感じたか?
霧の濃い森に建つ大きな古城。
その城の最上階、机と2つの椅子、そして棺桶だけがある空虚な部屋で、ゼムストは本を片手に椅子へ腰掛けていた。
「ゼムスト様、お茶をお持ちしました」
従者であるシルエラが持ってきたティーカップを受け取ると、彼は本に目を向けたまま、口元まで運んでいく。
「俺が寝ている間に、“転生者”も増えたようだな」
書物から得た情報を口に出すと、ゼムストは紅茶をすする。
「“教会”が把握してるだけで、568人。馬鹿みたいに多い。都市で石を投げたら、“転生者”に当たるんじゃないか?」
「ゼムスト様が封印されてからというもの、世界は激変しましたから……」
「そのようだな。“転生者”の代名詞が俺だった頃が懐かしいよ」
ゼムストは紅茶を一気に飲み干すと、カップをシルエラへ返し、本を閉じた。
「にしても妙な話じゃないか? それだけ“転生者”がいて、誰一人として俺と同じ野望の奴がいない。単純明快な野望、“世界征服”を達成できた野郎がいないわけだ」
「ゼムスト様のような力を持ち合わせていないのでしょう……。今は“教会”の管理が厳しいですから」
「“教会”ね……。あのオーゼの奴隷共がまだのさばってると思うと、虫酸がはしる。早く連中を発狂させたいもんだ」
ゼムストの身体から湧き上がる、“純黒”の魔力。
まるで、蝋燭の火のようにゆらゆらと揺れるそれを見て、シルエラは妙に悲しくなった。
封印前の彼ならば、蝋燭程度では無く、山火事かと見まごう程の魔力が“燃えていた”のだ。……それと比べると、やはり完全復活ではないのかと思えてしまう。
しかし―――
まるで、狙ったかのようなタイミングだった。シルエラの身体に電流のような衝撃が走る。
ゼムストも感じたらしく、シルエラに不敵な笑みを向けた。
「感じたか?……シルエラ」
シルエラは静かに頷く。彼女の顔にも隠しきれない笑みが漏れていた。
「―――“ゼキシア”が尻尾をだしたようだ」
―――――――――――――――――――――
悲惨。
その過程と、その光景を見て、ミヤビはそう思った。
血は一滴たりと流れていないにしても、これから起こるであろう“惨事”が容易に想像できてしまう。
主人を庇った魔導書と、怒り狂う主人。そして、愉悦に浸っている“教会”。―――その愉悦も一瞬で恐怖に変わってしまったが……。
次に、ミヤビの思考を埋めたのは驚愕だった。
「なんで……、ヨツバっちが……」
魔力をもっている……!?
―――いや、それよりも。
「なんで、“黒の魔力”を……!!?」
“黒の魔力”。またの通称を“純黒”。
その存在は唯一、“最悪の転生者”ゼムストが顕現させたとされるシロモノだ。そんなとんでもないモノをヨツバが持っているはずがない。
「奴の魔力は……“茶色”だったはずだ」
隣のハヤトが確言した。彼の額からは汗が垂れている。
「アイツと初めてあった日に“詠唱式魔力測定器”で確認した……。いや……ちょっと待て、そういう事かよ……!」
ハヤトの中で何かが繋がったのだろう、悔しそうに頭を抱える。
「やはり、“壊れてなかった”ってことか……。ちくしょう! あそこで気付けば……!」
「ちょっと、ちゃんと説明してよ」
「“純黒”はオオバのじゃない! 魔導書の物なんだよ! それを主人である奴に移し替えたんだ」
説明しているようで、全くなっていない。
人型とは言え魔導書の魔力は、“透明”と規定により決められている。
それはハヤトも分かりきっているはずだ。しかし、そのハヤトが……、魔道生命体であり、同じ“透明の魔力”の持主がある彼が言うからには、そうと考えるのが最も自然だろう。
それよりも……、そんな理屈よりも、今は―――
「ならヨツバっちは、何を詠唱してるの!」
しかし、ミヤビも言いながら気づいてしまった。
“黒の魔力”、“ゼムスト”。となれば1つしかない。……“純黒”の保有者であるゼムストのみが行使できる“禁忌の魔術”。“強化魔術”でありながら、人を殺める禁術―――“凶爛魔術”だ。
ミヤビは判断が出来ない。
教科書の中でしか見たことの無い“禁術”。
数多くの死線をくぐり抜けたミヤビでも、流石に足がすくんだ。怒り狂った様子で詠唱を叫ぶヨツバの姿は、友人とは言え、立派な恐怖の対象である。
「でも……、私しかいないよねぇ」
ミヤビはこの場で正確に状況を把握している数少ない一人。そして、ほぼ唯一、ヨツバに対抗出来る手段を持っている存在だ。―――彼女以外にヨツバを止められる人間はいないだろう。
震える脚を殴りつけ、決意を固める。
手段は単純。“瞬間移動”でヨツバを安全な場所に移動させる。復習の対象が消えれば多少は落ち着くだろうと考えたのだ。……彼女に八つ当たりする可能性はありえたが、そこは何とでもなる。
しかし、ミヤビは誤算……正確には失念していた。―――オオバ ヨツバの、早口故の詠唱の速さを。
ミヤビが決心するより一瞬早く、ヨツバは詠唱を完了していた。
―――――――――――――――――――――
理性などとうに突きぬけ、半狂乱の状態である一方、怒り狂った自分を頭上から見下ろしている、冷静な俺がいた。
獣のように息を荒くしながら詠唱する様は、我ながら気持ち悪い。
詠唱が完了した瞬間、全身から漏れ出ていた“黒の魔力”が左手に集結し、鬼火のような形を成す。殺意を練って固めたようなソレは、鈍く光ながら、鼓動のような振動を俺の手に伝えていた。
「ブリールッ!!」
走り、距離を詰める。
今まで驚愕と恐怖で動けなかった彼女も、やっと正気を取り戻したのか、“光線”を放つ。
が、“純黒”に触れた瞬間、まるで風船のように萎み、水につけた花火のように消える。
淡々と繰り広げられる遊戯じみた光景。
先程の苦戦が嘘のように、俺はブリールの顔面を“純黒”を纏った左手で掴んだ。
“黒の魔力”が彼女を包み込んでいく。
嗚咽とも喚声ともつかない声をブリールが漏らした。まるで楽器で遊んでいるみたいに感じたのだろう、俺の表情が悦楽に染まっていく。
彼女が手の中でどんな顔をしながら声を漏らしているのか、それを考えるだけで楽しくて堪らない。
更に力を込めると、ついには大声を上げてブリールが叫び始め、陸に上げられた魚のように体を大きく跳ねさせる。
杖を落とし、
頭を抱え、
何か言葉を叫んでいる。彼女の事だ、懇願ではなく神への祈りだろう。
俺の手の平に触れた液体も、きっと涙なんかじゃないはずだ。
もはや、目的と手段が入れ替わっているが、半狂乱の俺はその事にも気づけない。
仕上げるように、ブリールを頭部から床に叩きつける。ヒビが入ったのは、驚くことに床の方だった。
そして、彼女の顔から手を離すと握り拳を作り、“純黒”で満たしていく。
―――ビオラと同じ様にしてやろうと思ったのだろう。
拳を振り下ろした、その時だ。
「―――ミルカを迎えに来てみれば、騒がしいことだな」
拳と受け止めたのは、一本の傘。
顔を上げると、そこには髭を蓄えた男―――レイビアとミルカの叔父であるハロルドが傘を剣のように構えて、拳を受け止めていた。
「邪魔をするなァ!」
「何故お前が“純黒”を持っているのかはこの際置いておこう。オオバヨツバ、一旦落ち着け」
落ち着くなど、不可能だ。
邪魔をしてくるならば、たとえ恨みのない相手だろうと蹴散らす覚悟もある。
彼の武器である傘を粉砕しようと、俺は力いっぱいに傘の中棒を掴んだ。
「どけよ! 止めるならお前も殺す!」
「物騒な物言いはやめるんだな。今すぐ修理に取り掛かれば、魔導書も直るかもしれんぞ」
「知ったことかよ! コイツには報いを受けさせる!」
「聞く耳は持っていないようだな……」
次の瞬間、ハロルドは拮抗していた傘の力を抜いた。
勢い余って前に乗り出す俺の体。……頭に血が登った俺でも、隙だらけだと分かるだろう。
そして、撃ち込まれる一撃、二撃。
背中でモロに受けた俺は意識が途絶え、その場に倒れた。
―――――――――――――――――――――
「さて……」
ヨツバを気絶させたハロルドは、辺りを見回した。
皆、唖然として棒立ちになっているようだ。当然の反応だろう、“禁術”を目の当たりにして飄々としている方がイカれている。
「誰かこの少年を、安全な場所に運んでくれぬか!」
ハロルドが声を張り上げる。と言っても……誰かが立候補するとは思えなかった。
しかし、彼の隣に突然、一人の少女が現れた。……非常にバツの悪そうな顔をしながら、小さく手を上げている。
「……私がやるよ」
「なるほど……お主がレイビアの言っていた“瞬間移動者”か」
「イロツキ ミヤビ。詳しい自己紹介はまた後ってことで……」
ハロルドはヨツバを担ぐと、ミヤビの肩へ投げる。彼女は少しよろめいたが、なんとか彼を支えることができた。
「友情の重さだ。支えてやれ」
ミヤビは小さく頷くと、一瞬でその場から消えた。
「ふむ……」
ハロルドは振り返り、床に延びた“教会”の少女の喉元に手を当てる。……どうやら脈はあるようらしい。
“凶爛魔術”を受けて生きているとは、運がいいのか悪いのか……。意識が戻っても、マトモな精神状態に戻るか不明だ。
ふと、ハロルドが視線を下げれば、はだけた少女の胸元に極小の文字で詠唱文が刻まれている。幼少期から“信仰”とでも称して刻まれてきたのだろう、下手したら、内臓にまで及んでいる可能性がある。
……彼女も、悲惨な運命を辿ってきたらしい。
―――厚紙を割くような音を立て、会場の中央に突如扉が現れたのはその時だった。
黒い稲妻で形成され、城門のような厚い扉。軋むように開くその音は、まるで今から現れる者に対してファンファーレを奏でているようである。
そして、扉から現れたのは、威張るように闊歩しながら、何故か両耳に手を当てている青年。そして、その後ろについた一人の少女だった。
騒然としていた場が、彼の登場で静寂とかす。
「おいおいおい、おかしいな。一昔前なら、俺の登場で辺り一帯悲鳴で溢れかえってたんだけどな」
「あれー?」と呟きながら、青年は首を傾げて頭を搔く。
「ああ、そうか、君らは学生さんか。つまり、俺という存在を教科書の登場人物とでも思ってる世代なわけか。……時の流れってのは残酷なもんだなぁ」
「貴様……。ゼムストか……?」
ハロルドが睨みながら、傘を上段構える。
「おっ、やっと俺を知ってる野郎がいたわけだ。いいね、おじ様。お若い衆に俺の恐ろしさを教えてやってくれよ」
「黙れ……。ここの誰かに少しでも手を出してみろ。我が龍が貴様を八つ裂きにするぞ!」
「ははーん。その傘と構えでピンと来た。アンタ、ネウト族か。つまり、アシレイの息がかかった人間だな? かぁー! どいつもこいつも皆“神の奴隷”でいやがる!」
ゼムストは悪態をつきながら、唾を吐き捨てた。
「学生さんよ、お若い者共よ。おかしいと思わないか? きっと疑問にも思ってないだろうな。何故お前らは皆神を信仰する? 奴らは確かに偉大だろうよ。だが、奴ら俺達の信仰が無いと存在も出来ないんだぜ? それなのに奴ら、威張って、崇められて当然だと思っていやがる。ムカつかないか? 俺はムカつくね。今すぐ全員その地位から引きづり降ろしてやりたいね!」
熱弁を振るいながら、まるで生徒達を説得するようにゼムストは会場を歩き回る。しかし皆警戒し、彼が近づいてくる分だけ後ずさっていた。
「ゼムスト様、本来の目的を忘れてはいませんか?」
「おっと、そうだった……」
ゼムストは辺りを見回し、目的のモノを見つけると一直線に歩み寄った。
―――人型魔導書でありオオバ ヨツバの従者、ビオラである。
「久しぶりだね、ゼキシア……。変わってなくて安心したよ」
まるで子供にでも話しかけるように、ゼムストは優しく呟くと、大穴の空いたビオラを肩に担いだ。
「お騒がせしたな、学生諸君、神共の奴隷諸君。残り少ない余生を楽しく過ごすといい」
踵を返し、扉へと戻っていくゼムスト。
―――そんな彼の横にミヤビが現れたのはその時だった。
「―――悪いけど、ビオラっちは連れてかせないよ」
なんの前触れも無く突如現れたミヤビに、ゼムストは一瞬反応出来ない。その“一瞬”が命取りだ。
ミヤビはゼムストの肩を持ち魔術を行使する。―――が、いつまで経っても彼が“瞬間移動”することは無かった。
「ははーん、お嬢さん。アンタも転生者、言うならば俺の後輩ってわけか。なら、いい事教えてやるよ」
ゼムストは右拳をに“純黒”を集中させると、ミヤビの顔面を殴りつけた。
人の腕から放たれたとは思えない、強烈な一撃。ミヤビは吹き飛ばされ、背中から壁に打ち付けられる。
「―――俺はあらゆる魔術を無効化できる。君らがどれだけ素晴らしい魔術を持っていようと、俺には無力だ」
壁にもたれたまま、動かなくなったミヤビを見て、彼に挑もうとするとする生徒がいるはずもない。
「待て!」
ハロルドの声に、ゼムストは首だけで振り返った。
「今の見たろ? やめておけよ。勝ち目が無いことくらい、経験からしてわかるだろ?」
興味無さげにゼムストは、半眼でハロルドを見つめる。
ハロルドの頬から気づかないうちに一滴の汗が垂れ、呼吸が無意識下に荒くなっていった。
「完全復活前の俺に、一人で挑むか。完全復活した俺に、討伐隊でも組んで挑むか。二つに一つだぜ? 折角なら賢い選択をしろよ」
ハロルドの頬から汗が、また一滴、また一滴と垂れ、ついには小さな水溜まりを形成し始める。
どんな百戦錬磨の勇者であろうと、彼の前ではこうして怖気付いてしまうだろう。
……彼に戦う意思が無いと判断したのか、ゼムストは挨拶でもするように片腕を上げると、扉の中へ消えていく。……従者である少女もその後を追って行った。
―――“舞踏会”。
学園祭の幕引きとして催されたソレは、奇しくも新たな物語の火付け役となった。
それは、終焉の始まりか、希望の幕開けか。今は未だ誰も分からない。―――一人の少女を除いて。
投稿が遅れてしまい、申し訳ないです。
ついに、ゼムストも物語に直接関わってきました。しかし、最初に書いたのが数ヶ月前ですから口調も忘れますね。思い思いに書いてたら、思ったより饒舌になってました。
物語も終盤戦。次回は日曜日です。