訓練
久遠寺と夜桜は、学院にあるグラウンドに足を踏み入れていた。
理由はもちろん、久遠寺が戦声機を使えるように訓練をするためである。
ランワードのグラウンドは、主に司言者達の模擬戦に使われる。
陸上競技場のトラックと同じくらいの広さで、一見するとどこの学校にでもある砂のグラウンドだ。
しかしながら、司言者同士の激しい戦いに耐えられるように、頑丈な造りになっている。地面にしかれている砂には、隕石が降ってきても穴が開かないとか。
ともあれ、そんな場所に司言者の二人が来たのであれば、やることはたった一つ――――。
「それでは、今から模擬戦を開始します」
「も、模擬戦!?」
この場所に案内される際、何をするか聞かされていなかった久遠寺は、驚きの声を上げた。
「普通、こういうのって基礎から習うんじゃないの?」
「戦声機の扱いに基礎もくそもありません。あるのは、慣れと経験だけです」
「だとしても、模擬戦からってのは…………」
「ですから、覚悟しておいてくださいと言ったんです」
「…………」
(そういえば、そんなことも言っていたなぁ…………)
先程、研究室で話していたことの伏線が回収された瞬間である。それにしても、雑な伏線だ。
「戦声機を構えておいてください。合図をしたら、こちらから攻撃を仕掛けます」
夜桜はそう言いながら、戦声機を解放させた。昨日と同じように、激しい閃光と共に姿を変えた。
久遠寺も自らの戦声機を構える。夜桜の戦声機と比べて彼の戦声機は、ボイスレコーダーのような形になることはなく、常に剣の柄の部分のみで構成され、そこを握りしめることで戦声機が解放される。
この動作にすら、久遠寺はまだ慣れていないわけで、模擬戦をするのは確かに早すぎるようにも思えたが、夜桜はそんなことを聞こうとしない。
片手に戦声機を握った二人が、相対峙する。
「では、行きますよ――――」
そう言いながら、夜桜は一歩踏み込んだ。
訓練という名の模擬戦が今、始まったのだった――――。
夜桜と久遠寺が初めにとっていた距離は、約二十メートル。シャトルランの一回分の距離だ。
その程度の距離なら、夜桜は一瞬で詰めてくる。
先程一歩を踏み出したはずの夜桜は、瞬きの間に久遠時の目の前まで来た。
「――――っ!」
そして、夜桜は左手に持っていた戦声機を振る。そのままいけば、久遠寺の体は右肩から左肩にかけて一刀両断されてしまう。
久遠寺は咄嗟に、右手に持っていた戦声機でガードする。
戦声機同士がぶつかり、大きな音と共に久遠寺は真横に吹き飛ばされた。戦声機がぶつかった瞬間の衝撃に耐えられなかったのだ。
そして、久遠寺の体は不安定な状態になり、そのまま地面に激突した。
「ぐわあ!!」
地面に叩きつけられた衝撃は、体の芯まで響いた。普段ならそのままうずくまっていたところだろうが、今はそんなことをしている場合ではなかった。
倒れた久遠寺に向かって夜桜は、間髪入れずに攻撃を仕掛ける。
一瞬で間合いを詰めたかと思うと、戦声機を上に上げ、そのまま振り下ろそうとする。
(やばい!)
先程は反射的に攻撃を防げたものの、今回こそ、攻撃をもろに喰らってしまうかもしれない。
危険を感じた久遠寺は、戦声機を横に向けて夜桜からの攻撃を防ごうとする。
左手を刃に添え、来るべき攻撃に構える。焼けるように冷たい刃が、久遠寺の左手を蝕んだ。
ガツン、と大きな音がすると同時に久遠寺と夜桜の戦声機がぶつかる。
そのときの衝撃は凄まじく、彼らの周辺には衝撃に応じて風が巻き上げた。
攻撃を防いでいた久遠寺には、叩きつけられるような衝撃が走る。生身の彼にとって、この衝撃は耐えがたいものであった。
体が悲鳴をあげているのがわかった。
このまま攻撃をされ続けたらまずい。そう思い、久遠寺何とかして距離をとろうとする。
しかし、その必要はなかった。
久遠寺が逃げるよりも先に、夜桜が跳びながら後ろへ下がった。
久遠寺と夜桜の間に十分な距離が空き、戦闘に一度、静けさが生まれた。
「さすがに、初訓練からこんなスパルタじゃなくてもいいんじゃ…………」
「いえいえ、ちゃんと動けていますよ。この様子だと、もう一段階、戦闘のレベルを上げてもいいですかね」
質問に対して、回答が噛み合っていないじゃないか。久遠寺がそんな突っ込みをする間もなく、夜桜は再び戦闘モードに入る。
しかし、その戦闘モードは先程とは全く違うものであった。
夜桜の戦声機が、うねうねと動いていたのだ。
その動き方は、夜桜が昨日の久遠寺を助けようと氷を破壊したときと全く同じものであった。
その威力はご存じの通りで、厚い氷を簡単に砕いてしまうほど強力である。
それを知らないはずの久遠寺ですら、その威力と危険性が容易に理解できた。
次に夜桜が刃を振るった瞬間、あの幹たちが自分のことを襲ってくる。そう悟った久遠寺は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
厚い氷を簡単に砕いてしまう攻撃だ。生身で受ければ、彼の命はないだろう。
久遠寺には自分の心臓の鼓動が、耳のすぐとなりで聞こえていた。
夜桜が戦声機を構える。
死が目の前まで迫ってきている。それでも、彼は動こうとしない。動くことができない。彼には、何をするべきかが、わからないのだ。
思えば、あのときもそうだった。
コトバケが目の前に現れ、命の危機に瀕したときも特に何もできなかった。
あのときは偶然、『Word Wielder』としての力が目覚めたから生きているけど、それがなければ今はここにはいない。
そんな運の良さもあのとき限り。今回こそ、これで御陀仏だ。
久遠寺は諦めかけていた。諦めかけて、ふと思う。
運の良さはあのとき限りかもしれない。今回は死ぬかもしれない。でも――――生きたいのはいつも同じだ。
今も昔も、あいつらに暴力を振るわれているときも、生にこだわってきた。死にたいと思ったことはなく、生きたいと思い続けてきた。そして、あいつらのいない世界なら尚更だ。
それなら僕には、生きる以外の選択肢はない。そして、僕にはそれができる。その力を確かに、手に入れたはずだ。
久遠寺は覚悟を決める。
夜桜が戦声機を振った。
剣に巻き付いていた幹たちが、一斉に久遠寺に向かって伸びてくる。
避けられない、それなら――――。
久遠寺は思い出す。コトバケと戦っていた夜桜のことを。朦朧とする意識で確かに見届けた彼女の戦い方を。
彼女が避けられない攻撃をどうやって切り抜けたのか。
久遠寺は、幹たちが自分の体を貫くよりも前に、地面に戦声機突き刺す。
そして、分厚く、どんな刃でも通らないような氷の壁を作り上げる。
激しい轟音と共に、幹と氷の壁がぶつかり合う。
その結果、その氷の壁は見事に、幹の攻撃を防いでみせた。
一度、夜桜には壊されたことのある氷だが、今回の氷はそれよりも固く、分厚いものであり、貫かれることはなかった。
「はぁ……はぁ……やった…………!」
無傷の自分の体と、傷はあるものの貫かれることのなかった氷の壁を見て、久遠寺は思わず感嘆の声をあげた。
「まさか、こうも簡単に防いでしまうとは。さすがです、久遠寺さん」
遠くから褒め称えるように、夜桜はそう言った。
「いいものが見れましたし、訓練はここまででいいですかね」
てくてくとこちらに歩いてきながら、夜桜は久遠寺にとってまさかの発言をした。
「も、もう終わるんですか?」
訓練というから、長丁場になるんだと思っていた久遠寺には、結構意外な判断だった。
「ええ、少し早いですけど昼ごはんでも食べましょう」
「…………」
メリハリがあるというか、切り替えが早いというか、この学院にはせっかちな人が多いのかな。そう思った久遠寺であった。