事の始まり
夏休み前の某日。
私は、武家屋敷のような家の敷地内に設えられた、こじんまりとした道場で小太刀二刀を構えていた。
相対するのは、私の兄、柳瀬圭太。古剣術・風柳流小太刀二刀術の師範をつい昨年、父さんから受け継いだ新米師範だ。
今日は、夏休み前最後の日曜日。
休日ということもあって、私と兄さんは朝から稽古に励んでいた、という次第である。
ちなみに、今は数度目の打ち合いを終えた後の残心の最中。
また、この道場は私や兄さん、そして父さんが普段使いするための者で、風柳流の本来の道場は街中に存在している。
今日は風柳流の道場もお休みで、兄さんもオフデーなのだ。
オフの日くらい休んでいたらどうなのか……と思わなくもないけど、兄さん曰く、二日連続で休むと体がなまる、らしい。昨日休んだから、今日は軽く動きたかった、ということらしかった。
「――ふぅ。ここまでにしようか。さすがに、もういい時間だしな」
「ありがとうございました。……はぁ~、やっぱり兄さんには敵わないなぁ」
残心と構えを解きながら、兄さんに向かって率直な感想を述べる。
実際問題、兄さんと同じく皆伝をもらっている私も、それなりの技量は持っているとは思う。
でも、兄さんには遠く及ばない。
多分――天賦の才能というのは、こういうことをいうんだろうな、と私はひそかにそう思っている。
別に、私も自分の実力を鑑みずに兄さんに嫉妬しているわけではない。
同門の中では、やはり私の実力は抜きんでていると評価されているし、兄さんも、そして先代師範の父さんもそれは認めている。
だから、嫉妬するのはご法度だろう、というのはわかっているし、そもそもうらやむ気持ち自体がない。
ただ、純粋な尊敬からくる言葉だった。
しかし――兄さんは、思うところがどこかあったようで。
「何を言っているのやら。女性陣の中では、お前が抜きんでている。お前に教えているのは表向きの剣技ではなく、風柳流本来の、実戦ありきの血生臭い剣技である……という点を除いても、十分な実力はあるはずだ。そのことを、お前もよく弁えているだろう?」
「そうだね。そうだとは……思うよ? 自惚れているわけではないけど」
まぁ、同門、といっても門下生の数もそれほど多いというわけではないんだけどね。
風柳流はどちらかといえばマイナーな方だから、認知度もそれほど高くないし。
そんな流派あったの、と近隣の人にもたまに聞かれるくらいである。
だから、まぁ……同門の中でも実力が抜きんでている、といっても同じ剣道、剣術というくくりで見てみればどうなんだろう、と甚だ疑問を感じざるを得ないところがあるけどね。
ちなみに中学時代では私は主に卓球部に所属していた。
体験入部的な感じで、一時期剣道部にも所属していたのだけれど……どうしても、二刀術と剣道の一刀術の違いについていけなくて、早くもやめてしまったからだ。
だから、本当に私のこの剣術が世間でどのくらい通用するのかはわかっていない。
ただ、井戸の中の蛙である可能性が高いだろうな、としか言えない状態だ。
「さて。シャワーで汗を流すとしようか。」
「うん、そだね」
「朱音、お前はこっちのシャワー室を使うと言い。早く汗を流したいだろう?」
「ありがとう、兄さん」
兄さんに軽くお礼を言って、私は道場に備え付けのシャワー室で、軽く汗を流す。
そして、身を整えて道場の戸締りをして母屋に戻れば、ちょうどよくリビングの時計が正午を示すメロディを鳴らした。
一時間ごとにメロディを流す、振り子時計である。
兄さんはいい時間、といっていたけど、別に一日中相対していたわけでもない。
体を動かさないと鈍るから、という理由であって、休息はこの後きちんととる、と本人は宣っていた。
それに――道場の休日は今日明日。毎週、日曜と月曜だ。
それとは別に、祭日とかも休みになるんだけど。まぁ、本人にとって重要なのは、今日身体を動かしても、明日は本当に一日休むから問題ないだろう、ということなのだろう。
私も、特に負担を感じてはいないしね。このスタンスで、いつも月曜日以降に疲れを残すことはないし。
昼食をとってから、午後は兄さんとリビングでテレビを見ながらゆったりと過ごす。
時折テレビの内容に突っ込みを入れるなどして、そこそこ充実した時間を過ごしていたのだが――唐突に鳴った来客を告げるチャイムが、その一時に水を差した。
「む……客か」
「兄さん、座ってて。私が出てくる」
「そうか。では頼んだ、朱音」
兄さんに見送られて、私は玄関へと向かいます。
引き戸を開けてみると、そこにいたのは……ミケネコヒノモトの業者さんだった。
「宅急便です。柳瀬彩佳様と、圭太様にお届け物です」
「兄さんと母さんに……二つともずいぶんと大きいわね。何かしら。あ、サインしますね」
「よろしくお願いします」
荷物を台替わりにして、伝票にサインを入れる。
そして、荷物を受け取る。
うーん、大きい。それにそこそこ重量があるね。
まぁ、私は鍛えているので、二つ纏めて持てないこともないんだけど。
とりあえず、このまま二階に運んでいくのには不安が残るのでいったんリビングに持って行って、奈緒を呼ぶことにしようかしら。
「宅配業者だったか。……ふむ、届いたか。しかし、二つ……はて?」
どうやら、兄さんには覚えがあるようだ。
「片方は母さん宛らしいんだけど……」
「おおよそ同じ大きさ、そして同じ企業からの荷物か……最新VRゲーム機器、それもVFゲームズ社の新作VRMMORPGのパッケージ付き。まさか同じものが二つ届いたのか?」
「だとしたらどうして……?」
なぜ同じものが二つも届いたのか、と疑問符が頭の上に浮かぶ。
伝票には二つとも、ゲーム機器と書かれている。
この大きさでゲーム機器、と聞けば、私には今流行のフルダイブVRゲームのことしか思い浮かばない。
箱に描かれているメーカーからして、そのVRゲームに使用される、ARPCとしても利用できる端末のメーカーだし。
「でも、なんで母さんにも?」
「さぁ……ん?」
「あら、朱音、圭太。リビングにいたのね」
「あ、母さん」
噂をすればなんとやら。
母さんがリビングに入ってきた。買い物に行ってきて、買ってきたものをあらかたしまい終えたところらしい。
「朱音、来客応対ありがとう。それから、私宛に荷物届いたでしょ?」
「ああ。これだろう?」
兄さんが、届いたばかりの荷物をトントン、と叩く。
「見たところ、俺が注文をしていたVRゲーム機とまったく同じもののように思えるのだが、母さんも買っていたのか?」
「買ったって言うか、コンビニのフェアの懸賞で当てちゃったのよ。後日発送だったから、そろそろ届くころかなぁ、とは思ってたの」
「つまり、当たるとは思ってもいなかったと……」
「……うん。せっかくの応募券だから、捨てるのはもったいないと思って、どうせなら一番豪華そうなのを……って思ったの」
つまり、降ってわいた幸運のようなもので、手違いではないけど手違いに近い別のナニカだった、と。
まぁ、ネタが分かればそれはいいんだけど。
「でも、せっかくあたったのはいいんだけど、扱いに困ってるのよね。私はもう、ゲーム自体やらなくなっちゃったし……」
「なら、朱音。お前がもらったらどうだ?」
「はぇ? わ、わたしが……?」
どうしてそこで私が出てくるのかが分からなかった。
どうせなら、奈緒に渡せばいいのに。
あの子は根っからのゲーマーだから、最新のゲーム機器と聞けば真っ先に飛びつくと思うんだよね。
「奈緒は自前のゲーミングPCがあるからそれで十分だろうし、そもそもあれはこれのセットでついて来ているゲームのβ版テスターだっただろう? 製品版を手に入れていないはずもないと思うが」
「お兄ちゃ~ん? 妹をあれ扱いはよくないんじゃないかな~?」
「すまん、いたのか」
「むぅ~……」
母さんだけではなく、奈緒までリビングにやって来ていたらしい。
「喉乾いたから降りてきたら、面白そうな話してるじゃん。お姉ちゃん、ぜひとも一緒にやらない!?」
奈緒にまで頼まれてしまった。
さすがに、可愛い妹からのお願いでは聞き入れないわけにはいかない。
だけど……ゲームをプレイしようにも懸念材料が一つ、あるのよね。
それは、私も兄さんも、生まれてこの方、ゲームなどというものに触れた記憶がないということ。
私達は二人とも、物心がついた時から、二人そろって小太刀を振るってきたせいで、文明の利器というものには最低限しか触れていないのだ。
当然、ARPCなどの扱いも同年代の中では出来ない方。
機械音痴といってもいいかもしれない。まして、ゲームなどもってのほかだ。
それに……根っからの剣術家だからね。
剣の扱いを数値で測られて、あまつさえ仮初の実力でこの程度だと認められるのに、ちょっと忌避感を抱いてしまうのだ。
…………ってあれ。そういえば、兄さんにも同じものが届いていたのよね。
「……そういえば、兄さんいつの間にか買ってたんだね」
「まあな。やりたくないわけではないし、俺も参戦しようか、と思っていた。それに……風柳流も、そろそろ進退を考える時が近づいてきていると父さんも言っていたし」
「もしかして、兄さん……」
「うちの剣術をアピールするには、もってこいだと判断した。だから、という理由もある。まぁ、せいぜい広告代わりに使わせてもらうさ」
「わぁ、お兄ちゃんは一緒にやってくれるんだね! ありがとうお兄ちゃんっ!」
喜んでじゃれつく奈緒の頭を、優しくなでる兄さん。
それを横目に、私はどうしようかと考える。
正直、未だ思い悩んでいる。
まさか、兄さんがそこまで風柳流のことを思っているとは思ってもいなかった。
でも、確かに、たまに兄さんと父さんがそんなような話をしているのは、事実なのよね。
兄さんがそういうスタンスでいるなら、私も参加したほうがいいのか……でも、やはり忌避感というものがあって……。
それに、機械音痴でゲームもまともにやったことがない私が、果たして初ゲームプレイでMMOらしいそのゲームをプレイして、やっていけるのだろうか、という不安もある。
「……別に、無理してやる必要などない、と俺は思うがな」
「兄さん……?」
「まぁ、俺の場合、お前や父さんに隠れて、気まぐれにレトロゲームをやっていた経験もあるし、能力値のビルドなんかはある程度できるという自信があるからこそ言ったまでだし……」
「わぁ……お兄ちゃん、悪い顔だぁ……」
完全にゲーム初心者のお前には、正直荷が重いだろう。
そう言う兄さんのその顔は……なんというか、とても言葉にできないくらい、こちらの感情を掻き立てさせるものがあって……うん。
なんというか、この顔見ると、正直むかつく。
お前には無理だからやめておけ、と勝手に決めつけられて命令されてしまうような、そんな錯覚。
こういう時の兄さんの言葉は、大抵の場合私を乗らせるための挑発行為なのだけれど……私も単純なもので、この顔の時の兄さんの言葉にはつくづく、逆らうことができないのだ。
したがって……私の答えも、決まりきったものとなってしまった。
「わかった。そこまでいうのなら、私も参加するよ」
「お、おぅ……そして見事に載せられるお姉ちゃん……」
すっかり出来上がってしまった私は、兄さんに一泡吹かせたい一心で、ただ言葉を重ねる。
「ほう……その心は?」
「私がゲーム初心者だからといって、なんなの? いいもん、私だって一人前にゲームをできるって言うことを、証明してやるんだから。なんだったら、プレイヤーたちの頂点にでも立ってみせてあげるんだから!」
「大きく出たな。その言葉が空言ではないことを期待、しないでおこう」
「なぁ……!」
なんなの、本当に……!
兄さんは、本当に私をどこまで貶めれば気が済むの!?
いいじゃない、やってやるわ。
誰にもアドバイスをもらうことなく、正真正銘の、私の実力で!
奈緒がβテスターを務めたというそのゲームの、頂点になってやろうじゃない!
私は、ふんすと鼻を鳴らしながら……。
「まぁ、ARPCのセッティングなど、俺にはわからんし、お前にもわからんだろうからな。どのみち最初は奈緒に任せきりになるのは確かだろうがな」
「あがっ!」
その第一歩を、盛大に踏み外したのであった。