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執筆跡地  作者: ポップP
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執筆跡地

初投稿

序章 画策する謎の組織 

―another title:the project―


 日本の領地でありながら、どの都道府県にも属さない島がある。そこに立つ日本最大のビルの社長室の中で、男と部下が話していた。

 「本日の実験の計画所をお持ちいたしました。」

 声とともに、机の上に一枚の紙が置かれる。

 「被験者は二〇名。そのうち、高位魔術師に覚醒する可能性があるのは二名。他の一八名はすべてダミーとのことです。」

 白衣に身を包んだこの男が、実験の最高責任者らしい。

 彼は言葉を続けた。

 「サインをお願いします。」

 一方で、身長が高く威圧感のある顔の男が、鞄から万年筆を取り出す。先程の、ずっと研究室にこもっていそうな不健康な中年と違い、彼は才能に溢れ、大企業「マジックコマンド」の社長の地位に立っている。

 「Kamui Matsukasa」と万年筆が走る。

 魔術関係の特許の八割を保有する大企業マジックコマンドの社長、松笠神威(まつかさかむい)がサインをして、実験は実行に移されることになった。

 「それにしても、一八人のダミー、か。そんなに価値のある実験動物がいるものなのか?」

 無意識に発せられる威圧感に心臓をバクバクと言わせながら、研究室は答えた。

 「最低でも二〇人は使わないと、国が予算を下ろしてくれませんから。」

 忌々しげに研究員が舌打ちをしたが、無理もない話だ。魔術研究に予算を下ろすどころか、魔術という概念すら、四〇年前には存在しなかったのに、今では魔術師を隔離するために、島を一つ使っている現状だ。この変遷のすべての原因は――

 「――第三次世界大戦…か」

 どうかいたしましたか?という声が聞こえたが、適当にはぐらかす。その後、研究員が出て行くと、松笠神威は思案に身を委ねた。


 二〇三二年に開戦した第三次世界対戦は、ある魔術師が拷問の末に魔術について情報を話したことから始まった。その情報の奪い合いは、国際連合での話し合いでは解決せず、すぐに核兵器の撃ち合いが始まった。しかし、各国が独自に魔術についての情報を解析して防護魔術を使うようになると、いよいよ核兵器は役立たずとなった。

 やがて攻撃も防護も魔術がメインになり、各国は魔術師育成に力を入れ始めた。その当時、松笠神威は日本の外交官として、世界中のリーダーたちが分裂するのを見てきた。

 「だからこそ、魔術を全て統括する人間が必要だった。」

 激化していく戦争は、七年の時を経て終戦し、魔術師隔離(マジシャンアイランド)条約が取り決められた。こうして、兵器としての行き場を失った魔術師たちが、この島に集められた。


 そんな魔術師の島では、普通の街と同じように、老若男女が平和に過ごしていた。学生服に身を包んだ少年少女が学校に向かい、会社員が満員電車に揺られ、主婦たちが朝ごはんとお弁当を鼻歌を歌いながら作っている。

 しかしその裏側では、少年少女が手錠をつけられて、朝日をギラギラと反射する鉄の建物に押し込まれていった。


――実験施設内・実験開始三〇分前


 白衣の男女が四人ほど、会議室に集まった。モニターを見ながら会議をしている彼らは、ともすれば生物学の権威にくらいは見えるかもしれない。

 しかし、彼らは普通の人間を魔術師として覚醒させる実験を始めようとしているところだった。

 かれこれ五分は腕時計を睨みつけていた女が、マイクの前に立ってスイッチを入れた。

 施設のすべての部屋に報告が響く。

 「実験開始三〇分前をお知らせします」

 その声が聞こえた途端に、彼らはそれぞれの業務を開始した。ある者は計測器のメンテナンスを始め、また別の者は拘束されている少年少女の様子を見に行き、施設の外には、重役を待つ黒服の姿があった。

 決められたスケジュール通りに、実験の準備が進められていく。


――実験施設内・実験開始一五分前


 大きな黒塗りの高級車が施設の前に止まったという報告が入ってきた。

 それと同時に、ある研究員が書類を広げて、マイクに向かって話しかけ始めた。

 「研究員各位に通達する。本日は来賓として、マジックコマンド社長の松笠神威(まつかさかむい)様と、そのご子息で副社長の松笠真華(まつかさしんか)様がいらっしゃる。くれぐれもご無礼なことがないように。」

 そうこうしているうちに、先ほど社長室で会話をした最高責任者が、重役たちと席を交換した。どうやら、今日の実験は、彼らが指揮を執るらしい。


――実験施設地下・実験開始一〇分前

 二〇人の少年少女が、実験動物としてコンクリートと鉄の柵に囲まれたこの空間に詰め込まれていた。

 三〇代の女がその中に入っていく。彼女は、脱走者の有無を確認する任務を帯びて来たのだが、もはや精神状態が最悪で、それどころではなくなった。

 研究員として何百匹ものマウスやモルモットを殺してきた()()の彼女には、まだ生きている人間を扱う実験は、死んで固くなった実験動物を焼却炉に放り投げるよりも、ずっと辛い仕事だった。

 こんなことなら昇進なんかしないで、ずっと研究室にこもっていたかったと愚痴をこぼしながら、彼女は的確に数を数えて暗い空間を歩いて行く。

 「一九、二〇。全員いることを確認しました。」

 「了解」

 本部への通達は済んだ。しかし、目の前は行き止まりになっていた。直後、彼女の心は憂鬱な思いでいっぱいになった。……歩いて戻らなければならない。


――実験施設内・実験開始五分前

 「検体番号一番、実験装置に入りました。」

 「続いて、検体番号二番、実験施設に入ります。」

 実験が始まろうとしていた。一人ずつ順番に、少年少女たちが大きなカプセルに入れられていく。その中は緑色の液体で満たされていて、何百本ものチューブが繋げられ、何千本ものコードがコンピューターと交信していた。

 「検体番号二〇番、実験装置に入りました。」

 あとはスイッチを押すだけになった。

 安全装置も計測器も、すべて正確に作動しているとの報告が入る。

 松笠神威が、(いか)つい顔の口元を緩ませて、ニヤリと笑った。直後、野太い声が告げられた。

 「実験、開始。」


――実験施設内・実験中

 そこからは、呆気無いものだった。

 ものの一分もしないうちに、最初の犠牲者が出た。カプセルの中で心臓が停止し、呼吸をやめたその体が、中の液体ごと落とされていく。もう誰も、その顔や体つきなど、覚えていなかった。

 その後も続々と、少年少女がカプセルの中で一生を終えていった。

 気づいた頃には、実験を続けているカプセルは一つしかなかった。

 その中には、髪を肩に触れる程度に伸ばし、体を少し丸めている、可愛らしい少女が裸で入っていた。

 「検体番号一七番、穂村来海(ほむらくるみ)の生存を確認。実験開始より五分経過、目立った反応なし。」

 どうしますか、とでも言いたげな顔で、研究員が来賓の二人を見る。

 「続けろ。」

 威圧感のある返事が返ってきた。

 「それから、死んだ奴らの焼却も忘れずにな。」



一章 覚醒する盾の騎士

―another title:Guardian knight―


 目を覚ますと、そこは地獄のようだった。

 松笠信吾(まつかさしんご)は、何人もの同じくらいの人の上に仰向けに倒れていた。全裸の背中からは、不快な粘液の感触を感じた。

 そして、背中を預けている人間が、冷たい肉の塊にしか感じられないのが最悪だった。

 そんなこととは知らず、彼が仰向けになっている死体処理場の上では、興奮に顔を歪ませて、研究員たちがカプセルとモニターを交互に見つめていた。

 「魔術師ランクが五・八を突破。」

 「現時点で、彼女は世界で上位一割に入る魔術師としての素質を有している、と。」

 「いえ、まだ上昇します。」

 脳と心臓と肺だけを動かして、全裸の少女は魔術についての知識を叩き込まれる。

 「どうしますか。そろそろ覚醒させますか。」

 「いや、まだだ」

 研究員も社長たちも、強欲だった。

 目指すのは頂点だと言わんばかりに、加速度的に上がっていくランクの数値を見ている彼らの目は、まるで天国を見ているかのように輝いていた。

 「魔術師ランク、七を突破しました。」

 思わず、誰かが笑みをこぼした。

 そもそもランク七に到達する可能性がある人間すら、ほんとひと握りしかいない。

 そんな人間が何年もの修行を経てようやく到達する領域に、目の前の少女は一〇分足らずで到達したのだから、興奮するなという方が無理な話である。


 一方でそのカプセルから少し離れた奈落では、死体の処理が始まろうとしていた。

 上からは鉄の塊が振り下ろされようとしていて、下からは数百℃の炎が襲いかかってきていた。

 死体の処理。そこには、ヒトの形を留めたままにしておく必要がない。

 黒い炭や白い灰の粉が床の一部になるまで、死体を焼き、床に擦り付ける。それが、()()の処理という言葉が意味することだった。

 生きている人間にとっては、絶望を遥かに超える苦痛だ。もはや、人道的とは言いがたい研究員たちでさえ、生きた人間に対し手の使用は条約で禁じている。

 つまるところ、信吾は、死体のための処理を生きたまま受けることになってしまったのだった。

 点火された炎は、その温度を徐々に増していく。そして、その炎が、信吾の背中につくかつかないかというところまで迫っていた。

 背中がじりじりと焼けただれるような気がして、信吾は取り乱した。

 (俺、ここで…死ぬのかよ…!)

 死にたくないと願っていながら、焦りのあまり、思わず炎に手を突っ込んでしまった。

 すると、重い金属に物があたったようなのような低い音がして、()()()()()()。熱くないのだ。炎に突き出された手から、だんだんと全身まで、炎の熱がどこかに消えたように、熱さが消えた。

 目の前には炎があって、いくつもの体が一瞬で白黒の粉になっていくのに、熱くないのだ。

 よく見れば、そこに壁があった。色は薄い青だが、透明で、向こう側が透けて見える。自分と炎の間に、確かに壁のようなものが形成されていた。

 (何だ、これ…?)

 この時点では知る由もないが、それこそが、彼の持つ唯一にして最大の防護魔術「護盾の騎士(ガーディアンナイト)」だった。


 それと同じ頃、実験場では異常事態が起きていた。

 強すぎる力が、あらゆる物を壊し始めたのだ。

 「計測器がカウンターストップ、計測不能です!」

 「検体、自我が崩壊寸前です!」

 「カプセル破損、検体が露呈」

 穂村来海に叩き込まれた魔術が、崩壊の引き金を引いた。

 計測器が壊れ、来海の心が乗っ取られ、彼女を外に出さないようにしていた鳥籠(カプセル)が粉々に砕け散った。

 彼女の口が動く。手が動く。その動きの一つ一つが、研究員にとっては、悪魔のカウントダウンだった。

 もはや宝の山は、鋭利な針の(むしろ)と化した。

 彼女の口から、魔導書の一節が語られる。同時に、彼女の手が何もない空間に魔法陣を描き出す。

 「…滅びをもたらすは炎の海。炎の色は焼けただれる血の赤。…」

 魔法陣が、ワインレッドの光を帯び始めた。


 処理場では、上からの鉄の塊と下からの炎を魔術の盾で防ぎながら、死んだはずの少年・松笠信吾が生きながらえていた。

 二分くらいの格闘の末に、鉄の塊と炎は、攻撃をやめた。

 どうやら、二分もあれば死体処理は完璧らしい。

 「疲れた…」

 極度の緊張と不安に足をがくがくと震わせて、信吾は歩き出した。そしてエレベーターに乗り込むと、カプセルのある実験フロアで降りた。というより、降ろされた。

 そこには、全裸の少女にロケットランチャーを構える五人ほどの何かがいた。


 全裸の穂村来海が魔法陣を描き始めてから三〇秒ほどで、特殊部隊が実験フロアに飛び降りた。

 即座に彼女の正面に立った彼らの手には、ロケットランチャーが握られていた。

 彼らの任務は、この少女の殺害。そこには、失敗すれば命は無いという現実があった。

 だからこそ、彼らは躊躇なく引き金を引いた。何かを叫びながら走ってくる少年を無視して、少女の抹殺を実行した。

 直後に、大爆発が起こった。


 大爆発によって、尊い命が燃えてしまった。

 ただし、燃えていたのは特殊部隊の方だった。

 「貴様…何、を…」

 特殊部隊のリーダーらしき男が、特注スーツから冷却材を散布して、炎を消した。

 そして、本部に異常事態を伝える。

 「新た…外敵―認―――ま…た。ロケ……ラン………跳ね―返し―」

 雑音だらけのこの交信が切れると、研究員たちが同じようなスーツを着て、降り立つ準備を始めた。

 そこに立っている少年は、紛れもなく、先程の実験で死んだはずの検体番号七番・松笠信吾だった。その事実を認めて、松笠神威が施設の外に出て行ったのを守るSPは、もはや誰もいなかった。

 「テメェら、無防備な女の子に向けて何やってんだよ!!」

 そう啖呵を切る少年の声に耳を貸すような優しい人間はこの場にいない。

 言い訳も否定もなく、その代わりだと言わんばかりに、複数の銃口が少年少女に向けられた。

 「やるしか…ないってのか…」

 正直な話をすれば、恐怖しかなかった。あまつさえ服すらも着ていない状況で、いかにも科学の真髄を集めました、と誇示するかのような戦闘服の人間を前に、立っているのもやっとだった。

 でも。

 だけど。

 「テメェらが銃を降ろさないなら、身勝手な行動で俺たちの命を奪おうとするなら、俺は…俺は、テメェらと戦ってみせる!!」

 それは、彼らに向けた声ではなかった。自分を奮い立たせるため、震えずに立つため、そして何よりも、後ろにかばっている女の子を守るため。その決意の声だった。

 「戦うんだ…魔術師・松笠信吾として!」


 銃口が収束する。両手の指では足りないほどのレーザーポインターが彼の頭を、首を、胸を、その他にも急所を照らしていた。

 一六歳の少年に向けられるには、あまりに強大すぎる力だった。

 しかし、彼は白旗を挙げない。その背後には、魔法陣を描き、呪詛を紡ぎ、その身を空中に浮かせている同い年くらいの少女がいた。

 青白い顔をして歯を食いしばる彼女を、見捨てるわけにはいかなかった。

 誰かがは引き金に手をかけた。それと同時にあちらこちらの引き金に手がかけられ、カチャカチャという金属の音が鉄筋コンクリートの研究施設に響いた。

 信吾は背筋を凍らせたが、一方で闘志が燃え始めていた。

 深呼吸をして、目の前に大きな盾をイメージする。そして、魔術を展開した。

 「敵は魔術師だ。ちょっとやそっとでは沈まない。」

 それは、敵意をむき出しにした女の声だった。

 「魔術弾の使用を許可。弾薬庫を空にしてでも、奴らを生け捕りにしろ!!」

 その声とともに、終戦以来ヒトへの使用が禁止されていた、魔術弾――敵に当たるとともに簡易的な魔法陣を展開して、魔術攻撃を仕掛ける魔術兵器の弾丸――が一二発、彼の体に叩きこまれた。


 爆音がすべての人間の息遣いを呑み込んだ。ガラスが割れるような音と、金属の音が洪水を起こした。

 あらゆる属性、あらゆる種類の攻撃が七色の光となって飛び散り、対峙していた殲滅対象(まつかさしんご)も、その後ろにいた殲滅対象(ほむらくるみ)も、見る影もなくなった。

 視界が自由になった時、もうそこには人間はいない。

 ように思えた。しかし、色とりどりの攻撃の光は、彼の体に届いていなかった。

 炎の矢も、氷の刃も、光の爆撃も、一二発すべての攻撃が、盾によって弾かれていた。

 「……いける…!」

 恐怖は消えた。足は、動く。

 信吾は、銃を構える戦闘員たちに走って突っ込んでいく。

 恐れるものは、無い。

 魔術兵器を使っても傷ひとつ追わないその姿は、研究員たちに恐怖を植え付けるには十分だった。


 走って突っ込んでくる信吾を前に、研究員たちは足を震わせて、立っているのがやっとだった。

 「どうすれば…一体、どうすればいい!」

 戦闘員を指揮していた女は、心を恐怖に蝕まれて、捨て身を覚悟で近くの兵器を右手で掴み、彼に投げつけた。

 瞬間、閃光と轟音が空間を支配したと思ったら、今度は、全ての光と音が消えた。

 どうやら、投げたのはスタングレネードだったらしい。

 信吾はその場で、光から身を守るために(かが)んだ。そして、足が止まった。

 戦場に慣れている女は、この機会を逃さなかった。

 物を投げた直後に理性を取り戻し、高い動体視力をもって物体を観察。そして、それがスタングレネードだと気づいた瞬間に、戦闘服の視覚接続を切った。こうして、戦闘服から送られてくる暴力的な光の信号を、脳に与えずに済んだのだった。

 女は戦闘服を脱ぎ捨て、道に迷った小鹿のような信吾を、思い切り膝で蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばした信吾は軽く三メートルは転がり、痛々しい音を施設に響かせながら、コンクリートで、何度も何度も擦り傷を負った。

 (甘かったわね、坊や。戦場では経験がモノを言うのよ……!?)

 驚愕と、若干の興奮。

 見くびっていた信吾が一瞬起き上がろうと力を込めたのだ。

 それを見た女は、体勢を整え直したが、

 「クソっ……」

 恨み言ともに、彼はまた地面に倒れ、コンクリートを舐める格好になった。


 戦闘員の前に、穂村来海は無防備にさらされていた。

 戦闘員が武器を向けて引き金を引く、ほんの一瞬前のことだった。背後の魔法陣が輝きを増した。

 そう思った瞬間にはもう、無慈悲なまでに大量の炎が、魔法陣から前の向き、つまり戦闘員たちに向けて放たれた。

 圧倒的な熱と光が場を支配したあとには、人の影どころか、戦闘服の一着、骨の一本すら、残っていなかった。

 さらに、核爆弾にも耐えることをウリにしていた実験施設も、鉄筋コンクリートが崩れて、ガレキの山となっていた。


 そして、穂村来海は暴走する。

 その身に余るほどの魔力をかき集め、神話の中でも禁忌とされる詠唱を始めた。

 彼女に、もはや意識はない。

 何かに取り憑かれたように、彼女は魔術の発動準備を進める。

 その魔術の名は「焉界の炎海(ワールドエンド)

 世界を終わらせるというこの名前を持つ魔術は、実は一〇ほどのバリエーションがあるが、そのどれか一つでも発動すれば、文字通りこの世界は灰燼、つまり灰と塵にまで壊れて終わる。

 この世界の命を握り潰す魔術が、展開され始めた。


 目が覚めると、何もかもが違いすぎた。

 守ろうとしていた少女は、背中から紅色の羽を生やして魔法陣を描いているし、対峙していた戦闘員は見る影もない。

 意識が朦朧とする中で、魔法陣の中の文字列が、彼の意識を強制的に覚醒させた。

 (World end…世界の、終わり…?)

 この世界が終わろうとしていて、その幕を降ろそうとしているのは、自分が命を懸けて守っていた少女だった。

 その事実が、自分の行動を否定していく。

 (こんなことなら、初めから…)

 一瞬、ほんの刹那の時間だけ、見捨ててしまえばよかったという考えが脳をよぎった。

 (そんなわけ…あるかよ…)

 しかし、彼は芯の強い人間だった。

 熱風と痛みに体を軋ませながら立ち上がると、天に向かって吼えた。

 「アイツが死んで迎えるハッピーエンドなんて、幸福(しあわせ)でも何でも()ぇだろうが!」

 そう。最初から、それだけのためだった。

 目の前で少女が死にそうだったから。死んでいい命なんて、一つとして無いから。

 だから、彼は立ち上がり、盾を構えたのだった。

 守るために力を手に入れた、なんて思わない。これは、所詮は与えられた力だ。

 だけと、守るために使うことはできる。

 (この力は…)

 自分の中で、誓いを反芻する。

 「守りたい者を守るために!」


 業火が吹き荒れた。

 魔術師ですら耐え切れないほどの魔力を宿した来海の体が、取り込んだ魔力を放出し始めた。

 魔法陣そのものが、炎のようにオレンジ色の光を放ち、光が最大になったその時、ガレキの山に向けて、地面と平行にまっすぐ炎が()()された。

 昨日まで生きていた現実の世界ではありえないような現象が、今、目の前で牙を剥いていた。

 幸いなことに、向けられた炎の先には誰もいなかったが、鉄とコンクリートでできたガレキの山が、なくなっていた。

 一万℃を超える炎が、鉄とコンクリートを一瞬で蒸発させてしまったのだ。

 もはや、信吾の中で、感情が消えた。

 目の前の惨劇は、目に映るだけで、何かを感じるような余裕や気力を消し去った。

 (何だよ…あれ…)

 信吾の目に、さらなる絶望が映る。

 先ほどの魔術で、明るさを失ってワインのような暗い赤色になっていた魔法陣に、また火がついて明るくなった。

 五秒前に見たような炎を再び撃ち出そうとしている魔法陣の前で、来海の体がふらついたような気がした。

 来海の意識は、もう完全に飛んでいるようだった。

 操り人形の糸を切ったように、来海の体が地面に倒れようとする。

 しかし、それすらも許さないように、無慈悲な炎が直線状に吹き荒れた。

 滅びのビジョンの中で、信吾は来海を見た。

 来海は、死体処理場の穴へと吸い込まれるように放物線を描いていた。

 震える足を踏み出す。もう一度彼女の姿を見て、震えは止まった。

 五メートル彼方へ落ちていく来海に、全力を振り絞って走っていく。

 口を開けている奈落に落ちていく来海まで、残り三メートル。

 しかし、現実は非情だ。

 彼女の頭が、口の中へ消えていこうとしていた…

 「ぁぁぁぁぁぁあああああアアアアアア!!」

 叫びを上げながら、両足で地面を蹴る。体が飛ぶ。

 落ちていく少女の体に手を伸ばす。

 手が、背中に、触れた。

 その直後、重い金属の音が響いた。


 空が、茜色に染まっていた。

 信吾の記憶は、床に衝突する直前に盾の魔術を発動したところで途切れていた。

 (どうすっかな、これ…)

 視線がぼやけて、うまく見えない。それに、腕の中には、柔らかく暖かい何かがあった。

 何とも言いがたい、複雑で不思議な感触を無視して、体を起こそうとする。

 が、うまく起き上がれない。

 ひとまず、自分の腕の中の、体を上から押さえつけている何かを確かめようとして手を動かした。

 (何だ、これ…?)

 その正体を見ようと顔を動かして、やっとピントがあった。

 思わず、笑みがこぼれた。

 声にならない歓喜が、溢れてきた。

 地下数メートルの穴の底で、何度も地獄をくぐり抜けた後で、穂村来海が、腕の中にいた。

 死体処理場に似つかない、生きている人間の温もりだった。

 (どうにかしてここから出ないと…)

 信吾の中で、新しい目標が生まれた。

 (二人で生きて帰る、そのために…)


 その穴の上、跡地となった研究施設には、一〇〇人ほどの戦闘員がいた。

 彼らに課せられた任務は、実験動物の()()()()だった。

 しかし、その手に握られているのは、大型の核爆弾やダイヤモンドでコーティングされた刀、サリンのカプセル、青酸カリのシャワー、ガソリン車のホース、ガスバーナー、その他多くの()()()()だった。

 理屈は簡単だ。

 相手が最強クラスの魔術師である以上、生け捕りというのは危険が大きい。そこで、生け捕りに失敗した場合は、実験動物を確実に殺害するように通達されている。

 彼らは、生け捕りを諦めていた。

 もともと報酬が危険に合わない仕事なのだ。自分の命を優先するのは当然でしかなかった。

 「あと三〇分で出てこなければ、強制突入を実施する」

 戦場の兵士の声が、重々しく聞こえた。


 信吾は、穴から出る方法を考えていた。

 そして、ようやく答えに辿り着く。

 「まずは、ここだ」

 信吾は裸の来海を両手でお姫様抱っこすると、自分のいるところより数十センチ右上に、盾を張った。

 二人分の重さを支える足を少ない体力で動かして、跳んだ。

 成功だ。信吾の足は、さっき張った盾の上に立っていた。

 さらにその上に盾を張って、跳ぶ。

 この繰り返しで何段かジャンプして、ついに地面に足をつけた。

 その時二人を待っていたのは、救援隊や祝福やマスコミのマイクではなく、穴を囲む一〇〇人の戦闘員だった。


 穴から人影が跳んできた時、戦闘員たちは突入準備の最中だった。

 「こ、攻撃!」

 その声とともに、攻撃を始める予定だったのだが、準備が若干手間取ってしまった。

 それだけの余裕があれば十分だった。

 来海の膝を支えていた左手を放すと、右手を肩に回した。そして、肩を支えながら魔術を発動した。

 底面がない箱のように、二人の前後左右に二枚ずつ、そして二人の頭上に二枚の、全部で一〇枚の盾が展開された。

 だらんと力が抜けてしまった来海の体をもたれさせて、信吾は余裕の表情で立っていた。

 殺人兵器は、盾を超えられない。

 その予想は、正しかった。

 展開する盾に弾かれて、軍隊に匹敵する戦闘員たちが放つ攻撃は、ことごとく無効化された。

 戦闘員たちは死を覚悟した。

 報告にあった炎の海に、このスーツが耐えられる保証はない。

 しかし、いつまで待っても攻撃は来ない。

 彼には、攻撃する術が無い。


 戦闘服に身を包んだ戦闘員を前に、傷一つ負わない代わりに、彼らを倒すこともできない。

 それが、彼の力の限界だった。

 そうしている間にも、戦闘員たちは次なる秘策へと手を伸ばしていた。

 「防御は考えるな!我々は任務の遂行のために命をも捧げる、そうだな?」

 「はい!」

 「ならば、玉砕覚悟で捨て身の戦術を行使する。総員、フォーメーション・オメガ!」

 その言葉を聞いただけで、背筋が凍った。

 彼らは、その身を爆薬で包み、唸り声をあげて突進しようとしていた。

 瞳には光がない。命令を守り、命を顧みない、軍隊の一員としての決意だけが、そこにはあった。

 おそらくこの盾は、この攻撃も無慈悲に弾いてしまう。人が爆発するのに手を差し伸べられるような力ではない。かといって、盾を投げ捨てれば、失う命は自分のものだけではない。

 きっと、仕方がない。

 彼らが一歩目を踏み出した。

 が、二歩目は地面に届かない。

 暗い紫色の光が、空から一直線に、リーダー格の男を両断したからだ。

 周囲に衝撃が走る。緊迫感が心を縛っていく。

 さっきまでその男がいた場所に、小さなクレーターができていた。

 そして、衝撃の爆心地に、刀身の長い剣を肩に乗せた男が立っていた。



二章 衝突する影の思惑

―another title:troopers of clones―


 クレーターの中心に、彼は立っていた。

 凛々しい顔立ちに、黒髪が短く切り揃えられて風になびいていた。

 背は一七五センチほどで信吾よりもやや高い。しかし、それよりも威圧感を発しているものが、右手に握られていた。

 黒い刀。

 刃以外の場所が全て塗りつぶされたように黒光りする、刃渡り一メートル弱の見事な日本刀だった。

 「実験動物の保護なんて、()()()も面倒なことを引き受けたものだ。」

 深くため息を一度ついて、依頼人の女の顔を思い浮かべる。十七歳、同学年のくせに一つ年上のそいつは、スパイの仕事を引き受けては、手伝わせるのだった。

 「しっかし、一人の人間に大層な装備だなあ?」

 近代兵器の集大成のような戦闘員に、剣を片手に持って挑発する。

 左手で携帯電話をいじる余裕っぷりだった。

 「もしもし、恵理か。目標とやらを発見したぞ。」

 なぜか流暢な外国語が返ってきた。

 まあ、どこか適当な組織との会話にでも見せかけているんだろうと考えて、報告を続ける。

 「これより戦闘員と戦闘に入る。目的は目標の保護。そのためなら、多少の犠牲を払っても構わないか?」

 「ええ。こちらでどうにかするわ。」

 外国語に見せかけたまともな返事を聞き、そっと剣を鞘に納める。

 「さあ、面白いものを見せてやろう。」

 そういうと、稽古カバンの中から風呂敷を取り出した。四枚の風呂敷を丁寧に折り畳んでいく。

 戦闘員が訝しんでいる間に、簡単なシャツとスカートが、布を結んだり破いたりすることで出来上がった。

 それらを命からがら立っている二人に投げつけると、後は任せな、と呟いて、右手に持った剣の腹を、左手の指で撫でた。

 彼らがとりあえず裸ではなくなった。

 それは、保護の第一歩に過ぎなかった。

 「さあ、行こうか」

 一気に、しかし優しく鞘から引き抜いた黒い剣に夕焼けの光が反射して、一瞬眩しく輝いたと思ったら、剣が闇色のオーラを纏い始めた。

 「マスター。行きましょう」

 確かにはっきりと、少女のような声が聞こえた。

 砂を踏みしめる音が聞こえて、戦闘が始まった。


 剣を持った男、霧咲鶴城(きりさきつるぎ)が走り出した。

 まず一人。戦闘員が撃つライフルの弾丸を横に飛ぶことで回避し、飛んだ勢いを活かして剣で薙いだ。不意をつかれた別の戦闘員が苦しげに倒れたのを横目で少しだけ見たら、次の戦闘に意識を移す。

 剣を振って血や脂を落とすと、先ほど自分を撃った戦闘員に突撃する。

 再び放たれる弾丸が足を掠める。しかし、そこに驚愕の表情はない。まるで初めからこうなるのを知っているかのように、足の向きを変えながら確実に距離を削り取っていく。

 背後から四人の戦闘員が銃を構えた。

 それに気づいた鶴城は、鋭い目つきで後ろを睨み付けた。

 その眼差しと、ほんの数センチこちらに動いた剣の切っ先を見て、戦闘員たちは銃を落として、その場にへたり込んだ。

 走っていた先にいる戦闘員が、見当違いの方向に弾丸を発射した。

 歩調を緩めることなく間合いを詰めようとした矢先、地面に当たった弾丸が、鶴城の方向へ進路を変えた。

 (ッ!?)

 跳弾。弾丸のような硬い物質は、地面に当たったあと、必ずしもその場に埋め込まれたり、動きを止めたりするわけではない。弾丸が地面に当たったあと、思いもよらぬ方向に跳ね返ることがある。

 しかし、彼が跳ね返る弾丸を認識したのは、腕が弾丸に吸い込まれるように動き、その手に握られた剣が弾丸を引き裂いたからだ。

 鶴城の腕、正確にはそこに握られた剣が、鶴城の脳よりも早く、弾丸を認識して鶴城を守った。

 (マスター、ご無事ですか?)

 闇の剣から、確かに声が聞こえた。

 魂を持つ剣。それが彼の持つ『闇剣・ダークソード』の特徴だった。

 (ああ、助かった)

 止まらない歩みは確実に敵との間合いを零に縮めていく。

 黒板を爪で引っ掻いたような痛々しい音が響き、戦闘員が血の池に沈んでいく。

 わずか二人を倒す間に、五〇人があまりの実力差に戦意を失った。

 二分未満で、そこにいた特殊部隊の半分以上が戦闘不能に陥っていた。

 「これが、霧咲流だ。」

 一四世紀からの系譜を持つ、日本剣術の由緒正しき流派の一つにして、積極的に強さを求める名門『霧咲流』の第二四代当主の手に、愛刀が誇らしく輝いていた。

 実際には、愛刀はもう一つあるのだが、彼は今、それを探している最中である。


 戦う気をなくしていた五〇人が、操られたように戦意を取り戻して、ロケットランチャーや鎌、ナイフなどを鶴城に向けてきた。

 上等だ、と呟いて手近な一人に振りかぶる。

 直後、我先にと一〇人ほどの戦闘員がなだれ込んできた。

 間一髪で戦闘員の波を躱すと、それを踏み台にして空高くから一人を両断した。

 さらにその余波で三人が吹き飛ばされていく。

 それでも、果てしなかった。

 まだ八〇人以上が残っている。

 それに、命を粗末にしている連中とは言え、こう何人も人を斬っているのは、あまりいい気分ではなかった。

 「まだ来るのか…」

 迷いを振り切るように剣を光にかざすと、一度深く呼吸して、眼差しを鋭くとがらせる。そして、また無言で相手の懐へと潜り込んでいく。


 鶴城が戦闘員と戦っている所に急ぐ、一つの人影があった。

 右手の人差し指に拳銃をひっかけて、路地裏の入り組んだ道を器用に通り抜けながら、最短ルートで戦場へと駆けていたのは、一七歳の少女だった。

 赤っぽい茶髪が肩まで伸びているのを無機質なヘアゴムでポニーテールに束ね、前髪はヘアピンで留めている。

 戦闘に備えたその姿の中に、一つだけ戦闘に合理的でない部分があった。

 胸。高校生にしては、少し大きめの胸が、スポーツ用の下着に押さえつけられていた。

 もっとも、本人としては戦う上で大した問題ではない。それに、不本意ではあるが、スパイ活動では交渉の道具として役立つのも事実だった。

 彼女の名は羽島恵理(はしまえり)

 四歳の時に魔術の才能を開花させると、その幼い身を戦場の中心に置いて、くるぶしが血に染まるほど人間を殺してきた人間だ。もっとも、自分でも覚えていないのでデータの記録で知ったことだが。

 戦争の後は捕虜やスパイなどの身分を転々としているうちに、気づけば世界の裏側にある二四の組織に所属し、それぞれの間で情報を操作してきた。

 ある意味では、世界中にはびこっている思惑に最も詳しいかもしれない人間が、情報の中心地へと走る。

 そんな、世界一の情報通が今求めている情報は、魔の実験施設から生存した二人についてだった。

 世界のあらゆる組織が彼らの情報を狙っている。

 ひとまず、彼女の思惑としては、現地に赴いた工作員よりも早く情報を独り占めすることで、それを外交の上でのワイルドカードにするのが理想だ。

 「そうすれば、いつか、奴らにも…」

 復讐できるかも、という思考は中断された。

 彼女の後ろから、重い足音が聞こえてきたからだ。

 

 重々しい装備を身に着けて戦闘員が追いかけてくる。

 横目にそれを見て速度を上げるが、その先には、別の戦闘員の銃口があった。

 軽く舌打ちをすると、彼女は短いズボンのポケットから、チョークを取り出しました。

 全速力で走ったあとにもかかわらず、チョークはどこも欠けていないし、汗に濡れてもいない。

 チョークを右手に持ち、彼女はうずくまった。

 いや、よく見ると地面に何かを書いている。

 (こいつ、魔術を使う気か…!?)

 彼女を挟んでいた二人の戦闘員が、ほぼ同時に弾丸を発射した。

 しかし、その弾丸が彼女の肉に当たるより早く、彼女の姿が虚空に消えた。

 戦闘員に、それに驚くだけの余裕は無かった。

 それまであまり見えなかった向かい側の戦闘員から放たれた弾丸が、お互いに向かってくるのに気づく前に、双方の戦闘員たちが吹き飛んだ。

 (…敵対組織より被弾。これを宣戦布告と認定する。)

 陽も落ちかけて、薄暗かったのが本格的に暗くなろうとしている路地裏で、約五メートルの距離を置いて、物騒な大型銃を構える四人ずつが、睨み合っている。

 そこから先は、陰惨な殺戮の嵐だった。

 結果としては共倒れ。誰一人生き残ることなく、赤い水たまりと『teleport(テレポート)』というチョークの文字だけが路地裏の地面に残されていた。

 一方で、彼女は路地裏から少し離れた民家のブロック塀の上に立っていた。

 先ほどの路地裏の場所を確かめ、方向を見定めて、彼女はブロック塀から飛び降りる。

 そしてまた、その足を戦場に向けて走らせていく。


 「…キリがない」

 霧咲鶴城は、続々と戦闘員を斬り伏せていった。

 だが、まだ五〇人は残っているだろう。

 いくら一人にかかる時間や体力が少ない雑魚だとしても、これだけの数を相手にするのは骨が折れる。

 まして、相手はそれなりの訓練を積んだ人間だった。

 (数の暴力っていうのは、案外バカにできないな)

 しかし、数が多いというのは、単純な体力や時間だけが問題ではない。

 一人を斬り伏せる。そして近くにいた次の獲物に斬りかかった時に、背後から七発の弾丸が飛んでいた。

 これが、数の暴力のうち、最も彼を疲弊させているものだった。

 一対一なら、相手の動きだけに注意すればいい。一対二や一対三くらいなら、霧咲鶴城にとって、相手の動きを認識・予測するのは難しくない。

 しかし。

 (ダークソード、背中を合わせるぞ)

 相手が何十人もいれば、動きを目で追うのは不可能だ。予測するにしても、位置情報くらいは捕捉しないといけない。

 だから、ダークソードに命じる。自分と背中を合わせて戦え、と。

 その頼みに呼応して、ダークソードという名の剣が、一人の女の子に変身した。

 彼より一〇センチほど背丈が低く、暗い紫色の和服を身にまとった少女だった。その腰に届きそうで届かない長さを持つ黒髪が艷やかに沈みかけの夕日を反射していた。

 その手には剣を持っていた。

 ダークソードの黒とは違う、全体が銀色の光沢を帯びた、いわゆる普通の日本刀だ。

 「マスター、これを。」

 ダークソードが鶴城に日本刀を手渡す。鶴城がそれを受け取ると、ダークソードの背中から、黒い翼が伸びてきた。

 片方の翼だけでも、五〇センチに達しそうな、黒い羽根で作られた黒い翼だった。

 その翼に鶴城が背中を合わせる。

 (ダークソード、俺の背後はお前に任せる)

 (任されました、マスター)

 直後、意を決したように鶴城が剣を構えて突っ込む。

 背後から放たれる無数の弾丸と、前から放たれる跳弾の嵐を、ダークソードの翼から抜け落ちた羽根が消していく。

 弾丸に羽根が触れた途端に、弾丸が羽根に包まれて、紫色の小さな花火のように弾け飛ぶ。

 そうして一人、また一人と斬り裂いていく。

 しかし、二人は思う。

 (キリがない…)


 あの後にも三回、戦闘員や諜報員を相討ちにしてきた。あるいは、見殺しにしたと言ってもいいかもしれない。

 そして、また彼女は板挟みになっている。

 ギリギリまで相手の攻撃のタイミングを合わせていく。

 そのための動きは、とっくに心得ていた。

 「可憐に舞うは呪いの花弁、漆黒に散るは少しの詭弁」

 適当なことを口走る。相手は基本的に魔術に無知だ、と彼女は既に知っていた。

 そろそろ痺れを切らして撃ってくる、そのタイミングを測ってチョークを走らせる。

 ナイフを隠し持った相手が突撃し、あと一歩で届く瞬間に、テレポートを発動する。

 路地裏に、胸を刺された二人の絶叫が響いた。

 テレポート先はある程度ランダムだ。半径三〇メートル以内の、差し迫った死の危険が無い座標に飛ぶ。

 知り合いの学者の研究の賜物だった。

 だから、飛んだあとは、どこか命の危険は無い安全な所にいる。

 そのはすだった。

 テレポート先の景色を見て、彼女は冷や汗をかく。

 道路だった。その中央分離帯の芝生の上に彼女は立っていた。

 (なるほど。道路のど真ん中に行くことは無いけど、中央分離帯は有りえるのね)

 とは言っても、もともと交通量が少ない道路だった。さっさと歩道に戻って走ろうと思っていた直後、高速道路を走る車と見間違うほどのスピードで、黒い車が走ってきた。

 その後部座席から一人の男が中央分離帯に転がり込んだ。

 サングラスで目元を隠し、いかにもどこかの組織の者です、と名乗るような格好。

 殺し屋なのは間違いなかった。

 殺し屋の世界にもルールはある。一般人を装ってターゲットを殺すのは、卑怯な手にあたる、というわけだ。

 無言の睨み合い。

 そして、両者ほぼ同時に引き金を引き、そして体を斜めに傾けた。

 しかし、両者の考えは同じだった。ガーンという脳天を揺らす金属の音とともに、拳銃の銃口がひしゃげていた。

 忌々しく舌打ちをして、一七歳のスパイは拳銃を投げ捨てた。一方で、三〇代に見える殺し屋は、至って冷静に拳銃を握り潰して、ニタッと笑った。

 まるで、肉弾戦ならば負けることはない、と勝利を確信したように。

 まるで、相手の武器を封じた、と魔術の存在すら知らないかのように。

 あるいは、拳銃が無いと発動できない魔術だと思われたのかもしれない。

 (舐められたものね)

 少しフッと笑って、ボクシングでよく見るような、殴り合いに備えたポーズを取る。

 風の音が聞こえた。それほどまでに無言。息の音すらも殺すように、二人の裏の人間が対峙していた。

 音を全て消しながら、相手が恵理に殴りかかる。恵理がしゃがんでそれを避ける。

 それを見越した肘打ちが炸裂する。後ろに飛ぶことで極限までダメージを減らす。

 その後も恵理に攻撃は当たらないが、恵理も攻撃を繰り出す暇がない。

 膠着状態のまま、肉弾戦が続いた。

 (そろそろ疲れてきた頃かしら…?)

 相手が距離をとった隙を突いて、チョークがでこぼこした分離帯の地面を引っ掻いていく。

 テレポートが発動した。

 運良く、相手の背後に回ることができた。

 (ラッキーね。三〇メートルなら走れると思って使ったのだけれど)

 「逃げたのか?」

 単純な疑問にも、恵理を嘲っているようにも聞こえる声に、

 「後ろよ」

 と、返した。その顔には笑みが浮かんでいる。

 チョークが何もない空間に文字を書き出していく。

 『trigger(トリガー)hand(ハンド)』と描かれた文字から、円の中に五芒星が内接しているだけの、簡単な魔法陣が自動展開される。

 相手が攻撃を止めようと距離を詰めていた。

 恵理は指で拳銃の形を作り、魔法陣に腕を通した。

 相手の体当たりを、後ろに飛びながら受け止める。

 女の子っぽい柔らかさの中に筋肉質な(つよ)さを内包する腕が、殺し屋の首をつかむ。同時に彼女が足を乗せて、殺し屋の動きを封じた。

 「私が魔術師だってこと、忘れてた?」

 拳銃の形をした右手。その人差し指で、殺し屋の脇腹をつついた。

 そして、引き金にしていた中指を思いっきり引いた。

 直後、得体の知れない力の塊が、殺し屋の腹を貫通した。

 「化け…物が…!」

 「そうね。聞き飽きた言葉だわ。」

 もう一度チョークが空間に走る。魔法陣が展開される。

 「終わりよ。」

 魔力の弾丸が発射されて、敵の心臓を貫いた。

 羽島恵理の手によって引き金を引かれた惨劇が、そこにあった。

 自分の心の中で何か言葉を反芻すると、また顔を上げて場所を確認した。

 「さて、先を急ぎましょうか。」


 彼女が急いで走っていく先では、ダークソードが空を舞い、鶴城が剣を振るっていた。

 ダークソードに向けて追尾弾が放たれる。

 翼を翻して飛ぶダークソードの後ろを、赤外線が放つ熱を追って、自動制御の弾丸が加速しながら近づいていった。

 同じような追尾弾が八発、彼女を狙っていた。

 鶴城が走って近づくが、剣先は弾丸にかすりもしない。

 ダークソードが羽根を落としても、その羽根を撃ち落とすように小型の拳銃から正確に弾丸が放たれる。

 絶体絶命もいいところだった。

 ダークソードの表情が引きつる。鶴城がダークソードの名前を叫ぶ。

 追尾弾が更に速度を上げたその時だった。

 追尾弾の一つに別の弾丸が当たって爆発した。

 その爆発が別の追尾弾を巻き込むようにして、追尾弾が全て消滅した。

 その炎がダークソードの顔に触れる前に、水の壁にせき止められて消えた。

 「お待たせ」

 羽島恵理が、戦場に到着した。

 「後は任せなさい。あなたたちは、彼らを逃がして」

 地面に倒れている信吾と、その上に乗っかるようにして地面に頭をつけずに倒れている来海を指差した。

 「大丈夫なのか?」

 「もちろん。クローン戦闘員が何体いようと、同じことよ。」

 クローン。それが、魔術師たちと戦闘を繰り返していた戦闘員の正体だった。

 第三世代(サードステージ)複製人間(クローン)。クローンはかつて身のこなしを覚え、戦術を覚え、そして第三世代(サードステージ)に至って、完璧な戦術や対処法と、行動パターンを凝り固めないための自律思考を手に入れた。

 クローンたちは今、経験を積み重ねた人間の兵士よりも、ずっとずっと強く、そして安い。

 しかし、それは所詮は人間が創りだした兵器の力。

 魔術師・羽島恵理はクローンの戦闘部隊に語りかける。

 「学者の中には、魔術師を第四世代(フォースステージ)の戦力とみなす人もいるそうよ。」

 自律思考のために、第三世代のクローンは、ヒトの心の一部を数値パラメーター化して搭載している。

 「あなたたち型落ちが、最新世代に勝てるかしらね?」

 心の欠片を揺らすように、微笑みかけた。


 一方で、霧咲鶴城は、和紙の上に墨で何かを書いていた。

 その背中を、ダークソードが守っている。

 あの二人の体の上に書き上げた紙を置くと、術名を読み上げた。

 『忍法・木の葉隠れの術』

 突風が巻き起こり、木々の葉を摘み取ってつむじ風を巻いた。その風が、四人を乗せて吹いていった。

 行き先は霧咲家の屋敷。

 そこで一緒に住む二人の妹に彼らを看病させて、恵理ともそこで合流することになっていた。


 やはり、クローンの心を揺るがすことは出来ないようだ。

 顔色ひとつ変えずに、クローンが戦闘行動を取る。

 ならばこちらも、と思いながら、恵理もチョークを構えて筆記体を書いていく。

 拳銃の形をした右手の引き金を引くと、五秒後に人差し指が火を吹いた。

 倒れている相手から大型の銃を奪うと、今度は発動とほぼ同時に炎やら突風やらが吹き荒れた。

 魔術『trigger(トリガー)hand(ハンド)』は、右手を魔法陣に通すことで、そこから火・水・風・雷・闇などの属性(エレメント)を帯びた弾丸を発射する魔術だ。

 右手を拳銃の形にするのは、拳銃の形という分かりやすい形を通すことで、時間と脳にかかる負担とを減らすためだ。

 ならば、銃の実物を使うことで、時間や負担を大幅に減らすことができる。

 大型銃からバカスカと魔術が繰り出され、ものの五分で特殊部隊は壊滅した。


 霧咲家の屋敷は、かなり広い日本風の家だった。

 一階建てではあるが、台所や食卓、居間の他に、十は部屋があった。

 そんな家の、これまた広い庭に、四人は到着した。

 それを見るなり、鶴城の妹が二人、窓を開けて駆けてきた。

 「お帰りなさい、兄上。とりあえず二人を寝かせる準備はできています」

 「お帰りなさい、お兄様。お風呂も湧いています」

 「やっほー、お帰り。ちょっと鶴クンの部屋のコンセント借りてるよ」

 鶴城を兄上と呼ぶのが、一つ下の妹の霧咲一葉(きりさきひとは)、お兄様と呼ぶのがさらに一つ下の妹の霧咲真葉(きりさきまのは)だ。

 そして、勝手にコンセントを使っているのは、恵理が協力してもらっている研究員だった。あのテレポートを始めとして、何十の戦略魔術を開発している、相葉紗希(あいばさき)という一六歳の若き天才である。

 床に敷かれた二つの布団に、それぞれ信吾と来海が寝かされた。

 二人が規則的な寝息を立てているのを見て、鶴城はそっと胸を撫で下ろした。

 恵理が霧咲家にやって来たのは、それからすぐのことだった。

 目が醒めない二人はさておいて、いつもどおりの日常が流れていく。

 妹たちが二人で食事を作っていて、ダークソードが洗濯物を畳んでいて、恵理がパソコンを使って何かをしていて、紗希がよくわからない数式を紙に書いていて、鶴城が床を雑巾がけしている。

 いつもどおり、六人で送る日常だった。

 つまり、霧咲家はシェアハウスのように使われていた。

 言うまでもないが、家主である鶴城の立場は弱い。男女比を考えれば、誰でも分かることである。


 霧咲家の明かりが消える。

 夜になり、各人がそれぞれの部屋に戻り、タオルケットを掛けて眠りについた。

 夜の零時を回った頃に、一応は家主である鶴城が部屋の見回りをする。

 現代となってはあまり必要のないことだが、かつて殺し屋の忍者が潜んでいた時代からのしきたりだった。とはいえ、サボりがちではあったが。

 寝静まった廊下に、声が届いた。

 「あの二人に関する情報はもう少し待ちなさい。出し惜しみ?していないわ。さっき送った分で全部よ。」

 恵理の声だった。裏世界の連中は、よほど彼らの情報が欲しいらしい。

 その向かい側に、電気がついている部屋があった。紗希の部屋だ。

 (消し忘れか?まったく…)

 電気のスイッチを押そうとして襖を開けると、紗希がいた。

 赤いフチの眼鏡を掛けているのはいつも通りだが、下着とパンツだけの姿で、ぺたんと座布団に乗っかって足を伸ばし、ちゃぶ台の上にある紙と格闘していた。

 「ここのパラメーターをこれに代入して…」

 バレる前に逃げろ、と本能が叫ぶ。

 (落ち着け、俺は忍者の端くれだ。音を出さずに立ち去るくらい、造作もない!)

 彼が覚悟を決めて一歩立ち去る前に、紗希が異変に気づいた。

 「んー?何か気流が乱れてる気がする。もしかして、襖が開いてる?」

 彼女が振り向いた先には、顔を赤くして呆然と立っている霧咲鶴城がいた。

 終わった。

 この女だらけの俺の家で、もう生きていけない。


 「鶴クン、そこに正座して?」

 完全に怒鳴られると思っていたのだが、この落ち着きは逆に、とんでもなく怖い。

 恐れるあまり、へ?というクッソ情けない声が出た。

 「いいからそこに正座しろぉ!」

 何とも威厳に欠ける声だ。

 とりあえず、黙って従うしか生き残る道は無い。

 なるべく、紗希とは目を合わせないようにしよう。

 「まずね?なんで鶴クンは女の子の部屋に入ってきたのかな?」

 「いや、だって電気が付けっぱなしだったから」

 「だとしてもさ?ノックとかするよね、普通?」

 「ごめんなさい」

 こうなってしまったら、謝るより他に無い。

 ただ、頭を下げることで、紗希を直視しなくて済むのは助かった。

 このまま帰してくれないかなぁ、とは思う。が、そんなに甘くはないのだろう。

 紗希が言う。

 「もう顔上げてもいいよ?別に怒ってないし」

 いや、ここで顔を上げるといろいろとマズいことになるだろ、とは言えず、黙って項垂れていると、さらに誤解が生まれてしまうのだった。

 「いやさ?確かに私はそこそこぺったんこだよ?」

 何を言ってるんだ、というのが正直な感想だった。

 「でもさ?だからって見たくもないっていうのはヒドいんじゃないかな?」

 そして、気づく。こいつ、盛大に勘違いしてやがる。

 「ねえ、聞いてる?」

 「聞いてますともハイ!ですがね紗希さん。さすがに女性のそういう姿を見るのは慣れていないと言いますか何と言いますか。その、ですね。あの…だって太ももとかその…下着、とか。色々もろもろ丸見えですよ?」

 自分でも思う。キャラ崩壊もいいところだ。

 「だってさ?服着てると集中の邪魔なんだもん。」

 ますます訳が分からない。

 鶴城は理解を諦めることにした。

 「とりあえず、もう帰ってもいいかな。」

 「あっ、うん。どうぞ?」

 「早く寝ろよ。もう日付変わってるんだから。」

 「えっ、うん。ありがと?」

 「おう」

 自分の部屋に戻っていく鶴城の背中を見て、なんて良い人なんだろうと呟いた。

 「あーあ。結局集中力切れちゃったし、また明日かな?」

 ちゃぶ台の上の紙を片付けて、ピンク色のパジャマを着て、ベッドの上に寝転んだ。

 「っていうか、もう今日なんだっけ?」

 どうでもいいやと思って電気を消した。

 午前零時三七分、霧咲家から全ての明かりが消えた。


 朝は、全員に平等に訪れる。

 霧咲鶴城の朝は早かった。

 朝の五時半に目を覚まし、軽装に着替えると、外へジョギングをしに行った。

 街が眠りから覚める前に、心地良い朝の風を浴びながら颯爽と走っていく後ろ姿を見ている、薄紫のパジャマを着た和風美少女がいた。ダークソードだ。

 彼女は洗濯機のスイッチを押すと、洗濯物で洗えない自分の和服を、丁寧に手洗いした。

 洗濯機が乾燥に入った午前六時ごろ、廊下の方から話し声が聞こえてきた。

 「おはようございます、恵理さん。」

 「ええ、おはよう、一葉。」

 一葉は真っすぐに台所の方に向かい、恵理は走ってくる、と言って外へ出て行ってしまった。

 洗濯機が作業を完遂した合図(アラーム)をし終えると、ダークソードは洗濯物をカゴにいれてベランダに向かう。

 その頃、真葉が可愛らしいあくびをしながら台所に向かっていた。

 洗濯物をカゴから引っ張り出して、南の窓際に立っている物干し竿にハンガーを引っ掛けて吊るしていく。

 型崩れしないようにハンガーの大きさを変えながら、器用な手つきで洗濯物を干していく。

 (六人分ともなると色々と大変ですね)

 しかし彼女にとって、それはなかなか楽しいことだった。

 鼻歌交じりに洗濯物を干していると、家の中から美味しそうな朝ごはんの匂いがしてきた。

 (これは…味噌汁と、ホッケでしょうか?)

 そこに紗希が手伝いに来た。

 「その鼻歌、なんて曲?」

 「いえっ、その…大したものでは…」

 恥ずかしさに顔を赤くして狼狽えるダークソードを見て、紗希がニヤニヤとする。

 「紗希さんこそ、なかなかの寝癖ですよ?」

 ささやかな反撃。

 パジャマのポケットに入っていた手鏡を紗希に向ける。こういう手鏡は、あると何かと便利だ。

 何か叫び声をあげながら、紗希が洗面台に飛び込んでいく。

 (本当に、騒がしくて…賑やかで、良いことです。)

 しかも、なんだかんだ一人で干し終わりそうだ。

 最後に自分の和服を干したその時、鶴城と恵理がランニングから帰ってきた。

 「マスター、恵理さん、お疲れ様です」

 「ああ、お疲れ」

 「そっちこそ、お疲れ様」

 そろそろ朝食の時間だ。


 朝の食卓には、紗希以外の五人が座っていた。

 食卓に向かってくる足音がしたと思ったら、食卓には誰も来ないうちに足音が止まった。

 「紗希、早く座んなよ。」

 恵理が言う。えーっと、という困惑の声が。ちょっと待って、と紗希が張り上げた声に掻き消された。

 「えっ、じゃあそこにいるのは…」

 恵理が振り返る。そこには、その場しのぎの手拭いの服を着た穂村来海(ほむらくるみ)が立っていた。

 ほんの短い間だけ、全員の思考が止まった。

 「服、貸してあげるから早く着替えておいで。」

 恵理と紗希がほぼ同時に似たようなことを言った。彼女たちは身長は一五六センチくらいでほぼ同じだ。体格も胸以外は近い。

 そして問題なのは、来海の胸は平均的で、恵理と紗希のほぼ中間だったことだ。

 (どうしようかな)

 少し戸惑っていた少女に、彼女よりほんの少し身長が高い女の子が服を差し出した。

 「はい、どうぞ。」

 「ありがとう。」

 一葉から服を借りて着替えている間に、真葉が来海の分の朝食をテーブルに運んできた。

 (鶴城お兄ちゃんは誇らしいよ)

 優しい子に育ったな、と思わず笑みを浮かべた。

 一方で、恵理と紗希はしゅんとして、しおれたように椅子に座っていた。

 信吾は、まだ目覚めない。


 食卓には、白米が程よく盛られた茶碗と、油揚げと豆腐の味噌汁、一人に一匹ずつのホッケの干物、わかめとキュウリの酢の物、それから大皿に筑前煮という、逆に滅多にお目にかかれないような『ザ・日本の朝ごはん』が並んでいた。

 ちなみに、味噌汁と筑前煮は鰹節と昆布でダシをとるほどの気合の入れようである。

 食卓に信吾を除く全員がついた。

 とりあえず簡単に自己紹介をすると、家主である鶴城の一声で、全員が手を合わせた。

 「いただきます!」

 一人ひとりの声はそうでもなくても、これだけの人数がいれば、自然と賑やかな挨拶になった。

 ダークソードが大皿から筑前煮を全員の小皿に配り始めると、紗希が来海に質問を始めた。

 「どう?体調がおかしいとかない?」

 「はい、一応。」

 「んもう、敬語なんて使わないでいいんだよ?」

 「そうですか?」

 「そうだよ。せっかくタメなんだから仲良くしようよ。」

 恵理が同調すると、来海もそれじゃあ、と前置きして

 「うん、体は平気。」

 ありのままの笑顔で、友達に接するように、返事をした。いや、もしかしたらもう、彼女たちは友達なのかもしれない。


 和やかな朝食の後で、紗希は自分の部屋に来海を呼んだ。

 ちゃぶ台の上の紙には数式の嵐が吹き荒れて、古っぽいコンピューターが熱を部屋に吐き出していた。そして何よりも異質なのは、押し入れの中へと何十本というコードが伸びていることだった。

 「ちょっと失礼するね?」

 来海の細くて白い腕に電極パッチがつけられる。

 そのパッチからは太いコードがコンセントやらコンピューターやらに枝分かれしてつながっていた。そして、電極パッチのもう片方が、来海の首筋につけられる。

 「うん。」

 来海が深呼吸をするように息をした。その瞳には恐怖の色はない。

 (あれだけ実験者の汚い部分を見た後で、なんであんなに純粋なんだろ?)

 こんなこと聞けないな、と思った。大多数の人間は忘れたい記憶を忘れていく生き物だ。それがすぐににしろ、時間がかかるにしろ、記憶の封印は珍しいことではない。

 中には物事を忘れられないという性質の人間もいるが、何となく違う気がした。

 「ところでこれ、何の装置なの。」

 来海に聞かれて、正直に紗希が答える。

 「魔術のランクを測る装置だけど、ランクって分かる?」

 「ううん。」

 コンピューターと電極の接続が確認された。

 「ランクっていうのはね、魔術師が取り込める魔力の量を対数的に表す指標なんだけど、だから、つまり…えっとー?」

 研究者のサガだ。普段、彼女は一人で実験をしていた。たまに共同研究や発表をするにしても、相手はプロなので、専門用語の解説は必要ない。

 つまるところ、彼女にとって来海にランクを噛み砕いて説明するのは、今までで一番難しい課題かもしれなかった。

 「身体的キャパシティの上限値を…えっと、能力、つまり、その、なんていうのかな?その、オーバーアブソーブするときの魔力がどれだけなのかを…」

 来海が目を回しそうな表情で、首をかしげている。

 その瞳が泣きそうに感じられて、紗希の脳みそがフル回転を超え始めた。

 あらゆる単語とその意味が頭の中を駆け巡る。

 ランク。魔力の指標。魔力とは魔術に必要な力。指標、すなわち目安。実際は少し違うけど。対数的、ランクにおいて底は十だから、桁数とほぼ同義。ちょっと違うけど。ランクの使用目的、戦闘力の換算。上限。魔術の強さ。正の相関関係。例外もあるけど。

 本当は必要な情報を削ぎ落す。その決断に必要な勇気を振り絞る。なるべく簡単な言葉に、簡単な関係に置き換えて、文章を洗練する。

 研究者として本当に必要なプライドは、理解されないけれど正しい真理を伝えることよりも、むしろ。

 理解してもらえるように、しかし誤解が無いように、言葉を引き延ばして、ぶった切って、根幹の一部を、最も大事なところだけを伝える。

 私なら、できる。

 文章の洗練は、もう終わっていた。

 「紗希ちゃん?おーい、紗希ちゃーん。」

 来海ちゃんの声が聞こえる。私の説明を心待ちにする来海ちゃんの声が。

 「あのね、来海ちゃん!」

 「は、はい!」

 「ランクっていうのはね…」

 導き出した答えを告げる。その表情は、歓喜に満ちていた。

 「高ければ高いほど、強い魔術が使えるってことよ!」

 「な、なるほど。」

 若干引かれている気がするが、まあ気にすまい。

 全ての装置が、準備完了・オールグリーンになった。


 熱すぎる夏の日差しのおかげで道場が暑い。

 剣を持った三兄妹が、それぞれの剣技に磨きをかけていた。

 「真葉、降り抜く時には、ここで手首を返すんだ。」

 「なるほど…はい、お兄様。」

 鶴城がもう一度剣を振ろうとしたとき、道場の柱に矢が突き刺さった。

 伝令の矢。いわゆる矢文である。差出人は、あらかた恵理だろう。きっと一発だけ、的外れの弾丸を発射したに違いない。

 『機械の龍がそちらを襲うかもしれない』

 訳が分からないが、警戒しておくに越したことはなさそうだ。


 「ありゃ?おかしいな、不具合かな?」

 紗希の瞳には、ランク〇という表示が映っていた。

 こんなことをいうのは心が痛むが、目の前で電極につながれているのは、特殊部隊を壊滅させるだけの炎の海の魔術を使った少女のはずである。ましてや、ワールドエンド系の魔術を使ったという報告もある。

 それなのに、ありえないほどに魔術の才能なし、とのことである。

 「どうしたの?」

 「いや、思ってたのと違う結果なんだよねー。異常は無いんだけどなー?」

 「そっか。なんか、ごめんね。」

 「ううん、謝ることないよ。もしかしたら、来海ちゃんの命が狙われることは無くなるかもしれないし?」

 「そっか。」

 世界中の研究者にとって、初めてのケースだ。研究したいのは誰も一緒だろう。もちろん、紗希の中にもそんな気持ちはあった。

 だけど、それ以上に、二人はもう友達だった。

 「とりあえず、このことは私たちだけの内緒にしよう?」

 どうして、と返事が返ってきた。無理もない。

 「ランク〇っていうのは逆に希少価値が高い…えっと、珍しいから、研究者の実験材料にされちゃうかもしれないから。ね?」

 「うん…紗希ちゃんはどうするの?」

 「私は、来海ちゃんの研究はとりあえず大丈夫かな。それより今は、別の研究で忙しいんだよねー」

 別の研究。それは、神を排除して魔術の世界を記述すること。

 神話を経由せずに科学の力のみで魔術を使えるようにするのが、当面の彼女の目標だった。


 羽島恵理は、カラオケルームの中にいた。

 別に歌いに来たわけではない。一応、不自然にならないように曲を流してマイクを握っているが、していることは電話だった。

 「なるほど、来海ちゃんはランク〇だったんだ。」

 「そーなんだよー。恵理ちゃん的に、これってどんな感じ?」

 電話の相手は研究を終えた紗希だ。

 「これで来海ちゃんは襲撃対象から外れそうかな。ありがと、紗希。」

 「いえいえー。ところで、今どこにいるのさ、何か聞こえてくるけど?」

 「カラオケ店だけど。」

 「なんで誘ってくれなかったのさー?」

 「いや、フェイクだから。カラオケルームなら基本誰も入ってこないし、声がしててもおかしくないし。」

 曲がサビに入ったのを見越して、少しだけ前のめりになる。

 「ってことは、お仕事中?」

 「うん。」

 申し訳なさそうな声が返ってきた。

 「電話しちゃ悪かった?」

 「全然。むしろ報告待ちだった。」

 「そっか。ならよかった?」

 「よかったよかった。切るね。」

 「はいよー」

 実際は別に報告待ちでも何でもなかった。一方的に電話を切ろうとしたのは、別の連絡が入ってきたからだ。向こうは専属スパイだと思っているので、別のところと長時間連絡しているのは良く思われない。

 『もしもし、恵理か。』

 この声の主はどこの誰だっただろう。

 そして、思い出す。確か、六〇キロくらい離れた国会議事堂に潜伏していだはずだ。

 「ええ。あの件かしら。」

 『奴ら、本気でDOFAM(ドーファム)を使うつもりだ。今、大臣・総理大臣・天皇の三人が署名した。』

 「わかった。こちらで何とかするわ。」

 『頼むぞ、あの実験動物の重要性を、国は分かっていない。』

 「その実験動物についてだけど。」

 心が痛んだ。だが、ここで怪しまれるわけにはいかない。

 「片方、女のほうはランク()だそうよ。おそらく、強制的に覚醒したから、魔術を発動するファクターが失われたのね。」

 『それは本当か。』

 「ええ。」

 『速やかに拡散しておく。無駄な労力は割けないからな。』

 「よろしく頼むわ。」

 通信を切る。

 ランクの数値を一つごまかしたのは、純粋なランク〇は希少性が高いので、結局どこの研究者も欲しがるオチが見えたからだ。

 〇と〇ではない数の間には、とんでもなく深い溝がある。それこそ、住んでいる場所を分けるほどの隔たりがある。

 だが、ランクの数字よりも強く心を引いたのは、やはりDOFAM(ドーファム)だ。

 まだ曲は途中だが、とりあえず、霧咲家に戻ろう。


 「ねえ、紗希ちゃん。」

 「どした?」

 「なんか、ちょっと具合悪いかも。」

 慌てて来海を見たが、すぐに納得した。彼女の手には、丸めたティッシュが握られていた。そして、若干顔が火照っている。

 「どれどれ?」

 額に手を当てると、暖かいを通り越して熱かった。

 「うーん。風邪かな?あっ、ゴミ箱はそっちね。」

 そういうと、タンスの中から粉や液体が入ったビンを何本か引っ張り出してきて、台所から適当なボウルと泡だて器を引っ張り出すと、それらを全てちゃぶ台の上に置いた。

 そして、鼻歌交じりにボウルの中に粉や液体を入れて、泡だて器でかき混ぜていく。

 「サイエンスな感じだね。」

 来海がよく分からないリアクションをしているが、どう返していいかよくわからない。返事の代わりに、おとなしく待っててね、と言って台所に急いだ。

 台所に出ていたまな板に冷蔵庫から取り出したプチトマトを取り出し、ヘタを取り、縦に半分に割る。炊飯器から米粒を二つ三つ拝借する。

 中に入っている果実を指でこそぎ取り、自分の部屋に持っていく。トマトの汁が垂れているが、気にしない気にしない。

 トマトの色素のリコピンは~市販の漂白剤で落ちるのだ~♪とかいうヘンテコな歌と一緒に、紗希は部屋に入った。

 そして、トマトの中に調合したペースト状の薬品を入れて、米粒でくっつける。タンスから蒸留水を引っ張ってくる。

 「はい、即席風邪薬だよ。飲んでみ?」

 明らかに見た目はプチトマト。だが、中に入れる薬品を作るのを見ていたし、何より、薬品ビンの中の水が怖い。

 「効くの、これ?っていうか、飲めるの?」

 「飲める飲める!成分は市販のやつより効くよ?」

 「でも、この水…」

 「ただの蒸留水だから問題ないよ?水素イオン濃度がジャスト七!しかも新しいやつだから安心して?こないだ作ってやつだから!」

 「あっ、うん。」

 もう飲むしかない。風邪薬とは正反対ともいえるそれを飲み込んだ。プチトマトは大きくて飲み込むのは大変だったが、なんとか怪しい水で押し込んだ。

 紗希はなぜか嬉しそうだった。


 「紗希と来海いる?」

 恵理が入っていくと、そこは異様な光景だった。

 いくつもの薬品ビンが散乱し、来海が何かを薬品ビンの中の液体で、喉に流し込んでいた。なんとなく具合も悪そうだ。

 「ちょっと紗希!何してんの!」

 「え?いやー、来海ちゃんが風邪引いたっぽいから、風邪薬作って飲ませてたんだよ?」

 「あっ、そうなの。」

 「うん!」

 なんだか嫌な笑顔である。

 「来海、何飲まされたの?」

 「風邪薬…らしいです。」

 元気が半分という感じの調子で返ってきた。

 「どんな?」

 「普通のだよ?」

 紗希が答えた。ということは、何かやましいことがあるはずだ、と勘が働いた。

 「来海、どんなだった?」

 「ミニトマトになんかを入れて、ご飯粒でくっつけて、変なビンの中の水で飲まされた。」

 「紗希?」

 恐ろしい顔をしていた。たぶん、戦場でも彼女はこんな顔はしないと思う。

 「いやー、成分は市販の薬と一緒だし、ビンの中身は蒸留水…正真正銘のH2Oだからね?」

 「普通の薬じゃダメだったの?」

 「自分で作ることに意味があるんじゃん?」

 このマッドサイエンティストには何を言っても無駄そうなので、これ以上の追及はしないことにした。

 「あれ?もう行っちゃうの?」

 「うん。」

 「またカラオケ?」

 「違うわよ。」

 恵理は自分の部屋に移動しようと背中を向けて、

 「ちゃんとそれ、片づけておいてね。あと、床に垂れたトマトの汁も早めに処理してね?」

 釘を刺して行った。


 その頃、霧咲家の裏庭から少し離れたところに、日本の自衛隊のヘリコプターが何かを落として飛んで行った。

 その落下物は、形は何かの種か卵のように見えたが、色は金属のような光沢を帯びた銀色である。

 そして、ヘリコプターが空中で旋回し、動きを止めた。

 羽を休めた鋼鉄の塊が地上に降ってきた。


 恵理は自分の部屋でコンピューターに電源を付けた。

 紗希の部屋にあったそれとは違い、最新型のコンピューターだ。紗希にもプレゼントしようとしたこともあったが、彼女は中古品の愛好家(アンティークフィリア)だとか何だかいって、受け取ろうとしなかった。

 コンピューターが立ち上がると、DOFAM(ドーファム)についての情報を探す。

 対魔術師(Dragon)(Of)力駆動(Force)式龍型自(Against)律兵器(Magic)、通称ドーファム。

 金属で作られ、全身に兵器をまとい、原子力で動くドラゴン。

 その製造目的は、魔術勢力の排除。

 自衛隊本部の地下深くに秘匿され、作戦行動の実施時には、卵のような状態のカプセルを先行させ、専用のヘリコプターをその上に落とすことで、データをインストールさせてドラゴンに変形させる。

 専用のヘリコプターそのものがドーファムに変形するが、その頭脳といえる戦闘データはカプセルに守られているということらしい。

 また、カプセルには第三次世界大戦で捕虜となった魔術師により、関係のない一般人を戦場から遠ざける魔術を発動できるらしい。

 「素直に第四世代(フォースステージ)と名乗ればいいのに、よっぽど私たち魔術師が嫌いなのね。」

 そのデータベースの最後の一行を見て呟く。

 『非魔術使用の第三世代(サードステージ)兵器において、最大戦力である。(二〇四五年七月現在)』と書かれていた。

 魔術を、使っているくせに。

 (そういえば、外が静かね)


 「マスター、何か嫌な予感がします。」

 道場で日課の鍛錬を続けていた鶴城にダークソードが言う。

 その直後、締め切った道場の中に、風が吹いた。

 足が浮きそうなほどの猛風に抗うように黒い翼を広げて、ダークソードが三兄妹を守った。

 おかげで、頭をぶつけずに済んだ。

 猛風で壊れた道場の扉から見える、眩しいほどに夏の日差しを跳ね返しているそれは、機械の龍だった。

 「あれが、DOFAM(ドーファム)よ。」

 恵理が言いながら駆けつけて、発砲する。

 炎の渦が体の目の前で爆発したにもかかわらず、龍は傷一つ負うことなく、甲高く咆哮した。

 そして、金属の刃でできた翼を広げると、ジェット噴射で空に翔け上がり、どこかへと飛んで行った。

 あんなものを野放しにするわけにはいかない。

 「恵理、追えるか?」

 「ええ、現在DOFAMを追跡中よ。」

 二人は、臨戦態勢に入っていた。

 信吾はまだ、目覚めない。

第4章まで+後日談で完結の予定です。

ひとまず、第1章までを先に公開しました。(2018/11/06)

第2章、公開できました。(2018/11/13)


70000文字も書けるかなぁ…?


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