03
元の世界では、私はあまり人を治療することがなかった。
祀られていたのにどうして、と自分でも思うが、両親曰く大切なのは『ブランド性』であった。
私としては、折角能力があるのだから、誰彼構わず治してあげればいいと思った。
けれど、それは許されなかった。
それでは『彼らの信じる神の使い』として相応しくないらしかった。
教団の信者には、私の癒しを受けたいがために入信した者が数多くいた。
両親はあまり信者の前に私の姿を出すことはしなかったが、時たま神事の際に信者を見たときは、御簾越しでも隠し切れないぎらついた視線に鳥肌が立ったのを覚えている。
実際、懇願しながら私に近づき、何人かが連れて行かれたのもその時に見た。
やっぱり間違っていると、私は思った。
治療を受けたい人は、須らく治療してあげればいいのだ。
それがお金持ち、お偉いさんでなくても、私には関係がない、同じことだ。
どうせ外の世界と関わることはないんだから。
だからこの世界に来て、自由にチームメイトを癒せることは、ここに来て良かったと思える数少ない理由の一つだった。
「…………ルーダ、これでどう?」
癒しの力を高める魔方陣の中央、私は彼の肩から手を離しながら尋ねた。
「むぐ…うぅー!!」
「…あれ、まだ一時間も経ってないのか」
少しずつ開くようになってきたものの、不完全に術の解けた口でルーダはうめき声を上げた。
この学園に来て、治療術について学んだり、繰り返し怪我の治療を行ったりしたお蔭か、治療の速度が上がっている。
綺麗に閉じきった傷口を見ながら、私は満足げに頷いた。
「おーい、調子はどうだー?」
すると治療室のドアがキイと開き、レイバンが入ってきた。
この治療室の良いところは、受付があるためチームの関係者以外は容易に入れないところだ。
身構えることなく私は後ろを振り返る。
「うん、もう治療は終わったよ。ただ…」
「ただ、何だい」
「ぐうっ、むがぁああ!!」
「…これは、悪魔祓いの水でもかけられたのか…?」
「いや…バジルが怒って口を石化させたの。それがまだ解けてない」
「何だ、自業自得だな」
「ギッ!!」
「いでででで!!? コラッおま噛みつくな!!」
ルーダはまだあまり開かない口の端で、器用にレイバンの指に喰いついた。
一瞬喰いちぎるのではないかと冷や冷やしたが、まだ口の力が出せないことが幸いし、力が緩んだところをレイバンは頭を押さえて引き抜いた。
指には僅かに血がにじんでいる。
「ってー……ゆらちゃんが心配で様子を見に来て正解だった!
お前はしばらく頭冷やせ!!」
そう言うと、レイバンはもう片方の手で私の腕を掴む。
「えっ、ちょっと」
「行こう!!」
私は引かれるがままに必死に歩調を合わせる。
部屋を出る前にちらりと振り返ると、ルーダと目が合う。
が、すぐに逸らされてしまった。
やっぱり今日の事はいろいろとショックな部分も大きかったのだろうか。
私は付き合いきれないのと、そっとしておきたいのと半分で、レイバンに続き後を追った。
「…ねぇレイバン」
「何だいゆらちゃん」
「お昼のこと、バジルから聞いたんだよね?」
西棟から出てファイへと戻る途中、私は彼に手を引かれたまま問いかける。
「ああ、そうだ。戦い始めたところから見てたらしい」
「そうだったんだ…」
ならもう少し早く介入することが出来なかったのかと思ったが、あの場にラッセルの仲間が他にも居たことを考えると、慎重に動いたバジルが正解なのかもしれない。
「話を聞いて驚いたよ。
まっさか朝の話に上がった新入生がアイツの弟で、兄を殺しに戦いを挑むなんてさ」
「うん…」
「アイツが腕やられるほど激しい攻撃なんて、ゆらちゃんに怪我はないかい?」
「うん、なんとか…」
「嘘ばっかり」
突然ぐいっと手を引かれる。
私が彼の胸に手をつき戸惑う間に、彼は私の前髪をさらりと分け、額に触れた。
「…ほら、真っ赤になって腫れてる。
仲間のことだけじゃなくて、自分のことも気にしないと。
それとも……君の代わりにオレがずっと、君のこと気にしててあげようか?」
「………ち、ちょっと!!」
私は慌てて腕を振り払い、その身体を突き飛ばすように離れた。
鼓動が速い。
まず両親以外の人と話すことの殆どなかった私には、刺激が強すぎた。
私は自分を落ち着けるように髪を撫でつけながら、背を向けたままレイバンに言う。
「……本当、こういう事気安くするの、やめてくれない?」
「へえ、相変わらずつれない割に意識してくれるんだ」
「し、しょうがないでしょ!!
私引きこもりだったんだから!!」
「君の話を聞く限りでは、君は“引きこもらされ”だと思うけどね」
「う…!」
レイバンはそうやって、いつも私のことをさり気なくフォローしてくれる。
そうされると、私はいつも牙を抜かれたように、彼を責められなくなってしまう。
こういうことが、女好きの彼がこの学園に来る前に身に付けたスキルなのかもしれない。
私は自分の人生経験の希薄さを少し恨めしく思いながら、レイバンに向き直った。
「…じゃあ私ファイに帰るから」
「分かってるよ、だからオレが送る。
そうしないといけないの、君も分かってるだろ?」
「くっ……」
そうだった。
私は一人で拠点に戻ることもできない無力な癒し手だ。
「…帰る!」
「はいはい。何処へでも付き合いますよ、姫」
そんな芝居がかった台詞を背中で聞きながら、つくづくこいつは食えない馬だと私は思った。
「さあどうぞ、召し上がって下さい」
その夜、ファイの長いダイニングテーブルには、須臾が腕によりをかけた日本料理が並んでいた。
元々一年生の時から、私と須臾と薬師の日本出身組は、毎週月曜日には学園内の調理室へ集まって、須臾の作る日本料理を食べながら駄弁るという活動をしていた。
二年生になり、拠点が授与された。
なら、折角なので皆に振る舞いましょうという須臾の提案により、この一学期初めの食事会は開かれることとなったのだった。
ただ、企画時は食事会がこれほど深刻なムードに包まれるとは思っていなかったが。
「ルーダは欠席ですか」
須臾は食事の並んだテーブルにぽっかりと空いた空席を見やる。
彼は今日帰ってこないつもりだろうか。
それとも、
「もう殺されてるかもな」
「バジル、滅多でも無いことをいうな」
ローランは静かにその発言を制した。
だが、今一番一人で行動すべきでないのはルーダで、この場の全員が片隅にその可能性を留めているのは間違いなかった。
須臾は尻尾を揺らして、少し顔を曇らせた。
「そうですね……元気が出るようにと、折角彼のお寿司にもたっぷりワサビを入れたものを一つ混ぜたのに、残念です」
「…ぶぉっほ!!」
すると斜向かいに座り食事をしていたレイバンが突然咳き込んだ。
幸いなのは、噴き出したその前、私の隣の席がルーダの席だったことか。
「…ばっ…てめ、何でオレの料理にヘンなものっ…!!」
「ワサビです。東洋の香辛料ですよ」
「そういう、ことを…言ってるんじゃなひっ!」
レイバンは涙目で水を掴み、ごくごくと飲み干す。
私の左側で、薬師はへらりと苦笑いをしてその様子を見た。
「大丈夫だよレイバン、ワサビの辛さは感じた時が全てで、後は引かないから」
私たちも、日本食会の時にはよくハズレを引いたから、彼の気持ちはよく分かる。
須臾の料理の腕はとても良いのだが、メニューの何処かに度を超えた辛味や酸味などを仕込んでくるのが玉にきずだった。
「それより…本当に大丈夫なのかな、ルーダ…
相手は…彼の弟は、本気で殺しにかかってるんだよね?」
「うん……そう言ってた」
ラッセルはあの時食堂で「殺しに来たよ」と言った。
となると、彼はポイント稼ぎの為だけでなく、ルーダと何かしらの因縁があるのだろう。
「ルーダが私怨で狙われるとしたら、厄介だな。
取引もできず、“イレギュラー”となる可能性が低くなる」
「そうですねぇ。
確実に息の根を止めに来るでしょうから」
そう頷いてから、須臾は茶碗蒸しをすくい上げた。
そうか、私はすっかりそのルールを頭の隅に追いやってしまっていたみたいで、考慮にも上がっていなかった。
学園の得点加算方法には、重大な穴がある。
『殺した生徒数をチームの得点に加算するには、学園に対象生徒の両側の耳を提出しなければならない』
つまり、左右の耳さえ提出してしまえば、その生徒は死んだものとして扱われるようになるのだ。
そもそも耳なんて、異形達にとって飾りでしかないことが多すぎる。
ここは殺しを推奨する学園なのだから、言ってしまえば心臓の提出を求めたっていい。
それなのに両耳の提出を条件としているということは、やっぱり学園側がわざと用意した抜け道なのだろう。
その、両側の耳を提出されたが、なおも生きている、名簿上は死んだものとして扱われる生徒。
それを“イレギュラー”と皆は呼んでいた。
「上級生にはイレギュラーが暴れてるトコが多いらしいしな…」
ワサビの一件からすっかり回復し、人参の漬物を咀嚼していたレイバンは、それを飲み込んでから言った。
「暴れてるって…?」
「イレギュラーには学園のルールは適応されないからな。
去年も三年以上の学年グループのイレギュラーが一年殺した事や、集団で癒し手を守り役ごと殺した事なんかを聞いたよ」
「…へえ……」
気が滅入る。
学年が上がりこれで一歩生還へと近づけたかと考えていたが、見通しが甘すぎたようだ。
私は沈む気持ちを紛らわすように、まだ温かいお吸い物を口に流し入れた。
「家庭の事情か何かで脅威を増やすなんていい迷惑だ。
使えないなら、せめてイレギュラーになった方がマシだった」
相変わらず、バジルは空気も凍らせるような辛辣さで、吐き捨てるように言った。
向かいに座っていた薬師は苦笑いを浮かべる。
「バ、バジルくん…それは言い過ぎじゃ……」
「……“君”付けで呼ぶなと、既に何度も言っているが?」
「ひっ…!」
鋭くなる眼光に、薬師は竦み上がった。
相手を殺さない特殊な術をかけた眼鏡越しであっても、十分すぎるプレッシャーが彼を襲った。
それは隣に座る私にとっても同じで、冷や汗をかきながらバジルの方を見ないようにするしか術がなかった。
「兎に角」
ローランはナプキンで口の端をキュッと拭ってから、短く声を発した。
リーダーの声に、それぞれがひと時今の状況を置いて、皆の視線が彼へと動く。
「不確定要素が多いが、当面は細心の注意を払い行動しよう。
そこで提案なのだが、しばらくはゆらとチームのうちの一人が、当番を変えずに行動を共にした方が良いと俺は思う」
「え…」
急に自分の名前が出て、私は思わず声を漏らす。
「確かに、癒し手がいなくなればうちの負けは確定のようなものですからねぇ。
私は異論ありませんよ」
「そうだね、常に一人が着くのに加えて他のメンバーもカバーに回れば、最悪の事態を遠ざけられる」
頷く須臾と薬師に、まだ戸惑う私は取り残された気持ちになった。
確かに、この危機的状況で私が生き残れるようにしてくれるのは非常にありがたい。
でも、一体誰がそれを受け持つの?
非力な私を守るような面倒で、責任のかかるその役割を。
巡る疑問に私が口を開こうとすると、その前に声が上がった。
「その面倒極まりない役目は、ボク以外が受け持って。
当番以上に足手まといを抱える事は耐えられない」
するとレイバンが軽く眉を寄せ、彼の涼しい顔を見た。
「オイオイバジル、いくらお前でもそれは勝手すぎるな。
一応ウチはチームで、お前もローランをリーダーに据えることに納得しただろ?
だったら最低限チームの方針には従うべきだ」
「……………フン」
バジルは不機嫌そうに頬杖をつき、そっぽを向いた。
その仕草だけ見ると年下の少年のようなのに。
私が流し見るようにその横顔を見ていると、ローランは言った。
「誰が癒し手の護衛を受け持つのか、それは彼女自身に決めてもらおう」
「………はっ?」
思ってもない提案に、私はそう素っ頓狂な声を上げ、彼の綺麗な顔を見つめた。
その表情はいつもどおり真面目で、さっきの発言が冗談ではないことを物語っていた。
「さあ、選べ。誰に護ってほしいんだ?」
ああ、それは現世で憧れた、王子様のたくさん出てくるゲームの謳い文句。
それが現実になると、こんなに重い意味を持っているなんて。
私は緊張の面持ちで、王子様ではなく、顔こそ綺麗だが異形の者たちの顔を見渡す。
この選択が、私の生死を左右するかもしれない。
だとしたら怖い怖くないではなく、自分の直観を信じた方がいいのだろうか。
いやでも、これからの学園生活が耐え難い苦痛になるのはどうしたって避けたい。
だったら今回は、私の希望を言ってもいいだろう。
私は目を閉じ、大きく深呼吸する。
「………私は………」
そして、心に浮かんだ彼の名前を口にした。