小噺:変わってしまった町並みと
久遠寺と夜桜を乗せた車は、八年前からすっかり変わってしまった町並みを写しながら、ランワード学院に向かっていた。
「この町も、ずいぶん変わってしまいましたよね」
窓の外の風景を見ながら、夜桜はそう言った。
車は、大きな橋の上を走っていて、その下には規則正しく並ぶいくつもの同じような住宅があった。
「少し前まで、消滅してしまう県の候補に挙がっていたような場所なのに、今ではこんなにも、人が住む場所になってしまったんですから」
真っ赤に色付いた夕日がたくさんの住宅を赤く染め、その住宅からは針葉樹のような影が伸びていた。
夜桜の言う通り、この県は数年前まではあと何年かで消滅してしまうと言われていた場所だ。
しかし、言霊エネルギーの出現により、秋田県がJSAに指定されたおかげで、爆発的な人口増加を巻き起こした。
だいたいの土地を、田んぼや畑で構成しているこの県では、家を建てることができる場所が有り余っていた。そのため、田んぼや畑は必要な分だけに削られ、できた敷地に住宅地を建設したのだった。
その結果、約八年でここまで景色が変わってしまったのだ。
「のどかな感じは無くなりましたよね」
それが、夜桜の感想だった。
生まれも育ちも秋田県である夜桜からしてみれば、以前までの自然豊かな景色が消えてしまって、残念に思う気持ちもあった。
たとえそれが、仕方の無いことだとわかっていても。
そして、そんなふうにこの景色をあまり好きでないのは、夜桜だけではなかった。
「前の方が、良かったですよね」
久遠寺は窓の外を眺める夜桜に、そんなこと言った。
夜桜同様、生まれも育ちもこの土地の久遠寺も、まるで同じ駒の乗った将棋盤を横から並べているような、人工的な町並みをどうしても、好きになることはできなかった。
でも、そんな二人の間にも、大きな違いがあった。
自然な町並みを好む故に、嫌悪感を抱いている夜桜に対して、久遠寺は――――。
「だって、こんなに綺麗に並んだ家が増えてしまったら、僕の存在が今よりもさらに霞んでしまうそうじゃないですか」
そんなことを理由に、掲げるのだった。
夜空に浮かぶ数多の星は、位置も明るさもバラバラで不規則あるから美しく、別々であるから、区別されている。それがなくなってしまったら、星に名前なんてつけないだろう。
それは、久遠寺からしてみれば、この住宅街もそれと同じだった。
規則正しく、同じような家が並んでしまえば、どこが誰の家かなんてわからなくなってしまう。
まちまちと家があることで、いくら価値のない自分と言えど、ここに存在しているのだと、かろうじて実感できていたはずなのに。
残念ながら、自分の価値の相場が下がったと同時に、この土地はこんな風景を見せるようになってしまったのだ。
今の久遠寺を探し当てるのは、砂漠でビー玉を見つけるよりも難しい。
「なんだか、一つ家が立つ度に、自分の価値がどんどん薄まっていくようなそんな気がしてならいんです」
久遠寺はほとんど見ず知らずの夜桜を前に、自分の本音をこぼしていた。
今までは、薄暗い部屋の中でほとんど言葉を発することもなく、縮こまっていただけの久遠寺。信頼できる人なんて誰もいなかった。
そんな彼にとって、命を救ってくれた夜桜というのは、無意識の内に心の拠り所になっているのかもしれなかった。
「人間の価値に薄まるも、濃くなるも、ないと思いますけどね」
そんな心の拠り所は、久遠寺にそう返すのだった。
「ていうかそもそも、人間の価値って何ですか? 一体、そんなものどこの誰がどんな基準で定めるんですか?」
私は考えたことがないのでわからないのですが、と言いながら、夜桜は窓の外を見る視線を、久遠寺の方に向けた。
「それは…………その人にしかできないことが、いくつあるかとか、ですかね…………」
「そんなもの、みんな同じくらい持っているでしょう」
呆れたように、夜桜は鼻で笑った。
「もしかしてあなた、誰かにできてあなたにできないことはないみたいな言葉、信じちゃうタイプの人間ですか? 言っときますけど、誰かにできて、あなたにできないことはないこの世界にごまんとあります」
オブラートに包むことなく、久遠寺にしてみれば、毒薬のような言葉を、夜桜は彼の耳に突っ込んだ。
それを聞いて、久遠寺はなにかを言うことはできなかった。
でも、その間に沈黙は起こらなかった。なぜなら、夜桜がもう一言。
「でも、だからこそ、あなたにできて、誰にもできないことがあるんでしょうが」
そう言ったからだ。
毒薬のように思われたその言葉は、苦かっただけで、久遠寺の免疫力となってくれた。良薬は口に苦しとは、よく言ったものだ。
「もし、あなたがまた自分に価値がないみたいなことを思ってしまったときは、こう考えてみてください。『この世界には、価値のない人間がいないのではなく、価値のある人間がいない。だから、みんなに価値があるように思えてしまうだ』って」
「価値のある人間がいない、ですか?」
久遠寺が、今までしたことのない考え方を展開する夜桜。
「だってそうでしょう? 人間みんなに価値があるから、その価値に優劣がついてしまう。それが嫌なら、初めから人間には価値がないんだ思えばいいんです。そっちの方が、気が楽でしょ?」
でも、それは簡単に飲み込むことのできる考え方だった。
自分よりも、優れた人間に対する嫌悪や妬み。それが、久遠寺にはたくさんあった。
でもどうだろう。そんな感情をぶつける相手が初めからいなかったって考えると、ずいぶんと気が楽になった気がした。
久遠寺は夜桜の言葉で、少しだけ救われた気がした。
でも、たったそれだけで、彼の半生で培われた価値への嫌悪は消えることはなかった。
きっといつか、また爆発してしまうだろう。
それでも、それまでは彼は氷に呑まれてしまうことはないだろう。
久遠寺と夜桜を乗せた車は、目的地までまだ時間があるようだった。
その間、久遠寺と夜桜の言葉のキャッチボールは、ぼちぼちと続いたのだった。