始まるぜ、
ブリールの周りに浮遊する光源。
敵意の塊とも言えるそれを、リッティは固唾を飲んで睨んでいた。
いつ攻撃が飛んでくるか分からない上、この狭い廊下である、逃げるのにも限界がある。なにより、“瞬間移動”の出来るミヤビが、不意打ちとは言え攻撃を食らったのだ。躱そうとするだけ無駄だろう。……考えれば考える程、自分達が窮地に置かれている事を自覚させられた。
震える身体を抑え、視線を横にいるアンピへ向けた。すると、ちょうど彼女と目が合う。
アンピは大きくため息を着き、ゆっくりと両手を手を挙げた。
「―――降参するわ」
「へは……?」
ブリールは眉を顰める。それ以上にリッティの顔が驚愕で歪んだ。
「どういうつもりですか?」
低い声で問いかけるブリール。
アンピは目を伏せ、再びため息を着いた。
「そのままよ。どうやったって勝てっこないもの。諦めるわ」
「ちょっと!アンピ?!」
「こうしない? タチバナの居場所は教えるし、私達の目的も教える。だから“私達”……、最悪私だけでもいいから助けて欲しいの」
「アンピ!」
どれだけ叫ぼうと、アンピはリッティに一切目を向けない。まるで彼女の事が見えていないようである。
「なるほど……」
ブリールは顎に手を当て、鼻を鳴らした。
「悪い案ではありませんね。私も“教会”の一員です。“転生者”以外の殺生は好みません」
「そうでしょ? 私達は“転生者”じゃないもの」
「ねぇ……ふざけてるなら止めてよ!」
懇願するようなリッティの叫びに、アンピはようやく彼女へと視線を向けた。
「良かったじゃない。貴方も助けてもらえそうよ」
「そういう問題じゃないの!」
「ヒステリックに叫ばないでよ……。ところで、―――私の手が“狐”になってる事にはいつ頃気づいた?」
「へ?」
リッティが彼女の手に視線を上げると、確かに左手が、影絵の“狐”の形をしていた。
―――まさか。
「「化かされたね」」
その瞬間、ブリールの首元に突き刺さるシャープペンシル。
リッティは咄嗟に振り返る。
見れば、壁に叩きつけられたはずのミヤビが、息を切らしながらこちらに手を向けていた。
次の瞬間には、そのミヤビがリッティの横に現れる。
「……時間稼ぎありがと」
「どうせあの位じゃ死なないって分かってたから」
腹部を抑え、肩で息をするミヤビに、アンピは微笑みかける。
リッティは一人、ポカンと棒立ちになっていた。
「何? じゃあブラフだったの??」
「時間稼ぎね。“タクシーちゃん”が起きるまで小芝居を」
「起きなかったらどうしたのよ!」
「ホントに裏切ってたんじゃない?」
当然とでも言いたけどに、アンピは首を傾げる。そして、すぐさまブリールの方へ向き直った。
「でも―――、何で“教会”さんは死んでないのかな?」
ミヤビが“瞬間移動”させたペンは、確かにブリールの首元へ刺さったはずである。
しかしペンは地面に落ちており、ブリールは何事も無かったように佇んでいた。
「おかしいね。ちゃんと刺さったはずなんだけど……」
「ええ、刺さっていましたよ。……本物の私には届きませんでしたが」
「どういう……!?」
「私に聞くより、横にいる方のほうが詳しいかと思います」
ブリールの杖が指したのは“幻覚魔術”の使い手……。
アンピは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
「―――貴方も、“幻覚”が使えるってわけね……」
「正確に言うと、“光の屈折”を応用してるだけですけどね。しかし、大した差は無いでしょう」
煽る訳でもなく、純粋に微笑みかけるブリール。
その表情は悪意の欠片も無く、教会に来た人間を優しく諭すようで、三人の恐怖心をより一層のものにした。
「そんなの攻撃しようがないじゃない!」
「そんな事はありませんよ。今この瞬間も何処かでこうしている、私の本体を狙えばいいのです。まぁ、何処にいるかまでは教えませんけど……」
ブリールは不味いことでも言ったように、「おっと……」と口を噤むと、杖の先で床を三回叩いた。すると、再び“光源”が空間に展開される。
「私としたことが……お喋りが過ぎましたね。―――もうお終いにしましょう」
次こそ攻撃される! とリッティは反射的に強く目を閉じた。が、数秒経っても一切衝撃は無く、何故か急に周りが騒がしくなった。
リッティが恐る恐る目を開けると、そこは学園の校庭。……ミヤビの“瞬間移動”でなんとか逃げてきたのだろう。
「リッティ、貴方はタチバナを呼んできて」
横に立つアンピが、本校舎の3階に目を向けたまま言った。
「何で……? 逃げ切れたんだしいいじゃない」
「“電光魔術”で幻影を創れる程の魔術師よ……? 1度見つかった以上簡単には逃げきれない」
「でも、それならイロツキの方が適任じゃ……」
「悪いけど、私はこっちに残るよ」
リッティの声を遮って、同じく3階を見上げるミヤビが呟く。
「一撃食らったままじゃ、引き下がれないしね……」
「でも……」
「大丈夫。むしろ、貴方がいない方が動きやすい」
「多分今なら旧校舎の屋上にいると思うよ」
たしかに、魔術の使えないリッティがいても足でまといになるだけだろう。その事はリッティ自身もよく分かっていた。
「……無事で……いてよね」
そう言い残すと、リッティは走り出した。
振り返れば見える二人の背中。立ち尽くすその様に、彼女は立ち止まりそうになる。……これが最後かもしれないと頭の隅で掠めてしまったのだ。
それでも彼女は止まらない。それが彼女のできる唯一のことだったから。
「アンピと一緒に仕事するなんていつぶりだっけ?」
「さぁ? でも、基本的に貴方一人で片付けてたから」
「そうだったっけ?……じゃあ“共闘”は初めてかもね」
ミヤビは苦笑しながら、ストレッチでもするよあに片足ずつぴょんぴょん飛び跳ねる。
しかし、その瞳はいつになく冷静で、今までに無いほど冷酷だった。
「逃げるのは私に任せて」
「私は“目”で、奴の本体を探す……そうでしょ?」
「流石分かってる」
ミヤビがメガネを掛け直すような動作をした瞬間、三階の窓ガラスが割れ、1つの“光源”がまるで生物のように飛び出した。
蜂が威嚇するように挙動しながら、ミヤビ達を捜索しているようである。
「“追尾式”ね……。逃げ切れる?」
「朝飯前って感じ」
ミヤビはアンピの肩を掴むと、“瞬間移動”。
―――――――――――――――――――――
15時の鐘が鳴った瞬間、オオバヨツバが一気に攻め込んできた。
濁点の付いた騒々しい雄叫びを上げ、拳を振り上げている。
「―――一時停止」
しかし、どれだけ威勢をよくしようと、タチバナの前では無意味だ。
彼が一言唱えた瞬間、ヨツバの身体に“黒文字”が刻まれ、空間に静止し、張り上げていた大声も嘘のように消えてしまった。
石像のように動かなくなったヨツバに、タチバナはため息をついた。
「結局、君も他と変わらないわけか」
“一時停止”。その一言さえ言ってしまえば、大抵決着は着いてしまう。今まで何百と見た光景に飽き飽きしながら、ヨツバへと歩み寄っていく。
後は、“一時停止”を解除すると同時に渾身の力で殴るだけだ。
プラプラと手首を動かしながら寄っていき、次は肩を回そうとした瞬間のことだ。
―――身をしならせ、タチバナの右腕へ飛びつく“蛇”。
「なっ?!」
タチバナの顔に驚愕が張り付く。
今の今まで疑う余地なく完全に停止していたはずだ。しかし、タチバナが射程圏内に入った瞬間、それを待っていたかのように動き始めた。
徐々に腕を侵食していく“黒文字”。
タチバナは慌てて“蛇”を振りほどき、バックステップで距離を取った。
“蛇”はせせら笑うように長い舌の先を動かし、主人を守るように、ヨツバを中心にとぐろを巻いている。
「……なぜ動けるんだよ」
タチバナは蛇を睨み付ける。
しかし、考えてみれば当然のことである。タチバナの魔術は“黒文字”を刻んだ“対象”の時間を止める。全身を“黒文字”で形成された“蛇”には関係の無いことだ。
「なるほど、蛇が自分の毒で死なないのと同じことか……」
アザのようになった手の“黒文字”を一瞥し、手首をぷらぷらと回す。
「なら、俺も攻め方を変えなきゃならないな。―――“早送り”」
タチバナの左腕に“黒文字”が刻まれる。
そこからの出来事は、一瞬だった。
瞬きの間に距離をつめ、ヨツバの懐に潜り込むタチバナ。“蛇”すら反応できない、その驚異的なスピードは言葉通り、まるで“早送り”をされているようである。
その敏速な拳が、ヨツバの腹部にめり込もうという瞬間、“一時停止”が解除され、ヨツバが後方に大きく吹き飛ぶ。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛―――あ?!」
当然襲ってきた腹部の衝撃と、意に反して後方へ飛んでいく自身の身体。その事を疑問に思う前に、ヨツバは給水タンクに衝突した。
「なっ?! どういう―――」
訳が分からないままヨツバは給水タンクから体を剥がし、立ち上がろうとする。
「お前、何しやがった!」
「さぁ……? 俺の魔術が模倣されてるんだろ? 想像してみなよ」
ヨツバは身体を起こし、息を荒らげながら再び構える。
「訳は分からないままだが……。俺が取れる行動も多くないんでね……」
そう言って歯を見せ、ヨツバは学習も無しにタチバナへと突っ込んでいく。
タチバナはため息を着き、先程と同じ手順で彼の懐へ潜り込むと、今度は地面に殴りつけた。
「がぁっ!?」
ヨツバの口から赤黒い液体が溢れる。致命傷には程遠いが、少年に挫折を受け付けるには十分のはずだ。
しかし、ヨツバは震える膝を叩き、再び立ち上がろうとする。
「やっぱり君は馬鹿だな。2回もやれば、攻撃が通らない事くらいわかるだろ」
「わかってるよ!―――でも、俺にはもう“これ”しかねえんだ!」
成長の過程で、あらゆる要素を排除し、“模倣魔術”だけを使ってきた末路だ。
消えかけていた“蛇”と“獅子”を再び顕現させ、よろよろになりながらなんとか立ち上がる。
が、突然ヨツバは口を抑え膝を着く。
指の間から垂れる“黒い液体”。すぐに手では抑えきれず、ダムが崩壊するように、ヨツバの口から夥しい量の“黒い吐瀉物”が溢れ出した。
「もう限界なんだろ?」
「まだだ……!」
苦し紛れにそう返すも、まるでマーライオンのように“黒い液体”がとめどなく溢れ続ける。
「たかが“魔力切れ”程度……。死ぬわけじゃ……ない!」
「死ぬぜ、それ以上使うと」
「お前に何が……! わかる?!」
「聞かされてないだろ? その魔術には重大な欠陥があるんだよ」
欠陥……。
何時ぞやヨツバが、アンピから聞かされそうになった事である。……イールの妨害で聞けず仕舞いになっていたのを彼は思い出した。
「普通の魔術は、魔力を“消費”して行使される。でも、その魔術は違う。“貪る”んだよ」
口から液体を垂らしながら、ヨツバは耳を傾けた。
タチバナは話を続ける。
「例えるなら、水の入った容器さ。普通なら中の水を消費する。だが、お前の使ってる魔術はその“容器”を食らってるんだよ。容器が壊れれば水も溜まりようが無い。今のお前はその容器が完全に崩壊した状態。魔力も絞りカスみたいなもんだ」
「……だったら。なんだよ……?」
「分からないのか? お前の魔力は全部その“蛇”達に食い尽くされたんだよ! その“黒い液体”が何よりも証拠だろ」
「だからそれがどうしたんだよ!!」
ヨツバが叫ぶ。
その大きさと、深く濁ったその声色にタチバナも言葉が止まった。
ヨツバは口を拭い、荒くなった呼吸でそのまま続ける。
「どうせ最初から無いに等しい魔力だ。誰にだってくれてやるさ! それでも俺はお前に勝ちたい……。結果として死のうとも、俺はもう負けたくないんだよ!」
“蛇”と“獅子”が鈍く光を放ち、彼の身体を“黒文字”がドミノ倒しのように侵食していく。
「戻れなくなるぞ!」
「知ったことかよォおぉォぉぉオぉぉお!」
悲鳴にも似たヨツバの声。
全身から黒い湯気が立ち、吐き出した“黒い液体”が彼の身体を纏わり着いていく。
全身が“黒”に覆われ、既に身体は人間の形を留めていないにも関わらず、ヨツバの顔は勝ち誇ったように笑っていた。
「始まるぜ、第二ラウン―――」
遂には口まで覆われ、形成されたその顔はまるで狼のようだ。
両腕に“獅子”。尻尾では“蛇”が三本にまで増え、顔は“狼”のように長くなり、長い牙が生え揃っている。
人間では無い。魔術に身体を乗っ取られている。
叫ぶ“獣”。
その声は空気を震撼させ、街全体にまで響き渡った。
ミヤビとアンピの共闘
そして、ヨツバが遂に暴走状態になりました。ずっと周りから止められてきたのに、無視してきた結果ですね。
次回は日曜日です。