希望
久遠寺は昨日、あまり寝ることができなかった。
お風呂に入って、さっぱりしたし、疲れていたので眠れるものだと思っていたが、そう上手くはいかないものだった。
早朝、久遠寺は夜桜に起こされる形で目が覚めた。
睡眠時間が睡眠時間だったので、体のダルさは言うまでもなかった。
今朝起きてみると、部屋には簡単な朝食、端的にいえばミミのない食パンで作ったサンドイッチが用意されていた。
どうやら、夜桜が作ってくれたもののようで、それを見た久遠寺に「味は保証できませんけど、食べてください」と、不安が過ぎることを言った。
しかし、一口食べてみるとそんな不安は、銀河彼方遠くの方まで飛んでいった。
久遠寺がこれまでろくな朝御飯を食べていなかったということもあるが、それにしても夜桜の作る朝食は美味以外の何物でもなかった。
その味に、久遠寺は嬉しさを通り越して、感動を覚えていた。
「はぁ…………」
部屋に用意されていた朝食を食べながら、それでも久遠寺は大きくため息をついてしまう。
不躾ではあるが、どうしても体のダルさからため息は出てしまう。
「朝からため息ですか、盛り上がりませんねぇ」
あからさまにダルそうにしている久遠寺に、夜桜はそんなことを言う。
「ま、いきなり環境が変わったので無理もないですかね」
久遠寺からしてみれば、それは言うまでもないことであった。
いきなり自分の家が壊され、クズみたいな両親も消えたと思ったら、今度はランワードに来て一泊なんて、脳の処理が追い付かなくても無理はない。
「今日は先日も言った通り、あなたに戦声機を握るための検査をしてもらいます」
「は、はい」
改めて検査と言われると、緊張してしまうものがあるようで、久遠寺の心臓はバクバクといつもより早いペースで鼓動していた。
「まあ、それほど難しくないので、気楽にいきましょう」
そんな久遠寺を、元気付けようと夜桜はにこやかに笑った。
ということで、彼らは朝食を食べ終えると直ぐに、検査を受けることができる研究室に向かった。
研究室は寮すぐとなりにある施設であり、ここには司言者ではなく、研究員として作業をしている『Word Wielder』達――――技言師が配属されている。
技言師は、戦声機の点検やコトバケとの戦闘に役に立つ道具などの開発を主な仕事としている。
戦声機を扱い、戦場に命を預ける司言者にとって、彼らは切っても切り離せない存在なのである。
「――――そう、そしてその研究室の研究室長がこの私、川縁明日菜ってわけ」
研究室に入った途端、胸を張りながら自己紹介を始めたその女性は、昨日、お風呂場で見た人だった。
「あ、昨日の…………」
「どうも、どうも。昨日のでーす」
川縁は満面の笑みで手を振った。その表情からはやはり、子供のような無邪気さを感じる。
「よく来てくれたね。ここでは、『Word Wielder』やコトバケについて研究しているんだよ」
川縁は両手を大きく広げながら、久遠寺に研究室見せつけるようにした。
「あと、司言者が使う用の便利グッズとかも作ってるよ。そうそう、昨日夜桜が君に飲ませた薬もここで作ったんだよ、すごいでしょ!」
そう自慢げに話す、川縁。
確かに、あの薬にはお世話になったし、言霊エネルギーを無効化できるというのは素直にすごい。っと、感心した久遠寺だった。
他にも、研究室の中を見回してみると、そこにはいかにも研究室らしい道具やグッズが沢山置かれていた。中には久遠寺が見たこともない形をした道具もあった。というより、それが大半を閉めていた。それ故に、なのか研究室はかなりの散らかり具合を誇っていた。
そんな未知の道具たちに目を奪われていると、川縁は嬉しそうに。
「お、もしかして興味ある? なんなら、ここにあるものいくつか紹介してあげようか?」
なんて言いながら、久遠寺にじわじわと近づいてきた。
「川縁さん。今はそんなことしている場合ではないでしょう」
それを見かねた夜桜は、川縁に呆れたように話しかけた。
川縁は「あ、そうだったね」と、反省の色なしに明るくいい放ったあと、本題に入る。
「ということで、君には検査を受けてもらう。この検査の目的は、主に二つある。一つ目は、君が戦声機を握るにふさわしい『Word Wielder』であるかを調べるもの。まあ、これについては昨日の件があるのでもう調べなくてもいいけどね」
――――これで君が『Word Wielder』じゃなければ、立派な超能力者だよ。とっ、川縁は冗談めいたことを言った。
「そして、二つ目は、もしあなた戦声機を持ったとき、どんな武器になるかを調べること」
川縁はそう言いながら、研究室にあった戦声機を持ってくる。
「これに見覚えあるでしょ? これは夜桜ちゃんが、昨日使っていた戦声機なの」
一本の剣に、木が巻き付くようにできた一振りの大剣。独特な形をしたその武器が、コトバケを滅多刺しにしていたのは、久遠寺も見ていた。氷に飲まれそうになりながらも、その光景だけは脳裏によく刻まれていた。
「でも、戦声機はみんなこの形をしているわけではないの。戦声機を持つ人間が発する言葉に、応じてその形を変化させる。だから、あなたの言葉に戦声機がどう呼応して、どう変化するのかがこの検査で調べられるの」
「言葉にどう呼応するか…………」
言霊エネルギーが出現してから、言葉と言うものは大きな力を持つようになった。つまり、戦声機はその力に呼応して、形を変えると言うことだ。
これでは本当に言葉は――――凶器に等しいではないか。
「よし、それじゃあやり方を説明しよう」
一通り、検査の概要を説明したところで、今度はやり方の説明を始めた。
「やり方は簡単、まずはあの部屋に入ってくれ」
そう言いながら、川縁はガラス張りになっている部屋を指差した。
久遠寺にはそれが檻のように見えて、標本にされるのではないかといらない心配をしてしまう。
「そして、君がその部屋に入ったら、私がこの部屋に戦声機の基となる物質を入れる。君はそれに触れてくれればいい」
「な、なるほど」
よく見てみると、部屋の真ん中にガラスケースのようなものがある。どうやら、そこに戦声機の基となる物質が出てくるようだ。
確かに簡単ではありそうが、未知の物質に触れるというのは少し勇気が要りそうなものだ。
「じゃあ、早速やってみよう!」
「え、もうですか!」
「あったりまえよ。薬が切れるのは時間の問題なんだし」
それはごもっとも意見ではあるか、さっきまで研究室の説明をしようとしていた人が言っていると思うと、それはもうブーメランを投げているようなものだ。
「…………わ、わかりました」
しかし、この検査は久遠寺にとってやらなければいけないことだというのはわかっているので、彼も腹を括った。
ウィーンと言う音と共に、ガラス張りの部屋に入るための自動ドアが開く。
その間を抜けて、久遠寺は部屋の中に入る。
『それじゃ、行くよ』
部屋の中にあるスピーカーから出た川縁の声が、部屋の中に反響する。
『おりゃ!』
川縁の無邪気な声と共に、ポチっとボタンを押す。結構重要なことをしているはずなのに、その声はあまりにも緊張感がないように思えた。
川縁かボタンを押したと共に、部屋の中にあるガラスケースに光輝く物質が生成される。
その物質が放つ光、それに久遠寺は見覚えがあった。
それはあのとき、夜桜がコトバケを討伐すべく戦声機を解放したときに放たれた光と似ていた。
目が眩むほどまぶしい閃光。その閃光に久遠寺は、一歩ずつ近づいていく。
あまりにも強い光で、目の前を見ることができない。しかし、それでも久遠寺は未知の物質に触れるために手を伸ばした。
何も見えない空間で、手を伸ばしたのはあのときと同じ。でも今回は、闇ではなく光。
久遠寺は手を伸ばす。その光がきっと、希望を表しているのだと信じて。
そして、彼の手は確かにそれを掴んだ――――。