漆-怪異ノ終焉
「それで、雪白童子の正体は何だったのだ」
後日、俺は蒼壱法師に連れられて射干玉屋敷に来ていた。樹の上にも情報を求めたという事情もある上に、雪白童子についての依頼をしてきた貴族は射干玉卿の配下の貴族だったのだ。つまり、あの脂ぎった貴族が言っていた依頼主の上司というのは他でもない射干玉卿本人だったというワケだ。その射干玉卿の問いに答える蒼壱法師。
「雪白童子の正体は、おそらく『水子』の霊だったのだと思われます」
「水子」というのは、所謂死産で生まれた赤子の霊の事だ。生まれてくる前に死んでいる、この世に生まれることの出来なかった子ども。その呼び名の由来には「未だ見ず子」、という説もあるという。
「赤子ならば『童子』ではないだろう。何故童の容貌をしていたのだ」
怪訝そうに眉を歪める射干玉卿に、横に控えている樹の上が困ったように視線を送る。樹の上には先程の法師の答えで事情が薄らと察せたようだ。
「雪白童子はおそらくこの世に生まれることが出来れば、右に出る者はいないほどの術者になったでしょう。事実、童子の法力の強さは白金が身を以って体感しています。しかし、童子は生まれることはなかった。それでも、赤子雪白の『産まれたい』という想いとその力の強さによって、この世に引き留められていたのでしょう。そして、生まれた時と同じように、容貌は歳を重ね、力も増した。百鬼夜行に紛れても妖怪達に気づかれる事の無いくらいに」
そこまで話すと、蒼壱法師は溜め息を吐いて、煙管を取り出した。樹の上が法師の煙管に火を点ける。法師は樹の上に礼を言うと、再び話し始めた。
「白金の言っていた地蔵、という言葉が、彼の童子の正体への手引きとなりました。白金の行った墓地に行き確認しましたが、あの墓地に立っていた地蔵は水子供養の六地蔵です。まぁ、元々地蔵自体にも水子供養の意味合いはあったのですが。童子が言っていた『此処が一番安全な場所』というのにも納得がいきます」
煙管の烟を吐き出した法師はそこで、口を噤んだ。今回の件では法師は雪白童子とは一切接触していない。全て、俺と陽暁丸の話しを聞いた上で指示を出していただけだ。
「……お前はどう思う、白金ノ君」
幼名ではなく敢えて通し名で俺を呼ぶ射干玉卿。こういう時は大抵「陰陽師・白金ノ君」としての意見を求められていると承知している。
「童子は、『目的はわからない』と言ってたけど、『果たせたみたい』だとも言っていた。だから、おそらくこれ以上雪白童子についての怪異は起こらないかと」
「そうか」
それだけ返すと射干玉卿は笏を振り、俺に部屋から退室するよう無言で指示する。恐らく、蒼一法師と今回の件の報酬の話しでもするのだろう。俺は樹の上に先導される形で部屋から退室した。
「雪白童子、ちゃんと成仏できていると良いわね」
俺を屋敷から見送る樹の上がそう言った。やはり雪白童子は妖怪ではなかったため、樹の上は何も知らなかったらしい。
「そうだな。次はちゃんと、産まれてきて、正しく力を使ってほしいな」
屋敷の門の敷居からは一歩も出ることはない樹の上に、既に門の外に出た俺は答える。
「そうね。……でも、『正しい』力の使い方って、いったいどんなものなのかしらね?」
口元に笑みを浮かべる樹の上に答えることはなく、俺は射干玉屋敷を後にした。この屋敷の住人は基本的に意地悪な質問をするのが好きなのだ。
「水子、でしたか」
射干玉屋敷を後にした俺は、橘と梓の茶屋を訪れた。蒼一法師からも、今回の件では梓の案で解決したようなものだから、後から法師直々に例に行くことを伝えるように言われていたのだ。
事の真相を聞いた橘は眼鏡の位置を直しながら蒼い瞳を伏せる。情報は多く入ってはいても、真相自体は知らなかったのだろう。――もっとも兄の梓の方はそうとも限らないが。
「僕たちは、この世に生れ出る事が出来たという、ソレ自体の奇跡に感謝しなければいけませんね」
何処ぞの屋敷の住人たちとは違う、優しげな笑みを浮かべながら橘はそう言った。
「そうだな。生まれたこと、住む家があること、職があること、飯が食えること。全てに感謝しなければいけないんだろうな」
「えぇ。でも近頃はそのことをお忘れになっている方も大勢いらっしゃるようですがね」
優しげな笑みは憂いを含んだそれに変わってしまったが、それでも橘の声色は凛としていて、術者や陰陽師などではないものの、己の矜持を忘れてはいないことを示している。
「ところで、お茶のおかわりはいかがですか?」
全く営業上手な兄弟だ。俺の手にあった茶碗には既に茶は一滴も入っていなかった。
「じゃあ頼む。ついでに団子も一皿」
追加の注文を受けてにっこりと微笑む橘の笑顔にふと、最後に見た雪白童子の困ったような笑顔が重なったような気がした。
白金陰陽怪奇譚-雪白童子ノ章- 終