英雄の資質
ファルゼンはリゼンブルから送られてきた書状を開封し、目を通していく。
今後の会議についての議題内容がズラズラと書き記されていたが、
黒い生物一体の討伐に成功したという一行は彼の緊張状態を解放させた。
「残り2体か。」
眉間に僅かながら皺を寄せたファルゼン。
近くにいたマリーがそれを気にして「えい。」とデコピンをかます。
lv差によって生じたノックバック効果は凄まじく、彼を壁に吹き飛ばした。
「あだ!?」
壁にぶつかるが痛みはない。
しかし、吊るされていた絵画が後頭部に落下した。
床に腰を下ろしたファルゼンは後頭部を両手で押さえて、
「ふぅーふぅー。」と息を吐く。
ぶつけた箇所は若干膨らんでおり、たんこぶが出来ていた。
「マリー・・・痛いじゃないか。」
「フフフ、昔の顔に戻ったね。」
マリーは微笑んでそう呟く。
この頃険しい表情ばかりしていたファルゼンをマリーは気にしており、
無理をしていると丸わかりだった。
それが、デコピン一発で戻せるのは兄と妹という繋がりがあってこそである。
「・・・まだ後悔しているの?」
「・・・・・・。」
無言になるファルゼンはマリーから視線を逸らす。
マリーはそんな兄に抱きより優しい言葉を投げかける。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんには仲間が沢山いるよ。」
「・・・・・・」
「それとも、私達じゃ不満?」
顔を膨らませて見せるマリーにファルゼンは笑う。
「ははは、ある訳ない。そうだな・・・大丈夫だよな。」
ファルゼンの微笑んだ表情に、マリーは安心する。
彼らは今日も業務に専念するのだった。
―――イスガシオ―――
カイル、ゲイル、イリヤそしてガラン含む上位ランク冒険者達は、
作戦内容の知らない新人冒険者達を囮に黒い生物二体のおびき出しに成功していた。
森に身を潜めさせる彼らの心の中に後悔は無い筈だった。
「俺達は人間なんだよな?」
カイルの発言に誰もが口を硬く閉ざす。
非人道的な作戦を決行した彼らは畜生に成り果てていた。
「カイル・・・私達は・・・。」
「分かってるから、言わなくていい。」
イリヤの言葉を切って捨てるカイルの表情は険しい。
彼は新人冒険者達の屍を越えていくと決めていたが、未だに揺らいでいた。
優しい性格上、「非常になれ」という方が酷な話で、
作戦決行前も夢で魘される程だった。
カイルの身体に手を伸ばす亡者達が言う。
「殺してやる」「恨んでやる」「裏切り者」「呪ってやる」「死ね死ね死ね」
足元からズルズルと沼に引きずりこまれる彼は完全に呑まれる前に眼を覚ます。
血の気の引いた顔と瞳から頬を伝って流れ落ちる涙の暖かさに、ホッとしていた。
それはカイルがまだ真っ当な人間である事を表している。
ガランは少し離れた位置からそんな彼の様子を眺めていた。
険しい表情で思い悩む姿は、七天塔での自分を彷彿とさせる。
だが、ガランは何も言わず只々見守った。
それは、カイルにしてやれる事が自分には無いからだ。
『俺も答えを見つけねーと・・・。』
ガランは眉を潜めて考えに耽った。
そうしている間にも時は進み、新人冒険者達が黒い生き物に次々と捕食されていく。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・。」
「ぜえ、はあ・・・もうだめ。」
「馬鹿止まるな!」
鋭い歯が一人の新人冒険者の喉に深く突き刺さり、引きちぎられる。
強靭な顎が頭部位をバリバリと噛み砕いた。
滅びたイスガシオの街並みが彼らの絶望感をより増幅させ、
恐怖が蔓延した。
「嫌だ!嫌だ!死にたくない!」
新人冒険者達は全力で逃げる。
肺が張り裂けそうになっても、惨めに這いつくばっても、化け物から距離を取る。
黒い生き物は涎を垂れ流し、ケタケタと笑い声を上げた。
見下すように、ゴミを見るように二体の化け物は高々と跳躍し、
新人冒険者達を両脇から挟む。
そして、殺戮劇が始まった。
「ギャギャギャギャギャ!」
「ぐあああああああ!?」
「ひいいあああ!? ぐぎゃあああああ!!」
変形する黒い生き物の手足に新人冒険者達は成すすべなく倒れていく。
50人の内49人は、ギルドマスターと上位冒険者達を恨んだ。
『俺達は囮にされた―――』
憎くて殺してやりたくて力のない自分が許せない。
しかし、残り一人は別の感情を抱いていた。
「俺の命で家族が守れるのなら・・・悪くない。」
「ギャギャギャギャギャ!」
黒い生物が生き残りの冒険者に大口を開けて襲い掛かる。
だが、新人冒険者に先程までの恐怖はなかった。
『俺は助からない。』と腹を括っていた彼はカバンから消費アイテムを取り出し、
ピンを抜く。
《手榴弾》と呼ばれるそれを抱えたまま自ら大口へと飛び込んだ彼は、
黒い生き物の中で爆散。
命を賭しての特攻であったが、黒い生き物は平然としていた。
爆発で膨らんだ身体は縮んで行き、やがて元のサイズに戻る。
黙々と立ち込める煙は、視界を奪うが黒い生き物にとって何の問題も無かった。
感情を探知できる彼らにはそれが眼であり、鼻である。
少しでも感情を変化させれば、彼らの餌食となり死に至る運命。
しかし、彼らの反応に引っかかったのは二つだけ。
それはカイルとガランの物だった。
イスガシオから聞こえる新人冒険者達の悲鳴に耐えられなくなったカイルは、
感情任せに森から飛び出した。
「やっぱり俺には出来ない!」
「カイル!?」
「あんの馬鹿野郎! お前ら俺の指示があるまで動くなよ!」
ガランは冒険者達に命令を下し、カイルの後を追う。
追いつく頃にはイスガシオ内に進入しており、眼前には化け物。
戦闘は避けられない状況だった。
ガランは合図の信号弾を放ち、冒険者達を呼ぶ。
作戦通りに遂行するには、残りの指定ポイントまで走るしかなかった。
「カイル、俺が化け物二体を指定ポイントまで誘導する。
お前は後方から攻撃を仕掛けろ。」
「いえ、ここで叩きます。」
「なに!?」
カイルは、ガランの命令を無視し黒い生き物に斬りかかる。
黒い生き物の身体に刃が通らず弾かれるが、彼は攻撃をやめない。
「お前何のつもりだ!作戦を台無しにしたいのか! うお!?」
ガランはもう一体の黒い生き物の攻撃を身体をそらして避けるが、
すれすれだった。
宙返りして華麗に着地したガランに猛追を仕掛ける黒い生き物は、
彼の槍さばきに眼を細める。
早々に殺せないガランに腹立たしくなったのだ。
「ギャギャギャギャギャ!」
「ちっ!」
長く伸ばした爪の先端がガランの胸元を切り裂く。
地に片膝を落としたガランは槍を構えて追撃を受け止める。
その援護にカイルが入り、後方から斬撃を加えた。
「ギャ!?」
胴に刃が通り、ひるんだ隙を見て、距離を取った二人であるが、
ガランは怒り心頭。カイルに怒鳴った。
「俺の問いに答えろ!どういうつもりだカイル!」
「俺はもう・・・傷つく人を見たくない。だから、ここで終わらせる。」
「それは全員同じだ!お前は忘れたのか?
この作戦が失敗に終われば、死んでいった奴等の死を無駄にするんだぞ!」
「五月蝿い!」
カイルは歯をかみ締めて黒い生き物に向かっていく。
「カイル!」
『俺は・・・俺は!』
「うおおおおおおおおおお!」
カイルは一体の黒い生き物に剣を振り下ろす。
けれど、頭には刃が通らない。
ならば―――
「使いたくなかったけど、今回だけだ!」
彼が腰に携えていた二本の片手剣の内、一振りが刀身を現す。
透き通るような薄緑の刀身は容易に相手の頭を切り裂いた。
「ギャギャギャ!?」
憎き男から受け取った剣を使う羽目になり、彼は自分の力量のなさに苛立つ。
八つ当たりと云わんばかりに振るわれる剣の切れ味は凄まじく、
黒い生き物を刺身のように斬り刻む。
彼の背後には、危機を覚えたもう一体の黒い生き物が迫っており、
大口を開けていた。
それを逆手持ちした剣で胴を突き刺す。
「ギャギャギャギャギャ」
しかし、唐突に伸びた首と頭上から襲い来る黒い生き物の攻撃にカイルは対処できない。
手が空いていたガランが首を槍で切り落とし、
頭が眼前の黒い生き物に当たる。
後退したカイルはガランに言った。
「命令違反者を助けるんですか?」
「どっちみち、こいつらを始末すれば任務は完了だ。
命令違反については、戻った後じっくり話し合おう。」
ガランの瞳は笑っていない。
カイルは彼の怒りに身を震わせた。
「とは言ったものの、二人で化け物二体の相手は骨が折れる。」
「どうしますか?」
「他の冒険者達が来るまで時間がかかる。
指定ポイントから逆に離れて距離を縮めかつ有効打を模索する。」
「俺の剣ならやつらを斬れます。」
「じゃあ殿は任せるぞ。」
「はい!」
カイルは、ガランの後方で殿役を務める。
それを黒い生き物二体は勢いよく追っていく。
猛追により、多少の負傷を負ったカイルだが目的通りに事が運び、
冒険者達と合流を果たす。
「お前らやれ!」
ガランの号令の元、放たれた遠距離魔法の一斉攻撃は黒い生き物を後退させ、
傷を負わせる。
しかし、みるみると化け物は修復していった。
脅威の再生能力で復活を遂げた黒い生き物はカイルの胴体を爪で引き裂き、
防具を破壊。
「ぐあっ!」
それでもカイルは怯まない。
踏み止まって、握りしめる二本の剣を黒い生き物の頭に突き立てる。
「くたばれええええ!!」
左の剣は折れ、刀身がカイルの頬を掠めて空へと飛んでいく。
カイルの死がよぎったイリヤは彼の名を大声で叫んだ。
それを耳にした彼は表面で止まっていた右手の剣をねじ込み深深と突き刺す。
ガラス玉に触れた感触があり、
本能で弱点と悟った彼は残る力と魔力を込めてスキルを発動させる。
「《二刀剣士専用スキル:属性放出》!」
自身が得意とする属性を剣に付与し威力を倍加、
さらに第5番以上の同属性の攻撃魔法を放つ強力なスキル。
魔力量を根こそぎ奪っていくスキルではあるが、決め手に持って来いである。
風属性が付与された一撃は、無数に風の刃を生み出し黒い生き物の頭の表面から
内部までズタズタに切り刻む。
そうして露出した黒い生き物の核は、パキンと音を立て二つに割れた。
「ギャギャオオオオアアアア!?」
黒い生き物は、形を失い残されたのは割れたガラス玉だけ。
カイルがそれを完全に砕こうと剣の先を向けた時、
もう一体の黒い生き物が彼に迫る。
「待ちやがれ!」
ガランは槍を投擲し、胴を突き刺す。
そしてがら空きとなっている背中に他の冒険者達も魔法で攻撃を仕掛けた。
地に膝が着く―――誰もがそう思った。
「《魔法第10番:妖精王の楽園》」
年寄りのようなそれでいて凛としたような声がその場に響き渡る。
膝をつきかけていた黒い生き物の真下には緑の魔法陣が浮かび上がり、
回復速度を促進させた。
完全回復を果たし、全快した黒い生き物が取った行動は、前方への跳躍。
カイルに襲い掛かる訳でもなく、割れたガラス玉を掠め取っていく。
「ギャギャギャギャギャ」
そして身体を変形させ、生やした物は大きな翼。
蝙蝠の形をしたそれはバタバタと風を巻き起こし、冒険者達を吹き飛ばしにかかる。
武器を地面につき立て踏ん張らないと態勢を保っていられない。
「く・・・ああああああ。」
「ふぬぬぬ!」
「全員・・・耐えろ!」
数十秒後、黒い生き物は空へと舞い上がる。
「ぐ・・・クソ!」
それが意味する事は逃亡であり、作戦は失敗に終わった。
一番悔いたのは真っ先に飛び出したカイル。
「こうなると分かっていた筈なのに・・・。」
ガランの言う通りの結果にぐうの音も出ない。
そんな彼を余所にガランは顎に手を当て考えに耽る。
「どうしたんだガラン? カイルの処罰でも考えてんのか?」
「違う。俺にそんな特権ねーよ。
あの化け物に回復魔法をかけた奴が何者なのか考えてたんだよ。」
「なに!? 見たのか!?」
「一瞬だったけどな。」
黒い生き物が膝をつきかけたあの時、ガランは声のした方角に視線を向けた。
倒壊した建物の背後に背を向けて立っていた執事服の男。
一瞬であったが、只者でないと直感したガランは、
黒い生き物を生かす理由を考えていた。
『どう考えてもメリットなんてなさそうだが・・・。』
黒い生き物を生み出した親なのか、はたまた自然発生した黒い生き物を利用して
世界を滅ぼさんとする謎の組織か・・・。
ガランの頭ではそれ以上の案が出ず、持ち帰り検討する事に決めた。
「カイル帰るぞ。」
皆が新王都へ戻る準備を始める中、カイルだけが動こうとしない。
「俺に帰る資格なんてありませんよ。
無謀な行動を取り、これ以上死なせないって言っておきながら
ガランさんを危険に晒した。」
カイルは精神的に参っていた。
「死んでいく新人冒険者達の悲鳴が、断末魔が耳から離れない。」
カイルは地面の砂をえぐるように握り締める。
そこにはカイルの感情が全て込められていた。
「俺がもっと強ければ!俺が冷静な判断が出来ていれば!」
「うるせえ! お前は英雄にでもなったつもりか!」
ガランはカイルの胸ぐらを掴み上げる。
「俺達は人間だ!只の人間だ!剣で斬られれば死ぬ。槍で刺されても死ぬ。
だけどな・・・それは早いか遅いかの違いなんだよ。
お前は他人が目の前で死んで苦しんでいるが、
世界ではそんなの日常茶飯事に起きてる!」
「見捨てろと?見殺しにしろと言っているんですか!?
ガランさんもギルドマスターも何故そんな人間から外れた所業が出来るんですか!」
「俺達だって・・・出来るならしたくない。だけど、方法が無いんだ。」
ガランはカイルの胸ぐらから手を離し、消え入りそうな声を発する。
「お前の正義感と優しさは素直に素晴らしいと思う。英雄の素質を持っている。
でもな、一人には限界がある。」
「・・・・・・」
「仲間を頼れよ。」
ガランの言葉は何処か儚くて、カイル以外の誰かに言っているようにも取れた。
「・・・分かりました。」
「そうか・・・よし、帰るぞ。」
ガランとカイルは先行する冒険者達に合流し、新王都へと戻っていく。
その様子を遠くの大木の上から眺める執事が一人。
「ふむ、どうやら収穫は一つのみですか。」
彼が右手に持っている物は、黒い生き物がカイルから掠め取ったガラス玉。
黒い生き物の腕を切り落として奪い取ったのだ。
その腕を投げ捨てた先には、先程の黒い生き物がおり腕を拾い上げてくっ付ける。
颯爽と消えていく様は、萎縮する小動物のようだった。
「さてと、今日はどんな料理にしましょうか?」
彼の脳内には主が喜ぶ姿しかない。
どうしたら笑ってくれる?どうしたら楽しんでくれる?
今日も今日とて己の役割に邁進する執事は、姿を眩ませるのだった。




