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さよならうさぎ

作者: 天帆出

某SNSサイト内、小説サークルにて投稿

テーマ『金環食』

 彼女は、深く暗い海の中を漂っていた。

 静かで音もない世界に、ちらちらと揺れる星屑。

 時折薄く瞼を開き、目の前に浮かぶ巨大な暗い岩の塊を少し見つめては、また瞳を閉じる。

 どれくらい前からだったろう。彼女は岩の塊を見つめるたびに、記憶の糸を辿っては何も思い出せないで、諦めてまた眠りについていた。

 いつからだろう。冷たく暗かったこの海底が、急に暖かくなってきた。

 彼女を取り巻く海流は、その温もりに引きずられるように彼女を押し流す。とてもゆったりと。

 暗くて静かで、独りぼっちだけど怖くないのは、きっとあの暖かな場所のおかげなのだと、彼女はなんとはなしに思っていた。

 もうすぐ、あの暖かな場所に、自分は溶けてひとつになるのだ。


 うとうととまどろむように瞳を薄く開いたり閉じたりを繰り返す彼女の眼端に、突然今までと違う景色が現れた。

 ……何? 戸惑いながら彼女はいつもより少しだけ大きく瞼を開く。

 闇色の岩の塊の端で、細く短い弧を描くような線が輝き始めたのだ。

 と、同時に、感じていた温もりが暑さを増して、急に接近してくるのを感じた。

 彼女の心が畏怖に震える。けれど前触れもなく急変する深海の景色から、目を逸らすこともできない。

 弧は灯を引き連れて、どんどんとふくよかな姿に変貌してゆく。

 やがて、闇色だった岩の塊が、すっかり輝く球となる頃、彼女はその輝きの中に浮かぶ小さな黒い影を見つけた。


 ぶわりと、彼女の内側が揺れた。

 涙を流すということは、こんな風に想いが揺らされることなのかもしれない。

 彼女は大きく目を見開いて、小さな影を追うように見つめた。

 途端に、彼女の脳裡に様々な記憶が溢れだし、ごぼれてきた。


 懐かしい貴方たちの、掌。

 私に優しく触れてくれた。

 期待と愛情に満ちた瞳で、いつも見つめて、語りかけてくれた温かな声。

 私は貴方たちの期待に、応えることができたのかしら。




 ……会いたい……




 ……もう一度。懐かしい、遠い笑顔に。


 そして触れて。もう一度、私の体に。


 もう一度、声を聴かせて。


 ……もう一度……


 それは『帰る』のではなく、ただひたすらに『会いたい』想い。




 そして彼女は見開いた目で、最後の奇跡を紡ぐと、ゆっくりと熱い球体に、いだかれ溶けた。






 無機質な機器類とたくさんのモニターで押しつぶされそうな部屋で、重苦しい溜息が落ちた。

「電波が完全に途切れました」

 モニターのひとつを見つめていた青年が掌で顔を覆いながら呟くと、背後に立っていた男性は無言で重く頷いた。

「軌道の修正が出来ていれば或いは……」

 可能性があったかもしれない……とっくにそんなものは無かったのだけど、それでも諦めることはできなかった。

 まだ燃料の残っていた月面観測衛星が、突然なトラブルで軌道の制御も通信も失い、太陽の引力に引きずられるように月から引き離されてゆくのを、彼らは悲痛に見守り続けたが、それもこの朝で終わってしまった。

 男性が、曇った眼鏡を拭おうと指をかけた時、彼のポケットでPHSが揺れた。

「室長! うさぎから映像が入りました!」

 室内がざわめきで揺れる。

「今そちらに送ります」

 室内に居た彼らは転送用のモニターに急ぎ群がる。

「これは……」

 誰もが、言葉を失った中で、小さな声が震えた。

「奇跡だ」

 太陽と重なり、その陽を浴びて輝く月面の裏側に、踊る小さな影。

 クレーターが作る波のような影の中で、泳ぐように。




 太陽と月が重なる瞬間、うさぎは初めて、そして最後に、自分の影をそこに見た。

 月面観測衛星USAGI。

 四年にわたり月の裏側を観測し続け、途中より機器トラブルの為制御を失い暗い宙の海を彷徨い、太陽の引力に囚われ消滅。

 それは金環食で賑わう報道に埋もれて、宇宙航空研究開発機構のホームページの片隅に静かに記録されるのみとなった。




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