解毒からの覚醒
2089年12月14日
やっと体が動くようになった。
大量のアルコールとニコチンを消化?中和?するのにここまで時間がかかってしまった。
いや、正確には毒素自体はだいぶ前に抜けていたが、毒素を摂取したことで持っていかれた意欲と、泥酔状態にやらかしたことを思い出しての鬱状態からたてなおるのにここまでかかった部分が大きい。
毒を摂取した場合、大量の水分摂取、適度な睡眠、そして入浴が効果的である。このうち入浴を除く2つについてはこれでもかというほど実施したが、体が動かないことを言い訳に入浴を怠ったことも回復に時間がかかった要因と考えられる。どこかの誰かが「風呂ってのはリリンの作った文化の極み」と言っていたがまったくもってその通りで、毒素によって人が人である為に最低限の理性を失って、そこからもう一度人に戻るためには文化の極みに触れることはとても大切なことなのである。入浴をしないことで体は常に不潔な状態にあり、不潔ゆえに他社と接触する気持ちになれず、結果家から出ることもなくますます理性を失った時間の行為を反芻し精神は汚染されていくし、不潔なため免疫も落ち肉体的な回復も見込めなくなる。決意をもって入浴する。時間にして15分程度のこの行為を後回しにした結果がこのざまである。つらい。
いってもしょうがない。僕はやっとの思いで起き上がり、ここ数日の汗と脂を吸い込みすっかり自身の皮膚の一部になりかけている肌着をパリパリ剝がしながら脱皮すると浴場にむかった。
浴場で蛇口をひねり、シャワーの熱いお湯を体にかけると、むわっとした臭気が浴室に立ち込める。こ、この臭いは世捨て人のそれやな。文明の極みである都ガスによる熱いお湯を浴びて世捨て人の衣は剥がされ、文明人としての自分が戻ってくる感覚に包まれる。おかえり僕。
しかし毎回思うんだけど、過剰なアルコール摂取により獣に成り下がり、人に戻るべく入浴するとなんでこんなに体から垢がでるんだろうか?何か事情があって1日風呂に入れなかったとする。そのあとの入浴でも当然体の汚れは気になるっちゃ気になるが、解毒(二日酔い)明けは異常で、爪で腕を少し掻くだけで溢れんばかりの垢がボロボロととれる。これはあれか?解毒の為に戦った68兆の細胞たちの亡骸なのか?もしそうだとするならば無慈悲に布でこすって湯に流してしまうのはいささか申し訳ない気もする。
人知れず僕が人である為に戦い、そして今守るべき存在に汚物として扱われている英霊に敬礼!
と、その時。浴室でシャワーによる湯気と自分の皮膚から放たれる臭気以外の「何か」を感じた。
その「何か」は徐々に湯気や臭気を押しのけ、浴室を満たしていく。不思議と不快感は感じずむしろ心地よささえ感じるそのなにかは、やがて明確な「存在」としてそこに現れた。浴室に充満したその「何か」はやがて僕の胸の前に一気に収束し、そして淡い緑色の光の塊になったかと思うと、はっきりとでも耳でとらえた音ではなく、脳が直接感じ取った信号のような不思議な感覚として僕に語り掛けてきた。
「ええんやで。」
!?
僕はその淡い緑色の光に視線を落とす。
視界には野球ボール大の光が浮かんでいるに過ぎないと認識しているのに、僕の脳はそれを蠱惑的な孔雀緑の長い髪をなびかせ、同じ色の瞳を潤ませ僕を見つめる全裸の少女として認識していた。
狭い浴槽、獣から人に戻り切っていない男性の僕の目と鼻の先にあってはいけない存在。五感と理性がかみ合わず脳が何もかもの処理をあきらめているとその光(少女)はつづけた。
「気にしなくてもええんやで。あなたからは代わりに沢山の魔素をもろたからね。おかげでこうして少しだけど顕現することもできたわけやし」
何を言っているのか全く分からない。でも今の僕は彼女から目を離すことも、その言葉に対しわからないとも返すことができなかった。
「そういう意味で、じぶんはうちの恩人になるんかな?せや、名前教えてくれん?」
彼女の問いかけに、かろうじて答える。
「田空緑」
声として応えられていたのか?それとも意識から伝わったのか。それとも記憶を読まれたのか本能で叫んだのか?とにかく音か波となり浴室に僕の名前が僕のどこかから発せられた。
が
浴室には僕以外誰もいなかった。
流れるシャワーの音、鏡に映る青白い顔の自分。かすかにかおる臭気。あったのはそれだけだった。
これは、かなりキてるな…僕は恒常的なアルコール摂取によりついに厳格まで見るようになっている自分に絶望しながら、それでも手が震えていないことに少し安心し、歯を2回磨き、体をいつもより念入りに洗い、入浴後15分間はシャンプーの香りを維持できるくらい念入りに髪を洗って浴室でて、洗面所にあるタオルで体をふいた。
体をふいている最中に、ふと洗面所の鏡から反射で見える自室に目を向けた。そこには先ほど脱いだこの数日自分の皮膚より自分を守っていた為、自分の皮膚より自分の汗と脂をしみこませた衣服が床に投げ出されていたはずだった。
はずだったが、床に投げ出されているはずの衣服はまるで意思をもったか、または意思を持った大きな存在によってかわからないがまるで見えない誰かに羽織られているかのように動き出した。
動き出したというより小躍りしている。確実に小躍りしている。
そして主がいないため、本来だったら袖口からは何も見えないはずなのに、徐々に、徐々に袖口から何かが見え出した。それはやがてはっきりと視認できる赤い光の粒となり、その粒はさらに人の手指、足、顔の輪郭に収束していく。そして
「うわ~、この世界にもこんなに魔素があふれる場所があるんだね!これでやっと姿を現すことができるよ!」
しゃべりだした。
いや、そんなはずはない。僕はそんな異常事態となっている部屋をこれ以上視界にとらえることに耐えることができず、思わず背後の扉を閉める。
「あ~まってまって!今さえぎられると…」
背後から聞こえた声を無視して、扉を閉め、入念に体をふくと、洗面所の蛇口をひねり熱いお湯を出すと、もう一度頭からそのお湯をかぶった。そしてドライヤーでゆっくりと、なるべく時間をかけて頭を乾かした。
出たくはないが、ここから出るしかない。そうして髪の毛は既に逆に汗ばむくらい温め乾かしたはずが湿ってしまい、せっかくあったまった体も冷えだしたことで、覚悟を決めて扉を開いた。
自室には先ほど小躍りしていた衣服が力なく脱ぎ捨てられていた。
このまま一人でいたら頭がおかしくなる。いや、もう既になっているのか?兎にも角にもだれかと連絡を…僕は自室のベッドの枕もとにあるスマホを手にして。
ああ、そうだった。
映し出されるスマホの画面にはSNSのアプリはなかった。
そう。僕は一人飲みで泥酔するとSNSで誰彼構わず連絡と取り、その行為は覚えているが何を話したか翌日全く覚えておらず、また相手から届く返信の内容を見ることでこの世から消えてしまいたくなる衝動に駆られることを何よりも嫌い、未だにアルコール摂取量を察知して爆発するスマホが開発されない現状から、昨今で一番荒れたであろうあの日の記憶を一切合切消したいがため、覚醒翌日に秒ですべてのアプリを削除していたんだった…
いざ素面でこういう状況に置かれると、やってもうたという気もするがある意味正解だったのかもしれない。
まあ、兎に角だ。胃にものを入れよう。脳にまともに栄養が供給されていないがための幻覚。そうに違いない。自分を無理やり納得させて、とりあえず食べ物を調達しに行くため、新しい服に袖を通し、財布をもって家の扉を開けた。
僕の目に飛び込んできたのは無限に広がる荒野と黄色い空に浮かぶ3つの紫色に輝く月(?)だった。
僕は黙って扉を閉じこう思った。
出〇館って持ってきてくれるかな?