サヨナラのその日まで
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「ナイスピッチング!」
乾いた音とともにボールはミットに収まっていた。
キャッチャーの立川悠の声を合図に、黄色い声が雨となって突き刺さる。
…何やってんだよ、俺。
痛いくらいの空振り三振に、俺は目を瞑った。
この試合はただの紅白戦。だけど俺にとっては本番と同じだ。負ける訳にはいかない。それなのに…。
「こらぁ、中西!スイングが遅れとるぞ!」
監督に怒鳴られながらボックスを去る。悠が、どんまいと声をかけた。でも、今の俺は落ち込んでいる所を見せてはいけない。
「あ、ヒロ!」
黄色い声の中から一際高い声が俺を呼ぶ。秋穂だ。そこに目を向けると、キラキラ笑いながら手招きしている。
「へへっ。三振しちまった。まぁ今のは春樹に…」
「春樹、すごかったね。」
「へ?…あ、うん。あいつの速いよ。」
今の三振は、春樹に花を持たせてやっただけ。『次は打つから』そう言えたらどんなにカッコいいだろう。
「今日はありがとね。」
こんなカッコ悪い所を見せてしまったけど、それでも秋穂にお礼を言われると嬉しい。単純に嬉しい。
「いいよ。だって、地区大会は見に行けないって言うからさ。それに観客がいた方がモチベーション上がるし。」
…まぁ、俺が呼んだのは秋穂だけのはずなんだけど…。
「私、野球の試合初めて見た。だから、ヒロには本当に感謝してるの。春樹、何も教えてくれないんだから。」
え?春樹が何だって?
俺は思考が追いつけなくなって、思わずマウンドに目を向けた。ちょうど2つ目のストライクを決めた春樹がそこにいた。ミットに収まったボールを確認して、一度悠に頷いて返球を受け取る。一連の動きの中で、こちらを見る事なんて一切しない。応援も全く耳に入っていないようだ。
そういえばアイツ、秋穂と同じクラスだったな。クラスメイトにはあまり来て欲しくないなんて、いかにも春樹らしいじゃないか。
もしかしたら春樹が素っ気ないおかげで、俺の出番が回ってきたのかも知れない。
「まぁ、野球見たいなら俺に言えよ。コクトウ席取っておくから。」
…おっしゃ!決まった!男は力じゃない、優しさだ。うん、今日から俺の美学にしよう。
俺は爽やかに振り向いて秋穂を見た。
左寄りにちょこんと束ねた髪。束ねるには短すぎた右側の髪が、一房だけ垂れて顔のそばで揺れている。秋穂は俺をまじまじと見た後…クスッと笑った。
「コクトウ席?」
「へ?あ、うん。交流戦でよく使う上之原球場。涼しくて、試合が間近で見えるとこがあってさ。その裏の丘っぽい所なんか、夜には星が…」
…って、何言ってんだよ俺っ!
俺は急に恥ずかしくなって…と、言うよりも、秋穂が単なる微笑みから爆笑の域に入ったので口をつぐんだ。
「ヒロ、コクトウ席じゃなくて、特等席だよ。」
「…んな事言ってない。」
「え〜言ったよぉ。」
秋穂が肩を小突く。
へへっ、と笑うと、秋穂もまるでソーダの泡が弾けるように笑った。
茜色の空を追い越して、朝まで突っ走っていきそうな、快活な笑いが秋穂らしい。秋穂はいつも秋穂らしく笑う。この笑顔が好きだ。声をたてて笑うところが好きだ。この声が好きだ。
「あはっ。ヒロ、照れてるぅ。」
「バーカ。誰が照れっかよ。」
そしてまた笑う。本当によく笑う。秋穂の胸のすく笑い声を聞いていると、言い間違いがなんだ、三振がなんだ、と割り切れる。恰好よく見せなくても、秋穂は全て帳消しにしてくれる。
まるで今朝の空のように、パッと気分が明るくなる。そうだ、今晩は星が綺麗にちがいない。そう思うと、上之原にどうしても行きたくなった。
誘って、みようか?
今なら言える、何となくそう思った。
「なぁ、」
告白でもないのに、手の平が湿る。秋穂の髪がスローモーションで揺れる。こちらにゆっくりと視線が向けられ、流れるように空へ向かっていった。
「あっ…」
白球がまるで夕日を追いかけるように、綺麗な放物線を描いて消えていく。2アウト、ランナーなし。そこに沢寺がホームランを放っていた。
すげぇ。
感嘆がどよめきとなってあちらこちらからザワザワと聞こえてくる。ソロだ。いつも代打で入る沢寺がホームランだ。
すげぇよ、ホームランだ。
そう言おうとしたその時、俺は気づいてしまった。
切ない目、鞄の持ち手をキュッと握る細い手。不安そうに下唇を噛んでいる。
…なんだ。俺じゃなかったんだ。
喧騒の中、秋穂はただひとり春樹だけを見ていた。
さっきから独りで騒ぐ俺なんか、見ていなかったんだ。
大会に行けない秋穂に紅白戦がある事を教えたことも、少しでもいい所を見せようとつい力み過ぎた事も、全部空回りしてたんだ。
秋穂は、春樹が試合している所が見られるからあんなに喜んで、春樹のプレーだけを見て、春樹だけを応援して…。
そう思うと胃の辺りがズンと重くなって、上之原に秋穂を誘うなんてとてもできそうになかった。
* * *
今日の練習が終わり、ミィーティングの後監督に一喝され、正門をくぐったころには、すっかり日が落ちていた。
「空、すごいな。」
門の影から悠が現れ、隣を歩く。監督から解放されるまで待っていてくれたらしい。
「明日だ。」
そう言って俺の肩をぽんとたたく悠の手は、秋穂のそれとは全く違う。まるで湿ったキャッチャーミットだ。
「明日うまくやればいい、なっ。」
何言ってんだよ、そう言ってやりたい。今日から明日へ日付が変わるように、簡単に気持ちが切り替えられるか。
言葉にする代わりに、足元の空き缶を思い切り蹴り上げる。
カンッと音を立てて宙に浮き、それは見事に道端のプランターに入った。
「お、やるじゃん。」
悠が関心する。
バーカ。俺はサッカー小僧じゃないっつうの。
ため息をつくと、悠が怪訝そうにこちらを見やる。そして思いついたように、交差点の前で立ち止まった。
「ちょっと、遠回りして行かねぇ?」
「何で?」
「めっちゃ、星が綺麗に見えるとこ、あるから。」
悠はさも、秘密の場所のように勿体ぶっているが、俺にはすぐに見当がついた。
* * *
さっきまでナイターで使用していたのか、上之原球場には白い光が灯っていた。俺たち二人は、光に集まってきた虫を追い払いながら、球場の裏へ向かった。
悠は慣れた足取りで木の枝をよけ、丘にできた踏み固められた道を登っていく。
本人は忘れているようだが、俺にこの場所を教えたのは悠だった。確か小学生の頃、3日3晩誘われてここに来た。だけど3日とも曇りで星が見えなくて、二人で来たのはそれっきりだった。
今日は見えるだろうか?いや、見えるに決まってる。だって、ここ最近は天気がいい。青空を仰ぐ度、二人でここに来ることを思い描いていた。
本当なら秋穂と…
「あっ、流れ星」
「え?あぁ、うそっ!」
慌てて空を見上げた時にはもう手遅れで、球場のライトに負けそうな光が幾つか見えるだけだった。
よく、田舎では星が綺麗に見えるという。それは、空気が澄んでいたり、空を遮る建物なんかがないからだ。だけど、一番の理由は星と月よりも明るいものがないからだと思う。
今日は駄目だな…
球場の白色光が目に痛い。夜空の光は、まるでスポットライトを浴び損ねた主役のようだ。
「悠、星見えないから帰ろうぜ。」
俺は星に願いを託すほど、ロマンチストじゃない。ただ、見たかった。秋穂に見せたかった。そして、あの笑い声が聞きたかった。
必死になって手を伸ばしても、いつも俺は空回り。いつ、どのタイミングでバットを振ればいいかなんて、誰も教えちゃくれないんだ。
「ヒロ、あれが夏の大三角形。」
「は?」
悠が宙を指差す。そこにあるのは色褪せた空で、適当に散りばめた淡い光があるだけだ。
「織姫と彦星と、白鳥座のデネブを結んで…」
「あ、そう、デブね。」
「デネブ。」
まぁ、どっちでもいいけど、三角関係の星座なんだな。織姫と彦星がいつか出会うのを、俺は何もできずに見ているんだ。
春樹は、アイツは気付いているのだろうか。サインを確かめる、うなずく、ゆっくりモーションに入る。その一つ一つに秋穂は歓声をあげ、声を詰まらす。できれば気付かないでいて欲しい。俺だって、できるなら気付きたくなかった。だけど、好きという感情は、知る事を止めさせない。きっと俺は、後戻りできないほど知ってしまう。気付いてしまう。それでも、そう簡単に諦めたくない。
彦星の元へ走りだした織り姫を、あの星は捕まえる事はできるのか…
「…ネデブ?だっけ?」
そろそろ首が痛くなってきたので、悠の方へ視線を移す。
「うーん…やっぱ難しいか。」
悠はそう言うと、また宙を探り、北の空を指差した。
その瞬間、パッとライトが消え、慣れない闇に目が眩んだ。瞬きを繰り返していると、ぼんやりとした光が、次第にくっきりと浮かび上がる。夜風が抜ける。草影が揺れる。一瞬、息が止まった。
「北極星。分かりやすいだろ。」
思わず頷く。そこには白い光が、呼吸するように揺らめいていた。
「北極星、すごいんだぜ。」
悠が囁くように話しだす。
「一年中同じとこにいるんだぜ。ずっとそこにあるんだぜ。」
知ってるさ、それくらい。
「なんか、明日、勝てるような気がするだろ?」
いつも、北極星はそこにある。
当たり前に知っている事だけど、なんとなく、分かる気がする。
「明日の事なんか誰も知らないけど、明日も変わらないって言う…何て言うかその…揺るぎないものってやつ?」
「それ、いいな。」
揺るぎないものって、何かいい。
秋穂が笑う。天を突き抜け、明日へと駆け抜け、俺を舞い上がらせる。明日も明後日も、きっと変わらない。秋穂が誰を好こうが、俺は声が聞きたい。話がしたい。笑顔が見たい。
恋も野球も空振りな俺を、天は見て見ぬ振りで、助けちゃくれない。だけど、9回裏に逆転するまで、ここで待っていてくれる。
「俺、サヨナラするよ。」
夜気を吸い込み、バッターボックスを思い浮かべる。9回裏、2死満塁。地面が揺らぐ。スタンドから熱気が襲う。喧騒の中に一際高い声がきっと混じって…
「さよならって、誰に?」
「バーカ。明日の試合だっつうの。」
きっと打てる。
秋穂が試合を見にきた時には、きっと。
空振りも空回りもみんなみんなサヨナラだ。だって、俺にはまだ明日がある。この思いが変わらない以上、簡単には止められない。
いつか放つアーチは、雲間をすり抜け夕日を超えて、北極星まで飛んでいく。
それまで待ってろよ、北極星。
心の中で言い放つ俺を、本調子の明るさを取り戻した空が優しく見守っていた。
空回りの恋を諦めてサヨナラするのではなく、ネガティブをぶっ飛ばして突き進んでやる。
青春ですね。
主人公ヒロには、ぜひ逆転サヨナラ(ホームランと恋の逆転)を見せてほしいものです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。