフィアと過ごす時間は癒やしだった。
ヴァンはある“家の事情”から、異性の友人はいなかった。
また、ヴァンのその美貌から周囲には顔目当ての女性しか寄ってこなかったので、心から友人として扱ってくれるソフィアと一緒に過ごすことがヴァンの異性に対する苦手意識を和らげていった。
ソフィアはヴァンを明確に異性として意識するようになり、またヴァンもソフィアを同じく異性として意識するようになった。
二人の心の距離はどんどんと縮まっていった。
しかし、幸せな時間は突然壊れた。
「ソフィア、縁談がきた」
「え……」
ウィリアムズ公爵領にやってきたアランは重々しくソフィアに告げた。
ソフィアはショックを受けた。
ヴァンという心に決めた相手がすでにいたからだ。
「王家からの縁談だ。ライアンがいなくなり、王位継承権が移った第二王子を正妃として支えてほしい、とのことだ」
「そ、そんな……」
「私は反対だ。だが、あちらの第二王子がソフィアを正妃として迎え入れたい、と強く希望しているらしくてな。それに今からソフィア以外に正妃として迎え入れても大丈夫な貴族の女性がいない、という問題もあることから王家はどうしてもソフィアを正妃にしたいらしい」
「……」
ソフィアは言葉が出なかった。
なぜ自分なんか、と思考がぐるぐる空回る。
奇しくも、ソフィアはライアンと同じ状況に陥っていた。
ソフィアは悩んだ。
父はこの婚約は受け入れなくてもいいと言っている。
しかしもしここで自由に生きることを選択したとして。
それならば、あの時自分がライアンに説いた貴族としての義務とは、なんだったのだろう?
ソフィアだって、ライアンのように今まで平民よりよほど裕福な暮らしをしてきた。もちろん、ライアンとは違ってそれは努力ばかりの日々だったのだが、それでも明日の生活に困ることなんてなかった。
貴族としての恩恵を受けてきたのだから、これまでのお返しをするのは当然。
そう考えていたはずだ。
なのに、ここで全て放り出して自由を掴むことは出来るのだろうか。
あの言葉は、嘘になってしまうのではないだろうか?
今まで頑張ってきたのだから、もう十分お返しは出来ている、と誰かは言うのかもしれない。
そんなことは分かっている。
これは自分の信条の問題だった。
悩みに悩んで、ソフィアは答えを出した。
「…………ヴァンに別れを告げよう」
ソフィアは貴族として生きることを心に決めた。
翌日、ソフィアはヴァンとの待ち合わせの場所へと向かった。
待ち合わせ場所にはすでにヴァンがいた。
「ソフィア」
ヴァンはソフィアの顔を見るなり笑顔になった。
最初の頃の仏頂面からは考えられないような柔らかい笑みだった。
それはソフィアとヴァンがどれだけ心を通わせているかの証明だった。
「あの……! お話しすることがあります」
ソフィアはヴァンに全てを話した。
「私、第二王子殿下と婚約することになりました。だから、ヴァンとはもう会えないかもしれません……」
「なんでだ。もう貴族社会に戻るつもりはない、って言っていたじゃないか」
「私しか役目を果たせる女性がいないそうです」
「ソフィアはすでに沢山頑張った! もう一人の人間としての幸せを追い求めたって構わないのに」
「はい……だからこそ、これは私の問題なのです。今までの貴族として生きてきた生き様を貫きたいと思うのです」
国の将来のため、ソフィアは自分を捧げるつもりだった。
「さようなら。ヴァン。最後に、愛していました」
ソフィアは涙をこらえ、振り返ろうとする。
「待ってくれ」
しかしヴァンがソフィアの手を握り、引き止めた。
ソフィアは泣きそうな顔になっていたのに、ヴァンは微笑みを浮かべてソフィアを見つめていた。
その表情が気になりソフィアは立ち止まった。
「送っていくよ」
どんな言葉をかけられるのか、と考えていたソフィアはヴァンから出たその言葉にすこし落胆したような気持ちになったが、すぐに頭を振って打ち消した。
「……はい」
これでヴァンに送ってもらうのも最後だ。
寂しさを胸に抱きながら屋敷までの道程を歩く。
二人の間には沈黙が流れていた。
微笑みを浮かべていたが、恐らくヴァンも困惑しているのだろう。
そうこうしているうちにもう屋敷に着いてしまった。
ソフィアは最後に何かを伝えなければ、と必死に思考を巡らせる。
しかし突然。
ヴァンはソフィアの手を繋ぐと、手を引いて一緒に屋敷の門をくぐった。
「──え?」
ソフィアは何をしているのか分からなかった。
平民が無断で貴族の屋敷に入っていいはずがない。
ソフィアはヴァンを引き留めようとする。
「ヴァン? 何を──」
「いいから、付いてきてくれ」
袖を引くが、笑みを浮かべたヴァンはぐんぐんと引っ張っていく。
ヴァンはついにドアをガチャリと開け、屋敷の中に入った。
使用人達が驚いた表情でソフィアとヴァンの二人を見つめている。
もう言い逃れが出来ない。
ソフィアが冷や汗を流していると、タイミング悪く、ちょうどソフィアの父であるアランが通りかかった。
そしてヴァンを見て目を丸く見開く。
犯罪。牢獄。
そんな言葉がソフィアの頭によぎった。
しかし、アランが次に発した言葉は思いもよらないものだった。
「だ、第二王子殿下!?」
「え……第二王子……?」
ソフィアはヴァンの方を向く。
ヴァンは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべた。
「そんな……だって第二王子殿下の名前はライトで……」
「それは偽名だ。市民に溶け込むためのな」
「……本当に第二王子殿下なのですか?」
「ああ。それと、俺のことはこれからライトと呼んでくれ」
明かされた情報が多すぎて混乱するソフィア。
ヴァンはソフィアの前に跪いた。
そしてソフィアの手を取り、話し始めた。
「前にも話しただろう。俺がここに来たのは心の病を治すためだと」
「はい……」
ライトは以前、ソフィアにウィリアムズ領に心の病を治すために移り住んだことを説明していた。
その際、心の病の原因も話していた。
「俺に寄ってくる女性は顔しか見ていなかった。だから心身の体調を崩してしまって父上からこの地で療養することを勧められたんだ。丁度半年前のことだ」
ライアンの騒動が起こる少し前のことだ。
「それまではずっと希望のない、暗い絶望に呑まれたまま生きてきた。しかし、君と出会ってそれが変わったんだ。俺は、希望を持つことができた」
「そんな……」
ライトの手にギュッと力がこもる。
「君は俺の癒やしだ。君だけが俺のことを、顔だけじゃない本当の自分を見てくれた。──愛している、ソフィア。俺と結婚してくれ。俺と一緒にこの国の未来を支えて欲しい」
ライトの目は出会った頃と違い、光でキラキラと光っているようにソフィアには見えた。
それは確かにソフィアがライトと関わったことで灯った光だった。
ソフィアは感激し、目からぽろぼろと涙が溢れた。
そして笑顔で、ライトの申し出に頷いた。
「──はい!」