前の世界より劣悪だ!
空が紅く染まっている。
異世界の夕焼けも綺麗なものだ。
綺麗な景色如きで、怒りが消えるほど純粋な心を持ち合わせていない俺は、廊下を突き進み、渾身の力で校長室の扉を蹴破った。
「ふざけんじゃねーよテメエ! 何が“楽しい学園生活”じゃボケ!前の世界より劣悪だ!」
ストレンジ副校長は豪華な椅子に腰掛けて、小さな植木鉢にジョウロで水をかけていた。
「落ち着けヨツバくん。聞いてやるからもっと“ゆっくーり”何があったか話なさい」
「言われんでもそのつもりだ」
不満はあるものの、異世界は異世界。
未知の世界に心踊り、過去との関わりが一切ない学園での生活に期待をしていたのは想像に難くないだろう。
「転校生のヨツバ君です」
副校長の指示あってか、スムーズに事は進み、教卓の前で自己紹介をすることになった。
クラスを見渡せば色彩豊な髪色をした男女が席について、俺にあつい視線を送っている。
「大葉 ヨツバ16歳、まだ誰のものでもありません」
正直に言おう。あの時は何処ぞのアイドルの真似をするくらい浮かれていた。
本当は17歳なのを、年齢詐称してまで吐いた渾身の自己紹介も異世界では通じるはずもなく教室は冷たい雰囲気になってしまった。
「……じゃあ、空いてるあの席すわって」
仕切り直すように教師が席を指し示すと、案の定、窓際の1番後ろ。いわゆる“主人公席”である。
心の中でガッツポーズをした俺は、今思うとどれだけ愚かだったことか。
誰に格好づけていたのか、席に付くまでブレザーのポケットに突っ込んでいた手をひねり潰してやりたい。そして、席についた後で組んだ足を、固結びにしてやりたい。今ではそれ程に後悔しているのだ。
席についてしばらくは、辺りのザワザワが凄かった。クラスの所々で俺の話をしているようで、嬉しいようなこしょばゆいような奇妙な感覚になった。
「ねえ、ヨツバ君って異世界から来たってほんと?」
机の前にやって来た少女が喜々として訪ねた。女子グループの使いで来たのか、数人で固まった女子がこちらを覗き見ている。
少女は、べらぼうに可愛いという容姿ではないものの、金色のツインテールは“元の世界”ではなかなかお目にかかれるものではない。
どこから漏れたか不明だが、既に転生者だという情報は回っているらしい。
「そうだよ。ところで君可愛いね。授業後お茶でもしない?」
というのは妄想であり、理想の回答であった。現実ではこうである。
「……………………ッス」
呼吸音なのか、声なのか不明な何かを吐いて会釈をする。 女子と話すのが苦手な俺にはこれが限界である。
「………………そ、そうなんだ〜」
明らかに社交辞令な笑顔を見せてそそくさとグループに戻って行った。
「どうだった?」
「何あの返事キモくない?」
「っていうか変な臭いしたんだけど〜!」
聞こえる声で言うものだから、自分で臭いを確かめてしまった。別にいつもと変わらないので、異世界間で匂いの感じ方が違うのだと無理やり結論付けた。
「学園生活始まって数分でアダ名が“異臭くん”になったじゃないか!」
「ワシのせいみたいに言うな。その“異臭”は主が女子生徒を侍らせて悪させんようワシが魔術をかけておいたんじゃよ」
「なんだ魔術か………………、やっぱお前のせいじゃないかよ!!」
怒りに任せて胸ぐらを副校長の掴むと、彼は「落ち着け落ち着け」と俺を宥めた。
「どうせまだ不満はあるんじゃろ? それなら全部おわってから殴ればいい。……そうじゃろ?」
「ああ、あるとも! 次は授業中だ」
不満はあるものの、異世界は異世界。
未知の世界に心踊り、魔術学園なのだから“魔術”を学習するのだろう。
“魔術”。う〜んいい響き! きっと“ホ〇ミ”とか“ル〇ラ”とかを習うのだろう。
そして、ここで良い所を見せれば……
『きゃーヨツバくん、初めてなのに魔術つかえるの〜?! きゃー』
『きゃーカッコイイ! きゃー』
『きゃっ!きゃーきゃーきゃー 』
“きゃー”がゲシュタルト崩壊して、獣の鳴き声に感じ始めた辺りで妄想はやめたが、女子がこぞって俺を褒め称えて、チート能力なくともハーレムを築くのは容易に思えた。
「まずは私が実演をします。皆さんはよく見ていてください」
遂に本物の魔術を見れる!と心踊らせる。
教師は教卓の上に載せられた金属の球体を手に取ると、1度深呼吸をした。
「gratiaFiborosu------------------」
『大地の精霊よ……』『刻真石の輝きを……』など中二的フレーズを連呼する詠唱に俺の興奮ははち切れそうになるのだ。
来るか……来るか……と思えば詠唱はまだ続く。なんか凄い炎とか出るのか?!と期待しても詠唱は続く。………………長い。長くない?
体内時計では既に五分以上が経っていた。
それでも生徒は真剣な眼差しで先生を見つめている。長いと感じてるのは俺だけなのだろうか……。
「--------------------よりこの物質を解き放て!」
詠唱が終わった時には10分も経過していた。後半はウトウトしていたから正確には分からないが多分そのくらいである。
教師の手にある球体にこれと言った変化は見られなかったが、なんせ10分もかけた詠唱である。きっと、あの球体一つで街一つ破壊できるほどの威力がこもっているのだろう。
教師が球体を床に向かって投げつける。
床に触れた瞬間、爆発するんじゃないかと身構えた。
ポヨーーン
金属の球体はゴム玉のように勢いよく擬音とともに弾むと、教師の手に戻ってきた。
「これが“フィボロスの弾性魔術”。どんな物質でもゴムみたいに弾ませることができます」
生徒一同はオォ……!と拍手喝采である。
…………ショボイ。10分もかけて球体が弾むだけというのは、あまりにもショボすぎる。根本的に必要性も感じない……。
「じゃあ、ヨツバくんやってみようか。詠唱文は教科書の124ページに載ってるから」
何をトチ狂ったか、教師は俺を指名してきたのだ。
辞書並みに分厚い教科書を開いたが、まず文字が読めない。未知の文字と図形で埋め尽くされている。
案外ラテン語の略字で、内容は女性向け美容法とかいうヴォイニッチ手稿オチかと思ったが、根本的に俺はラテン語も読めない。
会話は出来るのになぜ文字列になると理解できないのだ。異世界特有のガバガバルールだろうか。
まず何の授業だよこれ。本当に魔術なのか? どれだけ教科書を凝視しようと謎の言語を解読出来るはずもない。
いっそ発狂しながら逃げ出して何処ぞの山野で虎として生活しようかと本気で考えたが、聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥ということで、羞恥心も自尊心も中途半端な俺はいっときの恥を取ることにした。
「文字が……読めません」
「えぇ……」とでも言いたげな皆の目線が痛かった。教師も呆れたように頭を抱えると、他の生徒を指名した。
「文字も読めないってやばくない?」
「臭いし勉強も出来ないって絶望的よね。転生して人生やり直した方がマシよ」
転生した結果がこれだよ! と叫びたかったが、これ以上の恥と屈辱を味わうのはゴメンだった。
それ以降の授業を全て寝過ごしたのは言うまでもないだろう。
「どうしてくれんだよ! 元の世界より落ちこぼれてるじゃないか! しかも授業後補習って言われたんだぞ!」
「会話はできるようにしたが、文字は主個人の問題だから、フィーリングで何とかするかと思ってたのじゃ。すまんの」
「やっぱりお前のせいじゃないかよ! っていうか詠唱文ながすぎんだよぉぉぉ!」
「まあまあ、落ち着くんじゃ。それより文字も読めんのに、よくここまでたどり着けたの」
「それはだなぁ…………」
気づけば放課後である。
授業が終わったことを教えてくれる人は誰もいなかったようで、俺以外に1人男子生徒がいるだけだ。
その生徒は栗色の髪に赤色のメガネ。机の上には化学の実験で使うような器具と分厚い本が置かれていて、何やらブツブツ言っている。一目で自分と“同類”だと感じ取った。
女子は寄り付かず、魔術どころか文字も出来ない。
そうなれば残されたのは男同志の友情である。
共に笑い、共に泣く、そして時には激しくぶつかり合う。それが友情。
俺の頭には『友情 努力 勝利』(後ろ二つとは縁がない)某漫画雑誌の三大原則が浮かんだのだ。
そうなれば行動である。
俺は黙々と分厚い本を読む男子生徒の横に腰掛けると、最大限に明るい表情で話しかけた。
「授業でやった“フィボロスの弾性魔術”だっけ? アレの詠唱って長くないか?」
男子生徒は、俺の顔を嫌そうな目で見ると本に目を戻した。
「別に…………。他の魔術だってあんなもんだ」
やけに冷たい態度である。しかし、ここでメゲない。ショゲない。泣いてはダメなのである。
「俺、今日編入してきた-----------------」
「知ってる。ヨツバだろ? 寒い自己紹介みてたよ」
……やはり寒かったか。
「先生がお前に補習するって言ってたよ。魔術の基礎から教えるってさ」
「出来れば読み書きから教えてもらいたいけどな」
男子生徒が鼻で笑う。見下したような態度だったが、今の俺は見下されても仕方ない。
「お前、誰に転生させられたんだ?」
「誰って、副校長のストレンジだな。学園が荒れてるから治安を守れとか言われたけど、見た感じ不良もいないし、本当に荒れてるのかよく分かんないんだよ」
「それはお前が知らないだけだよ。表側に出ないだけで、この学園結構問題“アリ”だぜ。違法魔術を使う輩はいるし、馬鹿な話、秘密結社だってある」
存在がバレてるあたり、それは本当に秘密結社なのだろうか……。
「でも、ストレンジ副校長か……。どうりでお前みたいなやつが来るわけだ」
「なんだ馬鹿にしてんのか?」
「いや、むしろ好意を持ってる。大体の転生者は神様に呼ばれるもんだから、無限の魔力とか規格外のモノを与えられる。でも、お前にはそれが無い。むしろ、文字も読めない分落ちこぼれてる」
「やっぱ馬鹿にしてるじゃないかテメエ。ってか、“大体の転生者”って、転生者が何人もいるみたいな口ぶりだな」
「ああ、世界中にいるぜ。むしろ多すぎて、人口を調整する機関があるくらいだ。この学園にも数人いる」
“転生者”、別の世界からきた者という唯一のアイデンティティーが崩壊した瞬間だった。
道理で女子生徒の羽振りが悪いわけだ。他に転生者が居るなら、誰が好き好んで俺みたいな人間に寄ってこようか。俺だって願い下げである。
転生者は沢山いるしそいつらは神様から呼ばれている。
つまり、魔法学園の副校長から呼ばれている俺はその時点で劣っているわけだ。
そう考えると、副校長に対する憎悪ゲージがもうすぐではち切れるという所まで登ってきた。
「聞きたいんだが、副校長室ってどこにある?」
「この階の突き当たり」
場所を把握した瞬間、廊下へと飛び出し、冒頭に繋がるわけだ。
全部思い返してみると、逆に虚しくなる。
副校長の胸ぐらを掴んでいた手の力も自然と抜けていき、早朝の木の葉に付いた水滴よりも純粋な雫が瞳から零れた。
「なはぁあぁぁぁああん! こんなのあんまりだよおおお。女の子からは疎まれるし、文字は読めないし、挙句には転生者も沢山いるって俺の価値はどこにいるんダア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
「だいの高校生が床に寝転がって駄々を捏ねるんじゃない!」
「あなたにわからんでしょうね!」
副校長の慰めなどで立ち直るわけもなく、大声を出して泣きわめいた。転生者だもの。仕方ない。
そんな俺を見かねてか副校長は大きくため息をついた。
「分かったから泣きわめくな。女子生徒はともかく、たしかに文字が読めないのは死活問題だ。仕方ないからその問題を解決してやる」
「ホントかあ!!」
ダムが崩壊したように溢れていた涙がピタッと止まった。校長の慰めでちゃんと立ち直るのだ。転生者だもの。仕方ない。
「ほら、早う立て」
副校長は立ち上がると、黒色のコートを羽織った。
「どこに行くんだよ」
「主専用の魔導書を買いに街に出るんじゃよ」