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雨の日は月の光。

作者: 泉 菜奈

言わずと知れた、名曲、月の光。

雨の日に聴きたくなるのは私だけでしょうか。

月の光の優しい音とご一緒に。

雨の日は憂鬱だ。



無条件の頭痛に、湿気を含んだ髪と、身体まで水分を帯びていささか普段より体が重い。

雨雲が空全体を覆って、今戦っているすべてのものは一時休戦。


……今日は授業、サボろう。


布団の中で朝9時、今から支度すれば確実に間に合うけれど、二時間後には苛まれるであろう罪悪感への躊躇はもはやない。


季節外れのもこもこの寝間着が暑くて、夜中に開けた窓からは雨音と雨独特の土の匂い。

部屋に冷気が流れ込んでいる。

もうすこしこのまま…寒くならずにこの雨の風を感じていたい、

と目を瞑ると携帯が鳴った。


充電器にさしたままの携帯を手に取ると、雅臣からのメールの通知。


若者の間で定番となったこのアプリケーションをメールと言っていいものか。

手紙よりも手軽なメール、メールよりも内容のないチャットアプリ。

みんなきっと、いつもだれかと繋がっていないと不安なんだ。


開いてしまうと、既読を知らせてしまう機能を思い、開けるか迷っていたら、また雅臣からのメッセージに携帯が震えた。


「おい、どうせ家にいるんだろ、あと3分でつくから開けろ。」


 強引極まりないのに、事前にメッセージをしておくところに雅臣の自分本意になりきれない性分を思い、笑ってしまう。

それから3分と待たずに鳴ったインターホンを開けると、

「なに。その格好。」

顔をしかめながら雅臣が言った。


「何って….寝間着?」

「ちげぇよ。お前、その格好で宅配便とか出るわけ。」

「そうだけど?」

「だいたい何でそんな上着込んでんのに、下短いんだよ。おかしいだろ。」


今日はいつもよりさらに虫の居所が悪いらしい。


「で?どうしたの?」


一応お客様なことには変わりないので、お湯を沸かす。

といってもティーパックの入ったマグカップにお湯を注ぐだけの、表面的なおもてなし。


「いや、今日絶対、院サボるだろうと思って。お前こんな日は家でないだろ。」

「本当は布団からも出たくないんだけどね。誰かさんに無理矢理起こされた。」

「いいんだよ。雨の日にだって人間らしい健康で文化的な生活を送る義務があんだよ。」


それは義務じゃなくて権利だから。行使しなくてもいい、と頭をかすめたけど、それを口にすることすら面倒くさい。


マグカップをソファーテーブルに運びながら私はコーヒーを飲む。雅臣はコーヒーが飲めない。


「っ!お前!熱湯注いだろ!?火傷しただろ!?舌!」

「飲み物恵んであげたんだから文句言わないの。」



静寂。

雅臣の紅茶を冷ます音。

雨音。

私のコーヒーをすする音。

雨音。

水たまりの上を走る車の音。

雨音。

時計の音。


「ねえ」

「………。」

紅茶を一口恐る恐るすすりながらの返事。


「私、おもてなししたよね?暖とらせたよね?代わりに弾いて。」

ソファの後ろにあるピアノを指して言う。

「これの….なにがもてなされたって?お前、日本の心やり直せ。」

「月の光。ドビュッシーの。」

「今の俺の話、聞いてた?」

「ねえ、早く」


ったく、しょうがねぇなあ、ぼやきながらもマグカップをテーブルに置き、ピアノの椅子に移動する。


雅臣が静かにピアノを開ける。

えんじ色のカバーを外す。

指を鍵盤の上に乗せる。

ゆっくりと目を閉じる。

雨の音が一層強く聞こえると感じるぐらい、部屋は静寂さに包まれる。

息を思いっきり吸って、吐きながら目をゆっくりと開くと同時に、

鍵盤の上に乗った、綺麗な長い指が動きだす。


月の光。


ピアノを弾く雅臣はとても美しい。

整った顔立ちに、荒い口調とは裏腹の指先から溢れる繊細で切ない音。

洗いざらしの黒髪はセットしていないからか、少し邪魔そうに揺れて、その隙間から真剣な瞳が見える。

少し袖の長いからし色のセーターと黒白の鍵盤のコントラストがまるで彼そのもののようだ。


濃厚になったこの空気をもっと味わいたくて、

吸い寄せられるようにピアノへ近づく。空気が濃さに霞んでいる。


ブラックで入れたはずのコーヒーに甘味を感じて、耳の甘さを舌で感受する。

日本の音楽界では名前を知らないものいない若手ピアニストに、こんな形で演奏させるなんて、たしかに贅沢すぎるかもしれない。


優しく押された最後の鍵盤が鳴らした音がゆったりと部屋に反響する。


決して聞き漏らさないように、

夢うつつに、目を閉じて聴き入っていると、

いきなり胸元を掴まれ、噛み付くようにキスされた。


「苦ぇ」

少し嫌そうに、顔をしかめる。

「甘いよ?」

雅臣の音で、甘い。

「やっぱそのカッコ、だめ。途中からお前をどう食うかしか考えられなかったし。」


あんなに綺麗な旋律を奏でながらそんなこと思ってたの?


再び胸元を強く掴まれ、でもとても優しい口づけ。

溶かすように啄ばまれる。


あ、また甘い。


今度は噛み付くようにキスをする。でも手はまるで壊れ物を扱うように髪を撫ぜる。


彼はいつだって裏腹だ。真逆の物を混在させている。

きっと、私もそう。

胸に隠した甘さは、溶かされないと出てこない。


雅臣の音の甘さは、月の光の旋律か、彼の持てる才か、愛の知覚か。



fin.

稚拙。とにかく雰囲気を描きたかった。それだけです。

読んでくださったみなさまのお時間を拝借いたしました。


雅臣視点はトロイメライで。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 行為はとても甘いのに、不思議とダダ甘にならない、シチュエーションと言葉選びのセンスを感じました。
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