02
「い゛あッ!!?」
突然塞がれた視界と鋭い衝撃に、私の頭は更に混乱する。
額や顎がやけに熱い。
それから遅れて、自分の頭が食べ終えた食器に押し付けられている事を理解していく。
「…へぇ、兄さんやるじゃん。1発で首を落とすつもりだったのに」
「バカ言え。俺様の当番でそんなことされちゃ、無能扱いされっだろ」
「……ッ~……!!」
更に遅れてじんじんとした痛みがやって来た。
声が漏れ、目の奥が熱くなる。
「とりあえず、俺様はコイツを死なす訳にはいかねぇってことだ。だから」
「だから?」
私は激痛に耐えながら、何とか顔を上げる。
血の味がしないのは、額を一番強く打ち付けたからだろう。
ぼやけ霞む視界に、あの歪んだ角が映る。
「だからその前に、俺様が殺ってやんよ」
ああ、あいつが笑うときは何時だって、ろくな事が起こらないのに。
未だ散らばって片付かない脳内で、私はふとそんな事を思った。
ルーダは瞬く間に、童話の悪魔が手にする様な捻れた三又の槍をその手に生み出す。
「ハッ!!」
そして、間髪入れずに私の方へとそれを投げつけた。
「ーーひぃっ!!?」
声が出たのは槍が空を裂く音を残して、もう私の耳のすぐ横を通過した後だった。
「ふふっ…!」
「逃がすかよ!!」
ルーダはテーブルを踏み台に、軽い身のこなしで私を飛び越える。
勢いにガシャンと食器達が散らばり床に落ちる。
私は椅子から立ち上がり、急いで後ろを振り返った。
「うおっ!!?」
「ギャア!!」
見ると、二人はテーブルや食堂内に居る他の生徒の頭を踏み台にしながら、空中戦を繰り広げていた。
羽が有るのに出さないのは、その方が都合が良いことでもあるのだろうか。
いや、多分違う。
少なくともルーダは、こんな状況でも他人により迷惑をかけられる方法を選んでいるのだ。
「逃がさないっ!!」
どうやら、ルーダの弟ラッセルは、属性魔法を駆使した攻撃が得意らしい。
ラッセルが声を上げると、手の平の周りの空間に魔方陣が浮かび、血のように紅い炎がルーダを囲むように飛んでいく。
「…ッ遅ぇ!!」
直ぐ様ルーダは再び手中に槍を生み出すと、炎を薙ぐようにそれを振るった。
炎はルーダの身体に到達する前に掻き消えていく。
「まだだっ!」
ラッセルが再び手を振るうと、今度は鋭利な氷が次々とルーダに向かって行く。
「………っ!」
ルーダは素早く飛び退き第一陣を避け、空中で槍を振るって氷を砕いた。
しかし、それだけでは無数の追跡はいなし切れなかった。
「ぐっ…!!」
「……ルーダッ!!」
避け損なった氷が弾丸のように、彼の肩を貫く。
大きな音を立ててルーダがテーブルに着地すると、ぱたたと、真っ赤な血が滴った。
「あれぇ? 兄さんなまったんじゃなーい?
もう腕やっちゃったけど」
ラッセルは肩をすくめながら、底意地の悪い顔をしてみせる。
ルーダと違って何度か見た顔は清楚だっただけに、やっぱり奴も悪魔なのかと実感させられる。
「うるせぇ!!」
ルーダは顔を歪め槍を強く握りなおすと、ラッセルに向かって行く。
しかしラッセルは対峙を避け、後ろに飛びすさり、ルーダの振るう槍をかわす。
そして、手のひらをルーダに向けた。
「燃えちゃえよ」
「!」
ルーダが槍を構える前に、手の中から現れた炎はその胸元を捕らえた。
爆風に飛ばされる様に身体が吹き飛び、ルーダの身体は食堂の端の壁へと叩きつけられる。
「ぐあッ!!」
「ッ……!!」
あまりのことに、咄嗟に声が出てこない。
あの、傍若無人で自信過剰で、それでも実力は確かだったルーダが、学年が上がった途端に、しかも自分より下の学年の生徒を相手にこんな事になるなんて。
二人の乱闘で狂乱の渦と化していた食堂が、しんと静まった。
そんな人波を割るようにして、ラッセルはその中央を歩いていく。
「終わりだね、兄さん」
「……………………」
ルーダは顔を上げない。
俯いてぴくりともしない。
「命乞いでもしたら?
僕、兄さんが無様に媚びるとこ見たいなー」
「………………………」
私が人を掻き分けて良く状況が分かる場所まで来てみても、ルーダは相変わらず無言のままでいる。
どうして、私の知っているあいつはこんなに大人しい奴じゃないのに。
どんなに劣勢でも相手に唾を吐いて、小馬鹿にした態度で笑っていたじゃない。
それなのに、どうして。
ラッセルはゆるゆると首を振り、桃色の髪を揺らした。
「だめだ、兄さん僕からあんまり長く離れたもんだから、腑抜けちゃったんだ。
ざんねん。また前みたいに楽しめると思ったのに」
ラッセルはルーダの頭上に手をかざす。
それでもルーダは動かない。
ただ、腕から流れる血が床に溜まるばかりだ。
「…でもこれならすっぱり未練ないや。
それじゃあばいばい、兄さん」
「ッ……ルーダ!!」
ラッセルの手に光が集まる。
私は瞬間的に駆け出していた。
私が、彼を癒さなければ。
私に出来るのはそれだけだから。
「きゃっ!?」
しかし、私がそこにたどり着く前に、爆発音とともに大きな風が巻き起こり、私は後ろに吹き飛ばされた。
身体を床に打ち付けたが、痛みは感じない。
私は一秒でも早く状況を確認しようと、崩れた体制のまま後ろを向いた。
「………え……ッ…!!?」
その光景は、私の想像してしまったものとは全く違っていた。
ルーダの扱っていた槍の真ん中の突起は、ラッセルの細い手首を貫通し上に伸びている。
ただ、ルーダは腕一本動かしてはいない。
「グぅうっ…!!」
ラッセルは顔を歪め手首と槍の境目を押さえた。
勢いよく噴き出した血が槍を伝い落ちる。
そして槍の根本の、ルーダの流したであろう血と混じり合っていく。
「……兄さん…これを狙って…ッ!!」
「…………ハッ、お前知らなかったろ?
これ、学園来てから覚えた新技」
ルーダは顔を上げると、いつもの様に、にっと笑った。
その顔を見て私はほっとする。
まさか、彼のこんな意地の悪い顔を見て安堵する日が来るなんて。
「で…覚悟はできてンのか?」
ゆらりとルーダが立ち上がる。
相変わらず腕からは血が止めどなく流れていて、こちらの方が重症なのではないかと思ってしまう。
「…このまま殺り合ってもいいけど…もう時間切れかな?」
ラッセルが槍を掴み力を込めると、それは黒い粒子となり霧散した。
塞ぐものが無くなったせいで余計に血が噴き出すが、彼は顔をしかめるだけで声を上げなかった。
「何だとテメェ、逃げんのか!?」
「僕にも兄さんにも、お迎え、来てるしね」
「お迎えって…」
ラッセルの言葉に私が辺りを見回すが、特に誰の姿も見つからない。
「おいおいラッセル、お前負けたのかよ。
手ぇ血だらけじゃんか」
「え…っ!?」
突然近くで響いた声に私が視線を戻すと、いつの間にかラッセルの隣には背の高い男が立っている。
その姿はローブに覆われていて、見た目から種族などを推測することはできない。
「何言ってんの、負けてないし」
「でも勝ててないだろ?」
「……ああもう、行くよ」
「おい、待てよ!」
私たちに背を向けるラッセルへ、ルーダは手を伸ばす。
しかしその手がラッセルの肩を掴む前に、隣を歩くローブの男の手によって掴まれてしまう。
「やめとけ先輩、これ以上やり合ったらお互いタダじゃすまねぇし。
お互い頭数は三人、こんなところで総力戦でも始めるか?」
「……………チッ」
ルーダは不快そうに眉を寄せ、その手を振り払う。
この男以外にも、この場にはラッセルの仲間が来ているらしい。
結局自分のチームの仲間がどこにいるのかは分からないけれど。
「じゃあ、またね、兄さん」
ラッセルは怪我をしていない方の手を軽く振って、そのまま二人で食堂を出て行った。
その後ろ姿をルーダは野良犬の様に牙を向いて見送る。
これだけ怪我を負わされてなお引き分けにされるなど、彼にとっては屈辱の極みだろう。
けれど、いつまでもこうしている訳にもいかない。
敵はあの弟達だけではないのだ。
怪我をし弱った生徒を狩ろうと、今か今かとタイミングを伺う者が居るかもしれない。
私はルーダに声をかける。
「…ねえルーダ、私たちも医療室に行こう。
早くしないと……」
「分かってる!! けど、早くする必要はそんなにねぇよ…っ」
「でも、他のチームだって」
「…だから、チーム最強が来てるっての」
「え」
ルーダの声に私が再び視線をさ迷わせると、確かにそこに彼は居た。
気配を消していたからか、それとも、こんなことを本人に言ったら確実に消されるだろうが、その背丈が他の人に隠されていたかして、今まで見つけることができなかった魔獣の姿が。
確かに、彼が居るなら安心だ。
ここで応急処置くらいはする余裕がありそうだ。
そう考えると、私はルーダの隣にしゃがみ込む。
「分かった、じゃあ肩出して。先に応急処置するよ」
「おーい、聞けよバジル。
ゆらがお前チビだから全然見つけられなかったってよ」
「ルーダッ!!」
この悪魔、これだけ血を流してもなおしおらしくならないのか。
私たちに近付いて来たバジルの眉がぴくりと動くのが分かる。
ああ、違うの。
確かにちょっとそう思ったけれど、間違っても口にしたりしないから。
「…………いいだろう、ならここで二人とも死ね。
ローランには既に殺されていたと報告しておく」
「待って!! ごめん! 違うの!!
この馬鹿がいつもふざけたことしか言わないのは、バジルだって分かってるでしょ!!?」
「随分な言いようだな、でも本当だぜ。
俺様最近な、悪魔の格が上がって、人間の心が読めるようになったからな」
「っえ!!? ちょっ、あっ、いや」
「なーんてうっそー」
「…ルーダ!! こんな状況でふざけないで!!」
「でも今の反応は、やっぱりバジルのことチビだって思ったって事だよなァ?」
「ち、違う!! 思ってない!!」
「そうか、よく分かった。
チームメイトが一人死のうが二人死のうが、ボク一人で十分だ」
「お、やるか? バジル」
「やらない!!」
どうしてこんな事になるのか。
悪魔という種族は、弱った時も素直に『治してほしい』と頼めないのか。
慌てふためく表面とは裏腹に、私はどこか冷静にそう思う。
そんなことを思えるのも、ルーダがバジルの最終ラインを踏み越えることがなく、バジルが自分に無益な殺しは言うほどしないと信じているからだ。
一年前からは考えられないほど、チームを信頼しているんだなあと、私は思いながら、二人の仲裁に入るのだった。
「ほら、早く真ん中に行ってよ」
「……………! …………!!」
三人は食堂の一番近くにある、学園西棟の医療室にやって来ていた。
ちなみにルーダは応急処置の後も散々軽口を叩いていたが、それなりに腹を立てたバジルの石化術によって口を封じられた。
どうやら悪魔は喋ることができないと死んでしまうようだ。
抗議するようにこちらを睨み付ける彼は、怪我をした時よりもずっと弱っているように見える。
「なんだルーダ、足も封じるか?」
「……………」
なかなか陣の中央へ進もうとしないルーダへ、バジルが眼鏡を直しながら声をかける。
すると彼はダンダンと大きく足音を立て床に八つ当たりをしながら、所定の位置へ進んでいった。
その様子を、バジルは呆れたように眺める。
「ゆら、これが治療を望む者の態度だろうか」
「私もおんなじこと考えてた」
「いっそのこと、奴の腕は捨てたほうがこっちにとっても都合が良いのでは」
「………!!」
「うわ…すごい怒ってる」
一層足を踏み鳴らすルーダに、私は少しだけ罪悪感を覚える。
まあ、誰だって片腕をみすみす無くしたりはしたくないだろう。
それならもう少しそれなりの態度をとってもいいのでは、と私は思うが、彼にそれを期待する方が間違っていることに気付く。
「……それじゃあ、じっとしててよ」
「なんだ、結局治すのか」
「えっ……さっきのはただの冗談でしょ?」
ぎょっとして私はバジルの顔を見る。
その涼しい顔にはルーダの様な意地悪さは一つも感じられない。
蛇というのは無表情に毒を吐きかけるものなのだろうか。
そんな事をつい考えてしまっていると、バジルは私たちに背を向けた。
「もうボクは行く、術は一時間もすれば解ける」
「あ…うん、ありがとう!」
私ははっと意識を戻し、その背中に賛辞を述べた。
バジルは何も聞こえないように、そのままのペースで部屋を出ていった。
一つほっと溜息をつくと、私はルーダの方に向きなおる。
口は開けないものの、こちらを、正確にはバジルの出ていった後の扉を食い殺さん表情で見つめていたルーダと目が合う。
「それじゃ、始めるよ」
その声に私の顔を見たルーダは、ばつが悪そうにすぐそっぽを向いた。