世界崩壊の予兆part1
夕暮れ時、異変は形となって表れた。
世界中の空がバリバリとガラスのようにひび割れ、破片が地上へと落下する。
破片が無くなった場所からは黒いドロドロの液体が滝のように流れ出てていた。
「なんだありゃ・・・。」
新王都にいるガラン達は上空を見上げたまま暫く固まった。
さらに目の前で起こった現実に驚愕。
地獄絵図―――まさにその言葉が相応しい。
黒いドロドロの液体に触れた人間は一瞬にして生気を奪われた。
空になった体は液体に呑まれて全てを溶かされる。
生きた証も、死んだ人間が存在していたという記録も抹消された。
それにより生じる記憶の混乱は、人間の判断力を鈍らせる。
目の前で起こった現象を忘れ、我に返った頃にはドロドロの液体が足元までに迫っていた。
ガランはカイル達を平手で叩き腕を引っ張る。
彼は本能で液体が危険であると理解していたのだ。
「全員建物に入れ! 外に顔を出すな!」
ガランのように即座に行動を起こした人間は新王都の民に建物内へ避難するよう促す。
それにより被害は最小限で済んだ。
「危なかった・・・。」
「何ですかねあれ?」
「空が・・・空が割れてたよ!?」
ガランとカイル達は混乱を隠せず、
建物の玄関口でお互いに感じた内容を言い合う。
言葉は交錯して通り過ぎて行き、誰も相手の話しが耳に入らない。
そうしているとガラン達が逃げ込んだ建物の家主が奥から姿を現す。
飲み物が入ったポットを手に持ち、
やつれた顔をした女性を彼らは知っていた。
「外で何があったのですか?」
「ク、クレアさん・・・。」
クレアはガラン達を家の奥へと案内して円形テーブルに人数分の飲み物を出す。
「どうぞ。」
「あ、ありがとうございます。」
飲み物を飲んで落ち着いたのか、ガランは肩を竦めさせて頭を抱える。
カイルは顎に手を当てて分析に当たった。
ゲイルとイリヤは窓から外を眺めて様子を観察する。
「あのドロドロ・・・地面に吸い込まれてない?」
「ああ、溢れはしてないな。」
「どういう原理だよ・・・ったく。」
すると、クレアも窓に近寄って外の様子を観察する。
「成程。」と目を伏せた。
「何かご存じで?」
「いえ・・・ですが、事態が深刻であると把握は致しました。
宜しければお話して頂けますか?」
ライラのケアに追われていた彼女にとって外は最早別世界と相違ない。
情報が乏しい彼女はガラン達に情報を要求した。
そして、ガラン達はこれまでの経緯をクレアに話し、
彼女は軽く唇を噛みしめてから「そうですか。」と頷いた。
「すいません・・・ライラさんのケアで忙しいというのに。」
カイルの発言にクレアは首を横に振る。
その様子にガランは視線を逸らした。
「大丈夫です。 言葉は話せませんが食事が出来るまでに回復はしています。
それよりも事態をどう集束させるおつもりですか?」
『それよりも・・・。』
ガランは組んでいる腕に力を入れる。
服にはしわがより、複雑な気持ちで胸が苦しくなった。
「さあな・・・どうしようもない。」
ガランは椅子に腰かけ、そっけない態度をする。
実際、彼らに成すすべはなく、得体の知れない液体に無暗に触れれば死ぬだけだ。
じっとその場で耐え凌ぐ。
現状それしか生きる道はなかった。
「俺達・・・餓死しないかな?」
カイルの発言にゲイルは空を指さす。
「カイルよく見ろ。 あれは特定の場所に流れ落ちている。
ひび割れの拡大と液体に気をつければ場所の移動は出来るだろう。」
「畑に被害が出ていないと良いが・・・。」
しかし、カイルの期待は虚しい。
黒いドロドロした液体が触れた地面に草木は生えていない。
そもそも触れた瞬間から植物も生気を吸われ、腐ってしまっていた。
「やっぱ、枯れてるよな・・・。」
カイルは深い溜息を吐いて、肩を竦めさせる。
「でも行ってみない事には分からないよ?」
イリヤは「行ってみようよ。」とカイル達を誘う。
カイルとゲイルの腕を強引に引っ張り、
ギュッと抱き寄せる彼女の表情はとても明るかった。
けれど、抱き寄せられた二人は気づく。
イリヤはカタカタと腕を振るわせていた。
本当は不安で不安で仕方がないイリヤだが、
雰囲気を良くしたいという彼女なりの前向きさと必死さが彼女を明るく振る舞わせる。
「ね?」
カイルは「ああ。」と頷いた。
「ガランさんは?」
「俺は暫く残る。 少し・・・整理がしたい。」
険しい表情をするガランにカイル達は何も言えず、外へ出た。
そんなガランにクレアは黙って飲み物を注ぐ。
リーフティーと呼ばれるこの世界特有の飲み物は柑橘系の味がして、
飲むと身体を温める効果がある。
クレアはスッとカップをガランに寄せてガランは手に持つ。
一口服用したガランは「甘い。」と口にして俯いた。
「悩み事ですか?」
「悩み事だらけだ。」
ガランはカップを軽く回し、リーフティーの海面を眺める。
『カイル達が居なくて良かった』と思う反面、気が狂いそうになっていた。
「俺にはもうついて行けねーよ。」
そして、テーブルに置いた。
カップ内のリーフティーは小さな渦を収縮させて行き、やがて平らに戻る。
クレアの視線はガランに向き背中に片手を触れた。
「やめてくれ。」
ガランはクレアの気持ちがレイダスに向き、レイダスに惹かれていると知っている。
隣の部屋と繋がる扉の隙間から痩せ細り、
ハエのたかるライラを見て、それは確信となった。
皮と骨だけのライラは呼吸をしているのもやっとで、
息を吸う度に苦しそうな表情をしていた。
幻を見ているのか天井に手を伸ばす仕草は、何かを求めているようにも取れる。
目を見開き、涙を流す彼女の口元は「レイダス。」と微かに発していた。
何度も何度も「レイダス。」と呟く彼女はやがて瞼を閉じて、眠りにつく。
生きているのも不思議な状態。
ちゃんとした看病と食事をしていればライラの状態が、悪化する事はなかった。
「クレア・・・ライラの看病はしていたのか?」
「はい。 していました。」
嘘だ―――
「いつからだ・・・。」
クレアは無表情に首を傾げる。
「いつからお前は狂った!?」
ガランは狭い家の中で強引に槍を振り回す。
テーブルを椅子を―――家の中にある物品を悉く斬り裂き、クレアに攻撃を仕掛ける。
ずっと家内にいたにも関わらず、
俊敏で切れのある動きは鍛錬に勤しんでいたとしか思えない。
「お前はレイダスに近付く為に妹を捨てたのか!?」
ガランは槍を振り下ろす。
それを彼女は両腕をクロスさせて受け止めた。
「肯定します。」
ギリギリとお互いの武器から火花が散り、ガランの表情は険しさを増す。
「お前にとってライラは拠り所じゃなかったのかよ!」
「・・・・・・。」
「答えろ!」
ガランはクレアの拳を弾き懐に入る。
槍の柄部分と突進の威力を掛け合わせた腹部への攻撃は
華奢な身体をしたクレアを軽々と吹き飛ばす。
「ぐうっ!」
壁を貫通して地面に転がったクレアは辛うじて黒い液体に触れなかった。
しかし、ダメージは大きい。
『内臓が逝った・・・。』
前線で戦い続けたガランのlvは93。
鍛錬していたとはいえ、戦闘経験が豊富なガランには敵わない。
ガラガラと崩れ落ちる木片に紛れて姿を現した彼は鬼の形相をしていた。
身体を揺らしながら、槍を引きずる仕草は放たれた野生の獣。
再度繰り出される振り下ろしを受け止めるクレアだが、
威力が先程と桁違いで苦しい声を上げた。
「答えろって言ってんだよ!」
『態勢を立て直さないと・・・。』
しかし、隙が無い。
左右に避けようにも懐に携えている消費アイテム《一刀の脇差》で仕留められる。
『逃げ場がない。』
ガランは怒りの余りクレアを殺しにかかる。
《一刀の脇差》に手を伸ばし、刀身を引き抜こうとした瞬間―――
後ろからガランは押さえつけられた。
「な!? 糞! 離せ!」
ガランは暴れるがその隙にクレアは離脱。
黒いドロドロの液体を避け、遠くへと姿を消した。
「わわわ、落ち着いてくれよ。」
一方暴れまくっていたガランは我に返る。
「この声・・・。」と呟いて振り返るとそこには知り合いの姿があった。
「フェノール、フーワール! なんでお前らがここに!?」
冒険者ギルドとクレアの家とは距離がある。
騒ぎを聴きつけたとしても到着までに時間がかかる筈だ。
「君を探していたんだよ。」
「話しは後で・・・大変な事になった。」
「大変な事?」
「取り敢えず、冒険者ギルドまで来てくれ。」
「お、おう。」
ガランはクレアが逃げて行った方角にチラリと視線を向けてから二人の後を追った。
そして、冒険者ギルドに足を踏み入れる。
と同時にガランは吐き気に襲われた。
腹と口を押えて見つめる視線の先には、大量の人骨。
「んだよ・・・これ・・・。」
「あのドロドロに触れた被害者だ。
完全になくなる前に魔法で引き上げてみたけど・・・見ての通りさ。」
「こんなに?」
ガランが想定していた被害者数は30人。
しかし、現状は予想をはるかに上回り1300人に上る。
抹消された記憶を含めれば最―――
ガランは絶句して床に膝を落とした。
「そんな馬鹿な・・・。」
それに追い打ちをかけるようにフーワールはガランに尋ねる。
「この国の国王の顔を覚えているかい?」
ガランは記憶を辿る。
演説を何度もしていた新王都グラントニア国王の姿を記憶から探した。
けれど―――
「あれ?」
思い出せない―――
顔所か国王の名すら記憶から抹消されていた。
「そういう事だよ。 新王都の国王は液体に触れて死んだ。
きっとこの山のどれかが国王だ。」
フーワールは人骨の山を指さして言う。
ガランはそれが納得いかなくてフーワールの胸ぐらに掴みかかった。
「ある訳ねえ!」
「気持ちは分かる。でも、これが現実だ。」
ガランは奥歯を噛みしめながら、腕の力を抜く。
「王城内にいて安全だと思っていたけど、故意的に触れた可能性がある。
兎に角、調査しないと何とも言えない。」
「・・・分かった。」
ガランはフーワールの胸ぐらから手を放し、
フラフラと冒険者ギルドの二階へ上がって行く。
彼が心配なフェノールはフーワールに「付いてて上げても良い?」と尋ねて、
フーワールは頷いた。
彼女はフーワールに子どもを預けて二階へ―――
一方、外を出歩くカイル達はメイサの森上空に非常に大きい亀裂を発見する。
破片が森へと落下するが、内部が露呈した端から黒い液体が流れ出る事はなく、
歪みが生じていた。
悍ましい気配に怯えるイリヤはカイルの背後に隠れる。
「イリヤ大丈夫だから・・・歩きにくい。」
彼女はカイルの腕を力強く握りしめていた。
よって彼の姿勢はイリヤに傾く。
「ご、ごめん。」
イリヤは顔を真っ赤にしてカイルから離れる。
そうして上空を見上げる彼らは各々の見解を言い合う。
「異次元とか?」
「魔物とか溢れたりしないよね・・・。」
「それは流石になさそうな気がするが、入り口な感じはするな。」
「クレアさんの家に戻ってガランさんに報告する?」
カイルはガランの険しい表情を思い出して首を横に振る。
「いや、冒険者ギルドにフェノールさんがいる筈だからそっちへ行こう。」
「分かった。」
彼らは黒い液体を避けながら、冒険者ギルドへと向かう。
これが世界崩壊の予兆だと考えもしなかった。




