陸-真ト理
蒼壱法師の屋敷に戻った俺は、早速今日起こった出来事を報告した。法師は少年の姿の陽暁丸を膝に寝かせながら、俺の話しに耳を傾けた。
「なるほど、樹の上が駄目ならば茶屋の兄弟ですか。妖にはアヤカシを、ヒトにはヒトの情報を。考えましたね、白金ノ君」
陽暁丸の今日は結っていない緋色の髪を梳きながら法師は言う。その表情は穏やかで、先刻墓地で見た地蔵のようだ。
「君の話しを聞いて、だいぶ童子の正体がわかりかけてきました。ですが、まだですね」
「まだって?」
「童子の『目的』がわかりません。何の『目的』も無く百鬼夜行に紛れる等正気の沙汰ではないですしそもそも危険です。その上相当の法力を持っているという事になる。ところが、童子は神社には入れないと言いましたね。神社には神気がありますので、おそらくそれに関連した事なのでしょう。少なくとも童子に入れる場所とそうでない場所があることがわかりました。ある程度の行動の規則は読み取れるはずです。これは後で屋敷の陰陽師達皆と話し合いましょう」
法師の膝から起き上がり、今度は膝の上に座るような姿勢になった陽暁丸の頭を、法師は肩に寄せる。そのまま陽暁丸の髪を梳き続けながら、さらに続けた。――法師がマシンガントークモードになるとしばらくはこれに付き合わなければならない。
「物事には常に『真』と『理』があるという事は、既に教えてありますね? この弐つが合わさることで物事の本質、則ち『真理』となる。童子の場合、『理』は夜行に紛れて夜を徘徊していた『目的』の事でしょう。では、童子の『真』とは? ……結局のところ、童子の正体を暴かなければ、この謎は解決しそうにありませんね」
法師の背に腕を回す姿勢になった陽暁丸の背を撫でながら、さらに続ける法師。……俺はいつまでこのバカップルのイチャイチャを見せつけられなければならないのだろうか。
「それと、君が先刻童子と会えたのは、この子が関係しているかもしれませんね」
「陽暁丸が?」
「えぇ。陽暁丸は曲りなりにも犬神です。この子は頭自体はそれほど良いわけではありませんが、嗅覚に関しては一級品です。恐らく、この子に嗅ぎ当てられてはいけない何かが童子にはあるのでしょう」
するりといなくなった陽暁丸と、膝から陽暁丸がいなくなったことで立ち上がる蒼壱法師。袖から扇を出し、ヒラヒラと煽ぎながら言った。
「雪白童子の『真』と『理』。暴いて見せましょうか、白金ノ君」
パチンと音を立てて扇を閉じた法師は、ふと俺の顔を見て言った。
「そういえば君、最近寝ていますか? 割とひどい顔色していますよ?」
言われてみれば雪白童子の件に関わり始めてから、俺は一睡もしていなかった。
「少し寝ていらっしゃい。夜の議の刻になったら起こしに向かわせましょう」
有無を言わさぬ笑顔でそう言う法師の言葉に、俺は素直に自室に引っ込んだ。そして、まだ陽も傾き始めたばかりだと言うのに、布団を敷いて寝ることにしたのだった。
「銀丸ー、起ーきーて!」
軽く仮眠を摂るだけのつもりだったが、すっかり熟睡してしまったらしい。俺を起こしに遣わされたのは、屋敷で下働きをしている元孤児の遥と、同じく元孤児で今は御上直属の機関だかで武士の見習いをしている響弥だった。
「議の刻だ、起きろ銀丸」
二人とも幼少時からの付き合いなので俺を幼名で呼ぶ。
「だからその名前は」
「いいから早く蒼壱様の元に行きなさい!」
ぐいぐいと遥に引き起こされて、俺はぼうっとしながらも身支度を整えた。
「大事な議なのでしょ? シャキッとなさい!」
そう言いながらバンッと叩かれた俺の背中。地味に背骨が悲鳴を上げたような気がする。
二人に付き添われながら、俺は既に会議が始まっている広間へと向かった。
「それで、雪白童子と話したのですか、白金!」
「童子は何と!?」
「神社に入れないとなるとやはり童子は妖なのか……?」
「しかし眞白な子どもの姿の妖など……」
俺が昼間雪白童子と話した内容を屋敷の陰陽師達と蒼壱法師に改めて伝えると響く陰陽師達。まぁ、童子は夜にしか現れないと思い込んでいた者が殆どなので無理もない反応だ。
「雪白童子の『真』については、大凡の見当はついています。問題は『理』です。今宵はソレを暴こうと思っています。白金にはもう一度童子と接触してもらいますが、良いですね?」
蒼壱法師がそう言う。俺にはっきりと雪白童子と接触することを指示するということは、他の陰陽師達にも術を掛けろという暗黙の指示に近いものがある。法師の屋敷に戻った際に既に今夜の作戦については聞いていたので、俺は当然頷く。
「昼間の童子の話しからして、おそらく夜行との接触は無いでしょう。そして童子の警戒心の強さは並大抵ではありません。陽暁丸も連れては行けませんし、おそらく我々が白金の周囲にあからさまに術を張っていては現れない可能性が高いです。なので、白金は単独で墓地へ向かってください。そこに居なければ神社を手当たり次第に探すこと。昼の順蛇には入れなくとも夜の神社ならば童子にも入れる可能性はあります。我々は屋敷に待機、いつでも術や式を放てるようにしておくようにしてください」
法師はそう言うと、いつものように俺を送り出した。
行燈などの灯りは点けずに、俺は墓地へと向かった。昼間でも若干感じていた薄ら寒いような感覚がより強くなっている。そのまま墓地を散策していると、やはり昼間と同じ地蔵の足元に蹲っていた。もう最初に出会った時のような殺気のようなモノも感じない、本当にただの童子のようだ。
「よう」
白い塊のように蹲っている童子に話しかけると、チラリと視線だけで俺を確認し、再び顔を膝に埋めてしまう。
「今日は散歩とやらはしないんだな」
内心、最初の心当たりである墓地に居てくれた事に安堵しつつ話しかけ続ける。相手の返答は無いが、無言になるのもなんだか怖い気がしたので、とりとめも無いことをひたすら喋り続ける。
「……アンタ昼も来てたでしょ……いつ寝てんの」
「え? あぁ、あの後昼寝したんだよな。おかげでこの時間帯でもピンピンしてるぜ?」
だらだらと喋り続ける俺に初めて童子が返答した。というか、半ば呆れたような口ぶりなのが気になる所だが、反応があったことに再び安堵する。
「っていうか、お前こそこんな刻までこんなトコにいるんじゃねーって。危ないだろ」
「此処のどこがそんなに危ないのさ」
「どこがって……たとえば死霊の祟りとか……怖くねーの?」
「祟りなんて別に。信仰されているとか参拝されているような、少なくともヒトに忘れられていない所ならともかく、カタチだけ墓地として残されただけの石の集まりになんで恐怖なんて感じなきゃならないの」
確かに、古びて汚れた墓石ばかりが無造作に立ち並ぶこの墓地からは、暗くて人気の無い場所に共通して感じるような不安はあるモノの、先祖代々やら何やらの怨念のようなモノは感じない。童子の言うとおり、カタチだけの弔いだ。
「それに、ボクにとっては此処が一番の『安全なところ』だから」
そう言って地蔵の一つの足を撫でる童子。地蔵もまた墓石と同じく、古びて薄汚れた姿だった。少なくとももう人々からの信仰というモノは無いだろう事が伺える。
「……そうか」
地蔵を撫でる童子を見て、合点がいった。童子にとって此処が『安全なところ』である理由と、夜行に紛れることの出来た理由。蒼壱法師の言うところの、雪白童子の『真』も『理』も、何となくわかったような気がした。
「……お前はもう、目的は果たせたのか?」
「目的?」
「そ。百鬼夜行に紛れ込んでまで夜の街を徘徊して、此処に留まる理由。何かあんだろ?」
そう尋ねると、童子はふと笑みを浮かべた。足を撫でていた地蔵の隣に立っている地蔵の足元にある、何時供えられたのかもわからないほど朽ち果てた花を指でなぞる。花はぼろりと崩れてしまい、ただの屑になってしまう。元々ギリギリの状態で花としての形を保っていたのだろう。
「アンタのいう『目的』って言うのが何なのかはわからないけど。……とりあえずそんな感じのモノは果たせたみたいだ」
「そっか。なら良かった」
「アンタと話せて楽しかったよ。短い間だったけど」
そう言って童子は立ち上がった。改めてその姿を確認するように見上げる。
雪のように眞白な髪は胸のあたりまで伸びていて、瞳の色は血色に輝いている。肌の色も白くて線が細い。着ている肩上げの着物の色も併せてある兵児帯の色も頭髪と同じ眞白で、襟の合わせは俺から見て左側が前に来ていた。
「着物の襟合わせも満足にできねーのかよ」
そう言って笑うと、童子も困ったように笑い返してくれた。
「此れがボクにとっての正式な着方だから」
それじゃあ、と、地蔵の前で手を振りながら別れたのが、俺が雪白童子を最後に見た瞬間だった。