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香ばしいトウモロコシを焼いた香り

作者: 静間

香ばしいトウモロコシを焼いた香り。

花柄のエプロン。黄色い花弁。側に染み。

蝶蝶結び、丈の長いスカート、小さな肩は音楽に合わせて左右に揺れる。君はリズムを取るのが上手かった。小気味良く揺れる髪は薄暗い部屋の中で一番明るいレモン色だった。僕はそのレモン色に一目惚れした。僕が君を好きになった理由の1つ。でも君は、「ねえ、僕のどこがよかったの?」そう聞くと、「んー、秘密」はぐらかす。それで、後で はにかみながら囁く「やさしいところ」。

『削除する』


香ばしいトウモロコシを焼いた香り。

往来する人の足音。赤色、黄色、橙色、足元を過るカラフルな浴衣。喧噪。笑い声。歓声。

僕は君を失わないようにぎゅっと手を握って人混みを抜ける。夜の空に花火の光。赤色、黄色、橙色。暗い川の水面に反射する。

君は困ったように、少し寂しそうに笑う「そんなに強く引っ張らなくてもどこにも居なくなったりしないよ」。ようやく僕は力が入り過ぎていた事に気が付く。「花火!」君は夜空の花火を見つめる。僕は君の瞳の中に反射した黄色の花火を見つめ続ける。君は恥ずかしそうに爪先を擦り合わせてこう言う「私じゃなくて花火を見て…?」

『削除する…』


香ばしいトウモロコシを焼いた香り。

Robin Schulzロビン・シュルツの『OK』をかける。狭い空間に反響する4つ打ちバスドラム。君は肩を揺らして楽しそうに主線を口ずさむ。

「踊って?」これは僕。「へんたい」これは君。浴室の電気を消すと、僅かな灯りの中、腕をくねらせて踊り出す。ボーカルの歌声に合わせて身体を揺らし始める。細い喉。華奢な 鎖骨の浮くデコルテ。胸に行き当たると丸みを帯びた、まろやかな線。僕は強烈に君の黄色を記憶する。精巧な芸術品をめちゃくちゃにしたくなる。君は強張って繰り返す「へんたい」。

『削除する…』


トウモロコシが焦げた匂い。

君は枕を投げながら叫ぶ。「私はいつだって大好きだった!いつだってあなたが一番だった!」それだけ。後はぎゅっと唇を噛み締めて何も言わない。大切に積み上げた思い出にヒビが入った事に気付いたから。何も言わない。このまま気持ちを全部吐き出す事も出来たんだろう? だけど君はそうしなかった。だから僕も何も言わなかった。触れれば、今にもガラガラと崩れさってしまいそうな儚い夢を出来るだけ長く見ていたかったんだ。僕は君を愛する事をやめた。君は夢が崩れ去るまでずっとそこにいた。

『削除する…』



削除完了(オールデリート)…』

ディスプレイに叩き出される文字。完了を示す電子音。それを確認してから、ホッと一息ついた。複雑で長期的で神経が すり減る最悪の案件だった。

嗅覚から記憶が想起される現象を無意識的記憶とかプルースト効果と呼ぶ。嗅覚は、脳のなかでも原始的な感情を司る大脳辺縁系(だいのう へんえんけい)に直接つながっていて、より本能的な情動と結びつきやすいそうだ。そういう こびり付いた記憶を削除する作業は根気がいる、簡単には削除出来ない。丁寧で繊細な集中力と膨大な時間が必要だ。対人記憶消去サービスの仕事は、給料は良いが、業務内容はブラックだし、法律的にはグレーゾーンだ。

指定の記憶を完全に削除した男性が、ゆっくりと部屋を出た。

それを確かに見送ってから、ナースに次の客を呼び入れるよう合図する。

入ってきたのは、レモン色の髪をした女性だ。香ばしいトウモロコシを焼いた香りがした…。

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