招待
「隣、失礼します」
夜桜はそう言いながら、久遠寺の隣の席に座った。
彼女が持っていたおぼんには、美味しそうな魚定食が乗っている。
「意外と、昼御飯を食べるのにちょうどいい時間に成りましたね」
壁に立て掛けられた時計を見ながら、夜桜はそう言った。
というのも、久遠寺達が訓練を終えて昼御飯を食べようにも、訓練や検査が想定していたよりも早く終わったせいか、時刻はまだ十時を回ったばかりと、昼御飯を食べるには早すぎる時間だった。
そのため夜桜は、時間潰しもかねて久遠寺に学院の案内を軽くすることにした。
ランワード学院の校舎は、その施設の多さからかなり広い面積を有している。
中等部や高等部の教育施設、職員棟や教員棟、研究施設や学生寮などの、本来、分けられていても良さそうなものが学院の敷地内に詰め込まれている。
理由としては、様々な施設を一つにまとめることで、それらを同時に保護できる環境を作るためだ。
どういう風に保護しているのかは、また別の機会で説明するとして、とにかく学院内は広いため、久遠寺のような新入りは、簡単に道に迷ってしまうことだろう。
ということで、夜桜は親切にも学院内の案内をしてくれたのである。しかし、その案内は親切であっても、丁寧ではないものばかりだった。
およそ一時間半ほど学院内の案内をしてくれたのだが、久遠寺がその案内で学んだのは夜桜がいかに適当であるかぐらいであった。
この一時間半の間は、夜桜緑によるとりとめのない無駄話が支配していた。
久遠寺からしてみれば、何とも迷惑な話である。できれば、目の前にある施設の説明をしてほしいと、何度思ったことだろうか。
ともあれ、その学院内の案内の最後に立ち寄ったのが、今、二人がいる学食である。
どうやら夜桜は、初めからこの学食をゴールに設定していたようで、昼御飯を案内が終わったあとすぐに食べられるように計算して、学院内をまわっていたようだ。
それができるのであれば案内の方も真面目にやってほしいと、切実な思いを久遠寺は押し殺した。
「「いただきます」」
夜桜が席についたところで、二人は手を合わせて挨拶をした。
久遠寺の眼前には、ホカホカと湯気を立ち上げているカレーがおかれている。
この学食は食券を買って、おばちゃんに見せるあるあるの食堂方式なので、このカレーは当たり前だが、久遠寺が選んだ昼御飯である。
久遠寺はそのカレーに、多少なりとも感動を覚えていた。
ここ最近は、自分の親にはカレーどころかちゃんとしたご飯も食べさせてもらっていなかったから、今日の朝食もそうだが、こういうご飯を見ると嬉しくなってくる。
「そんなに感動しなくとも、これから先はそれが当たり前になりますよ」
昼御飯を前に、目を輝かせていた久遠寺に対して、夜桜はそんなことを言った。
昨日、ランワード学院に着くまでの車内。
このときに、久遠寺は夜桜に自分の両親のことについて話していた。
その両親は、『Word Wielder』出なかった自分に何度も暴力を振っていたこと。さきのコトバケの襲撃により、二人が死んでしまったこと。助けられて安心したのか、久遠寺はそんな話を夜桜にベラベラと話していた。
はじめは、両親を助けられなかったことを謝っていた夜桜だったが、「助けてくれなくて良かった」という久遠寺の言葉を聞いて、何も言わなくなった。
夜桜は彼のたったそれだけの言葉で、彼がどれほど親を嫌いだったのか察して、口を閉じたのだった。
夜桜自身は自分の親に、縛られはするものの、直接的な攻撃をされることはない。だから、彼の痛みなんてわかるはずもないわけなのだが、それでも味方になることならできるかなと、そう考えた末に夜桜は先程の一言を放ったのだった。
「そうだね、ありがとう夜桜さん」
久遠寺は清々しく笑う。ストレスで真っ白になってしまった髪が、サラサラと揺れた。
「午後は、何をしましょうか?」
食事中の団欒をするように、夜桜は久遠寺にそう問いかけた。
「何か予定はないんですか?」
「予定ならありますよ、たくさん。だから、それのどれから消化していこうか、という意味です」
「ああ、そういうことですか」
「…………」
少し言葉を交わしたところで、夜桜は黙ってしまった。
「敬語、使わなくていいですよ。同級生ですし」
「え、でも、夜桜さんも…………」
「夜桜でいいですよ。なんなら、緑と呼んでいただいても構いません」
「そうですか…………あ、じゃなくて、そうなんだ。じゃあ、夜桜で」
慣れないタメ口に、戸惑って言葉を選んで話す久遠寺。
久遠寺にとって、初対面に近い夜桜には、同級生であろうと敬語を使う対象ではあるのだが、それをどうやら、夜桜は気に食わないらしい。しかし。
「夜桜も、敬語使ってるよね」
人の敬語を指摘するものの、その夜桜自身も久遠寺には敬語を使っていた。
「いいんですよ、私は。これが自然の言葉遣いですから。こうでないと、私は司言者として生きていけませんもの」
夜桜のような司言者にとって、使用する言葉は言霊エネルギーを変換する際に大きく関わってくる。だから、夜桜は自然体で生きる自分であるために、自らが使いやすい言葉を会話で用いている。夜桜からしてみれば、それがたまたま、敬語に聞こえてしまっているというだけである。
しかし、そんなルールをよく知らない久遠寺は、へぇー、っと淡白な返事で流す。
本来このルールは、久遠寺には教えるべきルールであるはずなのだが、夜桜はそれをしない。なぜなら、久遠寺は例外であるから。そして、例外であるからこそ、夜桜は彼に敬語を使ってほしくなかった。
夜桜は皆までは語らないが、彼にとってこの場所が、敬語を使わなくてもよくて、心置き無くくつろげるような、実家のような存在であってほしいと、そう考えているのだ。
言葉に縛られている夜桜のような司言者と違い、久遠寺はどんな言葉を使ってもその力に影響がない。だから、そこだけ見れば、きっと彼は夜桜よりも楽だろう。しかしまぁ、それ以外が欠落しているのであるわけなのだが。
「ところでさ、夜桜。僕の『Word Wielder』はどうして、夜桜の『Word Wielder』みたいにボイスレコーダーの形に収まらないの?」
訓練終了後、夜桜の『Word Wielder』は夜桜の「シール」という掛け声と共に、ボイスレコーダーの形に戻った。
しかしながら、久遠寺の『Word Wielder』は、剣の柄の形をしたまま、ほとんど形を変えることは無い。
なぜ、その違いがあるのか、今日『Word Wielder』を持ったばかりの久遠寺には分からなかった。
「普通の『Word Wielder』というのは、使用者の言葉に反応して形を変えます。ですから、解放や抑圧にも使用者の言葉がいるんです」
「じゃあ、僕のは違うの?」
「はい。あなたは少し、特殊ですから」
夜桜は“特殊”と言うものの、どう特殊であるのかは、久遠寺に説明しなかった。
(言導型…………また特殊なのがこの学院に来たものですね…………)
久遠寺の顔を見ながら、夜桜は口に出さず、そんなことを頭で思っていた。
(彼はこれから一体、どうなるんでしょうか)
今は嬉しそうに、ご飯を食べている久遠寺ではあるが、彼の希少性から鑑みても、この先、彼が普通の司言者でいられないことが何となくわかる。
(助けたのが、たまたま私だったから良かったものの、もし、あの研究室の職員に捕まっていれば…………)
人類の驚異であるコトバケ。それを対抗すべく戦う司言者。その戦闘をサポートする立場にある研究員。しかし彼らが、あまりにも強大なコトバケの力と対抗できるような技術力を手に入れるために、道徳を捨てるなんてことは残念なからよくある話ではあった。
無理な戦闘を強いて、コトバケの戦闘データを大量に得ようとしたり、司言者に対して薬物実験をするなど、その実験っぷりは目が当てられないほどだった。
それは、ランワード学院の研究員も例外ではない。というより、今のランワード学院が高い水準の技術力を持っているのは、研究員の人の道を逸れたような研究の賜物であることは、言わずもがなの事実であった。
そしてなにより、ここ一年でランワードの技術力は再び大きな成長を見せている。そしてそれは、川縁明日菜がこの学院にやって来た時期と一致する。
そのため、夜桜は心のどこかで、川縁のことを警戒していた。
少し話は逸れたが、つまり久遠寺はもしかすれば、研究員による人体実験に参加されられる危険がある。
夜桜はそれだけは避けたかった。
「決めました!」
夜桜はそう言いながら、手で机をバンっと叩いて立ち上がる。
「え、どうしたの!?」
夜桜の突如とした言動に、隣にいた久遠寺は驚いてご飯を食べる手を止めた。
そして、夜桜はそんな久遠寺の手を握って、こう言った。
「――――あなたを私のチームに入れましょう」