嵐の後の静けさ
ガタンゴトンと揺れる車の中で、久遠寺は目を覚ました。
(あれ…………?)
意識が無くなる前の記憶が定かではないが、それでもその時の状況と今の状況が明らかに違うことに、久遠寺は疑問を浮かべる。
どうやら自分は、広い車の座席に寝かされているようだ。久遠寺は自分の体の感触を確かめながら、そう予測した。
横たわる久遠寺の体の上には毛布がかかっていた。体は曲がらず、真っ直ぐな状態で横たわっている。
久遠寺の体を包む毛布は、ほんのりと暖かかった。そんな感じがした。
(でも、一体なんで?)
とは言っても、そんな状況になるまでの過程がわからない。
(確か僕は、コトバケに襲われてたはず…………)
意図せずに、頭に残った情景を思い浮かべる。
自分のことを踏みつけようとする大きな足。ボロボロになった自分の家。両親の死体。
それら全てがフラッシュバックしたと同時に、もっと大切な記憶が蘇った。
(そうだ! そういえば、僕は司言者に…………!)
意識を失うよりも前、自分の体には恐ろしくて冷たいものがまとわりついていたことに、久遠寺は気づいた。
久遠寺は思わず、体を起こして自分の体を確認する。
しかし――――。
「あなたの力なら、今は消えてしまっていますよ」
正面から、聞き覚えのない声が聞こえてくる。
久遠寺は、その声に反応して前を向く。
するとそこには、見たことの無い可憐な女性が座っていた。
その女性の服はどこかの学校の制服のようだったが、何故かボロボロになってしまっている。それに、身体中傷だらけで、両腕には包帯が巻かれていた。
「目が覚めたみたいですね、良かったです」
彼女はホッとしたようにそう言った。
「僕は、どうしてこんなところに…………」
「気絶していたので、誘拐してみたんです」
「は!? ゆ、誘拐!?」
「冗談です。それだけ叫べる元気があれば、大丈夫そうですね」
「…………」
夜桜の単調な口調で淡々に進む会話に、久遠寺は弄ばれているような気持ちになる。
「覚えてないようなので、簡単に説明致します」
夜桜は上手く状況を理解できていない久遠寺に対して、助け舟を出すように、話始めた。
「まず、私は夜桜緑。ランワード学院の高等部二年の司言者です」
「ランワード学院…………!」
久遠寺にも、その名前の施設には心当たりがあった。
ランワード学院。
それは、元々は『Word Wielder』の保護のために作られた施設であったが、コトバケの出現後はそれ対抗する司言者の養成学校となった施設のことである。初めて、司言者という存在が生まれたのはこの学校である。
そしてここは、養成学校でありながら、コトバケ討伐の最前線である。
この学院は、立ち位置的には中学と高校と大学をごちゃ混ぜにしたような施設であり、通う生徒は中学生から四十代くらいまでと、だいぶ幅が広い。
一応、年代で高等部と中等部とそれ以外、というふうに分けられている。
JSAには、一つ一つの県に数箇所このような養成施設が置かれている。
その中でも、秋田にあるランワードはコトバケの出現確率も高いことから、JSAの中で最高峰の教育技術と発明力を持っていると言われている。
「それで…………どこから説明しましょうか?」
自己紹介を終えた夜桜は、本題に入ろうとする。
何やら、複雑な事情でもあるかのように、説明するのを渋る。
「なんだか、一から十まで話すのが億劫になりますね」
しかし、そんなことはなく、ただ話すのが面倒ならしい。
「とりあえず、今に至るまでの経緯でも話しますね。えっと――――」
重い口を動かすように、夜桜はゆっくりとマイペースに話始めた。
夜桜がここに来た理由と、久遠寺の暴走、そのあとの対処。
夜桜は、自分が知っていて、久遠寺が知らないようなことを隅から隅まで話した。
「…………僕、そんなことになっていたんですね」
久遠寺は事態を受け止め、深刻そうな表情を見せる。
「すみません…………僕なんかのために」
「いいんですよ。これが仕事ですから」
謝る久遠寺に、夜桜は対して気にしていないように振舞った。
「薬の効果は、丸一日くらい続きます。なので、それまでは安心してください」
「でも、丸一日ってことは効果が切れたら――――」
「そうですね、また暴走してしまうかもしれません」
「やっぱり、そうなんですね…………」
予想は着いていたことだが、夜桜に頷かれて久遠寺は少し落胆してしまった。
久遠寺には自分が司言者に目覚めたとわかった瞬間は、これで自分にも価値があると思えた。
でも、その力を制御できないなんて、やっぱり僕には価値がないじゃないか。久遠寺は、自分の力をマイナスにしか捉えられず、落ち込んでしまう。
「ですので、あなたに頼みがあります」
落ち込んでいる久遠寺に気を使ってなのか、夜桜は一つ、提案するべく声を出した。
夜桜が久遠寺に頼みたいこと。それは――――。
「―――あなたに、司言者になって欲しいんです」
それは勧誘にしては、あまりに適当すぎる。
司言者は命を懸けた仕事。だからこそ、司言者の中で司言者になるのは、一パーセントもいないと聞く。だから、ランワードに限らず、JSAの各地で司言者になれる人を随時募集している。
でも、だからと言ってなんで僕なんかを………。
久遠寺は、そう思わずにはいられない。
「僕が?」
「はい」
「いやいや、無理ですって! だって僕は、暴走する司言者なんですよね。それなら、誰に危害を加えるかわからない――――」
「ですから、あなたになって欲しいです」
なんかもう、夜桜の勧誘はゴリ押しに近い。
ですからと前のセリフで、因果関係を見つけられない。
「すみません。少し、強引すぎましたね」
夜桜は全く反省した様子もなく、平坦な口調でそう言う。
「あなた確かに、言霊エネルギーを扱えずに暴走してしまう。しかし、司言者になって、戦声機を持てばそれは防ぐことができます」
「そうなんですか…………?」
「はい。戦声機は、司言者の能力を延長させたり、幅を広げたりする武器であると同時に、武器にエネルギーを移動させ、操りやすくする効果もあるんです。ですから、あなたには司言者になって欲しい、と言うより、司言者になって戦声機を握って欲しい、ということです」
司言者が当たり前のように使う戦声機。しかし、それは一般人だった久遠寺からすれば、どんなものかもわかっていなかった。
だから、それを聞いてなんとなく、夜桜の話の内容に納得した。
「どうします? 司言者になりますか?」
説明を終えたところで、再び勧誘し始める夜桜。
「うーん…………」
しかし、戦声機の話を聞いても久遠寺は二つ返事で了承はしない。
司言者は、コトバケと戦う兵士。言うなれば、命をかけて日本を守る兵士である。
それになるには、やっぱり多少なりとも勇気がいる。
「でもまあ、あなたが司言者になるのは決まっていますけどね」
「いや、なんで!?」
久遠寺が決めかねているのに、夜桜から予想外のことが言われた。
選択肢を与えているわりに、何故かその選択肢を一つに絞られてしまう。
「学院にあなたのことを話したら、是が非でも司言者にしたいと言って聞かないんですよ」
「…………なんでですか?」
「さあ、なんででしょう。私にも、よくわかりません」
「…………」
その場のノリというか、勢いだけで話しているような夜桜に対して、久遠寺は反応に困ってしまう。
「しかし、学院がそう言っている以上、私はあなたのことを連れていかなければ行かないので、許してください。この車も、今更保護施設の方に向かうこともできないので」
「え? この車、学院に向かってるんですか?」
「はい。本来なら、司言者用の保護施設に案内するんですが、特別です」
「いい事みたいに言わないでくださいよ!!」
「まあ、とりあえず、学院に着いてから詳しいことはお話しますので、今は休んでいてください」
「これからのことを思うと、気が休まらないよ…………」
ともあれ、こうして久遠寺は司言者養成学校である、ランワード学院に足を踏み入れることになった。
新生活の季節であるこの時期に、本当に久遠寺の新生活が始まったのだった。
車の外を見ると、倒れそうなくらい傾いた夕焼けが、増えすぎた住宅街を赤く照らしていた。