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蹂躙_01(破)

 〈向こう見ずな猪〉。

 〈洗練された小鬼達キリングマーチ〉。

 〈巣無し蜂ホームレス・ホーネット〉。

 〈気狂い狡兎バニー・バニー・バニー〉。

 〈鋼鉄劉隆〉。

 〈洸々兜蟲〉。

 〈破壊土壌蟲ジェノサイドワーム〉。

 〈箱の中にいる者ロゥパ・ドゥードルバァグ〉。

 〈荒れ狂う昼の猛禽類サイコイーグル・エルベスティオ〉。

 〈荒れ狂う夜の猛禽類サイコオウル・ガーテベスティオ〉。

 〈狂喜する妖精の宴ディディクオニエイズ・フェアリィパレード〉。

 〈透き通ったジェルゲルワースト・雨水ラボッレッツェ・ウーグ〉。

 〈豚皇帝ロード・オブ・オーク〉。


 その他色々二十二種類。

 元からいた〈蛇竜蜥蜴ゲルアトゥル〉や迷宮を創造してから一週間内に出現した〈空白を埋める者リヴァイブ〉等を合わせれば計二十六種のユニークモンスターに、ユニークアイテム〈寂しがりやの誘蛾灯〉等、それと新しく加えられたモンスター百十二種。一種事に三匹ボーナスとして産まれてきたので三百三十六匹。更に元からいた【迷宮】のモンスター約二千百六十匹を合わせて全部で二千五百匹と少し。

 対して迷宮の侵入者は【リュシカ王国軍迷宮探索隊】と表示されたワンパーティのみ。

 但し、その数は一万四千。地上にいる部隊も【迷宮創造】の画面に表示されており、総勢一万六千五百人の軍団だ。


 現在の迷宮の状態は、一言で表すと、大変な事になっていた。


「なんじゃこりゃあ…………」


 思わずハルアキは口を押さえて呟いた。

 浮かんでくる感情は、圧倒的な優越感でもなく、悦に入る程の高揚感でもなく、純粋な驚愕だ。

 確かに、ハルアキは軍が来る事は予測はしていた――というよりも、想像内の範囲には収まっていた。が、それはあくまで数百人、多くとも千人台程だと思っていたのだ。

 それも合わせてハルアキにとっては、ユニークモンスター達の事も、増大したモンスター達の種類の事も合わせて、想定外の事だった。


 何とは無しに、ハルアキは【迷宮創造】で開いたウィンドウの右上を見る。そこにはデジタル数字で今の時刻が表示されている。


  [11:28:43]。


「――もう少しで昼飯だよな……って違う。現実逃避するな! 現状を見ろっ!!」


 心の中で活を入れ、ハルアキは頬を両手で叩く。ハルアキの頬はパンッ、と高い音を立て、じんじんと痛みが広がっていく。

 その代わりハルアキの茫然とした思考が、少しずつ冴えてくる。


 ――いつもはハルアキの横に立っているジゼルも今はおらず、エルティオネ達と一緒にいる。

 だが、今はそんな事は関係無い。

 ハルアキは元より一人、【迷宮創造】も操作できるのもハルアキだけだ。


 今の迷宮の状況は、そう思い、ハルアキはもう一度画面を見る。

 画面に表示された迷宮の地図上では既に一階層の五分の一程が侵略されている、しかしリュシカ王国軍の数は殆ど変わらず、迷宮内のモンスターはかなりの速さで減少していた。


「……あんま意味ないとは思うけど」


 そう呟きながら、ハルアキは画面に手を翳す。

 ――【迷宮創造】を操る意思を行使、画面が即座に切り替わり、〈ファジーモード〉に新しく搭載されたた機能を表示するウィンドウがハルアキの視界を埋める。

 ウィンドウの最上部に書かれている文字は【迷宮にもぐったー】。画面の右端に作られた画面の空間に並べられた文字の一覧には、【住居層】と【リュシカ王国軍迷宮探索隊】の二つが表示されていた。

 思考で【リュシカ王国軍迷宮探索隊】を選択、ウィンドウに文字次々と浮かび上がり、消えていく。


◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi1899さんの発言◆

 なんだここ、ゴブリンしか出てこない。

[11:28:48]


◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi9885さんの発言◆

 暇、超暇。

 迷宮、別れ道左に曲がった。

[11:28:48]


◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi2519さんの発言◆

 危うくモンスターに殺されるところだった。ユリネに会いたい。

[11:28:48]


◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi6522さんの発言◆

 今の所異常無し、上からの指示に従い行動する。

[11:28:49]


 ――このような風に、一つのパーティ毎の様子を載せるだけの機能である。

 一見巫山戯けているだけにしか思えないこの機能。しかし、この【迷宮にもぐったー】は、ハルアキにとってはあって損はない貴重な情報収集に特化した機能である。

 しかし今回、この状況でハルアキは、それほどこの機能を当てにはしていなかった。

 というよりも、当てには出来ないのである。


◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi688さんの発言◆

 くそっ! またゴブリンとコボルト!! しかも魔術を使ってきやがった!!

[11:28:50]


◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi691さんの発言◆

 ゴブリン――メイジか!! 魔術隊!!

[11:28:50]


◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi19さんの発言◆

 行き止まりか。戻るぞ、引き返せ!

[11:28:50]


 ――――文字が流れる速度が、速すぎるのだ。

 迷宮を創造してから二日後に気付いたこの機能は、【住居層】と【迷宮層】と共に有効範囲には含まれている。しかし問題は【リュシカ王国軍迷宮探索隊】の人数にあった。

 “一つのパーティ”ごとに分けて更新していくこの機能、その“一つのパーティ”の人数が十人程度ならば、まだ一つ一つの発言を見ていられるが、今侵入してきている【リュシカ王国軍迷宮探索隊】の人数は一万以上。そんな大勢が随時新しく発言を重ねていく中で、唯一価値のある情報を抜き出すことなどハルアキにとっては到底不可能であるのだ。


 現状を見れば、この機能を起動しているのも正しく気休め以外の何にでもないが、無いよりはまし、今のハルアキには、あるものを使うしかあがく方法は無いのだから。


 ――しかし、どうする。

 ハルアキは今尚一秒で数十件単位でスクロールされる画面を傍目に思考を張り巡らせる。

 はっきり言って、ハルアキにはどこから手を出せばよいのか分からない。数百人程度だったならば、モンスターを簡単にだが指示を出したりして相手に休憩を挟まずに攻撃したり、ポイントは痛いが進軍する場所に罠を仕掛けたりする(階段付近は設置不可となっている)のだけれども、その数十倍となれば話は別だ。

 なにしろ、迷宮の通路が全て敵の兵士達で埋まっていくのである。全部の通路に罠を仕掛けるとか、ポイント的にまず不可能。指揮系統等の表示はされない。

 ――正直言って、ハルアキにとってこの状況はお手上げであった。


 だが、ハルアキには逃げられない理由がある。

 それは自身の目標に関する事に加えて。


「――ユウラーこっちこっちー!」

「――ギリューくんまってよー!」

「――あー! エルおねえちゃーん、ケリオルがまた花食べてまーす!!」

「――こらー! ケリオルー!!」


 ――自分が背負うと決めた、元奴隷達を再び絶望に落とさないためにだ。


「…………まったく、楽しそうな事で」


 どうやらエルティオネは、想像以上に懐かれているらしい様だ。

 ハルアキは笑う。皮肉や嘲りを含んだ様な嫌な笑いではなく、気楽そうな苦笑に近いもので。無邪気な子供達の声は、ほんの少し程度だが、外から聞こえてくる子供達のはしゃぎ声は、一万以上の兵士に打ち拉がれそうになっている心を支えてくれる。


 さあ、やるか。

 そう決心した直後である。


《侵入者と一定数に達したモンスター個体数の差が五倍以上により、救急コマンド【楽園の謳香】を使用しますか――残り9秒[Yes/No]?

選ばない場合、[Yes]と見なされます》


「っ!?」


 無感情な声が響くと同時、【迷宮創造】のインターフェース画面を一つのウィンドウが占領する。


《9秒》


 画面に書かれているのは、たった今読みあげられた文章と、その【コマンド】について。

 ハルアキの思考は即座に動き、すぐにその効果を目を通し――。

 

 No,0004【楽園の謳香】▼

『消費P:全体pの1割

持続時間:[03:00:00]

効果▼

『憐憫謳歌』:【迷宮層】に存在しているモンスター全てが指定された階層にやって来ます。これは本来指定された階層に住んでいないモンスターや、ユニークモンスター、オンリーモンスターも含まれています。

『屍死濁濁』:このコマンドが発生している間、【迷宮層】に存在する者全ての者にエクストラステータス“猛進”“腐敗”“風化”が付加されます。コマンドが発生している限り解除はできません。

『楽園の香』:このコマンドが発生すると同時、指定範囲内(変更不可)―――』


 ――そして、地獄を見た。


「………………これ、は」


 ハルアキは思わず手を顔にやり、意識が飛びそうになった頭を押さえつける。

 今、ハルアキの心内は、混乱の境地に達していた。希望、後悔、躊躇、安堵、不安、様々な感情が要り混じり、思考がまとまらない。


《4秒》


 ――これは、本当にやっていいのか? 本当に?

 自分に問掛ける。答えは見付からない。助言をしてくれる者もいない。

 ――一度やるって決めたんだろう?

 自分に囁かれる。答えを返せられない。その返答は決まっているのに。


《3秒》


 ――このまま、侵略されていいのか?

 答えは否だ。それは、駄目に決まっている。

 ――なら選択肢は選べるだろう?

 ああ、そうだ。これは自分で決めた道だ。

 だから今も、己の意思で、ハルアキは決めた。


《2秒》


「……【迷宮創造】、階層増加、三十階層分」


 ポーン、軽快な音が、脳内に響く。


《『【迷宮】:階層増加』を選択しました。30階層分を加えます。1階層に付き5000000p消費します。

【残P:213640980p→63640980p】》


 ずずん、と軽い震動。

 迷宮層の階層が、増えた。


《【迷宮層】は40階層になりました》


 そしてハルアキは。


《1びょ――[Yes]が選択されました。救急コマンド【楽園の謳香】が発動します。消費ポイントは残りポイントの1割です。

【残P:63640980p→57276880】》



  [11:29:31]。






◇■◇■◇――――――――――――――◇■◇■◇






  [11:30:52]




「おらよっ!」

「ギィィッ!」


 迷宮第一階層、その一角にある部屋の中では、分裂、合流を繰り返して百数十人の団体となった兵士達が占領していた。

 大部屋の内部にはモンスターが蔓延っており、その八割程を殲滅したところで暇ができた一部の兵士達は、合流する前から組んでいた元々のグループごとに集まり、その時間を過ごしている。

 大部屋の中で固まり、皆で何かを取り囲んでいる六人の彼等もまた、その中の一つだった。


「――しっかり叫びやが、れ!」

「ガッ……」

「おいおーい。もう限界ですかー?」


 第四軍に所属している彼等の囲みの中から、鈍い音が放たれる。

 息も絶え絶えな声が上がるのとは裏腹に、掛けられる言葉は馬鹿にしたような――否、馬鹿にしているものだけで、殴られた者を心配をするような言葉を発する者は一人もいない。


「……ガァァッ!!」

「あぁ!? 何言ってんのか分かんねーぞ!!」

「グガッ――!」


 もう一度、肉に拳が食い込み、骨を殴る音が鳴る。

 彼等が取り囲み、足で踏むなどをして押さえ付けているのは、一匹のゴブリン。

 彼は四肢の先を剣やナイフ等で串刺にされ、動けぬ様に地面に針付けにされた後、迷宮を侵略してきた兵士達による暴力を、その身全身に振るわれていた。

 皺だらけの顔は、既に原形を保ってはおらず、何十と殴打された事によりボコボコに腫れ上がり、歯も何本かが欠けている。物を見ることすら叶わないだろう、目元も同様にぱんぱんに腫れ、血を流している四肢は、その中間で骨が粉々に砕かれぴくりともしない。

 誰かが見れば、無惨と思うかもしれない。

 誰かが見れば、良い気味だと思うかもしれない。


 数による暴力。力による蹂躙。

 力無き敗北者を甚振る、力無き勝利者。

 これは、命のやりとりの結末の一つである。


 取り囲んでいる兵士の彼等は、先程から止めを刺されていないゴブリンを目敏く見つけ、同じ様な行為を繰り返していた。

 何故そんな事をするのか?

 ――決まっている。

 弱った獲物を徹底的に嬲る事で、自分達のストレスの発散と、強者という立ち位置にいる優越感に浸っているのである。

 ゴブリンと彼等の間の法は、全てが暴力によって決まるのだから。

 故に、周りの者は止めようともせず、にやにやと見下し、侮蔑と嘲りの感情を隠そうともしないで笑っていた。

 そして、瀕死に等しいゴブリンを囲む一人が、手に持つ――先端がゴツゴツとした棒状の武器である――クラブを振り翳し。


「――ォおらッ!」


 顔面に向けて振り下ろす。

 ゴチュ、と肉が骨との圧迫により潰れ、鮮血が飛ぶ。

 びくん、とゴブリンの体が大きく跳ね、もう彼から聞こえるものは、ひゅぅ、ひゅぅ、というか細い呼吸の音だけで。


「うおっ、汚ねえ」


 取り囲んでいる一人の兵士が、足に付いた血をゴブリンの着ている服で踏むように拭い、足を離す際に、ゴブリンの脇腹に蹴りを入れた。

 反応は変わらず、ただ少し跳ねたのみ。

 蹴りを入れた彼は肩を疎め、ため息混じりに文句を漏らす。


「――こいつどんだけ脆いんだよ。そろそろ別のヤツ探そうぜ」


 死の宣告。

 その言葉は、ゴブリンにとってどう聞こえたのだろうか。

 己の生が絶える恐怖か。

 この拷問が終わる事への喜びか。

 否、今の彼にはそのどれでもなく。


 ――――――ぴくり。

 爪が延びたゴブリンの指先が、動いた。


《コマンド【楽園の謳香】が発生しています。コマンド【楽園の謳香】が発生しています。コマンド【楽園の謳香】が発生しています。コマンド【楽園の謳香】が発生しています。コマンド【楽園の謳香】が発生しています。コマンド【楽園の謳香】が発生しています。コマンド【楽園の謳香】が発生してい――――》


 時は、満ちた。


「――そうだな。反応がつまらなくなってきたし」

「生きのいい奴らなら、まだいそうですしねえ」


 彼の言葉を聞いた周りの者達もそれに賛同し、各々が得物を武装し始める。


「……んん? なんか匂わねぇか?」

「そうかぁ? 血とかの匂いしかしないけど」

「…………いや、ツァッケの言う通りっぽい。俺もそう感じる」

「へぇ。そうなのか。やっぱわけ分かんねー場所だな此処」

「俺いーちばーん。先ゴブリン殺しとくわ」

「おーう」


 がちゃがちゃ、と金属音が鳴り響く中、一番早く準備し終えた兵士がしゃがみこみ、ゴブリンを地に縫い付けていたナイフを乱暴に抜く。

 丁度ゴブリンの額に来るようにナイフの軌道を確かめた後、彼はしゃがんだまま、右腕を上げて――――


 ――――瞬間、“がしり”、と掴まれる。


「…………あ?」


 彼の思考は一瞬白に染まる。


 掴んでいる腕の正体は、薄汚れて血だらけの、ナイフで貫通された傷から血が溢れている、褐色の手。

 ゴブリンの、手。

 瀕死である筈のゴブリンが、彼の腕を掴み、反撃の意思を見せている。その現実を受け入れて認めるまで数秒、その隙を突くかの様に、彼は掴まれた腕を引っ張られ――。


「お」


 ――首に、ずぶり、と鋭い歯が、食い込んだ。

 そしてそのまま――。


《『“人間”スコア:2180p』加算されます》


 異変が進む。

 着実に、確実に。

 彼等はまだ、気付かない。


「おい、はやく行こう――」


 ゴブリンに止めを刺すと言った彼が戻って来ないのを不思議がり、一人の兵士が準備途中で振り向いた。

 振り向いた彼の視界には、赤に染まった歯を見せるゴブリンが飛込んで来る所が、写った。


「――――え?」


 首元より走る衝撃。何かが千切れていく感覚と、血液が吹き出て、気が遠くなる様な喪失感。

 理解不可能な状況の中、即座に力任せで首を噛み千切られた彼に見えたのは、数メートル先の草むらに、赤い水溜まりの中でうつ伏せに倒れている己の同僚。

 薄暗くなってゆく視界写ったのは、彼が先程まで嬲っていた褐色の亜人。

 歯に咥えられた肉は、恐らくは今、倒れている最中である自分の首肉。

 ――だが、それを彼が気付く事なく。


《『“人間”スコア:1882p』が加算されます》


 生き絶える。



「ッッコイツ、まだ動けたのか!!」


 自分達がリンチしていたゴブリンの反抗に、彼等が気付いたのは二人目の兵士が殺されたすぐだった。

 彼等は直ぐ様武器を手に取り、ゴブリンに襲われたらしい、姿が見えない仲間に呼び掛ける。


「――ゲルド! ベルゲン!」


 返事はない。

 どさり、とたった今、首を噛み千切られた同僚が地に伏し、二つ目の血溜りを形成し始める。

 仲間が、死んだ。殺された。

 たった今まで、笑いあっていた仲間が、消えた。


「…………あ、ああ、ちくしょう、ちくしょうちくしょうちくしょう!!」

「――殺せ! 殺すぞッ!!」


 ゲルド、ベルゲン、二人の仲間が殺され、残る四人の兵士達は怒りに奮え、武器を持ち、たった数メートル手前に佇むゴブリンに、感情を乗せた罵声を浴びさせる。

 その罵声に釣られ、なんだなんだと他の兵士も集まり出す。恐らくは数十秒もしない内に、真円の人垣が形成されるだろう。

 そう、数十秒。

 ゴブリン一匹を四人掛りで殺すには、十分すぎる時間である。


――――が。


「テメェ、ぶっ殺してやる!!」

「……」

「よくも、よくもゲルドとベルゲンを!!」

「こ、殺す、殺してや―――!!」


 端から見れば不思議な事に、残された四人の兵士の中、仲間の仇に飛び掛る者は一人もいない。

 四方を囲んだ彼等の中心に、身動き一つなく、静かに、膝立ちで、直立しているだけのモンスター。他者から見れば隙だらけで、絶好の機会だと思わせる彼の異様さは、相対することで理解する。

 剣を向けている彼等が切り掛らない理由、それは恐怖だ。

 それも狂気を感じさせる程の、格別な。

 圧倒的強者という存在と対峙するのとは違う、不気味で、触れてはいけないものを触っているかの様な、怖気が走る、そんな存在の前にして、彼等四人の足は、止まっていた。


「――何とか言えよクソ野郎!!」

「……」


 返事はない。


 口回りを血で濡らしたゴブリンは上を向き、だらんと腕を力無くぶら下げている。

 瞳の色は濁った黄色。瞬きしないその眼球は、虚空を見つめて放さない。

 片手にはナイフが握られてはいるものの、無理矢理剣の拘束を脱け出したのか、四肢からは血が止まることなく溢れており、特に右手や左足は、甲の部分が完全に裂かれていた。

 腕は折れているのに、脚も折れているのに、どこか恐怖、どこか異常。


 そんな異常で硬直した空間を、再び動かしたのは。


「…………」


 その混乱の中心に立つ、死に掛けのゴブリンだった。

 無言の跳躍。


「――――ツァッケ、避けろ!!」

「――――ひぃっ?!」


 兵士の悲鳴。

 モーションを見せずに、ゴブリンは跳んだ。

 折れてる足を使い、跳ねる様に。

 四肢からは血が飛び散り、宙に舞う。

 狙いは前方、ゴブリンの前に立っている、口だけの戦士。


 ゴブリンは動かぬ腕を肩で振り、持っていたナイフを――手の内から抜ける様な――投擲。

 歪な投げ方をされたそれは、しかししっかり前に投げられる。


「うわっわ!!」


 標である兵士の彼は、目を見開き、動揺する。

 投げられたナイフを避けるのではなく、落とそうとして剣を降る。当たらない。


「しま――――!!」


 そしてナイフは落ちる事なく目標に当たり――来ている胸甲鎧に跳ね返された。


(――――あ、あぶ、なッ!!)


 自身の着ている鎧に当たり、落ちるナイフを目で追いながら、兵士――ツァッケは冷や汗を掻いた。

 もし自分が鎧を着ていなかったら、あれは胸へと刺さっただろう。

 もし自分の鎧が貫かれてしまっていたら、己の命は無かっただろう。

 そんな、兵舎の訓練では感じた事のない“死”を一瞬でも感じた恐怖に、ツァッケは体を震わせた。

 もうこんなへまをしでかさない様に、ツァッケは決心した。


 ――まあ、たかが〈ゴブリン〉程度の腕力では、例え絶好調の調子でも、鉄の鎧を貫通するのはまず不可能な話なので、短刀を投合して鎧を貫通するなどとは有り得ないのだが、そこはナイフを当てられたという恐怖から来る感覚であった。


 ツァッケはほう、と過ぎ去った死を見つめ、安堵の吐息を吐き――――そして、“顔全体を”囓られた。

 名一杯開かれたゴブリンの口が、彼の両こめかみに食い込み、肉を断つ。

 ――直後、焼けるような痛みが、顔の両側頭部から伝達する。


「―――――いぎぃいいいいアアアアア!!?」


 過ぎ去った死? ナイフを見つめた? もうこんなへまはしない?

 馬鹿である。

 冷や汗を掻いた? “死”を感じた経験? 安堵の吐息?

 阿呆である。

 そんな事を思考する内に、彼には次の“死”が形を持って、迫って来ていたのだから。


「あああああ?!! 痛い痛い痛い痛い!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛―――!!!」

「ガアアア…………!!!」

「ツァ、ツァッケ……!」


 ぶちぶちと、噛みついたゴブリンの牙が、叫びをあげる兵士――ツァッケの皮膚を剥がし、顔の肉を千切り、筋肉を断裂し始める。

 ごり、と歯が筋肉を断ち切り頭蓋骨に届く、がり、と骨が削られる。

 ぶちゅ、と目玉に牙が食い込み、ぐちゃ、と潰す。


「ガアァ……!!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ギイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ィィィ――――!!」


 絶叫に次ぐ絶叫。

 ツァッケは激痛から逃れようと無我夢中で己の体から、牙を立てているゴブリンを引き剥がし、その場に顔を押さえて崩れ落ちる。

 両者が地面に投げ出され、しかし慘劇は終わらない。

 頭を掴まれ投げ飛ばされたゴブリンは、迷宮の地面を這いながらも再びツァッケに飛び掛ろうとして。


「い、今だッッ!」

「ぉおオッ!!」

「ぁあああああ!!」


 ツァッケを除いた他の三名が各々の武器を使い、瀕死のゴブリンの命に終止符を打つために、動く。

 形状しがたい、断肉音。

 半分程両断された首、脇腹に突き刺さったサーベル、ボコボコに腫れている頭部を貫いたロングソード。

 びくん! と大きくゴブリンは跳ねて、その生命の最後を遂げた。


「…………やったの、か?」

「……あ、ああ」


 ツァッケの悲鳴が響く中、ゴブリンに止めを刺した三名の間に流れるものは、気味の悪い静寂。


「…………なんだよ。なんなんだよ、コイツ。気味が、悪りィよ……」


 ぽつり、と震える声で呟かれた言葉は、彼等全員の思いだったのだろう。誰も彼の発言を否定せず、只々死んだゴブリンの骸から目を放していないかった。


 ――この死体から、視界から外すのが、怖い。

 それは、彼等が兵士になって、初めて抱く感情だ。

 今までずっと――つい先程まで嬲り、殺していた圧倒的弱者。そんな彼等の認識していたゴブリンの立場を容易く覆した程、このゴブリンは異常で、非現実的だったのだから。彼等の心内では、この頭を刺されたゴブリンが、また再び動き出しそうな予感が肌にこびりつき、離れようとはしない。


 たった一匹、ただ一匹。

 それも瀕死のゴブリンに二人の仲間が殺され、一人は今も悲鳴を挙げている。

 夢だと思いたかった。

 これは夢、現実ではなく、只の幻覚。

 たかがゴブリンに、自分達が恐怖を抱くなどありえなかった。ありえては、いけなかった。

 だから彼等は現実を受け止められず、只茫然とその死骸を見つめ続けていたのだ。


 “倒されても消えない”死骸を、見続けていたのだ。


《――救急コマンド【楽園の謳香】が発生しています。【楽園の謳香】の効果『屍死濁濁』により〈ゴブリン〉『62』にエクストラステータス“腐敗”“風化”が付加されています》

《〈ゴブリン〉『62』の生命活動が停止しました。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します》

《〈ゴブリン〉『62』の“腐敗”が完了しました。〈ゴブリン〉『62』は〈ゴブリンゾンビ〉に新生します。消費コストは0です》


 ――――――ぴくり。

 爪が延びたゴブリンの指先が、動き始めた。




  [11:31:06]




「う、ぉおおおおっ!!」

「ッこ、の!」

「ガァァッッ!」

「ってェな……、ッォラ!」


 迷宮第一階層、リュシカ王国軍第二十一軍。

 入口の広場に五本あった道の一つ、左から二番目の通路を進軍する二十一軍に所属している彼等は今、迷宮にある部屋の中で〈ゴブリン〉や〈コボルト〉達との戦闘を行っている。部屋に突入した時点で十六体いたモンスターに対して、リュシカ軍の部隊は四十八。少なくとも百人以上は入れるこの部屋の中では、モンスターを包囲する事は容易であり、然らば殲滅も容易い筈だった。

 だった。

 そう、戦闘を開始してから五分弱。軍の奇襲による先制から始まった戦闘は、今尚続いていたのである。


「――魔術隊二列目! 詠唱開始!」


 隊長格とおぼしき人物が、円形の陣でモンスター達を囲っている兵士達の外にいる、前衛とは違い、鎧ではなくローブ等を着用している者達に指示を出す。

 指示を与えられた数名の魔術師は、己の【魔道】の魔術の詠唱を紡ぎ始める。

 ――【魔道】の魔術は普通、その殆どが基本魔術よりも消費魔力が高い。故に消費魔力が高いという事は術者の魔力もその分速く底を着くのは明白であるので、戦力差が数倍以上この戦闘、普通ならば使う事はまずなかったのだったが、しかし魔術者の彼等は迷わず【魔道】の魔術に踏み切った。

 狙う相手はギルドで遥か格下に入るFランク、基本魔術で十分対処が可能な〈ゴブリン〉や〈コボルト〉達だ。基本魔術で十分対処が可能な彼等を、リュシカ王国軍の魔術師達が【魔道】の魔術を行使しようとしているのか。


 理由は、この部屋でモンスターと戦闘を行っているからこそ、分かる恐怖であった。

 六体と三十九人。

 現在、生き残っているモンスターと、リュシカ軍の数である。

 数だけを見れば、未だリュシカ軍側が優勢じゃないか、などと言われそうだが、これがどれほど異常な数値か分かってくれるだろうか。


 〈ゴブリン〉、〈コボルト〉。彼等はどちらも、その強さは最下層に位置するというモンスター達だ。

 その強さは、そこそこの訓練しかしていない兵士達でも、複数の人数で組めば、一方的な展開に持ち込める。それほど大きな実力の差がある中で、彼等モンスターに殺された軍の人数は、九人。

 九人。

 九人だ。

 彼等は首を切られ、胸に刃物を刺され、呆然、恐怖が張り付いた顔で骸と化した。傍らには、モンスター達の死骸が横たわり、彼等もまた、生きている者は、いない。


「――せあッッ!!」


 兵士の掛け声と共に、茶色の毛波を持った、二足歩行をする犬、〈コボルト〉が右肩から斜めに切り裂かれる。

 ぶしゃりと、血飛渉。

 コボルトの胸に至るまで深々と斬ったロングソードは、しかしコボルトが装備していた皮の胸当てにより、心臓に届く一歩手前で止まってしまう。

 しかしその肩傷は、十センチ以上に及び両断されており、致命傷には違いがない。

 心臓の鼓動に合わせて、ぶしゅ、ブシュ、とコボルトの鮮血が、自身が負った傷口から吐き出され、傷を負わした兵士の顔や胸などに万勉なく掛る。

 このモンスターが尋常だったならば、この時点でコボルトは余りの痛さに叫びをあげて、地面に無様に転がる筈だったのだろう。


 ――――しかし。

 しかし、彼等の前に訪れた現実は、異常であった。


「……………ガ、ァアアアアアア!!!」

「――!! く、そおォッ!」


 モンスターは、止まらない。

 痛みを叫ばず、咆哮あげて。

 斬られた右肩の先は動いていない。しかし左腕で掴んでいる棍棒をコボルトは振りかぶる。

 接近された兵士はロングソードを構え、再び切り掛る体制を取った。

 ――そして、彼の視界が赤に染まる。


「――ッぐぅ?!」


 彼の目に掛ったのは、コボルトの右肩から勢い良く吹き出ている血。


 血による、目潰し。

 両目から伝わる痛みに彼は、襲い来るコボルトの事を一瞬思考の外へと飛ばしてしまう。反射的に目を閉じ、掛った異物を落とそうと、瞳に涙が分泌されて、付いた汚れを洗い流す。


「ガァアアアアア――!!」


 しかし、それは致命的な隙。

 コボルトが左手に持つ棍棒を彼の頭部に当てようと、振り下ろす。

 そして。


 ――どさり、と。棍棒を掴んだコボルトの腕が、迷宮の地面に転がった。


コボルトの腕を斬り落とした犯人は、目を擦る彼とは別の、リュシカ兵。

彼と同じロングソードを腰に構えて、隻腕となったコボルトと相対する。


「危なかったな、大丈夫か?」

「――あ、ああ、助かった。感謝する」


 六対三十九。

 人数の差は、例え仲間が危機に窮しても、それを補い、助け合える力がある。

 力の利より、数の利を。人間は、群れてこその力を持つ。


 腕を断たれたコボルトは、ごぷ、と血を吐き体制をふらり、と崩す。

 明らかに血の流し過ぎによる、貧血であった。

 ぜひゅ、ぜひゅ、という死に掛けになった呼吸。顔色は茶色の毛に覆われているので見えないが、土気色に染まっているに違いなかった。――しかし、その目は敵意に燃えて、焦茶色の瞳の奥には、戦意がほんの少しも失われてはいない。

 が、すぐにそのコボルトは、数名のリュシカ兵士の剣に斬られ、命を落とす。

 目に入った血を落とした彼は、その奥の方でも一体、ゴブリンが倒れるのを視界に入れた。


 残るモンスターは、あと四体。

 だがその四体も。


「……を燃やせ――『火炎』!」

「『火炎』!」

「くらえェ!『火炎』!」


 終わりを告げる魔術の言葉。

 ゴウッッッ、と円陣の中心にいたゴブリンやコボルト達に、赤く燃える炎が吹き当たり、その身を焼いた。

 足などを斬られ、動きが鈍くなったモンスター達は全員避けれずに、火達磨となる。

 だが、それでも。

 しかし、それでも。

 彼等モンスターは苦痛の悲鳴をあげず、今尚自分達リュシカ兵を殺してやろうと動きを止めない。


「……く、来るなァ!!」

「――っいい加減にしやがれェ!」


 どすり、と。ごちゅり、と。

 兵士達は不気味なものを見る目で、火達磨となっているモンスター達に止めを刺した。

 頭を刺され、潰され、遂に動かなくなった彼等は、ぱちぱちと音を立てて燃えて、肉を焦がす。

 周囲になんともいえない悪臭が立ち込めて、幾人かが鼻を押さえて、顔を顰めた。


 残るリュシカ兵士は、先程より二人減って三十七、残るモンスターの数は、零。

 十一名もの死者を出した戦闘が、漸く終りを向かえた。


「…………一体何が起こってんだ……?!」


 誰かが、言う。

 それはたかが〈ゴブリン〉〈コボルト〉程度のモンスターに対して恐怖するようなものであったが、その言葉に反論の声をあげる者は、一人もいない。

 それほどまでに、先程までのモンスター達は、尋常ではなかった。


 一言で言えば――――そう、モンスターが、全力で殺しに来ている、とでも言えばいいのだろうか。

 先程までのモンスター達は、傷を負えば痛みに苦しみ、隙だらけになっていた。

 故に兵士達は、その隙を主に狙って止めを刺していたのだが、今の戦闘では全くと言っていい程違っていた。

 どこか不気味。どこかに違和感。

 察しの悪い兵士達も本能でそれを感じ取っており、、戦いに勝利した彼等は――いや、勝利したからこそ、混乱していたのである。


 だけれども、その混乱が収まる前に、更なる混乱はやって来る。

 それは新しい命を乗せて。真っ黒に染まった絶望を乗せて。


《〈ゴブリン〉『18』『89』『101』――以下数匹、及び〈コボルト〉『55』『16』――以下数匹、計12匹、及び侵入者11名『所属:【リュシカ王国迷宮探索軍】……『分類/カテゴリ』:人間』の生命活動が停止しました。〈侵入者〉にエクストラステータス“腐敗”“風化”が付加されます。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行します。エクストラステータス“腐敗”が進行――――》

《〈ゴブリン〉〈コボルト〉〈侵入者〉の“腐敗”が完了しました。〈ゴブリン〉は〈ゴブリンゾンビ〉に、〈コポルト〉は〈コポルトゾンビ〉に、〈侵入者〉は〈ゾンビ〉に新生します。消費コストは0です》


 風が来ている。

 彼等の栄光への夢を断ち切る、真っ黒な風が。


《〈ゴブリン〉〈コボルト〉――計4匹の生命活動が停止しました。エクストラステータス“腐敗”を行使する肉体がありませんので次の段階へ移行します。エクストラステータス“風化”が進行します。エクストラステータス“風化”が進行します。エクストラステータス“風化”が進行します。エクストラステータス”風化”が進行します。エクストラステータス”風化”が進行しま――》

《〈ゴブリン〉〈コボルト〉の“風化”が完了しました。〈ゴブリン〉は〈スケルトン・ゴブリン〉に、〈コボルト〉は〈スケルトン・コボルト〉に新生します。消費コストは0です》


「…………あ」


 最初に気付いたのは、誰だったのだろうか。

 静寂に包み込まれていた彼等の中ではよく響き、声のした方へとうつむいていた顔を上げた。

 そして、彼等の思考は止まる。


「………………なあ、あれって」

「…………うそ、だろ」


 何人かが気付き始めたが、もう遅い。

 幾人かが後悔し始めたが、もう遅い。


 ずる、びちゃ、ぐちゃ、ごちゅ。

 耳障りな音を立てて、ゾンビになったゴブリンやコボルト、そして今の戦闘で“死んでしまった”彼等の仲間。

 ガチャ、カチ、カラ、コト。

 骨が、骨同士でぶつかりあって、内臓や皮膚は何処かに消えて。立ち上がって来るのは全身が骨と化したモンスター。


「で、デットーリオ……あ、あれ? おまえ、生き、て?」

「――ばば、ば、ばかな、あ、あいつは死んだんだぞ! それも、お、おれの、俺の目の前で! なのになんで、何で、何で立ち上がってんだよォッッ!!」


 返事は、無い。

 起き上がった友の死体。それと共に立ち上がった、たった今殺した筈のモンスターの(かばね)達。

 彼等は千切れかけた腕で剣を持ち、虚ろな目で兵士達を視界に捕えた直後――。


「――――――総員、構えろッッ!! 来るぞ!!!」

「ちくしょお! ちくしょおぉおおおおお!!」


 戦いの指示を受け、彼等は嘆きながら構えを取った。

 ――――たった今まで生きていた、友人達を殺す為に。


 残るリュシカ兵士は、三十七、残るモンスターの数は、二十七。

 十一名もの死者が敵に変わった、滑稽な喜劇。

 迷宮の一角、その一つの部屋の中で戦闘の舞台が、再び幕を開ける。




  [11:31:48]




「ギィイイイ!!」

「三匹、目ェ!!」


 迷宮第一階層の通路の一つ、そこでは他の場所と同じ様に、ゴブリンを初めとしたモンスター達と交戦していた。

 辺りには剣と剣を打ち合わせる音などなく、あるのは人とモンスターの怨磋の怒号。


「ゾンビになったモンスターは首を切れ! そしてその後頭部を潰せェッ!!」

「う、ぁああああ!!」

「死ねッ! 死んじまえッッ!!」

「ギャギャギャギャギャ! ジニ゛ヤ゛ガレ゛!!」

「――あぐぅ! っこのぉ!!」


 ある者はモンスターと戦い、ある者はゾンビやスケルトンとなったモンスターと戦い、ある者はゾンビと化して生前仲間だった侵入者達に襲い掛る。

 敵も味方も入り混じり、死んだそばから蘇る。そんな地獄絵図とも言える光景の中で、死に逝く者が一人、また一人。


「でりゃぁああああ!!」


 光芒一閃、一人の兵士の斬撃により、ゴブリンゾンビの首が胴体から別れを告げて、地面に転がっていく。


《〈ゴブリンゾンビ〉が行動不能となりました。エクストラステータス“風化”が進行します。エクストラステータス“風化”が進行します。エクストラステータス“風化”が進行します。エクストラステータス――――》


「四匹目ェ!!」


 そしてボロボロになり始めたゴブリンゾンビの頭蓋骨を、その兵士は容赦なく潰す。

 硬い骨と肉を踏み潰した足には、ゴブリンの脳髄が付着していたが、それも漸く消えていく。

 足元に残った物は小さな『原石』。しかし止めを刺した彼はそれを拾おうともせずに、剣を振りかぶって次の獲物へと牙を剥く。


「ギギィ!」

「――――邪魔だァ!!」


 彼が走る道を阻んだフェアリーシードを切り伏せて、小手に取り付けてある小盾で殴り飛ばす。

 彼が狙う獲物は、数メートル先にいる一匹のモンスター。


 褐色の肌は、それが来ているローブの様な服で隠されており、首には綺麗に光る石を中心として、左右に並ぶ獣の牙を一本の紐で通しているネックレス。〈ゴブリン〉よりは健康的な両手には、小人サイズの頭蓋骨が先端に取り付けられている杖。

 モンスターの名前は〈ゴブリン・メイジ〉。[3500p]以上のポイントから創られるその個体は、この世界の住民と同じく、魔力を消費し魔術を使う。


 フェアリーシードを切り伏せた兵士が肉迫する前に、ゴブリンメイジは詠唱を終えて、杖を振る。


「グラ゛エ゛エ!!」


 ――『爆発する灯火ルベ・エクード』。


 ゴブリンメイジの腕から放たれたのは、爆炎を内包させている、直径三十センチ程の球。

 接近する兵士の足元に向けて飛んでいくそれは、地面に接触すると同時に、その暴力を解き放った。

 ――爆音。

 迷宮の地面が抉れ、土を周りに吹き飛ばす。

 なんの防御も無しに直撃してれば、確実に戦闘不能になってしまうその一撃は、魔術の恐ろしさを実感させる。


「――はぁっ!!」


 しかしその威力に反し、爆発の煙が立ち込める中飛び出してきたのは無傷の兵士。

 彼は向かってきた『爆発する灯火ルベ・エクード』を避け、そのまま前進。数メートルの間を詰めて、遂にゴブリンメイジに肉迫した。


「ギィイッッ!!」


 後退等端から思慮の他。

 ゴブリンメイジは手に持っている杖を構え、すぐ目の前にいる兵士と相対。口では次の魔術の詠唱を始めながら、今度は魔術を唱えるためでなく、直接殴打するために杖を振った。

 ――しかし悲しいかな。魔力関連に強化されている〈ゴブリンメイジ〉の運動能力は基本的に、〈ゴブリン〉よりも下なのだ。


「ふんっ!!」


 兵士の気合いと共に振られた剣は、ゴブリンメイジの杖を掴んでいる腕ごと弾き飛ばす。

 ――返す刃で、一刀両断。

 ゴブリンメイジの右腕は鮮血を散らしながら宙を舞い、ぼとりと無様に地面に落ちた。

 肘から先、手首との中間を切断されたゴブリンメイジ。しかし彼は痛みの声を上げずに、魔術の詠唱を続けている。


「――させるかァ!!」


 兵士の咆哮。

 もう一度剣を振り、今度は左腕を断ち切った。人よりも小さな手に掴まれていた杖も地面に落ちて、しかしそれでもゴブリンメイジは叫ばない。

 不気味に思った兵士は、モンスターを前に一瞬の硬直をみせ――そしてプレートアーマーに小さな違和感に気付く。

 ちらと見れば、目に写ったものは褐色の腕、ゴブリンメイジの右腕が。

 斜めの軌道を画いた剣で、乱暴に絶たれたその腕は、斜めに切られて鋭くなってしまった骨が露出しており、その先端が丁度胸甲の上、心臓を位置した場所に当てられている。

 〈ゴブリン〉には鎧を断ち切る腕力等持ってはおらず、ならば当然〈ゴブリンメイジ〉もそんな力など持ち得はしない。

 それを彼は知っていた。知っていたからこそゴブリンメイジの、こんな全くと断言していい程の無駄な行為に対して“こいつは一体何をしているんだ”、と混乱するのは必然の事で。


 ――しかし一体誰が相対するモンスターの考えを思い付くだろうか。

 誰が骨で鎧を貫こうなどという狂った思惑に、至れるだろうか。


「ギギィッ!!」


 兵士の驚愕し、硬直して出来た隙を、【楽園の謳香】の効果によって、全力の殺意という激情を漲らせているゴブリンメイジが逃す筈なく。

 ゴブリンメイジは実行する。躊躇いなどそこにはない。あるのはそう、殺意だけ。

 そして、魔術は紡がれた。


 ――『爆発エクスプロード』。


 鎧を貫く力が足りない?

 ならば外から足せばいい。


 【爆炎魔道】。

 油に焔。鉄に水。

 甘い香りに囲まれて、貴方は蒼い火を灯す。

 巻き上がる烟。弾け飛ぶ躯。

 貴方はランプの灯し人。


 ゴブリンメイジの魔道【爆炎魔道】、その中の魔術の一つ『爆発/エクスプロード』。小規模の範囲で爆発を生み出すそれは、ゴブリンメイジの右肘で、その暴力を解放された。

 爆発。

 関節辺りの筋肉が吹き飛び、爆発による推進力で分離された腕は加速。ゴブリンメイジの千切れた腕は、爆発の威力を受けて鎧に当たる。


 金属を貫く、硬い音が鳴った。


「―――ガッハァ!!」


 兵士の視界が爆発に包まれた直後、彼は吹き飛び地面に転がり、そして己の胸――心臓に激痛が走る


「ィ………ガ、ア! あ、あ……?!」


 混乱の最中、がふっ、と血を吐き視界が回る。

 胸を見れば、そこには鎧に突き刺さった褐色の腕。肘から手前が無くなっているその腕は、千切れた場所を炭と化して、嫌な臭いを発していた。


「隊長!!」

「む、胸に腕が……!!」

「バカッッ! 抜こうとすんじゃねェ!!」

「でもよ、血が、血が……!」

「――くそっ、誰か!運ぶの手伝え!!」


 赤く点滅する彼の視界に入ってきたのは、己の下についている兵士達の姿。

 ゴブリンメイジに吹き飛ばされた自分達の隊長が、心臓に骨の杭を打ち込まれ、瀕死の状態だということを信じられないような表情で、兵士達は倒れた彼に集まってくる。

 そんな兵士達の姿を見て、彼は力を振り絞り、最期の言葉を紡ぎ出す。


「……ぉい、………だれ……か……」

「隊長!! もう少し堪えてください!! もう少しで救護隊が――」

「どけテメェら!! 救護どこだ!!」

「――ポーションは?!」

「もう掛けたよ! けど血が止まらねぇ!!」

「……もう……がふっ、ゴポッ! …………いぃ……」

「そんな!!」


 口に出された言葉は、諦観の意思で。

 それが信じられなくて、彼を運んでいる兵士の一人が叫びを上げた。他の者達も同様に、隊長である彼に言葉を掛ける。

 ――しかし彼等は、次の言葉に絶句する。


「おれ、を……殺……せ…………!」

「――――は?」

「俺の首を、切れ……ってんだよ……!!」


 それは、殺害指令。

 腕がもう満足に動かせない彼の、最期の望み。

 だが当然、彼の周りにいる兵士は困惑を顔に張り付かせるだけで。


「た、隊長、それは」

「そ、そうです! もう少し、もう少しで救護隊が――」


 ――ふざけんなよ。

 その反応に、彼は激昂した。

 一番近くにいた兵士の首を掴み、引き寄せる。

 血を再び吐きながら、彼は吠えた。


「――いいからさっさとしやがれ!! テメェら、俺を化物にさせる気かァ!!」

「!!」

「早くしろ……ハァ、ゴぷッ…………あぁ、もうもたねぇ…………」

「た、隊長……」


 先程とは違う静寂が、彼等の周りに訪れる。

 前方では未だモンスター達の叫び声に混じり、人の声が聞こえているが、彼等の耳には入らない。

 静まりかえった空気の中、一人の兵士が動き出す。

 首を掴まれ、一喝されたその兵士は、腰にぶら下げている剣を抜いた。

 表情はぐちゃぐちゃになりながら、涙が頬を伝っている。息を必死に押し殺しているのに、ひっ、ひぐっ、と声が漏れ出している。体全体がガクガクと震え、剣の先も、いつも同じ構えをとっているのに、笑ってしまう程震えている。

 しかしそれでも、それでも彼は、剣を、己の隊長に、向けていた。


「……ぅうう! うぐぅうう!!」

「そうだ…………それでいい…………」


 それを視界に納めて、隊長である彼は頷き目を閉じる。

 ――――安かな死を。

 隊長である彼は、己の部下に殺される筈だった。



 筈、だった。



「………………おい。なんだ、あれ」


 誰かが気付き、呟いた。

 何かが来る。土煙を上げて。


「…………あ、ああ?」


 隊長の意識は既に無い。

 部下の行動に安堵し、彼は意識を手放したのだから。

 だから、視線は隊長から外されて。

 彼等は前を見る。他の兵士達と同じ様に。


「………………ガルボア、なの、か?」


 ガルボア。

 それはこの世界で言う猪だ。

 しかし二、三百メートルは離れた所からはっきりと分かるガルボアなんて、信じられない。信じられる筈がない。

 なのに、分かってしまう。

 けれど、分かってしまう。

 あれはそうだと。間違いないと。

 それが、此方に近付いて来ている。

 恐ろしい速さで、近付いて来ている。


 その行動は、彼等兵士達にとってどの様な結末を齎すか。


 ――ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 ユニークモンスター、〈向こう見ずな猪〉。

 死体遊びの序章が終わり、幕が上がる。

 彼等にとっての災厄と絶望の喜劇の舞台は整った。


 迷宮は、これより地獄と化す。





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