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齋藤のエッセイ集

和紙

作者: 齋藤 一明

 私がこうして『話』を書くきっかけは、意見表明だった。社会問題を、こうすれば解決できるではないかと考えたことがきっかけだ。

 我ながら名案だと思った。すると、どうにかして実現できないだろうかという欲求が湧く。ところが、無名の一市民の提案を受け入れてくれるところなどないのが現実だ。

 現実をつきつけられると、打開策はないだろうかと考えるのが私のいけないところだ。あっさり引き下がれば良いのだが、悪足掻きを始めてしまう。それは、承認欲求のせいかもしれない。理性では納得しても、感情はそうではなく、逆に嵩じてくる。そこで、物語という形式で発表することを考えた。


 結果として提言は退けられたのだが、私は自分の考えを表明する方法を獲得してしまった。行政が否定的であれば、一般民衆はどう考えるだろうと興味が沸き、こうした電子媒体の利用を思い立ったのだ。

 手軽に自作を発表できることを知った私は、別のテーマについて意見を述べてみた。

 どちらも物語形式にしたのだが、読者数は伸びなかった。

 職業によって性格が形作られるものだが、短時間に結果が出る職業のせいか、読者数が伸びず、感想も寄せられないことに少なからず苛立ちを感じた。そうして評価を待つ間に別作の連載を始めたのだが、以外なことにそちらの閲覧数が伸びた。正直なところ、読者は社会を変革することを望んでいないと気付いたのだ。一方で、素人の書く物語でも閲覧されるということを学んだ。

 そうして話を考え、書いて発表することに楽しさを感じていた。

 ここまでは、純粋に自分のための娯楽だ。


 やがて私は、サークルに参加することを覚えた。

 テーマを決めて競作するのだが、同じテーマでありながら表現の仕方がさまざまなことを知った。舞台、構成、進行、表現方法など、どれをとっても新鮮に思える。そうすると、表現方法などをめぐって意見交換が始まる。

 自分が発するもの、自分に向けられるもの、どちらも気付きの連続だ。そうした交流の中で信頼関係が芽生え、腹蔵なく意見交換しあえる友を得た。

 寄せられる感想をながめてみると、当たり障りのない事柄を並べているものが多いように思う。自分もそうする場合が多いので、偉そうなことをいうつもりはない。しかし、それが相手にとって有用かと共に、自分にとってどれだけ役立つかを考えた場合、いささかなりとも首を傾げることがある。というのは、深く考えていないからだ。

 断っておくが、これは自分のことを指している。

 自分なら違った書き方をすると思うだけで、特に発信しないということだ。

 自分ならこう書くと相手に発信し、相手からその考えに対して打ち返しがあってはじめて実のある意見交換となるからだ。

 サークルは、十分にそれを満足させてくれた。

 こういう活動は、満足の度合いを一段階上げてくれる。私はそう思っている。


 本題から外れてしまった。和紙にまつわる話に戻したい。

 念のため先に断っておくが、私は和紙を扱う職業にはついていない。なので、あくまで利用者の考えとして受け取ってもらいたい。


 私の妻は、書道教室をしている。子供の頃から悪筆の私は、筆という腰のない道具でよくも字が書けるものだと感心するばかりだ。

 ある日、女房が筆で書いているのを見てふと思いついた。筆の代わりにペンで書けないものかと。

 和紙のペン書きは不向きだ。理由もなしにそう思っていたのではない。中学生の頃、半紙にペン書きをして酷く滲んだことを覚えているからだ。

 過去の失敗を取り戻す。単なる興味本位だった。

 妻に紙をもらい、ペンを落とす。落としただけではあまり滲まない。おっ、案外いけるかなと書き始めると、ものの見事に滲んだ。筆圧をかけないように気をつけても、やはり滲む。

 やっぱりダメかと諦めかけたとき、ふとプリンターならどうだろうと思った。プリンターなら微量のインクを噴射するだけだから滲まないのではないか。

 思い立ったら即実行が私のモットー、早速ためしてみると、これがうまく印刷できるではないか。裏と表の質感の違いを活かすことができる。

 難点は、巻き込みやすいことと、サイズが大きいことだ。

 紙の厚さはまちまちである。いつも使うコピー用紙と較べると少しばかり薄く、それが漢字を書くための紙の厚みだ。仮名文字用は更に薄く、コピー用紙の半分、百分の三ミリしかない。これでは巻き込むのは仕方ない。が、漢字用紙なら手差し印刷できそうだ。

 私は妻から貰った紙を、知り合いの印刷屋で裁断してもらった。


 さて、そうして印刷してみると、とても風合いが良いではないか。

 それをどうするか。考えるまでなく、和綴じ本にしたのだ。

 二つ折りにして表紙をつけ、糸でしっかり綴じるだけのことだが、初めての体験だった。

 更に体裁よくするために用紙に枠を引いた。すると印刷で傾くのか、枠線が揃わなくなることに気付いた。ならば、枠線を基準に用紙を裁断すれば線の高さが揃うではないか。

 作業ははんざつになるが、それで完成度が上がった。

 私は、ふとしたはずみで新技術を獲得してしまったのだ。

 どんなに気持ちが高揚したことか、想像できるだろうか。

 ところで、その技術を使いたい。上手になりたい。私はその気持ちに衝き動かされた。

 そこで採った行動は、友の作品を本にすることだった。


 一方的な善意の押し売りであることには違いないが、受け取ってくれた友が喜んでくれた。

 創作を通して、他人が喜んでくれるのを実感することは皆無ではなかろうか。ところがこういう手段を採ると、それを実感できるのだ。

 個人の純粋な娯楽から、一歩進んだ満足。そして、他人を喜ばせる満足へとステップアップしたのだ。


 ある友に贈った本を、殊の外喜んでくれた。

 次の友も、また次の友も喜んでくれた。

 自分の作品が本になることは嬉しいだろう。が、同時に、和紙の和綴じ本であることも嬉しさを増すのではないかと思う。

 それほど喜んでくれるのなら、サークル課題を短編集にしようと思い立った。


『良い構想を練ってくれよ』一枚印刷するたびに思いを籠める。

『良いことばを選んでくれよ』紙を折りながら語りかける。

『自分を見失うなよ』裁断しながらニヤニヤ笑いを浮かべたりし、

『今頃、ワクワクしているだろうか』紙を揃え、穴を穿ち、糸でしっかり綴じながら想像する。

 そして、『みんな驚けよ、これがたった一冊しかない本だぞ』宛名を書く私が、きっと一番ワクワクすることだろう。


 世界に一冊しかない手作りの本。洋紙では真似できない風合いと手触り。

 きっと気持ちが昂ぶる。思う様新しい話を書いてくれる。そう思いたい。


 我々の遙か遠い祖先が言葉を発明した。

 次の祖先が文字を発明した。更に次の祖先は筆を発明し、板に書くことを思いついた。

 板が紙となり、筆が鉛筆やボールペンとなった。

 そして現代においては電子媒体が活用されている。しかし、代を下るにしたがい、発明の重要度は下がっている。

 手書き頻度はずいぶん減ってしまい、漢字すら忘れかけているのが現代人だ。

 和紙に毛筆書きなど、日常生活では不要となりつつある。

 だからこそ、心の中を文字で表す友の背中を押してやりたい。



 ふとしたはずみの出会いだったが、和紙は新しい悦びを教えてくれた。

 製本しながら、そんなことを考えている。


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― 新着の感想 ―
[一言] 『天地』 「天」は本の上部のこと 「地」は本の下部のことを表しているんですけど どうして、上下と言わなかったのか疑問ですね。 漢字が中国から来たことによるかもしれませんが、 これは私の…
[良い点] 創作への愛、仲間への愛、それを感じました。 [一言] 齋藤さんの行動力には、いつも驚かされます。 しかも、行動だけでなく、しっかりとした考えも持たれていることには脱帽させられっぱなしです…
2017/07/02 20:03 退会済み
管理
[良い点] 今までの経緯で思いが伝わり、ますます齋藤さんを知ることになったような気がします。 これからもよろしくお願いいたします。 [一言] 昔は紙とペン、和紙と筆、限られた環境の中で本を制作するには…
2017/07/01 10:14 退会済み
管理
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