宣言を聞くバナー -飛び出す広告 1話完結-
1
早朝に駅のホームを訪ねたことはあるか? そこでは、人間が必死に活動して作り上げたものの結晶を見ることができる。
つまりゲロまみれだってことだ。
ここで電車を待つひとりの青年――垣敷満の表情は、海岸に打ち上げられたイワシにそっくりだった。それもそのはず、彼は自動改札機を通ってすぐ、ビール、水割り、焼き鳥、枝豆、サラダ、ポテトフライ……だったもので構成される水たまりに足を突っ込んでしまったのだ。なかなか消えない、足裏のナメクジのような感触が、もともと明るくもない彼をさらに陰気にさせた。
彼は二か月前、とある大学に合格し、一か月前に入学した。そして、今日も大学へ行くため駅へ来た。
ちなみに、一時間目の授業は統計学だが、それも彼をゆううつにさせた。なにせ、その授業が行われる二三五教室は、犬小屋ほどにも狭いのだ。その狭さのせいで、彼は隣の人と密着しなければならないし、机も、ここに何が置けるのか設計者に聞きたいくらいに小さかった。
電車はまだ来ないため、満はスマートフォンを取り出した。ひまつぶしに漫画を読むつもりだった。彼がとくに好きなジャンルはダークファンタジー。最近『Garden of sieve』という漫画を読んだけれど、天井の木目を数えたほうがまだ楽しいと言える作品だった。
主人公がギリシャ神話の神々からニンフたちを守ろうとするも、べつに特別な力があるわけでもないため守れず、最後には嬲られるニンフを陰から見て興奮するという、王道をダイナマイトで吹っ飛ばしたような物語である。そこそこ売れてはいるものの、読者の誰もが「この漫画のどこが面白いのですか?」と聞かれれば、ありもしない答えを求めて、中空を見つめる哲学者となるに違いなかった。
そんな漫画の情報ばっかり検索しているためか、満が見るサイトには近頃よく漫画のバナーがあらわれる。そして、こうしたバナーにはままあるように、これも彼のサイト訪問の旅を妨害する。
しかも、その妨害具合が常軌を逸していた。ちょうど彼が押そうとしていたリンクの上にわざとらしく重なったり、退去願いの×印が、ミジンコ並みに小さかったりするのだ。彼は、自分の興味をひく漫画の広告ならばタップするし、こうしたバナーの波状攻撃にさらされる理由のふたつ目にはそれ(広告はおのれのジャンルが好きそうな者の前に現れる)があったものの、こうした罠をしかけてくる漫画のバナーほど、彼の興味をそそらないものだった。
この日もバナーはあらわれたが、台風のごとき厄介さであった。その特徴は以下のふたつである。
・でかい
・バツ印がない
ひとつめについて言うと、それは彼のスマートフォンの画面の七割をおおった。地球において海洋が占める割合とまったく同じだ。ふたつめについて言うと、この悪霊を退散させるための破魔の矢じりとでも言うべき、あの×印が存在しないのだ。いくらなんでも、それはルール違反じゃないかと彼は思った。まるで、相手がはるか上空を飛行しているのに、空に届く攻撃手段がプレイヤー側に用意されていないボス戦のようだ。こんなことがまかり通っていいはずがない。
彼がいくら目をこらしても、×印は発見できなかった。仕方がないので、彼はブラウザバックを決行するも……見よ、バナーはそこまで追ってきたのだ! 満はこのとき、おのれの驚愕と混乱の程度を、これ以上ないほど的確にあらわす語を思わず口にした。
「は?」
こんなにもしつこいバナーを彼は見たことがなかった。しかし、そのストーカー行為は、結果的に彼の興味をひくことに成功した。
このクソ厄介な正方形め……ここまでするってことは、自分が面白いと確信しているのか……? しょうがないから、あらすじくらいは読んでやるかな。
満はバナーに触れた。
2
――何も起こらない。ふつうならバナーに触れるとすぐ、画面が遷移するはずだ。何度触れてみても、一向に変化はない。自分の期待に唾を吐かれたように感じ、彼の表情筋が怒りの面を形作った。そして、また同じバナーが出現しても、一瞥すらくれてやらないぞと決心し、スマートフォンをいったんホーム画面に戻そうとした。ブラウザを電気椅子へ――つまり強制終了させれば、さすがのバナーも耐えられまいと考えたためだ。
……戻らない。
何故かホーム画面にすら戻れなくなっていたのだ。実はこのバナーは釘で、私が何度も叩いたから画面が釘付けにされてしまったのか? 彼がホーム画面に戻ろうとしてぬかに釘的格闘を繰り広げているうちに、電車の入場を予告するアナウンスが流れた。
そのとき、彼は液晶画面の異変に気づいた――ひびが入っている? さっきまではなかったはずなのに……
彼がその理由をじっくり考える暇も与えず、さらに大きな、そしてこの物語のはじまりを告げる大きな変化が訪れた。
「ぃぅあふぇおっふぁうぇお!?」
名状しがたい叫び声をあげると同時に、彼はスマートフォンを落とした。その理由は、今日彼が出席するはずの授業はすべて休講だったことに気づいたからでも、家の鍵とスマートフォン以外の荷物をすべて忘れてきたことに気づいたからでもない。
二本の腕。
2Dから3Dへ、毛むくじゃらのの二本の腕が、バナーの中から満に向かって伸びてきた。12×6の画面サイズより明らかに大きいその腕は、スマートフォンが地面に落とされると、周囲をさぐり、ホームに手をついた。彼の目にその動作は、画面の中から自分の体を引き出そうとしているかのように映った
本来、人気シリーズの新作なみに固いはずの画面が、期待外れだったときの低評価レビューほどにも伸び、「それ」にとっての出口が拡張される。そして、目をそむけたくなるほど醜悪な面構えの頭がゆっくりとでてきた。それは、あの悪夢のようなバナーに載っていたものと同じだった。幻獣、ゴブリンである。
満は強烈に恐怖していた。ここまで彼が恐怖したのは、十年前に父親が大切にしていた車――レースゲームの中で――を「トロいから」という理由で勝手に売却したとき以来だった。そのレースゲームは異常なまでに金が貯めづらく、彼の父親は、トップでゴールラインを通過しても十万キャッシュしかもらえないレースを何百周もして、やっとの思いでその車を買っていた。「トロい」車にしてはやけに高い売却額の意味するところを満が悟ったときには、既に遅し。
ゴブリンは明らかに「よう兄弟、仲良くやろうぜ!」と満に手を差し伸べてきそうな雰囲気……ではなかった。どちらかというと「自分の血を味わわせてやるぜ」と、今にも飛びかかってきそうだ。目は、両目ともDなのに一番後ろの席に配置され、必死で黒板を見ようとする人のように睨んでいるし、口は、青い鳥を閉じ込めているのかと思わせるほど、歯を食いしばっている。彼に危害を加えようとしているのは明白だった。
満は、命の危機を母親の胎よりでてから初めて感じ、くるりとゴブリンに背を向けて、出口側のホームへ行くため階段めがけて逃げだした。
ちょうどそのとき階段の上では、ふたり組の職員が新しいポスターを壁に貼り付けていた(これはまったくの偶然だが、このとき右側にいた職員は、満が足を突っ込んだあの水たまりの生成者だった)。今まではそこに<あなたの大脳皮質が暴れだす! 全人類のステージを引き上げる究極の千色錠剤!>という惜しげもなく違法性を漂わせるサプリメントのポスターが貼ってあった。
では新しいポスターは?
<現実社会に別れを告げよ! 今回帰する原初の楽園!>という極彩色のキャッチコピー。そして、その背後に佇んでいるのは――
象。
階段を登ろうとしたとき、満はそこにいるはずもないし、いるべきでもないし、いられるわけもないものを目にした。
象はあっけにとられている満に顔を向けた。一.二五五秒ほど、一人と一頭の哺乳類は見つめ合った。彼ら(そのマルミミゾウは雄だった)は互いに状況を呑み込めていないようだ。ヒト科のほうが3回、ゾウ科のほうが2回まばたきをしたあと、その象は突然おのれがここにある理由、こんなせまくるしいところにいる意味に気づき、体を少し引くと、彼に向かって猛然と突進を開始した。
この窮地、ヒト科が生き延びるためには反射神経に頼る必要があるが、彼のそれはいかほどか? 彼は昔から学校嫌いだったが、その最大の理由は体育という科目にあった。もしかしたらまだ知らない人もいるかもしれないので解説すると、この体育という授業は、体育と銘打ってはいるが、体を動かす授業ではない。いかに速く二人組を作るかが試される授業なのだ。満の反射神経はカタツムリのそれと大差ないが、そのへんの石ころにも劣るコミュニケーション能力に比べれば、まあ及第点といってよかった。
彼の体を巡る神経は、彼自身の脳より高速度で、まもなく満が駅にサルビアの花を咲かせてしまうことに気づき、弾丸に勝るスピードで信号を送った。その結果、彼は横っとびに線路へ落ちることとなった。
ところで、ここまでの彼の行動はまわりの人間にはどのように見えていただろうか? 実のところ、彼以外の人々には、ゴブリンも象も、その存在自体を感知できず、触れることすらできない。それどころか、満の存在もまた感知できなくなっていた。いつの間にやら消えた青年を、気に留める者は誰もいなかった。
そんなこととはつゆ知らず、神経と結託した、四肢の筋肉により線路へ投げ出された満は、とっさに、階段付近にいる人々に逃げるよう叫ぼうとした。が、間髪をいれず象が階下へ現れた。
「あああ…………ん?」
間もなく起こるだろうスプラッタに満は目を閉じた。しかし、象はホームをゆく人々をすり抜けて、端まで突進していったので、傷ついた者は誰もいなかった。悲鳴ひとつ聞こえないことに気づいた彼は、目を開けてそれを確認した。
わけわかんないけど、とりあえずよかった。………………あれ? なんか聞こえて――
さきほど予告された電車が、もうそこまでせまっていた。運転手にはもちろん満が見えない。丸めた新聞紙を振りかざされた蝿のごとく、満はとなりの線路へ飛びのき、その直後、彼が元いた場所に電車が停車した。
電車によって、ゴブリンも象も隠され見えなくなった。しかし、追跡をあきらめたわけじゃないだろう。満はホームへよじのぼり、また水たまりを踏むのもかまわず一番近い自動改札へ向かおうとした。ここで、彼はパスとなるスマートフォンがないことを思い出したが、緊急時にそこまで気をまわす性格でもなかったため、ハードル走の心がまえで走りだした。障壁が飛びでると予想される箇所で、彼の人生においてここまで真剣にジャンプしたことがかつてあっただろうか? というほどの跳躍を見せる。
しかし、自動改札機はなんの反応もしなかった。満は機械にすら認識されなくなっていたのだ。彼の全力は空振りに終わったが、そのことを疑問に思う余裕もなく、そのまま駅の出口へ向かっていった。
ここまでに、満はゴブリンと象に襲われた。彼ら(あのゴブリンは雄である)は漫画のバナーと、動物園のポスターからあらわれた。
では、街にはそれと類するものがいったいいくつあるだろうか?
街に逃げ出した満が目にしたのは――
ピザ、すし、ステーキ、すし、フライドチキン、うどん、ハンバーガー、パスタ、豆腐、天ぷら……
イルカ、キリン、ライオン、セイウチ、パンダ、サイ、カバ、ウサギ、コヨーテ、カンガルー……
宝石、墓石、服、家具、本、家電、仏像……
――などの雪崩だった。
3
街に貼られたあらゆるポスター、看板、パネル、そして道ゆく人々のスマホの中からも、大型ビジョンの中からも――とんでもない数のものが飛びだした。満はそれを見て、自分の気がふれたことを確信し、それならばと、いかにも狂人らしい感じで逃げだした。くりかえすが、彼以外の人々にはなにも見えていない。彼は日常を歩く人々の中、ひとり狂気に追われていた。
彼は必死に走る。シャトルランがいつも四十回だったことも忘れ、とにかく走る。実際、彼は疲れをそれほど感じなかった。メニューからあふれでるドリアを踏みつけ、こけしの山を飛びこえた。どうやら広告は、私を目にしない限り、追ってくることはないらしい。広告が私を見るってどういうことだよと思いながらも、そのことに気づいた満は、とりあえず隠れようと広告が少なそうな通りに入った。
危険な広告(足が速い動物が写真に使われている可能性のある動物園や、灼熱の料理が滝のようにでてくる飲食店、わけわかんない怪物がでてくる漫画など)は、特にないようだった。振り返ると、よちよち歩きのペンギンと、ナマケモノしか見えなかった。少し余裕を感じた満は、足を止めた。さすがに息が切れていた。彼は、目の前の危険を避けることだけでせいいっぱいだった。だから気づかなかったのだ。背後に設置された巨大なパネルには。
二階建てのビルほどもあるこのパネルは勝手に設置されたもので、どこのだれがそれをやったのかはわかっていなかった。今日撤去される予定だったが、あいにく満の到着には間に合わなかったようだ。そこに描かれていたのは――
おおきなひと。
満は肩で息をしていた。背後では巨人がうつろな目で満を見おろしていた。満はこのあとどこへ逃げればいいのか考えていた。巨人は右手を振りかぶった。満はもう少しでいい考えを思いつきそうだった。巨人は右手を打ち出した。満は――
吹っ飛ばされた。
4
満の命運もここまでかと思われたが、なんと彼は生きていた。めちゃくちゃに回転しながら空を百メートル以上もぶっ飛び、思いっきり地面に叩きつけられたのにもかかわらず、ケガひとつ負わなかったのだ。かなり体は痛むものの、動かせないことはなかった。満自身、これにはかなりおどろいていた。ドリアに触ると熱いのに、地面に叩きつけられるのは平気なのか……
しかし状況は変わらない。満が落ちたのは歩道で、まわりには広告がたくさんあった。はやくも薬師如来像が顔をのぞかせる。安心はできなかった。彼は立ち上がると、また走り出した。
逃げても逃げても、やつらは追ってくる。きりがない。満は生存をあきらめてはいなかったものの、今にも倒れそうなほど疲れていた。やつらも、自分も、ほかの人々には見えていないらしいことにも気づいていた。それを考えるとおかしくて笑えてくるが、やはりそんな場合ではなかった。
「うっ!」
満はなにかにつまずいて転んだ。彼はもう限界を迎えていたため、もう動けないと直感した。なににつまずいたのか見てみると、車の模型だった。レーシングカーだろうか、ステッカーがびっしりと貼ってあった。……あれ、これ私が昔売っちゃったやつじゃん。最後にまた見られるとは。
思えば、なかなか良い人生だったかもしれない。体育が得意ならもっとよかったんだけど。
満は目を閉じた。
ぽんぽん。
……すぐ開けることになった。
5
満は肩を叩かれていた。目を開けると、フルフェイスのヘルメットと、レーシングスーツを着た人、つまりレーサーが顔をのぞきこんでいた。
「大丈夫か?」と声をかけられる。
「いや」と満はこたえた。このときばかりは自身の壊滅的なコミュニケーション能力の低さを忘れていた。
「乗ってくか?」と、レーサーは親指を後ろに突き出した。そこには実物大のレーシングカーが停まっていた。街中にあるわけもない。どうやらこのレーサーも、広告からでてきたようだった。しかし、満に危害を加えるような雰囲気はなかった。人間だからだろうか。
「ぜひお願いします」
そのレーシングカーは二人乗りだった。満には四点式シートベルトの締め方がさっぱりだったため、レーサーにやってもらった。
「準備はいいか? いいな、よし出発!」
次の瞬間、満はこの車に乗ったことを若干後悔した。
満や広告は、ものには当たるが人はすり抜ける。レーサーはその特性をしっかり理解しているようで、逃走のために十分活用していた。その結果として、車はめちゃくちゃな速さで走った。彼の腕前は卓越しており、広告からあふれでたもので埋め尽くされた道路も、車にキズひとつつけずに走り抜けた。いっぽうの満はというと、朝食べた消費期限切れの菓子パンを吐き出さないようにするのでせいいっぱいだった。
「なんなんですかねやつらは」瀕死の表情の満は口をおさえながらレーサーにきいてみた。
「虫の息だな」笑いながら彼は言った。「俺もポスターから出てきたようだが、よくわからない。記憶があいまいなんだ。でもひとつ言えるのは……」ここで言葉を切った。「……あれはお前がなんとかしなくちゃならないものなんだろう」
「え?」満は思わずきき返した。
「なんとなくだがな。そう思うんだ」こう言って、また彼は運転に集中しはじめた。
もう質問できる雰囲気ではなかったため、満は彼の言葉の意味を考えた。
……私がなんとかする? なんとかするったってどうしたらいいんだ。街中の広告を剥がすのか? あのドリアぜんぶ食べたらいいのか?
5
「ちくしょう」レーサーの悪態で、満は我に返った。「もうすぐ燃料がなくなる」彼はメーターを見つつ言った。「あのポスターの写真は最終ラップだったからな……」
「やばいじゃないですか」満が言った。
「やばい」レーサーが言葉を返した。
「どうしましょう」
「どうしようもない」
きっぱりレーサーはそういうと、しばらくしてから、再び口を開いた。
「言いたいことがある」やけに重々しい口調だった。
「はい?」いきなりどうしたのだろう。
「もしお前が無事に生き延びられたら……」
「……はい」
「生き延びられたら……」レーサーは息を吸い込んだ。
「二〇二〇年八月九日灰賀サーキットで開催される第三回ビヨンドジアローレースをぜひご観戦ください!」
「は?」
満は、おのれの驚愕と混乱の程度を、これ以上ないほど的確にあらわす語を思わず口にした。
「いやー、言えてよかった!」彼は晴れやかな声で言った。「どうしても言わなきゃいけない気がしていたんだが、なかなかタイミングがつかめなくてな」
「つかめてませんよ」冷静に満は言った。脱力ものの彼の言葉で、恐怖感や絶望感が一気に消え去った気がした。それと同時に、自分がどうすればいいのかに気づいた。
……そうか。そういうことか。
「なにをすべきか分かったようだな」レーサーはニヤついているような声で言った。「この先は海だ。そこで降ろしてもいいか?」
満はうなずいた。
6
海に変わりはなかった。風もなくおだやかで、日の光を浴びてきらきらと輝いている。(満にとっては)地獄のような陸とは対照的だった。海岸にはほとんど人がいなかった。
車を降りると同時に、満は砂浜にぶっ倒れた。口から五臓六腑が出そうだった。
「おいおい、大丈夫か?」レーサーが満の背中をさすった。「ちょっと飛ばしすぎたかな」
「うーん……いや、おかげで助かりました。ありがとうございます」満は礼を言って、おもむろに立ち上がった。深く息を吸い込んで、のどの調子をととのえる。彼はめったに大声など出さないが、今は出す必要があった。やつらは広告から出てきて、私を追いかけてきた。殺す気なのかと思っていたし、確かにそうしようとしていたものもいた。だけど、ほとんどは追いかけるだけだった。すると、目的はべつにあるんじゃないか。さっきのレーサーの言葉を考えると――
満は振り返った。あらゆるものが、満を追って海岸になだれこもうとしていた。空から来るものもあった。
もうそこまでせまっていた。「そろそろだな」レーサーが彼を見た。彼もレーサーを見た。きっとうまくいくはずだ。
満は大きく息を吸い込んだ。
これは宣言だ。
「い――」
やつらは止まらない。
「ら――」
少し動きがにぶくなったように見える。
「な――」
動きが完全に止まった。
「――い」
消えた。
満を追うすべてのものが、最初からなかったかのようにいなくなった。あんなに大きかった音も聞こえなくなった。
そして、レーサーも車と一緒に消えていた。ただ、最後の語を言った瞬間――「やったな」という声が聞こえた気がした。
こうもすべてがさっぱり消えると、夢をみていたんじゃないかと思う。実際、そうかもしれない。今から目が覚める可能性だってある。ただ、たとえそうだとしても――
ぐしゃ。
満のポケットになにかが入っていた。いつの間に入っていたのだろう。とりだしてみると、ぐしゃぐしゃに丸められた紙のようだった。やぶかないよう、丁寧に広げる。
<二〇二〇年八月九日、灰賀サーキットで第三回ビヨンドジアローレース開催!>
――これには行ってみようかな。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
この話について、活動報告にいろいろ書くかもしれません。
よかったら読んでみてください。