残刀
路地裏で繰り広げられている、アーサーとディテールの白兵戦は、常人の目では測りきれない領域にまで達していた。
ぶつかり合う剱と、紅いランスのような獣の腕。
まるで金属同士を殴り合わせているような音が、間髪入れずに空間を響かせた。
呼吸に使う“無意識”さえも剣に向けられ、瞬きも惜しんで、“必殺”にすらなりうる一撃を互いに打ち合う。
「っク……!」
息継ぎをするようにアーサーがディテールを弾き、そのまま後ろへ距離をとる。
剣先だけは敵に向けているものの、体力の消耗は激しいらしく、顔中から汗を吹き出し、肩を呼吸をしているせいか、背中は丸くなっていた。
「予想以上……! 素晴らしいと言えます」
左半身を“蜘蛛”の姿で、右半身に少女の皮を被ったディテールが、左右非対称の手で歪な拍手をする。
アーサーとは違い、彼女が体力を消費している様子は無い。
「私と互角に打ち合える剣士は久しぶりです。……しかも、魔術による身体強化が一切されてないとなれば……、ここまでの才能は過去にも類を見ないでしょう」
アーサーは気の利いた返事も、頷くことすら出来ずに、ただ剣を構え続ける。
「しかし、才能だけという訳ではない。その剣さばきと判断力、並大抵の鍛錬では身につかないでしょう?」
口内に溜まったタンを飲み込み、アーサーは不敵に笑ってみせる。
「しかし―――、なぜその剣を振るわないのです?」
ディテールは先が負傷した、ランスのような腕で、アーサーの腰に備えられた“術具”を指した。神々しいオーラを放つ赤黒い大理石。言うまでもなく、“崩剣”の術具である。
「そういうお前こそ“蜘蛛”なのだろう? 何故“糸”を吐かない?」
「剣士同士の決闘では使わないのです。お互いの身体能力のみで勝負する。……貴方もそれが望みでしょう?」
ディテールは人間の手で、自身の顎を撫でる。
「それとも……、“糸”を使わざるおえない程、私を追い詰めることができますか?」
左右に生えた顎をカチカチと鳴らすディテール。きっと笑っているのだろう。彼女もアーサーと同じく、“奥の手”は使わないらしい。
呼吸を整え終え、アーサーは額の汗を拭う。
ディテールは、アーサーの準備が出来たと理解したのだろう。十字を切るように獣の腕を振り、上段に構える。
アーサーも剣を構え、柄を握る手に力を込めた。が、その時、刺すような痛みが彼の手を襲った。
「くっ……」
予期せぬ刺激に、殺しきれなかった嗚咽と、苦痛の表情が漏れる。
手に目を向けると、赤い雫が数滴腕を這っていた。
休憩も無しに何時間も剣を振り続けた代償が今になって襲ってきたのだろう。
ここは、一度身を引くのが最善手と言えるが、そんな愚行をアーサー自信が許せるはずも無い。しかし、このまま戦い続けても埒が明かない、むしろどんどん不利になることはアーサーも分かっていた。
「―――次の一撃で決める必要があるのか……」
アーサーは惜しむよう呟くと、目を閉じてまるで居合斬りでもするかのように、剣を構えた。
「……どういうつもりで?」
隙しかないようなアーサーの状態に、ディテールは重々しく問いかける。
しかし、彼を中心に集まる、魔力とは違う異様な空気。言うならば“オーラ”に、ディテールは口を閉じた。
彼が次の一撃で決めようとしていると、ディテールも容易に想像出来る。
今この瞬間、彼が集中している隙に打てばそれで勝負は決するだろう。しかし、そんな“詰まらない事”はディテールの脳裏に一瞬も過ぎらなかった。
まだ人の皮を被った半身を庇うようにして、獣の腕を縦に構える。
「ならば……私はその一撃に耐えてみせましょう!」
倒せばアーサー。耐えればディテール。
至極単純な戦い。無言の時間が流れる。
アーサーはいつしか、呼吸も消え、心臓の鼓動すら感じなくなっていた。
祖父の言葉だけが脳裏に流れる。
『自信を持て若造。お前には私の血が流れている』
その血が、指の最先端。流れてるはずがない毛の先にまで行き渡っているのを感じる。
『今のお前なら可能だ。心を無にして振り切れ』
アーサーは剣を握っていることすら忘れていた。
『音すら超越する、最強の剣。―――』
「―――残刀」
呟くアーサー。
恐ろしく脱力した全身で振られた、高速の一閃は、空気を裂く音さえさせなかった。
―――無音の一刀。
しかし、いつまで待ってもそれらしい衝撃は来ず、ディテールは拍子抜けしたように、腕を下ろした。
「どういうつもりですか? まさかこれで終わりなはずありませんよね?」
訝しげにディテールは問いかけるも、アーサーは返事をせず、血の垂れた手から剣を滑り落とすと、肩で息をし始めた。
「何もそんな―――」
彼女の声をかき消したのは、背後で響く“何か”が崩壊する音。
ディテールは一瞬呆気に取られてから振り返ると、背後の壁が崩れ、築き上げられていた瓦礫の山。
「―――まさかっ!」
ディテールが視線を落とすと、自分の胴体にも大きく斜めに引かれた剣の“軌跡”が目に入った。
そして、正しくそれを自覚した瞬間、傷口から紫色のカーテンが溢れ出た。
「音すら……超越していたというの……ですか?」
体勢を崩し、ディテールは背中から倒れる。傷口は致命傷では無いものの、彼女を動けなくするには充分だった。
アーサーは剣を拾い上げる。息を整えながらディテールへと歩み寄っていくが、剣を杖として扱うことは無い。
「トドメを刺すのですか?」
「手負いの敵になど興味は無い。―――ただ、礼が言いたかったのだ。お前のお陰でまた一歩“相応しい人間”に近づけた」
「相応しい人間ですか……」とディテールは澄ましたように呟き、その口から紫色の液体を零す。
―――その時、空間を震わせるように響く、禍々しい雄叫び。
アーサーは音の方へ咄嗟に首を回す。……学園の方からである。そして、その声には何処か聞き覚えがあった。
「まさか……ヨツバ……、か?」
「……お友達ですか?」
「……難しいが、“│好敵手”という意味ではそうなるな」
唯一無二の親友では無いし、かと言って嫌悪感は抱いていない。しかし、全て気に入っているかと言われればそうでは無い。アーサー自身も思っていたが、難しい間柄である。
しかし、今の叫びにも似た声を聞いて、放っておけるわけでは無かった。
アーサーは血まみれの手で柄を握りしめ、学園へと足を向ける。
「待ってください……!」
ディテールに呼び止められ、アーサーは踵を返す。致命傷では無いはずだ。このまま放置しても彼女では対処できるはずである。
すると、彼女は左右の顎をカチカチと鳴らし、口から“糸”を吹き出した。その“糸”はアーサーの両手を覆うようにして巻き付く。
「軽い止血程度の役目は果たすはずです。……あの手では剣も触れないでしょう」
まるで包帯のように巻きついた“糸”。粘着力のお陰か、消えかけていた握力も幾分かマシになった気がした。
「私に、“糸”を使わせた剣士は貴方が初めてです。―――その友人の為に使ってあげてください」
「……感謝する」
アーサーは一言そう返すと、学園に向けて走り出した。
ヨツバの身に何が起きて、これからどうなるのか、アーサーには見当もつかなかった。
しかし、彼は走る。
頭によぎるのは、ヨツバと初めて会い、不意打ちをされたあの時だ。あの日以来待ち焦がれてきた再戦の時は、間近に迫っていた。
というわけで、間が空いてしまいましたが、アーサーVSディテールでした。残刀を習得したアーサー。次の敵は、ついにヨツバです。
私はもうウキウキしてしょうがないです。
【追記 1/29】次の投稿日について
申し訳ないですが、1/30(水)の投稿は私的な用事により休ませていただきます。次回の投稿は日曜日です。よろしくお願いします。