男は眠る・邪神の国堕とし
俺は真っ暗な海に沈んでいた。
吐き出される二酸化炭素を多めに含んだ空気は海面へと上昇していく。
波で揺れる海面から差し込む光に目を細めた俺は瞼を下ろした。
もう俺には関係ない事だ―――
水が肺に流れ込んで、重みを増した俺の身体は更に沈んで行く。
差し込んでいた光もいつしか届かなくなって、
俺が辿り着いた先は深海の底。
海底と背中が触れた感触に目を開けると俺は落ち着いた。
やっと終われる―――
もう不安がらなくていい、頑張らなくていい。
そう思うとホッとした。
それと同時に俺は落ちる所まで落ちたという事実に微笑む。
冷たくて、静かで、俺以外誰もいない空間は居心地が良い。
これで良かったんだ―――
夢の中で出てきた二人の人物が俺の傍に寄ってきて囁く。
後は任せて―――
俺は迷わず頷いた。
差し伸べてきた手を握り締め、
光に包まれた俺の視界には俺と瓜二つの二人が映っていた。
―――夢見の森 ログハウス―――
俺は寝息をたてながら、ベットで眠っていた。
隣には小さなテーブルが置かれていて、セレスが用意した料理が置かれている。
美味しそうな匂いが俺の方へと流れるが、ピクリとも体は動かない。
暫くして冷め切った料理はセレスによって処分され、彼はベットの隣へ立った。
ガルムが椅子を器用に押してきて、
「ありがとうございます。」と微笑んだセレスは椅子に腰を下ろす。
静かに眠る俺の顔を眺める彼の表情は後悔に満ちていた。
『俺の記憶を持つお前なら分かる筈だろう セレス!?』
セレスは俺の発言を思い出して、顔を俯かせた。
『何故、あの時否定してしまったのだろう?』と顔を押さえる指に力が入る。
セレスは自身を苦しめる存在を消し去る行いが正しいとは思えなかった。
それでは恨みや憎しみが増加し、俺を敵視する者が増えるだけ。
主を想うからこそセレスは敢えて否定した。
しかし、彼は自分が俺の記憶を持つ唯一の理解者である事を自覚していながら、
俺の心が壊れる事を想定していなかった。
ギリギリ正常を保っていられたのもセレスという理解者があってこそだったのに・・・。
この世界の何処にも俺を理解出来る存在はいなくなった。
ならば、自ら意識を手放すしかない。
俺は深海の底で眠る。
「レイダス様・・・申し訳ありませんでした。」
セレスは泣きながら俺に謝罪の意を示す。
頭を深々と下げて、布団に顔を埋めた。
それでも俺は目を覚まさない。
不老不死の俺は死ねないから、逃げる方法はこれしかなかった。
―――リゼンブル 王城―――
蜂連達は貴族達と会議をしながら、メイサが帰ってくるのを待っていた。
凛華はそわそわと落ち着きがなく、ギュンレイは時折チラリと視線を動かす。
その視線は出入り口に向いていてメイサを探しに行きたいと訴えかけていた。
「もう少し待てよ。」
と蜂連が言った時、勢いよく扉が開かれる。
そこに立っていたのは一人の兵士。
息も絶え絶えで、両膝に両手を置く姿は緊急事態だと知らせていた。
「何事だ?」
「ご、ご報告します!真祖が異国の地に上陸致しました!」
「な!?」
蜂連達は椅子から立ち上がり、驚愕する。
「嘘だろ!?」
「海上を飛行し、降り立った真祖は進軍を続けています!。」
「っ!」
蜂連は歯を噛み締めて拳を握った。
しかし、冷静さは欠かない。
目的は不明だが、推測は立てられる。
レイダス・オルドレイ及び邪神は同行している情報が寄せられていた。
ならば目的は絞られる。
邪神は異国の地の人間がこの地に介入した既成事実を良く想っていない。
邪魔者を排除し、その後ゆっくり調理しようというのだ。
「行くぞ!」
蜂連達はその場を急ぎ足で歩いていく。
「ダダルン卿、悪いが俺達の介入はここまでだ。後は自分達で何とかしてくれ。」
「分かった。武運を祈っている。」
蜂連達は出入り口の兵士とすれ違う。その時、兵士はクスリと笑っていた。
思惑通りに事が運んだと―――
その後も会議は順調に進められ、蜂蓮達が国を出たと思われる頃、
兵士は動き出す。
「ああ、鈍くて助かったよ。」
兵士は部屋の扉をバタリと閉ざす。
唱えた魔法が触れた手の平を中心に扉を氷付けにした。
白い冷気が当たりに漂い、戸惑いを見せる貴族達を代表してダダルン卿が前に出る。
だが、戦闘力のない者が前に出ては殺されるだけ。
そこでジョナサンが更に前へと歩み出る。
「貴方は何者ですか?」
兵士は再びクスリと笑い、被っていた兜やら鎧やらを外して行く。
露出した肌の上には一般人が着るような私服。
背中には漆黒の両翼を生やしていた。
「どうも、この世界で邪神をやらせて頂いている者です。」
深々と丁寧なお辞儀をする邪神の姿を見て、彼らに戦慄が走った。
顔を上げた彼の表情はこれから起こるであろう惨劇に心を躍らせている。
高揚にも似た表情は不気味で、歪だった。
固まって動けなくなった貴族やへたり込み漏らしてしまう貴族ばかりの中、
真っ先に行動を起こしたのはジョナサンで、
ダダルン卿を後ろに押しのけた彼は大声で言った。
「時間を稼ぎます! 逃げて下さい!」
リゼンブルの王城内にある各部屋には隠し通路へと繋がる扉があり、
ジョナサンはそこから非難を促す。
貴族達は我に返って、プライド等お構いなく逃げ出した。
しかし、扉らしき壁に手を触れた貴族の一人が悲鳴を上げる。
指先から手首にかけて手が完全に凍っていた。
悲鳴で貴族達の方を向いていたジョナサンは邪神を見て目を丸くする。
彼は右手を貴族達に向けており、手の平が冷気を発していた。
それは氷属性魔法を唱えた後に発生する現象。
ニコリと笑みを浮かべる邪神は言葉の続きを言い始める。
「そして―――。」
「ダメだ・・・言うな・・・言うなああ!」
ジョナサンは自分の中で最強の魔法を唱え、ありったけの魔力を注ぎ込む。
「《魔法/第8番:紅十字》!」
炎が邪神を優しく包み込む。
中に取り込まれた者の脱出は不可能とされるジョナサンの最強魔法に
邪神は何の抵抗もせず、呑まれた。
それは邪神の気紛れで彼はジョナサンが勝利に気を緩ませた瞬間を狙っていた。
「やった!」という声を耳にした彼は、
手の平を声のした方角へ向けて魔法を放つ。
「《魔法/第10番:氷結水牢の陣》」
それは指定した場所を中心に水を媒体とした尖った氷を生成。
中心に吸い寄せられるように放たれる氷の一撃はジョナサンの身体を四方八方から貫く。
と同時に炎の隙間から貴族を視界に捉えた邪神はおまけに集団攻撃系魔法を唱える。
「《魔法/第10番:紫電雷光》」
邪神から円形に広がった魔法陣に入った者は、全員強力な雷を浴びる。
勿論身体を貫かれているジョナサンも一緒にだ。
立ったまま生きているのか死んでいるのか分からないジョナサンの魔法は消え去り、
邪神の姿が露呈する。
そうして笑みを浮かべた邪神はようやく最後の一言を発した。
「サヨウナラ。」
もう一度唱えた《紫電雷光》で
その場にいる人間の命を完全に奪った邪神は颯爽と窓から去って行く。
大きく広げた翼を目撃した住人は持っていた荷物を石畳に落とした。
転がったリンゴにはへこみが出来て、果汁を流す。
そのまま去って行くと思われた邪神だが、彼は旋回して引き返してきた。
住人に絶望してもらう為のちょっとした演出は大成功で、
目撃していた住人は叫び声を上げる。
邪神はそれが心地よくて高笑い。
気の向くままにリゼンブルを破壊した。
「この光景を一番見たかったのは君だろうに・・・。」
邪神は滅びたリゼンブルを王城のてっぺんから見下ろす。
立ち込める煙と人間が焼ける焦げ臭さで鼻がもげそうになる。
そんな邪神が視線を向けたのは、武器が大量に置かれていた場所。
爆音と共に衝撃波が起り、テンションの上がった邪神は目をキラキラさせた。
武器の弾薬に火が付いて発生した爆発の煙は雲に届きそうな勢いで昇って行く。
「新王都の人間は見ているかな?」
リゼンブルと距離が近い新王都にこの煙が見えていない訳がなかった。
邪神は人間達が恐怖と絶望に支配される様を想像し、顔を歪める。
「ああ、楽しみだよ! 君の翼が輝く瞬間が!」
邪神は両腕を大きく広げて空を仰ぐ。
そこにいずれ出現するであろう翼に恋い焦がれて、彼は笑みを浮かべるのだった。




