第0話:いつも通りの日常
駄文ですが、お付き合いいただければ幸いです。
ぱるるるるる。
夏の夕暮れ。片田舎のあぜ道を古びた原付が軽いエンジン音を鳴り響かせながら走っていく。その前かごには晩御飯の材料となる食材がビニールに入れられてすっぽり収まっていて、路面の凹凸に揺れる原付に合わせゴトゴトと揺れている。
その原付に跨っているのは築島慶太、つまりこの僕だ。ハーフキャップ風の真っ青なヘルメットが似合っていないことは自分でも自覚している。祖母にはジェット型のヘルメットをかぶるように言われたけど、いくら夕暮れとはいっても未だ暑いこの時間帯に顎まですっぽり覆うようなヘルメットはできれば御免こうむりたかった。安全面で心配してくれるのはうれしいけどね。
まあどうでもいいか。それより今日は祖母が僕の好物であるサバの味噌煮を作ってくれる約束なので、ささっと帰ることにしよう。僕は気持ちアクセルを開けてスピードを上げた。
僕は祖母と二人で暮らしている。御年70歳の祖母は典型的な、といったら言葉が悪いかもしれないけど所謂孫に優しいおばあちゃんである。両親は、もちろんいる。別に死んでなどいないし、離婚もしくは別居中というわけでもない。僕の妹と一緒に、ここから50kmほど離れた住宅街に住んでいるはずだ。
僕が家族の下を離れているのはつまり、来年の大学受験のためだ。僕は生来のめんどくさがり屋で、自室にいるとゲームや漫画に目が行き、どうしても怠けてしまう。だから実家に比べて多少は緊張できる祖母の家で、家事の手伝いをしつつ勉強しているのだ。
ちなみに、初めは両親に反対された。強く反対されたわけじゃなかったけど両親曰く、
「自室で勉強できないならどこでも同じじゃね?」らしい。そのあたりでひと悶着あったけど、最終的には認めてもらえたので何よりである。部活に所属していなかったおかげで勉強する時間はあり、机に向かう習慣自体はあったし、成績も中の上、贔屓目に見て上の下くらいはあった。それらが相まって両親の信頼を得ることができたのだろう。やったね。
デメリットとしては学校からは随分と離れてしまうことくらい。しかし原付に乗って通学してもよいことになっているので距離は大した問題ではない。デメリットなどあるようでないものだ。それにしても原付での通学を承認してくれるとはなかなか寛大な学校である。数少ない、本当に数少ない友人の一人とそのことについて話をしたときには、
「ん? ああ、まあ確かに珍しいかもねえ。でもでも、昔はそうでもなかったみたいよ? うちの卒業生はたいてい畑するし、ここも田舎だから昔の名残じゃない? ただでさえうちは校則ユルいしね。大助かりだよ」
というなかなか理屈にかなった意見をもらった。男子は学ラン女子はブレザーというわけのわからない校則もあるにはあるが、みんな適当なシャツやアクセサリーを付けているし、それを咎められることもない。お菓子の持ち込みも問題ないし、髪を染めたりピアスを開けることだって自由だ。これほど自由だと不良もしくはヤンキーなどは逆に鳴りをひそめるらしく、その絶対数は少ない。平和な学校で、しかも校則もユルイ。働きたい人は実家の農業を継ぐなり上京するなりすればいいし、進学したい人ももちろんできる。
適当に高校を選んだとはいえ、なかなかいい学校に巡り合えたと僕はひそかに思っていた。
そしてその日の学校生活を無難に送った後は、帰路につく間に日課の一つである買い出しをする。祖母は買いだめをしない主義で、その日の材料はその日に買ってすべて使い切る。なんでも、そのほうがおいしくご飯を食べれるし、なにより食材を腐らせて無駄にしたくないらしい。
勿論冷蔵庫があるのでそうそう腐ることはないはずだが、これは祖母の癖のようなものらしい。この話をするたびに、いかに現代が便利かを昔の思い出話とともに聞かされる。・・・・・ちなみに僕がさっき乗っていた原付も約20年ほど前のものらしい。スピードはあまり出ないけど、それ以外の部分には何ら問題はない。むしろ小奇麗でちょっとレトロな外見をしているので割と気に入っているのだが、その耐久性はやはりちょっと不思議。祖母曰く、付喪神がうんぬんかんぬん。
そして今は祖母と他愛のない話をしながら食卓を囲んでいた。
「ばあちゃん、このサバの味噌煮は普段と違う気がする」
なんだろう、コクというか、味の深みというか、そんなものを感じられる。気がする。料理漫画の登場人物みたいな美食センスも語彙力もないから上手く言えないけど、普段よりも良い方向に違っているのははっきりと分かった。
「おぉ、気が付いたかい。さすがあたしの孫だねえ。おいしいかい?」
祖母は驚いたように目を見開くと、満足そうにほほ笑んだ。
「うん、なんかいつもより高級感あふれる味わい?な気がするよ」
「そうかいそうかい。それはね、いつもよりちょっとお高い日本酒を使っているからさ」
「なるほろ、この深い味わいにはそんな秘密があったのか。それにしても珍しいね、大したことじゃないとはいえ、ばあちゃんが贅沢するとは」
祖母は贅沢をしない傾向がある。ちょっとしたお祝い事や学校行事の際に作ってくれるお弁当は贅沢な場合があるから、あくまでも「傾向」だけど、基本的に余計な出費をしようとしない。どうやら若い頃の経験が関係しているみたいだけど、祖母はあまりその話をしようとしない。現代は便利だとか、昔はもっと苦しくてだとか、そういった話はするけど彼女がどんな苦労をしてきたのかは聞いたことがない。以前一度それとなく聞いてみようとしたけど、上手いぐあいにけむに巻かれてしまった。それ以降、話題に出さないようにしている。
「あたしゃ自分のためには贅沢なんぞしやせんが、かわいい孫の為ためならやらんこともないのさ。・・・まあ、もちろんそれ以外にも理由はあるんだけどねえ?」
「そっか。ありがと・・・ってあれ、なんですかその意味ありげなにやりフェイスは。さては何か企んでおりまするな? お代官様もお人がお悪い」
「ひひひひひ、実はな、隣の宮田のくそじじいが今朝ねぇ・・・」
「ふむふむ」
祖母の話は聞いていて面白いし、僕の話もよく聞いてくれる。ちょっと口が悪いところがあったりいたずら好きな面があったりするけど、そういう部分を全部含めて僕は祖母が大好きだ。お祖母ちゃんっ子であるのは認める。異論、反論はない。
「・・・おや? 珍しい。空気が震えたねえ。ここしばらくはとんと無かったのに」
「え? 何のこと? 風でも吹いた?」
祖母との何気ない日々は受験を前に焦る僕に確かな安らぎと平穏をもたらしてくれる。特にこの食事の時間が一番落ち着く。もしかしたら実家にいる時よりも落ち着くかもしれない。
そんなことをつらつらと考えつつ、それから一時間ほど暖かいお茶を啜りながら閑談し、お風呂が沸いたというラブコールがキッチンから聞こえてきたところで僕は席を立った。湯浴みを終えたら着替えて、眠気が襲うまでだらだらと勉強をしよう。
いつもと同じ。普段と何も変わらない日常だ。まるでリピート再生するようにその日その日を過ごしているけど、この変わらない日常こそ僕が愛してやまないものである。
きっと明日も明後日もそのまた次の日も、こんな平凡を繰り返すのだろう。
僕はベッドの柔らかい枕に顔をうずめて深呼吸を一つ、まどろむ意識の奥底でそんな毎日を享受できていることに、満ち足りた幸せを感じていた。