“詠唱”の一つでもしてみろ!
「待て、オオバ……!」
レイビアから託された“瀧漸鱗”を手に、アーサーは立ち上がる。彼が柄を両手で握りると、剣を覆う“レイくん”元い“水”が、ウォータースライダーのように彼の周りを駆け巡った。
「俺はまだ、戦えるぞ!」
その声に、ヨツバがゆっくりと振り向いた。ニタァと開かれた口からは涎が垂れている。
レイビアは、アーサーの背後に身を潜めながら、ヨツバの変わり果てた姿に肩を震わせた。
「あれが……、本当にヨツバくんなの……?」
彼女が驚き、恐怖するのも無理ないだろう。アーサー自身気を抜けば、その覇気に身がすくみそうになるのだ。
―――しかし、とアーサーは刀先をヨツバに向ける。すると、“瀧漸鱗”も彼の意志を感じ取ったように、その刃を巨大化させた。
レイビアが解説するように話す。
「“瀧漸鱗”は、持ち主の意志に合わせて形を変える……。元の剣に、持ち主の体液が染み込んでいる程、その幅も広がるんだ」
「つまりは、俺の意思で自由に動かせるという事だな?」
アーサーはレイビアに目を向けずに問いかける。きっと、“彼女”は頷いていることだろう。
「血と汗なら、誰よりも流してきたさ!」
その声を開戦の合図に、アーサーはヨツバに迫った。
その黒く染った体躯に、上から一閃するため、アーサーが飛び上がる。ヨツバは防ぐべく、“蛇”でその刃を受け止めた。
「だァァぁ!」
拮抗する力と、共鳴する雄叫び。
しかし、アーサーが力を篭めるにつれ、“瀧漸鱗”の水がブクブクと沸騰し、遂には“蛇”の頭部を切り落とした。
身体と切り離された“蛇”は、一瞬だけ目を見開くと、黒い煙を上げながら消えていく。
―――しめた!
これを勝機と見たアーサー。
振り下ろした剣を切り上げ、“蛇”の胴体も真っ二つにすると、間髪入れずに連撃に入る。
しかし、ヨツバ本体は全く怯まなかった。アーサーの連撃に全て反応し、太い“獅子”の拳で攻撃を受け止める。
弾け合い、辺りに飛び散る、“黒文字”と“水”。
アーサーの意思により、巨大化した“瀧漸鱗”の刃と、ヨツバの真っ黒な拳が幾度と無く打ち合わされた。
ヨツバは自分から攻撃せず、防御に徹しているが、その拳は硬く、“蛇”のように簡単に割くことは出来ない。
飛び散るモノが“赤み”を帯び始めると、打ち合いに終止符を打つように、ヨツバが“獅子”の砲撃を撃ち放った。
「く……っ!」
咄嗟に剣を盾にするが、その威力は殺しきれず、アーサーは吹き飛ばされる。
しかし、アーサーの身体は砲撃のダメージをほぼ受けていなかった。拳の触れる瞬間、“瀧漸鱗”の水が盾のように広がり、アーサーを守っていたのだ。
アーサーは立ち上がり、剣を振ることで、“瀧漸鱗”に混じった“黒文字”を落とす。
「なかなか、使い勝手の良い……」
アーサーが“瀧漸鱗”の目を落とすと、刃から“レイくん”が小さな突起を出し、グーサインをしている。
息を吐き、呼吸を整えたアーサーは剣を目の高さに構えた。
「なるほど……、どうりで追撃が来ないわけだな」
アーサーは鼻で笑う。
見れば、ヨツバを覆っていた“黒文字”が所々に禿げ始め、彼自身の生身が見え始めていたのだ。
砲撃を放った右腕に関しては、完全に“黒文字”が無くなり、肌色の腕がだらんと垂れているだけである。
ヨツバの、“狼”のようになった顔が、苦しそうに歪んでいる。
「回復が、間に合っていないようだな」
ヨツバが否定するように唸る。
まだ黒い左手を地面に着け、叫ぶと、“黒文字”が彼の右腕を再び侵食し、形成されたのは大きな刃。―――まるで、アーサーの“瀧漸鱗”を模倣したようである。
そして、一言も発さずヨツバは、ドタバタと足音を立てて接近してくる。
「ほう……、剣同士で“語ろう”というのか?」
アーサーは静かに言うと、ヨツバの“刃”をいとも容易く一刀両断した。
堪らず叫ぶヨツバ。
アーサーが柄を強く握り、赤い液体が“瀧漸鱗”に混じる。
「ならば選択を誤ったな!貴様如きが! 俺に剣術で勝てると思うな!」
再生が間に合わず、怯んで動きの止まったヨツバに、アーサーは容赦なく切りかかる。
「思い出せ! オオバ ヨツバ。お前はそれ程までに弱い男だったか!?」
「昔のお前は何処へ行ったのだ!」
「俺を負かした、弱く、脆く、怠慢なお前は何故消えた!」
アーサーから吐き出る、不満にも似た魂の叫び。
ヨツバの身体から、徐々に“黒文字”が剥がれて落ちて行く。
「分かったなら―――」
アーサーは“瀧漸鱗”を大きく振り上げる。
「唸ってないで、“詠唱”の一つでもしてみろ!!」
真頭上に直撃した、剣。
ヨツバはよろめき、千鳥足で後退する。
アーサーは息を荒らげ、限界が来たのか、膝を着いた。
「アーサーくん!」
「寄るなレイビア! ……まだ終わっていない」
よろめきながら、頭を抑えるヨツバ。
ダメージジーンズを履いているように、所々の“黒文字”は禿げており、まだ完全に残っているのは、左腕と頭部くらいである。
押し潰しそうな程の力で頭を抑え、ヨツバは狂乱したようにグルグルと回り始めた。
そして―――
「ガァァ!!」
最後の力を振り絞るように、唯一残った“獅子”の腕でアーサーに殴り掛かる。
「まだ目が覚めんのか?!」
アーサーはすぐさま剣を構え、横に振り抜こうとする。
が、拳と剣が結ばれるその直前、静止したヨツバの拳。
見れば、“獅子”の拳を、右腕―――人間の手が鷲掴みにしていたのだ。
「俺ノ……身体ヲ……好キ勝手使ウナ!」
濁った声でヨツバが呟き、“獅子”の拳を裏拳のように横へ振る。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
その叫びが、ヨツバのものなのか、“獣”のものなのかは誰にも分からない。
聴覚化された葛藤の末、―――自身の頭に振り抜かれる人間の拳。
倒れるヨツバ。
駆け寄るアーサーとレイビア。
ヨツバを覆っていた“黒文字”は煙のように溶けていき、元に戻ったヨツバの顔は、何故か笑っていた。
―――――――――――――――――――――
「はぁ……はぁ……」
タガーを両手に構え、肩で息をするスカリィ。その反面、対峙しているエルは呼吸はもちろん、髪型さえ乱れていなかった。
「なんで……当たらない?」
先程からスカリィが、どれだけ刃物を振り回そうと、エルにはかすり傷一つさえ付けることができないのだ。
「ごめんなさい……。“貴方の行動”は全て見えてしまうのです……」
エルは避けるばかりで、一切攻撃をしてこない。むしろ、披露しているスカリィを心配する位である。
「ところで、額から“汗”が垂れそうですが……大丈夫ですか?」
スカリィはハッとして、おでこを何度も擦る。
「―――顔色も悪いですよ? 休憩した方が良いのではありませんか?」
次の瞬間、スカリィの頬に触れる、エルの手。スカリィが気づいた時には、彼女の顔が、間近にまで迫っていたのだ。
目を見開いて、タガーを振り回し、スカリィは後退する。エルも最小限の動きでそれを避けた。
「いつの間に……近づかれた……?」
スカリィは小声で自問する。
高速で動かれた訳では無い。……エルはなんの魔術も行使せず、ただ歩み寄っただけだ。―――それにすら、気づけない程スカリィ自身が取り乱しているのだ。
「ところで……」
手を後ろに回し、スカリィの顔を下から覗き込んだ。その表情は、我が子を心配する母親のようである。
「その“首輪の跡”は、いつ頃のものなんですか……?」
スカリィは心臓を鷲掴みにされるような衝撃を受け、慌ててフードで首元を隠す。
彼女の息も荒くなる。
「……やめろ」
「私は“未来”しか見ることが出来ませんから……、貴方の過去に何があったかは分かりません」
「やめろ!」
「しかし、その“傷”を克服しなければ、“理想の未来”へと到達出来ないのは分かります」
「やめろって―――」
スカリィは全身に纏ったあらゆる武器を、四方八方の壁に投げつける。―――もちろん、エルには一本も当たっていない。
「言ってるだろ!!」
スカリィが叫んだ瞬間、壁にめり込んだ大中小、形も様々な刃物が同時に青白く光った。
「どんな攻撃でも避けるなら……、“避けられない攻撃”をすればいい……!!」
スカリィが不敵に笑うと、光る刃物達一本一本が、それぞれ光の線で繋がり、二人を囲うドームを形成する。
「わぁ……」
エルは自分達を囲うドームに目を向ける。
「氷結系最強魔術―――“ドレスデの氷厳魔術”ですね。しかも、刃物に詠唱文を刻むことで、詠唱の負担を大幅に減らしているわけですか……」
「今更気づいても遅いよ…… 」
スカリィは口で息をしながら、辛そうに答える。
「この結界に入った以上、もう逃げられない」
「しかし、問題があります。その結界に、貴方も入っています」
「単純な話。アンタよりも、一瞬だけ長く立ってればいい」
「なるほど。しかし、もう1つ重大な問題があります」
エルは、皮肉の一切こもってない、不安そうな声で呟く。
「―――私に逃げ場がありません」
そんな事か、とスカリィは鼻で笑う。
逃げられないように、わざわざこの魔術を選んだのだ。当然のことである。
しかし、エルは自分の身を案じているというより、スカリィの心配をしているようだった。
「私の眼でも、これから何が起きるか見る事は出来ません……。今からでも遅くありませんから、穏便にすませませんか?」
「うるさいんだよ!」
スカリィは止まらない。
“ドレスデの氷厳魔術”のあと僅かで完了しようとしていたのだ。
「そうですか、とても残念です。―――貴方にも、“理想の未来”が来る事を願います」
そう言って、エルはまるで眠るように目を閉じた。
そして、スカリィが勝利を確信した次の瞬間である。彼女の頭上に、大穴が空いたのは。
「へ……?」
理解出来ず、スカリィはキョトンとした声を出す。
大穴から覗き見るように出てきた、無数の刃。何が起きてるのか分からず、スカリィは呆然とその光景を眺めていた。
一本の刃が抜き出て、スカリィの腕に突き刺さった瞬間、彼女はやっと、自分がどれだけ危険な状態にいるのかを理解した。
その一本を皮切りに、空中の大穴から、まるで雨のように降りそそぐ無数の刃。スカリィは声を上げる暇すら無い。
「なに……これ……?」
掠れた声でスカリィは呟く。
淡々と繰り広げられる、因果不明の行為―――強いて言うならば、“天罰”だろうか。
スカリィは霞んでいく視界で、エルを見る。何もせず、目を瞑るだけの少女。ただ、それだけの光景だというのに、他に無いほど、神々しさと絶望を纏っていた。
―――彼女と戦おうとした瞬間から、これが、決していた“未来”なのかもしれない。
“天罰”は、スカリィの意識が途絶えるまで、終わる事は無かった。
―――――――――――――――――――――
エルが恐る恐る目を開けると、スカリィが倒れていた。
エルは慌てて少女に駆け寄り、微かだが呼吸を確認して、ホッと息を吐く。
「良かったです。神は貴方を生かそうとしてくれました……」
今のような“出来事”は、彼女が完全に追い詰められた時に必ず起きるのだが、その犠牲者の大半は命も落としてしまうため、彼女は運が良いと言える。
何故こんな事が起きるのか、誰によって起きているのか、エル自身正確には分かっていない。―――大方予想はついているが、口に出さない方がいいような気がするのだ。
「さて……」
階段の踊り場で倒れている、人型魔導書にエルは駆け寄り、少女を再起動させる。
しばらくすれば、魔導書の少女も目を覚ますだろう。
「これで“理想の未来”に、また一歩近づきました!」
旧校舎の方へと目を向けたエルは微笑む。
「あちらも、順調に進んでいるようですね。後の問題は―――」
少女はため息を着き、寂しそうな目で自分の真上―――本校舎の屋上を見上げる。
「―――ブリールさんをなんとかするだけですか」
ヨツバVSアーサーも終わり、いよいよ物語は最終局面になります。
“模倣魔術”から解放されたヨツバは、これからどうするのか。そして、乱闘の勝者は…。てな感じで、やっていきたいと思います。
次回は水曜日です。