昔話
空にはひとつも雲がなく、よく晴れた早朝のこと。久遠寺は昨日加入したばかりである、自らのチームの控え室に足早に向かっていた。
「おはようございまーす」
久遠寺はガチャッと扉を開けて、チームの控え室に入った。
控え室には、すでに夜桜と清和の姿があった。入り口のすぐそばのソファーに二人仲良く座っていた。
二人はもうすでに制服を着ていて、いつまでも部屋にあった服で過ごしているのは久遠寺だけだった。
「ああ、おはようございます、久遠寺さん。どうかしましたか?」
「いや、どうかしたもなにも、自分のチームの控え室に来ただけなんだけど…………」
「あ、そういえば、あなたもこのチームのメンバーでしたね」
冗談なのか、本気なのか、どちらとも取れそうなことをいい始める夜桜。
さすがに冗談だと思いたいが、案外適当な夜桜のことだから、本当に忘れているかもしれない。と、久遠寺はあらぬ心配をしてしまう。
「昨日はお疲れ様でした。いい戦いぶりでしたよ」
「ああ、ありがとう」
昨日。正直、この二十四時間の間に、いろいろなことが起きているせいで、ここに来てからずいぶんと時間がたったように感じられるが、残念ながらまだここでは二泊三日しか生活をしていない。長さでいったら、中学の修学旅行並み長さだ。
当然のことながら、軽い訓練をしたあと、すぐさま実戦に駆り出され、精神的にも肉体的にも久遠寺の体にはだいぶ負荷がかかっていた。
「久遠寺さんも来たことですし、朝食でも食べましょうか」
夜桜はおもむろにソファーから立ち上がった。
「また夜桜が作ってくれるの?」
「はい。ですので、久遠寺さんはソファーでくつろいでいてください」
「わかった。ありがとう」
キッチンへ向かった夜桜と交代するように、久遠寺は先ほどまで夜桜が座っていた場所に座った。
ここのソファーはめちゃめちゃにフカフカで、座った瞬間に体の背面がソファーの中に埋まってしまう。
体が疲れきっている久遠寺には、そのフカフカ感が心地よくて、なんかもう、立ち上がりたくなくなってしまう。
いっそのこと、このまま寝てしまおうか――――。
ツンツン。
二度寝のためにゆっくりと目を閉じた久遠寺の頬を、細い何かが突っついた。
それに反応して横を見てみると、そこにはおそらく久遠寺の頬に触れたであろう清和の指と、楽しそうに笑う清和の姿があった。
操る言葉の関係から、なにも話すことができない彼女だが、そんな彼女でも、いや、そんな彼女だからこそ、表情や動作で上手く気持ちを表現していた。
ほっぺたをツンツンなんて、清和さんは意外と人懐っこい人なのかな、なんてそう思った久遠寺だった。
『改めて、チームに入ってくれてありがとね! これからきっと楽しくなるな~』
いつも通り、スマホに文字を打って会話をする清和。その文面から、とても機嫌がいいことが見てとれた。
「うん、よろしくね、清和さん」
『清和でいいよ。よろしくね、令くん』
清和はスマホの画面を見せながら満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、漫画に描けば「ぱあぁぁぁぁ」みたいな擬音が付くこと間違いなしなくらい明るかった。
『実はね、なかなかチームのメンバーが集まらなくて困ってたんだ。だから、久遠寺が来てくれて、すごくありがたいの!』
「へぇー、そうだったんだ。こちらこそ、歓迎してもらえてありがたいよ」
ほのぼのとしたやり取りをする二人。その空間は、なんというか、時間の流れがゆっくりになっているようだった。
夜桜の話では、ランワード学院の全生徒を合計すると二百人にも満たないらしいが、どうやら、その大半がすでにチームに所属しているため、新しくチームを作るのは結構難しいようだ。
だから、久遠寺のような新入生は貴重な存在であり、夜桜からしてみれば、チームを組むためのいい人材が外からやって来たわけだ。
しかしながら、夜桜にそんな自分の利益を追求した考えがないのは確かで、久遠寺を保護しておきたいという気持ちだけだった、はずだ。
「夜桜と清和さんはさ、どういう関係なの?」
おそらく、久遠寺と夜桜が知り合うよりも遥かに前から、知り合っていたであろう二人。そんな二人が、一体どんな関係なのかということは、完全に外からチームに入った久遠寺には気になるところだった。
『私たちは、中一からの知り合いで、同期なんだ。おんなじタイミングでこの学院に入って、何度か同じ戦場に立つこともあったよ』
ランワード学院に限らず、JASの規定として、最低でも司言者になるには中学生以上の年齢である必要がある。
つまり、中一からの知り合いで同期ということは、司言者になることが許されてすぐに、ランワード学院に入学し、そこで出会ったということになるだろう。
「じゃあ、四年以上一緒にいるんだね」
『うん! そういうこと! その時代の司言者で、中一だったのは私たちだけだったから、仲も良かったよ』
規定では、中学生から司言者になることはできるものの、命をかけたその役職を好んで担うものは少なく、中一からのずっと司言者をやっている人間はそういない。だから、同年代の司言者が二人だけだったというのも頷ける。
四年前と言えば、久遠寺の両親が『Word Wielder』となったのはそのくらいの時期だ。そして、久遠寺に体罰をするようになったのも、ちょうどそのくらい。
久遠寺にしてみても、四年前というのは転機の年であったのは言うまでもない。
『思い返して見れば、この四年の間にいろいろあったなーって、懐かしく思うんだよね』
昔を思い出して、一人で懐かしさに浸る清和。
本来なら、普通の学生として過ごすその四年を、一人の戦士としても生き抜いた彼女たちに何事をないほうがおかしい話ではある。
「いろいろ、か」
『うん。いろいろ。私と夜桜は、四年の間に一度だけ戦声機の形を変えたりとかもしてたし』
「戦声機の形を?」
『そう。やっぱり、四年もあると使う言葉とか変わってきちゃうからさ。私も今はこんなだけど、昔はしっかり声だして話してたんだよ』
戦声機は使用者の言葉に反応して形を変える。つまり、戦声機が変化したということは、使用者の言葉の性質が変わったことになる。
四年。しかも、思春期真っ盛りの中だ。使っている言葉が変わるのも無理はない。
無口でないときの清和。それが一体、どんな感じなのか見てみたいものではある。
それに、久遠寺はまだ発声機からでる清和の声以外、聞いたことがない。果たして、聞ける機会は来るものなのだろうか。
『他にも、死にかけたこととか、助けたり助けられたりしたこととか――――助けられなかったりとかもね。本当に語り尽くせないくらい、いろいろあったんだ』
スマホに映る文字は無機質なものではあり、音として再生されることはない。しかし、それでも、聞いたこともない清和の声が、抑揚をはっきり聞こえてくるようだった。
その声には、懐かしさとか、嬉しさとか、後悔とか、そんな感情が練り込まれていた。
『その中で、一番、印象が強いのは――――』
そんな中で、彼女が挙げたのは、ある戦いのこと。
『――――青森防衛戦。あの戦いは、生涯忘れることはできないと思う』
その戦いは、良くも悪くも、いや、良くはなくとも、彼女たちの頭にべっとりと張り付いて離れることはない。そんな戦いだった。
「青森防衛戦?」
『うん。夜桜からは、なにも聞いてない?』
「…………あ、そう言えば昨日、そんなこと言ってた気がする。でも、詳しくは…………」
『そう。まぁ、それもそっか。あんまり、夜桜はこの話をしたがらないだろうし』
夜桜はしたがらない。それだけで、なんとなく、良い話ではないように思われた。しかし。
「それって、どんな戦いだったの?」
久遠寺は無神経にも、その話を聞こうとした。
そして、久遠寺のその問いかけを聞いた清和の、文字を打つ手が止まった。
それを見て、夜桜だけでなく、清和も同じように、この戦いの話をしたくないんだと悟った久遠寺は。
「ごめん、何でもない」
と、口から出でしまった言葉を取り消そうとした。
それから、少しの沈黙が流れる。
三十秒、いや、一分くらいの時間が流れる。
清和はスマホに何の文字を打とうとしないし、久遠寺も言葉に詰まっていた。
そして、それからさらに時間がたった辺りで。
『簡単に説明するから、よく見てて』
と、清和がスマホに文字を打ち込んで、それをゆっくりと久遠寺に見せた。
それから、清和は重い指を動かしながら、久遠寺の説明した。
青森防衛戦の、氷山の一角だけを簡単に。