ビオラ
イールがゆっくりと歩み寄ってくる。
刃の先から血を垂らし、冷酷な瞳で俺を見下ろしている。彼女は俺を“ゼムスト以外のもの”程度にしか認識していないのだろう。
―――予想外の乱入者。
まさかイールが参戦してくるなど、夢に思わなかったため、対抗する手段が無い。
彼女になら、“凶爛魔術”も通じるはずだが、そもそも魔力が残っていない。となると残すは殴る蹴るの格闘になる訳だが、双刀のイールに適うはずもない。それどころか―――。
俺は自身の体に目を向ける。
爪は剥がれ、もはや痛覚さえ薄れてきた両手。木の棒のように動く気配のない両足。視覚に関しては右目のピントが合わず、ほぼ無力化され、他の五感も気づけていないだけで何処かに支障をきたしているだろう。
―――どう考えたって戦える状況じゃない。
土下座したって、イールは見逃してくれないだろう。俺が存在していること自体が彼女にとって殺害の対象になってしまう。
魔術……✕。体術……✕。謝罪……✕。
為す術無し。こうして、処刑人が近づいてくるのを待つしかない。
……いや、まだ一つだけあるか。
拳で太股を殴りながら無理やり立ち上がる。もはや、痛いと思える領域は超えていた。
俺は首を振り、何処に何があるかを正確に把握する。
出口となる階段は俺の背後。正面にはイールと、その後ろにはゼムスト。そしてその更に後ろにはビオラ。そして……。
俺は思いっ切り駆け出した。―――もちろん、イールに向かってではない。彼女を避けるように大きく迂回しながら、最奥のビオラに向かってだ。
そもそも、俺の目的はビオラを連れ戻す事だ。狂った復讐魔と戦うことではない。……となれば、後はビオラを救い出して“逃走”すればいい。
戦闘も、謝罪も不可能な状態。もう、逃げるしかないだろう。……後はイールがそれを許すかだ。
「ちょこまかと!」
俺の作戦を否定するように、当然の如く腹部を襲う鋭い激痛と風圧。
吹き飛ばされ、背中から壁にぶち当たった。
……しかしここで諦めるわけが無い。腹を抑えながら壁に沿うように、ほふく前進でビオラを目指す。
ペンキの着いたブラシのように、俺が動くと床に赤い汚れが漏れる。……このペースだと、ビオラに辿り着く前に出血多量で息絶えてしまうだろう。
「動くな!」
イールが右腕の刃の振り下ろす。……次の瞬間、再び鋭い激痛が全身を襲った。―――今更だが、衝撃波を出せるらしい。近づかずして攻撃できるとは、それ果たして“剣”という部類に入るのだろうか。
それでもゆっくりと前進を続ける俺に苛立ちを覚えたのか、イールは方向を変え俺へと足早に近づいてくる。
「この“世界”は、私のモノだ。貴様ごときが! 存在していいと! 思うな!」
オーケストラの指揮でもするかのように腕の剣を振りながら、歩くイール。その衝撃波が届く度に、俺は風呂場で遊ばれる玩具のように赤い液体を吐き出した。―――これでいい、これでいいのだ。
そしてついにイールは、俺の眼前に立ちふさがった。完全に彼女の剣の間合いだ。ここからの回避は不可能だろう。
右腕の剣を振りかぶるイール。
壁に背を預けた俺は、すかさず片手を彼女にかざす。
すると彼女の動きが止まり、眉間にシワを寄せた。
「今更……、命乞いか」
「へ……! お前なんかに命乞いなんてするかよ。よーく見てみな―――」
俺は嘲り、彼女へ手をかざし続ける。
「俺は手に、何をはめてる?」
一瞬の沈黙。
しかし直後、イールは焦燥感をもって咄嗟に振り返ろうとする。
気づいたのだろう、俺の手に“グローブ”が着いていることを。―――アーサーから託された、“吸引魔術”の刻まれたグローブを。
今更気づいたところで遅い。
俺は既に“その名”を念じているのだ。後は“ソレ”が一直線に、俺の手まで飛んでくる。―――その軌道上にいる彼女は言うまでも無く……。
「ぐぅっ……!」
噛み殺したような悲鳴が響く。
軌道上にあった、イールの右の義腕ごと剣を切り落とした“刃”。そして、俺のかざしていた手にピッタリと収まる“剣の柄”。
「きさっま……! まさか、狙っていたのか!?」
イールが切り落とされた腕を庇うようにしながら、睨みつけてくる。
「お前が近づいてくるのを前提としてたがな……。 ま、上手くいったわけだ」
俺は手に納まった剣を、杖のようにして立ち上がる。
「さぁ、終わりだ」
「っ! させるか!!」
イールが、残った刃で斬り掛かる。
咄嗟、俺はその剣を肩に担ぐようにして構えた。その瞬間、階段から大声が響く。
「叫べ オオバ! その、“剣”の名を!」
紛れもなくアーサーの声だ。
俺は叫ぶ。残りの力全てをもって、全てを“崩壊”させる、最強の剣の名を―――!
「顕現せよ! “崩剣 インバリダス”!!」
その刹那、赤黒い大理石の刀身は鍍金のよつに剥がれ、真実の姿―――まるで溶岩で形成されたかのように、歪な刃が顕になる。
この世の万物も、秩序も、真理でさえ破壊出来てしまいそうな……、“崩壊”という概念をそのまま形にしたかのようだ。
残っていたあらゆる力を絞り出して、振り下ろす。
―――その一撃は、目の前のイールはもちろん。……城そのものも倒壊させる。
―――――――――――――――――――――
地震のように、グラグラと揺れる足場。
“崩剣”によって一刀された古城は今にも崩壊しそうだ。
床の一部が抜け落ちて行く中、俺は足を引きづりながら、絞りカス程の力でビオラへと歩み寄って行く。
視界の縁が黒く染まってきた。もう体力も限界を超えているらしい。
「くあぁ……くっ!」
妙な声を漏らしながら、倒れ伏すゼムストもイールにも目もくれず、ひたすらにビオラへと足を進める。
そして、やっとの思いで辿り着いた王座。もうビオラは目の前だ。
吊るされたビオラへ手を伸ばした瞬間、……そのタイミングを狙っていたかのように王座もろとも床が抜け落ちる。
しかし、唯一絶対の幸運とでも言おうか、落下する寸前俺の手はビオラの腕を握ったのだ。そのまま引き寄せ、離れぬよう抱きしめる。
彼女は生気が無く、身体も冷たかった。が、それ以上に言いようもない安心感があった。
落ちていく二人。俺は静かに目を閉じる。
下は暗闇で、何がどうなっているのかは分からない。しかし、このまま二人でいられるなら悪くはないと、そう思えた。
―――――――――――――――――――――
落下していくのは城の主であるゼムストも例外ではない。
イールに片腕を切られた彼は、動くことも出来ず、ただ重力に身を任すしかなかった。
何か助かる術は無いかと、必死に思考を回す中、目の前から少女の声がする。
「やっほ! 」
思考を中断せざるおえない陽気な声。
ゼムストが目を開けると、頬にガーゼを貼った少女がニコニコと不敵な笑みをつくって、落ちていく彼の胸の上に座っていた。
「覚えてる? 数時間前に会ったんだけど」
「学園の転生者か……!」
「お、よかったよかった。私とはいえ落ちてる中、悠長に話す時間は無いからね」
少女は笑みを崩さずに喋り続ける。
「今、最上階の皆を救出して回ってるわけなんだ。お城が結界もろとも崩れてるお陰で、私も干渉出来るようになったわけだよ」
「はやく要点を言え」
「もう言ったよ。見ての通り、助けにきてあげたんだ」
尚も笑みを浮かべる少女。しかし、「あっ……!」と呟き、わざとらしく舌を出しながら自身の頭を小突いた。
「イッケね。“ゼムっち”には私の魔術が効かないんだった。これは困ったなぁ。残念だけど見捨てるしかないなぁ〜」
「まさか……、わざわざこの為に来たのか?」
「―――ああ、そうだよ」
少女の緩んでいた目が、一瞬で冷酷なものになる。もちろんその顔に笑みなんて優しいものは張り付いてない。
少女は頬のガーゼを指した。
「やられた分はやり返す主義でね。魔術が効かない分、囁かな仕返しだよ。―――じゃあね、“最悪の転生者”さん。きっといい墓標になるよ」
少女はそう言い残すと軽く手を振り、その場から消えた。
残され、落ちていくだけのゼムスト。
まるで少女のものがうつったかのように、その口は笑っていた。が、その目は全てを呪うように充血し、見開かれている。
「クソ……! クソっ! クソっ! クソぉぉおお!! あの女郎がぁぁ!!?」
罵詈雑言を叫びながらゼムストは落ちていく。その声も、すぐに瓦礫の山に消されていった。
―――――――――――――――――――――
「ふぅ……」
ミヤビは倒壊したゼムストの城から、少し離れた崖の上に降り立ち、一仕事終えたように額を拭いた。
跡形もなく崩れ落ち、城の跡地に大きな灰色の煙が上がっている。
「感謝する……」
木の幹に背中を付け、ぐったりとしているアーサーが言う。
「まさか、お城ごと壊れるとは思わなかったよ。無事“全員”救えて良かった。――― 一人“オマケ”が付いてきたけど」
ミヤビが目を落とすと、そこには“元教会”の少女が意識を失って倒れていた。四肢に着いた義腕と義足は半壊もしくは、全壊している。
「驚いたよ。助けに行ったら、“アーサっち”が抱えてるんだもん。どういう考えで? お嫁さんとして嫁がせるの?」
「ぬかせ。……ただ、ここまでの剣士を失うのは惜しいと思っただけだ。コイツには負けたままだからな」
「それはそれは、非常に君らしいね」
ミヤビは皮肉るように言い、城跡地へと視線を戻す。
「ところで、オオバ達はどこへ行った?」
「野暮なこと聞かないでよ。二人の再開なんだ、邪魔なんてできないでしょ?」
ミヤビの視線の先にある、元々城だった、瓦礫の山。その上には、二人の影が寄り添うようにしてあった。
―――――――――――――――――――――
意識が戻ると、瓦礫の上に膝をついていた。
城の中にいたはずなのに、今は瓦礫の上。いったいどういう原理だというのだろう。
しかし、全身の痛みからして、まだ生きている事は分かった。
そして―――
俺の腕の中で眠るように目を閉じるビオラ。その寝顔を見ると、やはりこれは夢、もしくは死後の世界なんじゃないかと思う。しかし、彼女から漏れる熱量がそれを否定していた。
「うっ……」
唸り声を漏らすビオラ。
あえて声など出さず、俺はその様子を見守っていた。
しばらくして、彼女は目を覚ます。寝起きのように、確かめるように、何度もまばたきをする。まるで人間そのものだ。
見つめ合ったまま……沈黙。お互い何も言わなかった。
「よ、よう……」
耐えきれず、呟く。
「マスター……、ですか……?」
「そりゃあ……、見ての通りな」
確認するビオラに、俺はおどおどしながら返す。
すると、ビオラの瞳に溜まる、大粒の雫。
彼女の眼球のダムが決壊すると同時、ビオラは俺に飛びつき、ワンワンと泣き始めた。
「ご無事で、ご無事で良かったですぅ」
それはこっちの台詞だろう。
先に言えない辺り、俺が未熟ということか。
「わかった、わかったから、とりあえず離れろ……。なかなか痛い」
抱きついてくるビオラを強引に引き剥がす。……彼女の目にはまだ涙が残っていた。
「ま、まぁアレだ。今更って感じだが……。“助けに来たぜ、ビオラ”」
「本当に“今更”、ですね」
ビオラがクスリと笑う。
彼女は微笑んだまま、俺の頬に指を添える。顔に着いた血を拭おうとしたのだろうが、血は乾いていて、ポロポロと赤いカスが零れるだけだった。
「傷だらけですね……」
「お前のためなら、この位痛くもなんともねえよ」
「……きっと従者ならば、マスターの身を案じるべきなんでしょうね。私は従者失格です。……マスターが助けに来てくれた事、とても嬉しく思います」
笑いながら涙をこぼすビオラ。
俺は、“舞踏会”の続きをしようと思った。
あの時言えなかったことを、できなかったことを。今ここでしようと……。
「ビオラ……」
改めて、俺は彼女の名を呟いた。
―――――――――――――――――――――
とある森の、今回の一件とは全く無関係の洋館。
“転生者” ゼキノは、自身のラボで“娘”であるミライを再設計していた。
「ねえねえ、ママ、ママ。私の腕はまだなの?」
「私の敬愛する漫画のキャラも言ってたけど、頭から作るんじゃなかったわ……」
まだ頭部しかないミライが机で横になり、ゼキノは彼女の新しい右腕を設計していた。
これといった用途も決めず、適当に助手にでもしようかと思っていたが、未だ彼女は“最強の魔術師”への野望は諦めていないようだ。
少し休憩でもしようかと、席を立ち、手身近に用意していた洋菓子を手に取った。
「私も食べたいソレー」
「消化器どころか、喉すら無いのに食欲はあるの?」
「不思議だねー」
ゼキノはため息を着いて、彼女の口元にビスケットを放り投げる。
顔だけで転がりながら、ビスケットにがっつく娘を見ると、こういう商品も需要がありそうだな……、と思った。
―――突然、ゼキノは肩を震わせる。
そして顔に笑みを浮かべ、ついには声を出して笑いだした。
「……? どうしたの?」
「いえ……、面白い結末だと思っただけよ。……予想通りと言うべきなのかもしれないけど」
ミライはよく分からず首……は無いので傾げたつもりになる。
「まさか、今更魔力開拓が開拓されるなんてね……。あの子もやるじゃない」
ゼキノが手の平に目を向けると、仄かに“純黒”が漂っていた。
というわけで、これでヨツバの物語も終わりになります。次回エピローグを投稿して、完結とします。
思えば、崩剣に始まり、崩剣に終わりました。
登場当初は、適当なタイミングで崩剣を使わせよう程度に思っていましたが、まさかここまでアーサーが成長するとは思わず、結局ヨツバが使うオチです。
最後、ゼキノを登場させたいがために6章はあると言っても過言ではありません。よく分からねえよ! という方は読み返してみてください。
言いたいことは沢山あるんですが、まだ1話だけ残っているので、ここではまだやめておきます。
完全完結のエピローグは、水曜日投稿します。