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閑話_02(前編)

 【迷宮】地下第一階層。

 ハルアキの【迷宮創造】が原因の大地震によって、元々トリューシャ平原と呼ばれたそこは局地的な地盤変化を起こされ、その広範囲が地下に沈んだ。これは【迷宮創造】は、【迷宮】を創る際に、その地上に存在するものを地下に移すか、そのままにするかを選択出来る機能の効果であり、現在元々あった土地には、『モンスター生成場』の物よりも巨大な石が、代わりに地上を覆っている。


 それはさて置き、ハルアキとジゼル、及び“覺”のリュネがいるのは、【迷宮】の一階層目にある元会場イースリッションである。

 会場、とは言うが、実際は既にほぼ全焼気味の廃墟と化しており、唯一残っている何本かの支柱はなんとか大地に支えられるように直立はしていたが、半分程炭となってはいる。

 とはいえ、会場が炎上しているのを放っておいて、更には放置した上で支柱が残っていたという事は、この建物は余程しっかりとした造りだったのだろう。


 大部分が瓦礫となっている元客席には、【迷宮創造】の機能により、既に草木が生え始めている。所々に、ハルアキも入れられた、あの鳥籠の様な銀色の檻等が地面に埋まっていて、半分程地上に覗かせている檻の中には、巣の代わりにしているのだろう、〈ハングリー・ラット〉という二十日鼠とカピバラを足して二で割った様な魔獣型のモンスターがハルアキ達をこそこそと身を隠す様に、見つめている。


「――主様主様」


 ハルアキの後ろに、足音を立てずについてきているジゼルが、柳眉を心配そうにひそめて自分の主に問い掛ける。


「ん、何ー?」

「いや、あの、ちらほらとモンスターを見掛けるのですが、先に駆除しなくても大丈夫なのでしょうか?」

「…………あー、今は大丈夫だから安心しといていいよ。ジゼル君を連れてきたのは念のためだから」


 駆除、と目の前のジゼルが言うには似合わない言葉に驚いて反応が遅れたが、特に問題なさそうにハルアキは答えた。

 実際、【迷宮】内に生息しているモンスターは、今の所ハルアキが『モンスター生成場』で生成した生き物達だけなので、余程の事がなければハルアキ達に牙を掛ける事は無い。というのも彼等『モンスター生成場』で生成されたモンスター達は、産まれてくる途中で本能に“侵入者の排除”に加え、“ハルアキ及び彼が許可した、許可している生物を攻撃対象にしない”という命令が刷り込まれているからである。


 この制約はハルアキが意識せずとも自動的に組み込まれており、また外す事が不可能な機能の一つである。なのでそう予想外の事態は起きない筈なのだが……。


「――主様、主様」

「はいはい、なんでしょう」


 お次は何だとばかりに答えるハルアキに、ジゼルは静かに、にこ、と微笑を浮かべて、その小さな唇を動かした。


「ジゼル、です」

「…………はい」


 笑みがこわい。

 ごめんなさい、と思わず言いそうになったが、それを何とか抑え、ハルアキは何度か首肯した。そろそろ、君付けしてしまうこの癖を何とかしなければいけない、笑顔が先程よりも冷たくなってきているのを肌で感じとったハルアキは、一度ぶるりと身を震わせた。


「――しっかし、何も残ってないなあ」


 カラン、と半分以上が炭と化した木材を蹴り、ハルアキはため息混じりに呟いた。

 まあ、会場内に置いてあった金や、使えそうな物品は《イースリッション》の翌日には回収したので、当然と言えば当然である。



 ハルアキ達が今している事は、只の宛ての無い現場検証だ。

 今現在、一緒に付いて来て、炭となった支柱の一つに近付いているリュネが言っていた“おねえちゃん”の事もあるが、ハルアキにはもう一つ気になる事があった。


「やっぱ【魔道】の魔術……じゃないと思うし」


 うぅん、とハルアキは疲れた様な声を出す。

 ハルアキの気になった事、それは《イースリッション》の参加者達が“どうやって”此処から逃げ果せたか、というものである。

 蛇と蜥蜴を足して二で割り、巨大化させたモンスター〈蛇竜蜥蜴ゲルアトゥル〉。その体長は優にメートル単位で考えて三桁は越えていた。そして蛇竜の体躯は、《イースリッション》会場をぐるりと囲んでいた筈なのである。つまり、会場から脱出し、地上へと戻る為には〈蛇竜蜥蜴ゲルアトゥル〉との戦闘は、退却するにせよ強制的に必然となる筈なのだ。

 しかし現実では、ハルアキ達が奴隷を解放している時には〈蛇竜蜥蜴ゲルアトゥル〉が戦闘を行っていた気配はなくて、気付けば《イースリッション》参加者は、死んだ者を除いて全員が会場から消えていたのである。蛇竜が全員丸呑みにしたのではないか、というのも有り得ず、となれば当然何らかの手段によって、参加者達は脱出したという事は明らかなのだ。


 ――その事に気付いたのは《イースリッション》から二日後、つまりは昨日なのだったのだが、既にハルアキには大体の見当はついていた。


「…………同郷、じゃないといいんだけど」


 ――――恐らくは、“異世界人”の仕業。

 ハルアキは、此処から脱出を可能にした犯人をそう考えている。

 これには幾つか理由があり、それらを踏まえて考えると、一番その可能性が高い人物が“異世界人”という結果であり、断定までは至らない。


 現状を見てみるに、此処から脱出した手段は、十中八九『転移』に関する何かである。

 全員が透明化して脱け出した、というのはなんというか規格外過ぎるし、何より体臭等で反応できる“魔獣型”のモンスターや、ピット器官という熱センサーを持つ〈蛇竜蜥蜴ゲルアトゥル〉がそれを逃しはしない筈なのだ。

 更には、ある時間からぱったりと死者が出ていないことが、ハルアキの考えを確信に固めている。


 次に、転移に関するそれについてだが、ハルアキの知る【魔道】には、『転移』に関する魔術を知らない、という事だ。一時期、まあ召喚された国にいた時に、ハルアキは【魔道】を歩む者達を大勢見ている。しかさその中には『転移魔術』なるものを持つ魔術師は一人もおらず、ましてや唯一その劣化版ともいえるもの使えたのが、他ならぬハルアキだけだったからである。

 ハルアキが自由に行える転移術は、『ワープポータル』という【住居層】からしか使えないという『特殊機能』の一つだけ。これには様々な条件があるが、例外的にハルアキが手で触れているものなら【迷宮】内を転移する事が可能である。

 罠にも一応あるにはあるのだが、こちらは自由に使うとしたらコストが異常と言っていい程消費するので、使用する機会はまず存在しない。


 また“勇者”達は、基本的に皆ハルアキがチートだと断言出来る能力、及びに称号を冠してはいるが、彼等はそんな“邪道”とも言える能力を持ち合わせてはいない。あくまで自分に真っ直ぐ、それに加えて応用性が高く、また打ち破りにくい。そんな、知ったとしてもどうしようもない能力を備えているのが“勇者”の存在なのである。

 “魔王”も大抵その様な存在なのだが、リシュカ王国は人間主体の国。まず“魔王”がいるのは有り得ぬ事だ。

 というか既に“魔王”はこの大陸から一人残らず殲滅されたために、新しく産まれてない限りはほぼこの世に存在しない。更には現在の暦は、ハルアキが死んだ時から三年程しか経ってないらしいので、まあまず“魔王”は有り得ないのは分かりきった事なのであった。


 “魔王”と“勇者”及び【魔道】の考えを消すと、残る候補は何かしらの『魔道具(マジックアイテム)』か“異世界人”の【スキル】の二つになる。

 前者は、『魔武器(マジックウェポン)』と同じく、その身に魔術や魔石、特殊効果等を内包した道具(アイテム)の事であり、その際足る例としては飲むだけで傷を癒す『ポーション』という液体があったりする。

 ハルアキの見聞が狭すぎるだけかもしれないが、これまたそんな“転移”の特殊効果を秘めた魔道具等聞いた事が無い。第一、そんな便利な道具があったとしたら、《大戦》の時代に広まっていなければおかしい話だろう。


 という訳で、ハルアキの考えで一番可能性が高くなるのは、自分達“異世界人”が持つ能力――【スキル】の存在だ。


 《ファンタジア》に召喚された者達が持つ【スキル】の存在。それは【魔道】とは別ベクトルの力を持っている事が多い。

 どうにも“異世界人”が持っている魔力が、指向性とやらを持ってない魔力である事が原因らしく、なので属性という壁を潜り抜ける事が可能となるようなのだ。なれば『転移』という“火”や“水”等の属性に、何の関わりもなさそうな奇跡は何らかの【スキル】なのではないか。となるのは、当然の思考の帰結といえる。


 ――余談だが、考察を進める際に、ハルアキが唯一魔術を行使出来る可能性があるのは『身体強化』だけ、という説明を受けた時に教わった記憶を思い出し、ほろりと涙腺が緩んだのは、秘密の話である。



(もしかしたら、と思ったんだけど……)


 ガラガラガラ、とハルアキは元は客席だっただろう材木を蹴って退かし、地面に付着した炭を足で払う。

 ざり、という音と共に、黒く焦げた様な土が無くなるが、下にあるのは唯の焦げた土であった。


 ――今までの考えから、会場から脱出出来た鍵はハルアキとは違う”異世界人“の【スキル】であるというう事、それを前提にハルアキは考えている。

 ならば、知っておきたい事は、相手のスキルについての情報だ。


 ハルアキのスキル【迷宮創造】は、ポイントが無ければ使えない、自分が製作した【迷宮】でなければ罠等は設置出来ない、という幾つかの制限を持っている。無論、仕組みを細かく分けていけば、何十という法則(ルール)が出てくるが、大まかにいえばポイントと場所、というのが最重要の制限である。

 ハルアキのスキルは確かに強力だが制限が多い。なれば『転移』という移動に関して言えば反則級の力を持つ【スキル】も、様々な制限や条件が掛っているのはおかしくない筈なのである。

 故にハルアキはあわよくば何かめぼしい証拠でもないかしら、と期待していたのだが、結果は収穫ゼロ。


「――――世知辛いなぁ」


 思わず――最近癖になりつつある――ため息をしようとして、幸せが逃げるかな、と思い直して何とか抑え、抑えるのキツイわー、とため息をついた。

 ため息をついた。


 …………。


「……あ、あの、主様? だ、大丈夫ですか?」

「……ああ、うん。なんでもないよ、うん」


 急に「うおーい」と言わんばかりに頭を抱えたハルアキを心配して、ジゼルが声を掛けて来る。

 それに動揺しながら返事をしていると、会場跡の支柱の方からはしゃぐ声が。


「うわー、とりだー!」


 白髪三ツ目の真白い少女、リュネである。


 彼女は上半分が焼け焦げている支柱の一本を見上げ、歓声を発しながら何かを観察していた。

 木の支柱の上には、炭の様な焦げた黒とは違う、ふわふわしてそうなグレーの羽毛を生やした鳥である。鋭利な嘴に、身を覆う羽毛、立つために地に着けた後ろ足は、羽毛ではなく黄土色の鱗に覆われておりまた、子供の腕くらいの太さを持っている。頭部で目立っているのは単冠の鶏冠(とさか)、これもまたグレーの色で、かなり目立っている。


 そう、鳥は鳥でも、些か脚部が巨大な鶏である。


「ハールーアーキー、とりだよとりー」

「それはえーと、〈黒鶏クックロウ〉だな。刺激しちゃいけませんよー」


 ハルアキは動物園に子供を連れて来て、そのテンションに疲れた様な雰囲気を滲み出しながら、リュネの視線の先にいるモンスターの名前を教える。

 ハルアキは全部のモンスターの特長や名前を記憶している訳ではないが、【迷宮創造】

 で生成されたモンスターは、ハルアキが知りたい思考すれば自動的に[事典カタログ]が教えてくれるので、間違いはない筈である。


No,1012:〈黒鶏クックロウ〉 ▲詳細

『消費P:[300~800p]

生息階層:【迷宮層】第一、二層迄

 ~中略~

生態△

 ・約300pから800pの間で生成される“鳥獣型”モンスター。

 ・地球のキジ目キジ科の鶏の倍サイズ、たまに80cmを越える個体もいる。体毛や嘴は全て濃いグレーの色で染まっており、唯一違う瞳の色は全て紅い。敵対者を見付けると、奇妙な鳴き声を上げて襲い掛る。跳べるけど飛べない。

 ・因みに鶏冠(とさか)は単冠の一種類のみ。

 ・外見はコーニッシュよりは少々丸みを帯たレグホーンに近く、また通常の鶏とは違い攻撃性が高い。前足の翼と鱗に覆われた足に生えた爪は、切れ味が高く、人の肉など簡単に斬ることが出来るだろう。

 ・また、稀に―――』


 コーニッシュよりはレグホーン、前者の名前は聞いた事はあるが、はたして見た事があるかどうか分からないハルアキにとっては何それー、と言える説明書きであった。


 しかし、心を読んでほおー、と分かったのか分かってないのか、ハルアキの事を見つめていたリュネは感心した声を上げて、再び〈黒鶏/クックロウ〉に向き直る。

 子供特有の好奇心が溢れている彼女の後ろ姿は、どこかハルアキの心を和ませる。


「主様、主様」

「ん?」


 と、リュネを見ていたハルアキの横から声が掛る。

 見れば、ジゼルが目を輝かせて、ハルアキの事を見上げていた。


「……あー、はいはい。えっとねあれは――」


 教えて欲しそうにハルアキの服の袖を軽く摘んで引っ張るジゼルに、ハルアキはとりあえずはかいつまみ、問題なく伝わる部分だけを抜き出して簡単に説明し始めた。






 少々大きな黒い鶏〈黒鶏クックロウ〉。

 能力を総合的に見れば、同じ一階層に生息する〈ゴブリン〉より格下の雑魚モンスターである。

 [1000p]で生成されるゴブリンの個体の強さが大体、ハルアキがいた地球の中学、高校生程度の運動神経が比較的良いとされる男子が角材を装備して、油断せずに戦えば何とか勝てるレベル。なのでそれよりも弱い〈黒鶏クックロウ〉の強さは、なんとも微妙といった所だ。因みに、ハルアキのいた地球には、義務教育に戦闘に関する指導など存在していなかった。


 勿論、油断すれば〈黒鶏クックロウ〉相手でも軽く死を迎える事になるのは受合いだが、このモンスターの耐久力は見た目通り、大体鶏の二倍程度。

 使用ポイントが最大で[800p]のモンスターとは、そんな程度の強さなのである。


「ジゼル、気を付けてね」

「がんばれー!」

「はい、がんばります」


 後ろに下がって並んで立つハルアキとリュネの目の前には、七十センチ程の体格を持った〈黒鶏クックロウ〉と対峙する子供の姿。

 その子供の登頂部に生えた狼の耳に、フリルが付いた黒のドレスから出ている深い灰色の尻尾。

 ハルアキの事を主と呼ぶ子供、ジゼルである。


 何故こんなことになっているかというと、ハルアキがジゼルに〈黒鶏クックロウ〉の説明をした後、ジゼルが“戦わせて欲しい”と頼んできたのを、ハルアキが叶えたまでである。

 なんでも、《存在昇格(ランクアップ)》した体慣らしに加え、主であるハルアキを守るために軽い修行をつけたい、という事らしい。


 何故、そこまで自分が慕われているのか、主とされているのか、ハルアキは疑問が尽きないが、それ以外は別段問題はないし、これぐらいの事なら前は当たり前だったので、すぐにハルアキは了承した。まあ《存在昇格(ランクアップ)》を経験しているジゼルが負けるとは思えないので、安全だろうという判断である。

 ただ、気掛かりになるのは、ハルアキの横に立つリュネに対して、嫌な影響を与えないか、という事である。ジゼルと〈黒鶏クックロウ〉の戦いをハルアキが後にしようか、と断ろうとしたら「わたしはだいじょうぶっ」と無理矢理ハルアキに肯定させたのがリュネである事を考えるならば、別に気にする事でも無いかもしれない。が、しかしリュネは子供なので、どうにも心配してしまう。

 そんなハルアキの心を“視”かねたのか、リュネがもうっ、と言ってハルアキに口を開いた。


「ハルアキー、わたしはだいじょうぶって言ってるじゃん」

「いや、でもねえ?」


 あくまでリュネ九歳程の少女である。

 そんな子供に、はたして、生死を賭けた命の取り合いを見せてもいいのだろうか、という気持ちが(せめ)ぎ合うのは、仕方がない事だろう。


「ほら、養鶏場で育てた鶏を屠殺するのを見せる訳じゃないんだし…………いやでもああいう所で育つ子供は幼い頃から殺ってんのかな?」

「だからだいじょうぶなの! わたしは数えきれないくらい“視て”きたんだからっ!」


 っ、とハルアキは息を飲んだ。

 彼女は死というものを“視て”きた、技術が余り発達していない《ファンタジア》の世界では、幼い内に食糧となる生き物を捕える事はあるのだろう。

 だが、リュネの事情はそういうものではない。

 必要以上に心が読めて、周りからは異常と罵られる。

 リュネの視てきた死、それはどっちの?

 そう聞きたい気持ちを抑えつけ、リュネがその答えを言おうと口を開く寸前に、ハルアキはもう大丈夫だから、と心で呟き、自分の心を落ち着かせる。


「………そうか、そうだな」

「そうなのだよっ」


 ハルアキはぽん、と手を置いて、リュネの小さな頭を撫でた。


「ジゼル、覚悟は出来てるかー?」

「はいっ」

「じゃあ、言った通りに」

「はい!」


 明るい返事を返してきたジゼルは、既にこちらを向いておらず、背を向けていた。

 どこから見ても可愛らしい女の子にしか見えない彼は今、腰に巻いた、剣鞘の役割も兼ねている、二本のベルトにぶら下げていた剣を両手に持ち、まるで跳躍する寸前の獣の様に腰を低く構えている。

 右手に持つは刃渡り三十センチ程の短刀、左手には、それよりも更に一回り小さい短刀を。

 短刀の二刀流。それがジゼルの戦闘スタイルらしい。


 ジゼルの構えは、利き手である右腕を前方に向けて、左腕は少し横に向ける、というよくある構えだったが、ハルアキの素人目から見て、ジゼルはちゃんとした(さま)にはなっているように思えた。

 一時期モンスターが蔓延る森の中でのサバイバル経験があり、そこで狩りなどの技術を独学で鍛えあげた、とは本人の弁である。


《モンスター操作を行います》


 ポーン、と軽快な音が鳴る。

 ハルアキはコントロール画面を動かし、幾つかの操作を開始。それは勿論、〈黒鶏クックロウ〉をジゼルに襲わせるために。


《〈黒鶏クックロウ〉『52』の操作を行います》


 ぴく、とジゼルの前に立つクックロウが、動きを止める。

 そして、その唯一赤い目に、己の前に立つジゼルの事を収め、身に纏わせる雰囲気を変えた。


《敵対認識変更→最優先排除対象をジゼル・ライツァウィルトに変更しました》


 ざり、と鱗に覆われた足で土を踏みしめ、人の肉が触れるだけで斬れそうな爪が地面に埋まる。


「――ジゼルッ!」


 ハルアキがジゼルに叫んだ。

 それはモンスター操作を終えた宣言、戦いの始まりの合図。


 クックロウはばさり、と飛ぶのには適さない翼を広げる。それだけで、体長が一回り大きくなった様な錯覚が、ジゼルには見えた。

 すうぅ、と息を吸い込むクックロウ。胸辺りを風船の様に膨らませ、それを一度に排出する。


「―――クルァルァルァルァッッ!!」


 威嚇。

 そして同時に地を蹴り、即座に戦闘に移行する。


「――っ!?」


 その動きに、一瞬、ジゼルは硬直し、狼狽する。

 まさか、と思った。

 まさかこれほど――。


「――クゥルルルルッ!!」


 クックロウは地を蹴った反動を利用した速さで、ジゼルに迫る。

 そして十分に近付くと、ばさ、と翼を広げて跳躍。五メートル程の距離を一跳びで積めて、クックロウは嘴の中に生えた、凶悪な牙をジゼルのその柔肌に突き立てようと口を開き――。



 〈黒鶏クックロウ〉の戦闘能力は、確かに《ファンタジア》底辺のモンスターとされる〈ゴブリン〉より下だ。だが忘れてはならないのは、〈黒鶏/クックロウ〉ですら人をも殺せる殺傷能力を保有している事である。

 格下が格上に勝つ、よくある事である。

 己の体調、相手の調子、敵の情報、編み出した奇策、心構え、慢心、時、気候、場所、運………。様々な要素が噛み合って、命の賭けた勝負の賽子は転がっていく。そして予想外の事があるからこそ、勝負というのは成り立ち、また意外な結果を残すものだ。


 格下が格上に勝つ、よくある事である。

 だがそれは、その殆んどが相手の油断から来ていることが原因であり、油断していない格上に勝つ事はまず失敗に終わるだろう。


 一瞬、ジゼルは硬直し、狼狽した。

 だがそれは、目の前に迫ってくるクックロウが、翼を広げて威嚇したからではない。


(――――まさか)


 まさか、と思った。

 一瞬、嘘だと思ってしまった。

 だがしかし、それは確かに現実であり、また変えようの無い事実であった。


 ジゼルは刹那の狼狽の後、嬉しさによる感情で、笑う。

 まさか、まさかこれほど――。


(―――遅すぎるッ!)


 ――相手の動きが遅いとは。


 断じて相手(クックロウ)の動きが遅い訳ではない。大体中学生程の男子が、五十メートル走を全力走る速度の平均程度ほどだ。遅すぎる、と感じるのは、ジゼルの強化された動体視力がなせる技である。

 現にクックロウはそれなりの速さで突撃して来ており、戦闘に経験がない者にとっては恐怖を感じるだろう。

 だが、それでもジゼルにとって、このクックロウは遅く、また恐怖を感じる対象としては捕えられなかった。


 その原因は、ジゼルにとって絶対的強者だったアズスルーの殺気によって、三日経った今もまだ影響を残している事もあったが、一番の原因はジゼルが《存在昇格(ランクアップ)》した事だ。

 “魔族”から“従騎士”への《存在昇格(ランクアップ)》を介し、ジゼルの体は身体能力の向上、特殊能力の追加が施され、より“主”を守るために、戦闘に適したものへ進化する。

 《存在昇格(ランクアップ)》を遂げたジゼルは、元々同年代の子供とは一線を越えていた己の存在を、更に上へと押し上げたのだ。



 ジゼルは慌てる事なく、クックロウに狙われた右の腕を下げるようにして自分の方に寄せる。同時に、反撃がしやすい位置へと距離を置くために地面を軽く蹴り、バックステップ。

 腕を下げる途中で、ジゼルは流水の様な動きで、右手に持った武器を逆手に持ち変え、今度は上に持ち上げた。

 狙いは、未だ閉じられていないクックロウの下嘴に。


「――――っは!」


 果たして、ジゼルの攻撃は見事に当たり、クックロウの下顎を右腕に持った剣の柄をぶつけ、打ち上げる。

 ガチィンと、固い物同士がぶつかり合った音が、剣の柄と嘴の間から生じ、空気を震わせる。剣の柄はジゼルの右腕に込められた力により、クックロウの嘴に皹を入れられ、また嘴の中に生えた牙が数本砕け、宙を舞った。

 クックロウの顔は完全に真上を向き、首の骨が嫌な音を出し―――そしてがら空きの首に目掛け左腕を振り、短刀一閃。


「クル゛ゥッッ!!」


 然したる抵抗もなく、ジゼルの左腕は肉を切る感触と共に振り抜かれる。首を根元から半分以上切られ、響き渡るはクックロウの断末魔が叫び声。


「ふっっ!!」


 が、その声を無視して、ジゼルは追撃。

 クックロウの下嘴を打ち上げ、持ち上げたままの右腕を、今度は真上を向いたクックロウの顔面目掛けて――振り下ろす。


「ク」


 ドズン、と鈍い音を出して、ジゼルの右手に握られた剣はクックロウ肉を断ち切り、刃の先の大部分が迷宮の地面に突き刺さった。

 ず、と剣をクックロウから抜き取れば、頭から刺さっていた支えが無くなりクックロウの体は崩れ、地面に墜ちる。ぴくりとも動かぬクックロウの死体から、先程まで彼の流れていた赤い血が噴き出して、地面を赤く染めていく。


 決着。


 時間にして十秒足らず。

 幼い影狼と〈黒鶏クックロウ〉との勝負は最早勝負にあらず、ジゼルの圧勝に終わった。


「……………すげー」


 思わずハルアキは、今の戦闘に呆れた感情が混じった声を洩らす。

 当たり前だろう。己を殺そうと向かってくるモンスターに動じることなく剣を向け、尚且つ一撃も攻撃を貰わずに圧倒したのだから。

 それがまだ、歴戦の戦士、いや初心者(ルーキー)から脱け出して、ギルドのランクとやらを持っている若輩者なら、まあそんなものだろうと納得出来る。だが、目の前に立つジゼルは、未だ十一歳という若い、ハルアキにとっては若過ぎる年代だ。

 そんな幼い年で、命のやりとりに物怖じしない。それがこの世界で何れ程異常なのか、ハルアキには分からない。


 ――しかし、ジゼルが自分以上の身体能力を保有している事には変わりはないのだ。


 その事実をまざまざと実感した事により、ハルアキがジゼルに対する感情に微量の警戒心が宿り始める寸前。


「――ジゼルは、だいじょうぶだよ」


 ハルアキの隣に立つリュネが、それを止めた。


 リュネが今歩んでいる人生の根源、“覺”。

 その能力で心を読める彼女に対し、ハルアキが己の目的を話し、頭を下げて求めた事は“周りのいる人の心を読んで欲しい”というものだ。

 野心を企てる者はいないか、脱出しようと計画するものはいないか、徒党を組んでハルアキ達に対し反乱しようとしていないか。心を読んで、それを知る為に。ハルアキはリュネに頼み込んだのだった。

 今現在、少女の能力を知っている者は、ハルアキとジゼル、エルティオネの三人のみ。情報の漏洩は当たり前だが好ましい事ではないし、なにより、リュネが【住居層】に住む子供達に嫌われる事を防ぐためでもある。


 ――誰にだって、何かしら人に隠したい事は存在するし、何より交友関係を続けるために、たとえ本人が望まなくとも、時に嘘や建前を取り繕ったりする事はある。

 触れて欲しく無い事情やら、知られたく無い秘密。それを、近付くだけで知られてしまう人物に、誰が好んで近付くだろうか。


 そういう事を知って、それでもその事実を乗り越えて、リュネに近付いて来る者だけと友達になればいい、と中には言う人もいるだろう。

 しかし、ハルアキはそうは思ってはいなかった。

 もしもだが、【住居層】に今いる、大人を含めた元奴隷達にリュネの能力について、話してみたとしよう。

 結果は恐らく、ハルアキとジゼル、エルティオネの三人を除いて、リュネに出来る友達の数は数十人を越える子供達の内、よくて数人残ればいい方だろう。


 子供、というものは、良くも悪くも純粋であり、また純粋であるからこそ残酷だ。

 学校等でいえる事だが、子供達は一定人数以上で尚且つ、一定の空間に置かれると、彼等は単体、又は複数のグループに分かれる事が見受けられる。単体のグループならまだしも、複数のグループともなれば当然、グループ間での対立等が発生し、また溢れ者が出ることは必至。何人かが孤立する。

 そしてその中で不満や苛立ち等の負の感情が溜るとどうなるか何て、分かりきった事。


 群れに加われなかった溢れ者に、矛先が向くのである。


 【住居層】には、十代後半から、二十代の、この世界では既に成人となっている大人組がいる。そんな、子供達より年上である彼等、彼女等が、リュネの能力を受け入れられず、少しでも負の感情を見せたら、それを見た子供達はつけ上がることは目に見えているのだ。


 今、【住居層】に住んでいる子供達は、大人組も含め、皆少なからずストレスを抱えている。

 それこそ、ぱんぱんに膨らみ続けている、いつ爆発するか分からない風船の様に。


 勿論ハルアキには、リュネをその的にする訳にはいかないし、ストレスの吐き出し方を、そんな歪んだ方法を選ばせるつもりも毛頭無いのであった。


 だが、だ。

 リュネの読心の力、それによって、村から迫害され、奴隷として売られたという事を考えれば、ハルアキが強いたのは余りにも残酷な行為である。

 それを分かっていたからこそ、ハルアキは彼女の事を恐れない、疑わない。

 自分の行動の責任のために。

 彼女は独りじゃないと伝えるために。


「―――――そっか」

「うん、そうなの。だからハルアキは安心して!」


 リュネの頭を撫で、ハルアキは剣を鞘にしまい近寄ってくるジゼルに顔を向けた。


 ジゼルは目線で〈黒鶏クックロウ〉の骸を指して、ハルアキに問う。


「――主様、このコの事はどうすれば?」

「……ああ、ほっとけば勝手に無くなるから大丈夫だよ。素材とかは剥ぎ取らなくても勝手に出てくるから、時間に余裕がある今は見てるだけでいいよ」

「分かりました」


 基本的に、【迷宮】内で死んだモンスターの死骸はある程度の時間が経てば、【迷宮】に吸収されるか他のモンスターに食われるかして迷宮内から除去される、という仕組みになっている。吸収されたモンスターは、再び微量のポイントに還元され、再び新しいモンスターを生成するのに使用されるのだ。


「――あ」

「ほら、まあ、こんな感じに」


 首から上がぐちゃぐちゃになって生き絶えた〈黒鶏クックロウ〉の骸が、瞬く間に変化を起こし始めた。

 地面を赤く濡らしていた水溜まりはいつのまにか消えており、〈黒鶏クックロウ〉の骸の方も、まるで溶ける様に無くなっていき、残された物は、少量の黒に近いグレーの羽毛と、瑠璃色に光る、指の爪程の大きさの『原石』の欠片。


 自身がスキルで生成したモンスターの死。

 ハルアキにとっては、幾度となく見てきた光景。


 【迷宮】で生成されたモンスターには共通して言える事だが、魔石の『原石』の方は、迷宮に吸収されずに、このまま放置される。

 通常、残るのは『原石』だけなのだが、生成された当時より成長、進化している部分は、所謂ドロップアイテムとして数えられるのだ。


 ――ありがとう。

 ジゼルがそれらを回収した後、ハルアキはクックロウがいた場所を見る。奥の方にも〈黒鶏クックロウ〉はいたが、ハルアキが礼を言ったのはあくまでジゼルと戦った固体にだけである。


 【迷宮創造】を行使した当初、ハルアキは何度か、自分が生成したモンスターに同情に近い感情を抱いた事がある。

 創られて、操られて、戦わされて、創られて。

 繰り返し、繰り返し。ハルアキの現実に現れた、ゲームの様に他者の命を持て遊ぶスキル。

 それについて悩みもしたし、軽い自己嫌悪にも陥った。

 悩まされながら、それでもハルアキが出した結論は、自分は生きたいという生への執着。

 その時から、ハルアキはモンスター達に対する同情は止めて、せめてもの礼として、感謝の意を示すようになったのである。

 ごめん、ではなく、ありがとう。

 そうでなければ、ハルアキの為に作り出された彼等には、失礼に値すると思ったから。


「――ジゼル、戻るよ」

「はいっ」


 一滴の返り血も受けず、ハルアキの事を主と崇める少年は満面の笑みで応えを返す。




 さあ、いえに戻ろう。









 百二十九。

 《イースリッション》会場で、ハルアキが保護した奴隷達の総数である。

 元々の商品候補だった奴隷は七十八名で、残りの五十一名が《イースリッション》に参加していた貴族の奴隷達だ。後者の奴隷達は、本人に聞いた所によると、どうやら格式の高い貴族達の間では、自らの自慢の奴隷をお披露目させる機会であるために態々会場にまで連れて来られ、イースリッション会場に隣接した建物の中に置いていかれたらしく、帰る際に回収される予定だったそうだ。

 前者の彼等は、人間と魔族の割合が大体三:七程。更にその半数以上がハルアキよりも年下なので、彼等に対しては反逆等の企て事は、そこまで心配はしていない。


 一応、後者の奴隷を含めた彼等に対してもこの【住居層】に滞在させてはいるが、王族に付いていた元奴隷八名や、ハルアキに牙を剥く可能性が高い数名の戦奴隷達は、不安要素の一つとして挙げられる。

 幸い――と言えるかは分からないが、ここは幸いと言っておこう――、元犯罪者の奴隷は一人もいなかった。


 因みに、ジゼルは例外として、リュネとエルティオネはハルアキが必要とする時以外、そこまで接触していない。これは二人がハルアキにとり“特別”な存在なのではないかと勘繰られ、不信感、及び不満を持たれないようにするためだ。


 蛇竜等を使ったある意味恐喝に近い演説により、ハルアキは暫定的に【住居層】のトップに立ち、また奴隷達の主人という位置に立っている。その演説の際に、【住居層】から出たら死ぬ事を伝え、また此処から暫く出す積もりは無いというハルアキの説明は、暴力による圧力で少なからずの不満を彼等に抱かせるには十分過ぎるものだろう。故に、ハルアキに近付いてる者に対しては、ハルアキを快く思っていない連中から媚を売っているとみられる可能性もなきにあらず、唯一護衛役を買って出てきているジゼル以外には、なるべく重度な接触は控えているのだ。


「――じゃあ間違い無い、と」

「はい、恐らくなのですけど……」


 ハルアキの前には、数人の女性。

 比較的なだらかな者から、肉欲的なボディラインを画く者。

 金髪や茶髪に、緑眼や青眼。

 髪や瞳、肌の色等、各々の特徴を持っている。

 その中で皆に通ずる共通点は、比較的地球の大衆と同じ様な美的感覚を持っていると考えるハルアキから見れば、彼女達は全員、どれも整った顔をしており、とても魅力的に見える、という事だ。

 吊り目が特徴的な、緑髪の女性。

 目尻にある泣き黒子が目立つ、やや垂れ目の女性。

 ウェーブしている金髪を腰の下辺りまで伸ばしている女性等々。

 貴族が全員美形だとは言わないが、彼女達にドレスでも着せて化粧等で着飾れば、何処かの貴族と言っても疑われない程の美の持ち主達である。まあ残念ながらというべきか、彼女達が着ている服はドレス等の豪華な服ではなく、各々が好みに合った、布地のスカートやズボンを履いているのであるのだが。


「確認だけど、その陣とやらの中に入って、気付けば会場にいたと」

「その通りです。一瞬視界が真っ白になって、気付いたら此所に……ね?」

「うん」

「そうね」


 ハルアキの前に立つ彼女達は皆、リュシカ王国の王族――第一王子の奴隷だった者達だ。

 彼が《イースリッション》の会場についた際に連れて来られ、そしてそのまま置いていかれたらしい。

 ハルアキはふぅむ、と頷き、自分が話を聞いていた先頭に立つ女性に礼を言う。


「――分かった、ありがとう。引き続き、子供達の事を頼みます。あと、えーと…、何か問題や不満があれば遠慮せずに報告してください」

「――かしこまりました」


 ぺこり、と先頭に立つ、二つのおさげを栗色の髪で作っている女性が礼をし、続いて後ろの女性達もそれに倣う。

 奴隷といえど、王子を不快にさせないように、必要最低限の作法を教えられたのだろう。彼女達――特に先頭の人の――礼は、どこか品があるようにハルアキには感じられた。


「――それでは、失礼します」


 そうして顔を持ち上げ、ちらとハルアキを見て、次に彼の少し斜め前に立つジゼル、そして再びハルアキに目を向ける。ハルアキも気が付かなかったそれは数瞬の事だ。彼女は、す、と後ろを向き、足を動かし引き返す。他の人も、失礼します、とハルアキ達に言って、彼女の後ろについていった。

 先頭を行く女性の、栗色のおさげが宙に揺れ、さらさらしてそうだな、とハルアキは思った。


 今彼女達に頼んでいる役割は、鬱や心的外傷後ストレス障害――略称PTSD等の、精神障害に成り掛けそうな子供達の治療である。


 皮肉ながらも、ハルアキが暮らしていた時代の日本よりも、生きていく環境が厳しいこの世界の住人は、例え幼くとも心が強い。しかしそれでも、家族に売られたという現実を受け止められなかったり、会場に連れていくまでに暴力を振るわれるなどして悲惨な目にあったり等様々な要因で、心に傷が付いた者がいるのも事実なのだ。


 とはいえ、一概に“治療”とは言っても、当時高校生だったハルアキには精神病の治し方など知るわけがないので、簡単に会話の話相手となったり、遊び相手になったり、後は独自の判断をするようにという、精神的なケアに分類される事をするだけであるのだが。

 なので、今は特に頼む事が無いエルティオネや、今まで王族の奴隷とはいえ暮らしにはそこまで不自由が無かったらしい彼女達八名等、更に加えて数人程の精神的に余裕がありそうな者達だけに頼んでいる。無論、無理強いはしなかったが。


 彼女達が屋敷の通路を曲がるのを見届けて、ハルアキは、くっく、と苦笑を洩らす。


「主様?」

「んん、何でもないよ。心配するほどの事じゃない」

「そう、ですか。分かりました」


 ジゼルが訝しげに聞いてきたが、これはそんなに問題にすべき事ではない。

 これは先程の彼女達に対する態度に関連するものではなくて、寧ろ彼女達に関係する未来を想像して、だ。


(――――絶対何人か、惚れちゃうんだろうなぁ)


 惚れる、とは勿論、“治療される側”が“治療する側”にだ。

 只の異性でも十分過ぎるほどなのに、エルティオネを含めた彼女達は皆――ハルアキよりも少し年下や、同年代(肉体が若返っているので、約十七歳)もいるが――顔立ちが整っている。簡単にと言えど、そんな彼女達が、精神的に崩れかけている者達等の看護をするのだ。

 当然、初めは嫌がったりする者も現れるだろうが、最終的には、好意的な感情を持たない者は少ないだろう。そしてその内、好意が恋慕のに情に変わる人は、必ず出てくる筈である。


 ハルアキにとって他人の恋愛には然程興味は無いが、恋を例外を除けば良い事だと思ってはいるので、それ事態は肯定的に受け止めているのである。

 まあ、余計な問題が起こるのは確実なので、性的な事は“絶対に”しないようにとは釘を刺してはいるのだが。


「――ハルアキー」


 と、思考を中断させたのは、先程の彼女達が曲がったのとは、ハルアキとジゼルを挟んで正反対に位置する通路。

 ひょこ、と顔を出して近付いてくるのは、額にある銀の瞳と、金色の眼でハルアキを見る白髪の少女――リュネである。

 彼女には、初めから通路の陰で隠れてもらっていた。理由は単純であり、リュネが常にハルアキの近くにいれば、確実にリュネには“何か”がある、と疑われるのは明白だからだ。

 故に、心が読める距離で身を隠せる所にいてもらい、そこからハルアキと会話した彼女との心の内を読んでもらったのである。


「嘘はついてなかったよー。あのおねえさんが言ってたとおり、よく分かんない陣の中に入って、びゅーんって」

「なるほど」


 どうだった? とハルアキが聞こうとして、やはりここでもリュネが先に口を開き、その結果を言う。

 それを聞いてハルアキは、どうやら彼女達に対する心配は、余りしなくてよさそうだ、と肩の荷も軽くなった。


(だけどそっかー、やっぱ召喚された人なわけねー……)


 胸からもやもやしたものが溜り、そのもやもやが体内に取り込んだ空気に混じり、喉に込み上がってくる。

 それを吐かずに循環させ、少々体にどろりとした感触を覚えたが、ハルアキは自分自身に嘘をつき、それに気付かぬ振りをした。


 ハルアキが先程聞いていたのは、自身の考えの裏付けである。

 《ファンタジア》に召喚された異世界人は、その召喚の理由や能力から高い地位に就く事が多い。それこそ国の軍団長やら、異世界人の為に創立された組織のトップにやら、兎に角引く手数多の存在だ。

 故に、この国の王族にも何かしら関わっているのではないかと【住居層】に戻って思い付き、早速“元”王子の奴隷に聞いてみた所、この上ない当たりを引いたのであった。


 どうやら彼女達――正確に言えばその主である王子や、その親の国王なのだが、奴隷競売の会場に赴く際に、所謂ハルアキの知る瞬間移動なるものを行使したらしい。


 ――曰く、カイトと呼ばれた人物が地面に描いた『陣』に乗って、気付けば会場に着いていた、らしい。着いた会場の部屋の床にも、似たようなものがあったらしいので、恐らくはそれが【スキル】の制限に関する何かであるとハルアキは見当をつけた。

 そしてカイト、というその男性は、別の男からウナウ゛ァラ、とも呼ばれていたそうだ。

 ウナウ゛ァラ――恐らく正しい発音だと、ウナバラ、いや、海原(うなばら)、と言ったのではないのだろうか。

 ハルアキの知る人物の中で、海原、という名字を持った者はいないが、恐らくはその考えで正解だろう。


 海原(うなばら)海斗(かいと)


 名字、名前共にハルアキが考えた当て字だが、そう外れたものではない筈だ。

 そうして考えれば、いかにも異世界人“らしい”名前ではないのだろうか。

 《ファンタジア》にも和名に近い名前を持っている者もいる事は知っているが、ウナバラカイトは日本“らしすぎる”。ハルアキが知るこの世界の和名は、エダ・カッツゥールだとか、アズハ・ヴェロノーチカ云々等々、そんな感じの中途半端な名前だけである。

 そして黒髪、というのはたまに珍しい、という程度だが、それとセットで黒目というのはかなり稀、と認識されている。 


 よって、ハルアキが導き出した結論は、ウナバラ・カイトは『転移』に関係する“異世界人”である、という事だ。

 はあぁ、とついにハルアキは我慢出来なくなったため息を吐いて、片手を額にやる。

 眉は額に皺を作り、顔にはこれからの苦労が増えた事に対しての疲れが溢れ出していた。


「ハルアキー?」

「主様?」

「いや、もう、きっついなぁ……」


 確実に、カイトとかいう人物は、近い内にこの【迷宮】にやって来るだろう。

 それはつまり、ハルアキが覚悟しなければならない敵の一人、“異世界人”が来訪する事を意味していた。

 遅かれ早かれやって来るのは覚悟していたが、よりにもよって、“異世界人”がいる国に当たってしまったとは運がない。そう思ってしまうのも無理らしからぬ反応である。

 加えて、彼女達から聞いた、カイトとは違う、キヨトとか呼ばれていたらしいもう一人の人物の存在。

 キヨト、日本人の名前でありそうなそれは、ハルアキがもう一度ため息をつくには、十分過ぎる案件だった。


「はぁぁぁ…………これ、こんな迷宮で大丈夫か?」

「だ、大丈夫だよ、問題ないよっ、きっと! …………えーと、えーと、あ、そうそう! さっきのおねえさんは今のところ不満はあんまりないっぽいよー。ごはんとかこっちの方がおいしいし、豚もいないからだって」

「へぇ、そっか。ありがとなー」


 凄い勢いで沈み出すハルアキを励まそうとしてか、リュネが慌てた様に言う。

 それに少々投げやりなった返事を返し、頭を撫でた。


「へふー、えへへー」

「…………いいなぁ」


 満足そうな声と、羨ましそうな声。

 しかし後者の声は残念ながら、ハルアキには聞こえていなかった。触り心地が良さそうな狼の耳が、力なく、しゅん、と垂れた。


 【住居層】での食事は今の所、ハルアキ――間接的にだが――の自家製でなんとかしている。要は、【迷宮創造】の『生活機能』から賄っているのである。

 料理は、調理済みの食事一回につき、約5pから20p程が消費される。朝昼晩と三食出しているので、一日の食事に対しての消費は、大体30p前後から多くて50p程に収まっているのが現状だ。一食分の消費量、それだけを見るならば決して対した数値ではないのだが、それを百人を越える人数で、しかも毎日となると話は違ってくるのは当然の理と言うべきだろう。


 実のところ、調理された料理を出すよりも、迷宮の【住居層】に植えたり栽培する食材を育てて、それを調理に回した方が圧倒的にポイントの消費が少ないのだが、今あえてハルアキはそれをしていない。

 理由は、奴隷達が状況の整理がついていないだろうという、ハルアキなりの配慮である。

 日常から奴隷へ、その後ハルアキによる騒動で、故郷へ帰る事は暫く先に。そんな彼等に、せめて食事だけでも、というハルアキの気持ちは、やはりどこか甘いと見られてしまうだろう。


 因みにハルアキ自身は料理が出来る腕前ではないし、何より百人以上の食事を作るのは無理と割り切っている。

 男ハルアキ十九歳、今現在料理の学が余りない、元地球人の異世界人である。

 一週間程したら、料理担当を決めようと考えているハルアキなのであった。






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