飴玉ひとつ,ありまして。
ぺりぺり,とビニールを開く音に続いて,かろん,と固いもの同士がぶつかる音が聞こえて私は顔を上げた。ふと見上げた視線の先には澄ました顔でノートにシャープペンを走らせる相方の顔。ペンを持っていないその左手にはさっきまではなかった飴の包み紙が,指の隙間からほんのわずか顔を覗かせていた。
「……何?」
「飴?」
「ん。乾燥してるから。」
期末試験が目前に迫った冬のある日。腐れ縁で幼馴染である拓哉の部屋。特に乱雑な訳でもないが,殺風景というほど物がないわけでもない。……とはいえ,小学生の頃の部屋とはだいぶ変わっていて,大学に入って初めてこいつの部屋に来たときは思わず笑ってしまったものだが。そんな部屋の中央にでん,と置かれたちゃぶ台様の机の上一杯に2人分のノートと教科書が散乱している。
目線を再び教科書に下ろして間違えた箇所に赤ペンを走らせる。授業中に果たしてこれの説明はされていたのだろうかと首をかしげながら教科書をめくった。ぱらり,と乾いた紙の音がしてちらりと目線をそちらへやれば,私がとった授業ノートを遠慮なくめくって書き写す拓哉の姿があった。いや,授業中に自分でノート取れよ,という言葉は舌先まで出したところで喉の奥に押し戻した。
思えば中途半端な関係である。そもそも,拓哉とは幼稚園時代から中学校卒業まで腐れ縁のように同じクラスになり続け,高校に入ってようやく学校が別々になったかと思えば,大学に入って同じ学部で巡り合い,しかも私の苗字が細木であちらの苗字が紺原なもんだから学籍番号は隣同士で,新入生オリエンテーションの時に「またお前かよ。」と言われたくらいである。誰が好き好んでお前と一緒にいるもんかと思ったが,物事因果なもので,幼馴染という良くも悪くも遠慮のいらない関係から,知らず知らず課題などを見せ合ったり,情報交換をする仲になった。
「葵,これなんて書いてあんの。」
「え?……っと,えー……Zaitsev……かな。」
「最後のこれrじゃねえの?」
「そんくらい教科書見て確認しろ。」
「へいへい。」
授業中の殴り書きなど,人に読めるように書いているわけがない。だからノートを取れと,という言葉は,舌先から再び喉に押し込まれた。
向こうから声がかかったのは2年の秋である。いつものようにサボった講義のノートを見せろと言われて,呆れ半分に写真を撮らせていたら,拓哉の「お前,もっとレベルが上の大学目指すんだと思ってたし,十分狙えたんじゃねえの?」という言葉が飛んできた。その言葉があまりにも意外で,咄嗟に言葉が出てこなかったくらいだ。そりゃ目指そうと思えば目指せたし,一応下調べくらいはしたけれど,何故だかあまり魅力は感じなくて,なんとなく地元で一番レベルが高いここならまあ,いいか,くらいの気持ちでここ入学したわけで。「特に理由はないけど。そういうあんたはだいぶ無理したんじゃない?」と自分でも自覚できるくらいの沈黙の後にそう言い返せば,「そうでもねーよ,地元校舐めんな。」と言い返された。そこから何故かお互いの話に花が咲き,その夏に互いにアルコールの摂取が合法化したばかりの私たちは居酒屋でスローペースなサシ飲みと相成った。というのも,私は最近大学への進学実績を伸ばし始めて話題になっていた地元近所からやや離れた進学校と呼ばれる高校に通い,拓哉は変な言い方だが学力としては中の上か中くらいの地元の高校にそのまま進学していたからだ。お互いの校風の違いが面白くて,ついつい話に花が咲いたんだろう。2時間程話し込んでお互いほどよく酔いが回ったところで拓哉が「ま,俺はこれで良かったけどな,がむしゃらにやってよかったぜ。」と言う。何故かと問えば「そりゃ,お前をモノにするチャンスをずっと狙ってたから?最低でもこの学校ならまだチャンスはあるかって思ってたらビンゴ,やっと俺の打順かって感じだぜ。」とやや目を逸らしながら言われた。酔っぱらっているのかと心配をすれば「ずっと幼馴染やってきた奴に今更素面で言えるかこんなこと!」とやけに顔を赤くされながら言い返された。そこまで言われてようやく自分が告白めいた物をされたのだと気が付いたあたり,私もそれなりに酔っていたのだと思う。結局後日,半分謝罪交じり(もちろん,酔っぱらっていたことについてである。)に「好きです,ってかずっと好きでした付き合って下さい。」とド直球な言葉で言われて彼のヘタレ認定と同時に幼馴染としてではなく,男と女という異性同士としての付き合いが始まったのが,1年位前。
「ここの反応わかんねえんだけど。」
「例題見ろ。反応機構全部載ってる。」
「ういっす。」
といってもお互いの関わり方や相手の扱いは今までとあまり変わらない。デートらしき行為が2回あったか,くらいで基本的には学校で話をするくらい,そして試験前にこうして拓哉の家で勉強するくらいの関係である。特に恋人だからと言って何か特別意識するようなことをしなくていいのが楽で心地いい。まあ,世間で言ういちゃつく,という行為がなかったわけではないけれど。
かろん,ころん,と口の中で飴を転がし続ける拓哉。ずいぶん大玉の飴を舐めているらしく,長いこと舐めている割にはまだ口の中で転がすだけの大きさがあるようだ。その音を聞いていたら,なんだか自分も飴が欲しくなった。そう思うと喉がやけに乾燥しているような気がしてくる。不思議なものだ。握り続けていたシャープペンシルを机に転がして頬杖を突きながら言う。
「ねえ,私にも飴ちょうだい。」
「無い。今食ってんのが最後。」
「なんだ。」
残念。ちょっと口寂しくなったところだったのに。すると今までノートに没頭していた向こうの顔が不意に上がって目が合った。
「……はぁ……葵,ちょっと。」
「何?」
呆れるようなため息と,伏せられた目。手招かれるまま,机を回り込んで隣に腰を下ろそうとした瞬間だった。
突然,思いがけないほど強い力でグイッと腕を引かれてバランスを崩す。そのまま倒れ込むようにして着地したのは床ではなく胡坐をかいて座っていた拓哉の膝の上。その状況を飲み込む前に後頭部と肩をそれぞれ片手で掴まれて,口づけられる。
「ちょ……っ……んんっ……!?」
抵抗空しく唇がこじ開けられて,舌がねじ込まれた。飴のせいだろう,鼻腔すら満たし尽くすほどの甘ったるい息が流れ込んできてこちらが一瞬噎せそうになるのを堪えているのもお構いなしに,口の中をめちゃくちゃに舌でかき回される。
「……,……っん…………!?」
さら,と後頭部を押さえていた手が首筋から背筋をなぞり,腰に回る。肩口にあったはずの手もいつの間にか腰に添えられていて,両腕で抱き込まれるような格好に。唐突にぐっと力を込められて抱き寄せられて鼻にかかったような声がこぼれた。飴の甘い香料の香りに混ざって拓哉の髪の匂いが鼻をくすぐる。離れようと腕に力を込めて胸を突こうとするが,無茶な姿勢に加えて腰を根元から抱き込まれていてなかなか思うようにいかない。その腰に回った手がやたら熱っぽく往復しているのに気づくのには少しかかった。
「……ぅ,ん……!」
――私が背筋をなぞられるのを苦手にしているのを知っていながらニットの裾をたくし上げて背骨に沿って手を這わせてくる。隙間から冷たい空気が入り込んできてゾクッとした。そんな私の反応もお構いなしに背骨に沿って指先を何度も往復させる。その間も,こちらの口の中で舌を蠢かせるのを忘れないあたり器用なものだ。体が嫌でも熱を帯び,蕩けるような感覚がじんわりと脳を犯していく。腰から胸をかすめて首筋をなぞり頬を包み込んだ手にあらぬところが疼いた気がして,思わずあいつに身体を寄せた。息が苦しくなってあいつの肩を無理やり押せば,名残惜しそうに上唇を優しく食んで離れていく。
「……っは,何すんのよ……!」
「んー……?何って,ナニ?」
「っ……ケダモノ。」
「……はぁあ……あのさぁ。」
幼馴染だからってちょっと油断しすぎ。
急に力を込めて抱き寄せてきた腕が,耳元でそう吹き込まれた声が,吐息が,やけに熱い気がして,また身体が疼く。自分のものとは思えない飴のように甘ったるい声が鼻から抜けるように漏れると「かーわいい。」と耳元で笑われた。
「気づいてないのかよ,顔真っ赤。」
「誰のせいだよ!バカ!変た……ひぁっ!」
首筋に唇と舌が触れてくる。そのまま鎖骨まで滑り落ちて,キュっと吸い付いて離れていく。手のひらが誤差程度の胸の膨らみを包み込んで円を書くように撫でていく。自分の中心から堰を切って零れ溢れ出しそうな熱を抑え込みたくて,でも自覚してしまったが故に甘い官能から逃れられなくて,抵抗するために添えた手がいつの間にかあいつの腕にすがるような格好になっていて,口の中に残る甘さが唾液なのか飴なのかもう判断がつかなくて。ああもう,訳が分からない。
「……抵抗すればいいのに。」
「……うっさいバカ……。」
できないと知っているくせに意地悪く笑いながらそんなことを言ってくる。いつの間に胡坐の上に跨るような格好になっていた私の腰を,自分の脚を使って強く突き上げるように揺すぶってくる拓哉。少しの刺激でさえ今の私には良く響く。
「……逆に……,逆にここで私が抵抗して……あんた止められるわけ……?」
「数年我慢し倒した俺の鋼の理性ナメんなよ……と言いたいところだが。」
ガリッと飴を噛み砕く音と,背中が床に着く鈍い音が重なった先で。
「……無理。」
と飴の匂いが残る甘い声で囁かれた。
甘い甘い飴玉一つ,強請っただけだったのに,と融けていく思考の片隅で,そう思った。
せっかく書いたので投稿はするけど消すかもしれない,書いてる途中から恥ずかしくなりました,慣れない事はするものではないですね。