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閑話_01

 血の臭いが拡がっていた。


 広大な平原。曇天の空から数本の光の筋が漏れ出している。

 降り注いでいた紅い雨は既に止み、緑の大地を赤に染めて、海を作っていた。

 血の台地に根を生やしているのは、折れた剣、欠けた斧、破れた盾に、傷だらけの鎧。突き立てられた旗が、支える者なく風にはためき、隙間なく敷き詰められているのは、夢に敗れた(つわもの)共。


 ずしん、ぐしゃり。ずしぃん、べきゃり。

 地獄を終えた世界。恐ろしい程の静けさが辺りを包む中、重い金属の音が。

 重厚な足音と共に、地面からは鉄がひしゃげる音がする。

 歩むのは巨体。潰れるは死体。

 一匹ではない。二匹でもない。何匹も、何十匹も、何百匹も。群れとなって、軍となって。

 彼等は飢えている。血に、肉に、骨に、臭いに、空気に、敵に、戦に、戦場に、彼等は飢えている。数多の戦場を練り歩き、時に襲い、時に襲われ。しかし彼等は満ちず、まだ足りない。まだ、足りない。


 ――――次の戦場は何処にあるか。


 軍の先頭、一際(ひときわ)目立つ者が、向きを変えて進み出す。それを追う様に、付いてく様に、群れの列が曲がる。

 ずしぃん、ぐちゃり。ずしぃん、ぐしゃり。

 進め。進め。進め。

 彼等は歩み、進軍する。

 彼等は歩み、前進する。

 行軍せよ、丘の向こうへ。

 誰かが呼ぶのだ、戦は此方と。

 彼等は進む。楽土へと。

 彼等は進む。戦場へと。


 彼等は丘を越え、そして――――。






 ――――何処か、別の世界の話。







◇■◇■◇――――――――――――――◇■◇■◇






 【迷宮】第十一階層目――【住居層】。

 ハルアキがいる場所は、『生活機能』で制作した屋敷の部屋の一つだ。

 質素だが確りとした作り、部屋の脇には素朴なテーブル、エルティオネと話した談話室と大きく違い、人が二、三人は横になれそうなベットが一つ。窓からは太陽の様な日射しが差し込み、部屋の床を照らしている。

 ――地下なのに、何故明るいのか。

 実の所、ハルアキにも何故かは分かっていない。

 しかし、それは迷宮の外、つまり地上に太陽が昇っている時間ならば迷宮は一定以上の明るさを保ち、月が昇る時間になれば、それ相応の明るさしか灯さないという仕組みという事は分かっているので、ハルアキは別に気にしてはいなかったりする。

 一時期、この様な謎について考えたりしてみたのだが、ゲームで液体を飲めば体力が回復したり鳥の尾で瀕死の状態から復活する事を、“どういう理屈で生き返るのか”という事を考えないのと同じ様に、これも“そういうもの”という結論に終わり、結局はあやふやな認識の範疇に収まっており、またこれからもあやふやなのだろうという事で割り切っていた。


 ハルアキはそんな太陽の日射し、いや『迷宮光』とでも言うべきだろうか――兎も角、光を浴びながら、ふわぁ、と口も隠さず欠伸を掻いた。それに、椅子に座るハルアキの横に立つジゼルが苦笑する。

 彼の格好は相も変わらずフリルがそれなりに付いた黒のドレス。一つにまとめられた深い灰色の髪が、さらさらと動く。

 因みに、今の時刻は昼を過ぎた所であった。


 解放した奴隷達は昼食を終えて、今頃は皆で遊んでいるのだろうか。親交は深めときたいっ、とは思いつつも、今は【迷宮】の警戒は怠ってはならぬと戒めて、ハルアキは【迷宮創造】のコントロール画面を開き、【迷宮】の状態を観察する。


『【迷宮:NoName】

階層:全十一階層 ▲詳細

【迷宮層】:十階層迄

 ▽詳細

【住居層】:十一階層目

 ▽詳細

モンスター数:[2157]

 ▽詳細

侵入者:[0]

 ▽詳細

オブジェクト数:[228個]

維持コスト:[504p/日]

 ▽詳細』


(――――特に異常無し、か)


 半透明の画面に表示された文字を読んで、ハルアキは、ふむ、と息をつく。


 既に《イースリッション》から三日の時が経ち、その間、特にこれという出来事もなく、ハルアキ達は【迷宮】の中で生活している。

 今の所、元奴隷達のいざこざも殆ど発生せずに、問題なく彼等の親睦は深まっている筈である。まあ、それは問題ではないのだが、気になる事項は【迷宮】の方であった。


 【迷宮】が出現してから早三日。

 その間一度も――元奴隷達に聞いた所に因ればリシュカ国というらしい――彼等の動きが全く無いのである。競売を〈蛇竜蜥蜴ゲルアトゥル〉達であれだけ荒らしたのだ、直ぐ様報復だなんだとやって来るのを覚悟していたのだが、どうやらそんなに軽率には動かないらしい。

 冒険者でも送ってくるのではないか、とも思ったが、本当に誰も【迷宮】に入ってこない。少々懸念事項が増えた事に、ハルアキは頭を抱えたい気持ちに襲われた。


 ハルアキが心配しているのは、この迷宮が“魔王”が管理している、と思われる事であった。ハルアキ自身の『分類カテゴリ』は“魔王”ではなく“異世界人”なのだが、もしもこの【迷宮】に“魔王”がいると勘違いされれば、必ず動く者達がいる。


 “勇者”。


 一騎等万、最強無敵。そんな形容詞が付く、正真正銘の強者達。

 基本的に、“勇者”達は“異世界人”達より数は少ないが、強い。本当に強い。少なくとも、ハルアキが戦った彼等はそうだった。

 彼等、彼女等は戦闘の経験が豊富で、場数も踏んでいる。ハルアキ達“異世界人”が【スキル】で手に入れた借り物の実力ではなく、それを血と汗と涙で地に根に生やしている者達の集まりである。

 【スキル】に頼るだけの“異世界人”辺りならまだ何とか【迷宮】自体で対処可能なのだが、正直“勇者”を相手にするならば、ハルアキ自身が出ばらなければならず、しかも勝てるかどうか分からない。

 勿論、その強さの分獲られるポイントは大量だが、それだけである。ハルアキは人間勢の戦力を減らす事が目的ではないし、また他の勇者や実力者に目を付けられる事も望んでいない。何よりメリットよりもデメリットの方が多いので、相手にしたくないものなのだ。

 そんな、今はハルアキにとって迷惑な彼等が「魔王討伐」の看板を掲げて【迷宮】にやって来られるのは、厄介極まり無いのである。


 しかし、【迷宮創造】は基本的に【迷宮】に入った者を迎え撃つ、という受動型の能力なので、此方からはどうにも出来ない。それが歯痒くハルアキは唸るが、現状は何も変わらない。

 いくら頭を捻っても、本当にそっちの対策は何も思い付かないので仕方なく、どうか来ませんようにと祈りつつ、ハルアキは【迷宮】の迎撃準備に精を出す事にした。


「『罠作成(トラップ)』」


 ハルアキがそう言うと、表示画面が切り替わる。


《『罠作成(トラップ)』を選択しました。『罠作成ユニット』に投入されている残りPは[1036720p]です。追加しますか?》


 ポーン、と軽快な音と共に現れた、新たな画面と共に、これまた無感情な声が画面の文字を読みあげる。ハルアキは十秒程考えて、やっぱりいらないか、と思い、その画面を閉じる。【迷宮】に設置される罠は、ハルアキが使う【コマンド】を除き、ほぼ自動的に創られ、また【迷宮】の何処かに配置される。ハルアキの能力はあくまで“創造”であり、何かを創るまでが自身の役割で、設置や調整等はその中には入っていないのである。

 どこからがハルアキの役目で、どこまでが【迷宮創造】の自動機能(オート)なのかは、使い手さえなんとも言えない境界線が引かれている。言わば半自動機能(セミオート)、と表せるだろうか。

 因みに、【迷宮創造】には[事典(カタログ)]なる機能が存在しており、基本的に表示されている罠や建物、モンスター等を閲覧する事が可能である。例えば、アズスルーを倒した罠である【獄門鬼の砲弾】はこんな風に。


No,5988:【獄門鬼の砲弾】 ▲詳細

[ロックされています]

『使用P:[50000p]

設置可能範囲:【迷宮層】最下層階-2階層

設置可能台数:[0/3]

設置所要時間:[00:45:00]

再設置可能時間:[03:00:00]

 △詳細

[00:00:00]

[00:00:00]

[00:00:00]

実行可能コマンド:有

 △選択

【セレクト】

【クイック】

【ポイント】

【リロード】

【――』


 ――と、まあこの様に色々と表示され、更にこの下の項目には“罠”の全長の表記、効果や有効射程諸々の説明が記載されている。


 設置可能範囲は、現在の【迷宮層】最下層――つまり十階層目から二階層分、つまり十、九、八、階層の何処かに設置される、という事だ。設置可能台数の[0/3]は、最大三台までこの罠が設置可能であるという表示である、また【リロード】という【コマンド】を使用すれば、設置場所は変わらないが、二度目の発動が可能となる。

 再設置可能時間はそれぞれ別々にカウントされる、つまり一台設置した後に再設置可能時間を待たなければ二台目の設置が出来ない、というわけではないという事だ。

 [ロックされています]という表示は、ランダムに選択されて設置される罠の中、1000p払いこの項目を入れる事で、勝手に設置されなくなりますよ、という役割を持っている。

 これは非常時の事態に陥った際、使用したい罠が既に設置数が限界になっていたり、再設置可能時間中で使用出来ない事を防ぐためだ。一応、これらの問題はポイントに余裕がある場合に限り、【コマンド】で何とか対処できるのだが、ただでさえ恐ろしいまでの使用コストが掛るのに、それを更に倍増する事になるのは、何としても避けたい事態である。まあ実の所、今はそこまで必要性は無いのだが、こういう事は忘れない内にやっておいた方が良いという判断で、ハルアキはこの項目を入れている。


 ハルアキは幾つかのトラップの項目を流し読みした後、再び新しい画面を開く。


【モンスター生成場】 ▲詳細

『投入残P:[830260p]

設置台数:[22/22]

状態:[異常無し][稼働中]

消費上限:[38500p]

生成可能種:[――――』


 さて、画面に表示されているのは【迷宮】で創造されたモンスターに関わるものだ。

 一階層を増やすごとに設置可能台数が[2]ずつ増える仕組みになっており、今の所一階層目を除く全階層に二台ずつ設置されている。

 各階層事に設置しなければいけない理由は、単純に階層ごとに設置出来る台数が二台という事(一階層目は例外として四台となっている)や、モンスターの生成速度の短縮、及び各階層のモンスターの補充等が素早く出来ないからだ。

 例えば一階層目にしか『モンスター生成場』がないとすると、八階層目や九階層目にモンスターを補充するのにどれくらいの時間が掛るだろうか。ましてや、他の階層にモンスターを補充しながら、尚且つ自身に割り振られた階層のモンスターも生成せなければならず、非効率的なのだ。

 そして、これはハルアキが忘れていた事だったが、『モンスター生成場』は一定以上のポイントを投資しても余り意味がなかったりする。というのも理由があり、『モンスター生成場』の画面に表記されている『消費上限:[38500p]』というものが原因である。


 この“消費上限”というのは即ち、投入されたポイントを一度にどれだけの量を使えるか、という意味で、『モンスター生成場』の場合、“モンスター一体の生成の際”にどれだけのポイントを使用出来るかを示している。モンスター生成で創られるモンスターの強さは、単純に込められた“ポイントの量”で決定される。また、[30000p]から始まるこの消費上限は、条件さえ満たせば増えていくという仕組みになっているので、上限が上がれば上がる程生成されるモンスターの種類と強さは増していく。

 これは『罠作成(トラップ)』を創る仕組みも大体同じ様なものであり、[25000p]から始まった消費上限は[25500p]になっている。


 ここであれ? と思った人がいるかもしれない。

 なんで消費上限が[25000p]だったのに、消費ポイントが[50000p]の【獄門鬼の砲弾】をハルアキ使えたのか。

 実は、前のスキルからある特殊機能――【コマンド】の【セレクト】というものがあり、それを使用すれば、消費上限以上のものを作れる、という効果を持っているのである。[×10倍]という恐ろしい代償わ払うことになるが、消費上限が既定値に達するまでは、お世話になるコマンドの一つなのだ。


 現在この『モンスター生成場』で作れるモンスターの種類は、大きく分けて七種類。

 《イースリッション》の舞台で暴れた〈ライオハルト〉や〈ブラッドパンサー〉の様なビーストタイプ、所謂“魔獣型”。

 丸太の様な腕を持つ怪力のモンスター〈オーガ〉や大きくても一メートル四十センチ程の身長しかない褐色の小人〈ゴブリン〉、二足歩行をするかなり犬寄りの見た目を持った〈コポルト〉の様な“亜人型”。

 空を飛び回る狂暴な血吸い蝙蝠〈キラーバット〉や、300pから800p辺りで生成される〈黒鶏クックロウ〉等の“鳥獣型”。

 人間とトカゲを足して二で割った様な体格を持つ〈リザードマン〉や、野生の蛇よりも一回り大きい蛇の〈這蛇ドラッグスネーク〉――“爬虫類型”。

 中に数多の虫型モンスターを孕ませた〈巨大繭ジャイアント・コクーン〉に、頑丈な甲殻を持つ巨大な昆虫〈一角黒虫〉の様な“昆虫型”に、獲物を幾重もの蔦で絞め上げる〈人喰い蔦ドロップ・アイピー〉、攻撃性が高いモンスターを生む〈妖精の蕾フェアリーエッグ〉等の“植物型”。

 液状生命体である〈スライム〉にその強化版である〈赤水レッドゲル〉という“液体生物型”。



 今の所はそこまで種類は無いが、恐らくは条件を増やせば、もっと種族を増やせる筈である。根拠はハルアキが前使っていたスキルの時に存在していた――一般的に『魔道人形(ゴーレム)』という、魔力で動くモンスター達のタイプである“人形型”というものが、今現在の『モンスター生成場』の情報に記載されて無かった事に起因する。

 ならさっさと種類増やそう、という訳にもいかない。というのも、前の時はいつのまにか追加されていたので“人形型”の生成可能条件はハルアキは知らないからである。


 これら消費上限やモンスター生成の種類等がリセットされている事から、どうやら【迷宮創造】は本当に次世代機になっていたらしい。ハルアキがこの事実を知った時、どうせなら引き継ぎ機能とか搭載してろよ、と――疑問符は付くが――自分の能力に内心で愚痴を溢したのは仕方が無いと言えよう。

 まあ、今回も知らない間に追加されていればいいなぁ、とハルアキは割り切る事にした。


 さて、と息を吐き、ハルアキは【迷宮創造】のコントロール画面を閉じた。

 何かした方がいいんじゃないかな、何かやり忘れてるんじゃないかな、という思いはあるが、実際何をするかなんて思い付かないし、自分の少々過剰な心配性を少なからず理解しているので、ハルアキは多分大丈夫でしょうと思うことにした。

 ――それよりも今は、自分の膝の上を占領している存在である。

 ハルアキは心持ち視線を下にやり、自身の膝の上に座る白い頭を視界に入れた。


「リュネさん、ちょっと膝から降りてくれませんかね」

「いやー」


 一刀両断、ばっさりである。

 まあ軽いから別にいいんだけども、だけど地味に辛く、というよりも少しだけ感覚がなくなってき始めているのだけども、とハルアキはため息をついて、彼女の頭に顎を乗せる。

 何故か二、三歳程若返った体にとって、たった八歳の少女――否、幼女の重さはそこまで苦を労さないのだ。


 ハルアキは今一度、自分の膝上にのる存在を観察する。

 背中まで伸びた白いアルビノの髪、肌は雪の様で、子供特有の柔らかさを持っている。解放した子供達をまとめて風呂に入れた際に使った染髪剤の匂いが、膝の上に座る彼女の芳しい芳香と混じり、ハルアキの鼻孔をくすぐり、何とももどかしい。


「おもいー」


 ハルアキの顎が痛いのか、ガクガクと、顎を乗せた彼女の頭が揺れる。

 ハルアキはすぐに顎を放し、揺れた視界を元に戻した。


「じゃあ膝からどきなさい」

「ぶー、本当は軽くて気持いいとか思っているくせにー。このロリコンっ」

「心を読むな、俺はロリコンじゃない。とりあえず降ろしますよー」


 有言実行。ハルアキは彼女の両脇に腕をやり、ぐいと持ち上げて膝から降ろす。

 ぶー、と文句を垂れながらも、彼女は抵抗らしい抵抗をせずにその行為を受け床に立つ。

 二本の裸足が絨毯の敷かれた床に軽く沈み、その感触に顔を綻ばせ、リュネと呼ばれた幼い少女はハルアキの方を振り向く。


「むふー、ありがとうっ!」

「どーいたしまして」


 ハルアキは少女の頭を撫でながら返事を返す。

 わしゃわしゃと撫でられるのが心地好いのか、彼女は綺麗な金色の双眸と、その白くツルンとした額の中心にある銀色の瞳を気持ち良さそうに細めながら、ハルアキの事を見つめていた。


 “(さとり)”。

 それがこの少女の『分類カテゴリ』だ。

 人の心を読む事ができ、嘘は通じず、また感情なども汲み取ることが出来るそうだ。本人談なので、らしいが付くが。

 『分類カテゴリ』、『称号』、【スキル】もしくは【魔道】は、三日前に馬車の中で表示された――所謂『ステータス画面』で確認が可能だ。但しその詳細までは知る事は叶わないので、そこから先を知る事が出来るのは本人だけとなるのである。


 三日前、《イースリッション》での騒動が終え、厳重に封をされた檻の中に閉じ込められているのを奴隷達を解放していたハルアキ達が発見し、幾重のも施錠を開けた中に、彼女はいた。ハルアキ達は一先ず少女を檻から出して、何かを封印する様に巻かれた目隠しを解いて以降、何故か彼女はハルアキに懐いたのだ。それはもう有り得ないくらいに。

 この前ハルアキがエルティオネと対談した時刻が遅くなったのも、離れるのが嫌と言うこの少女が寝るのを待った為であった。確かに助けた人物に頼るのはいいとしても、これはもうハルアキの事を昔から知っている様な感じで懐いてくるので、ハルアキもなし崩しにまあいいや、と諦めた程である。

 ジゼルの時もそうだが、何故こうも急に懐かれるのか、ハルアキ自身にもよく分からなかった。


 因みに、エルティオネとの対談後に、彼女の口から心を読めるという事実を聞き驚愕し、ええー、と知らせないように注意していたのが水の泡になり、ハルアキはなんとも言えない気分になったのは余談である。リュネがハルアキに抱きついている所を目撃したエルティオネが白い目で見ていたのも、余談である。誰を見ていたかは言うまでもない。

 まあハルアキに懐き、またとりあえずはここからは離れるつもりは無いらしい。とりあえず、今の所彼女に関しては特に割り振る仕事もないので、解放された事以外何も知らない元奴隷達と扱いは同じにしている。


「ふわぁー、気持いいー」


 ハルアキのそこそこ大きな手に撫でられながら、撫でられている少女――リュネはどこか夢見心地のようだ。

 その表情が純粋に自身の気持ちを表している様で、ハルアキも顔を綻ばせた。


 ふと、ハルアキは彼女から聞かされた、奇怪な話を思い出す。もう一度聞けば、何か新しい事に気が付く、というのはよくある事である。なのでハルアキは話を聞こうと口を開こうとして、しかしそれよりも先にリュネが話をし始めた。


「――えっとねー。わたしが暗い箱の中に入れられてる時に、おねえちゃんがやって来て、『買ったから、もう少しそこで待ってて』って言って来てー……、その暫く後に【迷宮創造】の地震が起きて、今に至るんだよー」


 リュネはさも当然かの様に、質問された事を答える様に喋り終えた。恐らくは“覺”の能力とやらでハルアキの心を読んだのだろう。でなければ、恍惚としていた表情を切り換えて、こんな唐突に、しかもハルアキが今口に出して聞こうとしていた事を言える筈がない。

 彼女が今した話は《イースリッション》当日の話である。一聞してみると、単にリュネが既に女性に買われただけという特に問題なさそうなものなのだが、実際は幾つかの疑問点が生ずる事になるだろう。

 ――それを今から説明していこう。


 先ず第一に、何故リュネは箱の中に入っていたのか。

 その理由は、リュネの『分類カテゴリ』“さとり”の特殊能力を弱まらせる為だ。

 心を読む、という行為はリュネ曰く、遮蔽物が有れば有るほど効きにくく、また難しい様で、箱に触れられる程近付いてくれなければ心はおろか、感情すら感じ取れなかったとは本人の談だ。彼女にされていた目隠しも同様で、“覺”の様な特殊能力を阻害させる為のものだったらしい。

 今はそんなものは知らんとばかりに遮蔽物を付けておらずに、存分に“覺”の能力を発揮させている。こちらもエルティオネに負けず劣らず、常識の範囲内でいい子なので、必要以上に相手の心の中を詮索し暴露したりという行為は、未だ見受けられていない。

 二つ目は、何故リュネに話し掛けてきた人物が女性と分かったかである。

 こちらは先程言った通り、例え箱と目隠しという遮蔽物があっても、箱に触れられる距離にいてくれさえすれば、リュネにとってはそれだけで、感情は読めずとも、そこに立っている人物が男か女、更に大体の年齢が感じとる事が可能、らしい。

 ハルアキはでどのように感じるのか気になったので、リュネに聞いた所によると「若いのは生き生きしてて、お爺ちゃんとかは嗄れているよー」だそうだ。

 あとは純粋に、かけられた声のトーンが、女性のものだったという事から、という理由だ。

 そして最後は――。


「その“おねえちゃん”が女性っていうのは間違い無いんだよね?」

「そーだよー」

「で、働いていた人も嘘は付いていないと」

「うん、多分間違い無いと思うよ?」

「そっかー……」


 最後は、《イースリッション》で、奴隷達を置いておく牢屋を通り過ぎた女性など、一人としていなかった事だ。

 リュネを入れた檻は、ハルアキ達が入っていた牢屋の奥、そこにある小部屋の中に置かれていた。

 牢屋の通路は裏口に直結しており、一本道となっていて、また小部屋の中には人が入れる窓など存在していなかった。裏口から入り、リュネの所へ行って、再び裏口から出て行ったのではないかとも思われたが、これについてはリュネが否定しており、どうも“おねえちゃん”という人物はハルアキ達の牢屋が並んだ通路の方に向かっていったそうだ。また、訪問してきた時刻はハルアキ達が搬入されてきた後らしいので、つまりはハルアキ達はその人物を見ている筈なのである。

 しかし、ここで問題が発生している。

 というのも実は、ハルアキ達はその人物を見掛けてはいないのだ。確かに、幾人かは通路を通っているのを目撃したが、その中に女性は一人もいない。解放した元奴隷達も同様の様で――とはいえ、そんな事に関して目を向けてなかったのもあるが――これには人の心を読めるリュネのお墨付きである。

 通路に女性が通り、しかしそれを誰も見ていないという矛盾。ハルアキは訳が分からないと頭を悩ませる。


(――――女性が透明になって通って行った? いやでもそれに対するメリットは何だろう。リュネを助けるために何か準備をしてたとか? それなら一度場所の確認とかの意味があるし。いやでも、それなら何で俺が起こした混乱に乗じてリュネの所に行かなかったんだ? 行けなかったとかはなんだか違いそうな気がするし…………それに、何よりリュネを救うためだとしたら“買った”なんて言葉言わない筈だよなあ。――――まてよ、変身出来る魔術は?いやいや、それも透明化と同じ様な……)


 うーむ、わからん、とハルアキは頭を抱える。

 何かがしっくり填りそうな気がするのだが、それが思い浮かばない。最近そんな事が多い気がすると、ハルアキは一人ごちた。

 それでもうんうんと唸れば、頭に蒸気機関でも付いているかのように、耳と口からぷすぷすと煙を吐き出しそうになりそうだったので、ハルアキは一度思考を放棄した。

 ならば、とハルアキは顔を上げて、まるで護衛の様に佇む者に声をかける。


「――ジゼルくーん」

「ジゼル、です主様」


 ……そうだったね、とため息ひとつ。


「……ジゼル」

「はい、なんでしょうか」

一階層(うえ)に行くから、着いて来て」


 ――証拠が足りないなら、集めてみよう。










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