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蹂躙_03(九)

   [12:27:08]




 迷宮【住居層】。その広大とも言える階層の中に、ぽつんと建てられている屋敷が一つ。建物の周囲は塀で囲まれ、内側には様々な果物を実のらす木々が植えられている。

 ぽつん、と先程は言ったが、屋敷の大きさは決して小さい訳ではない。寧ろそれの広さは常識の比ではなく、一言で表せば“超”がつくほど巨大であった。

 故に、その内部もそれ相応に巨大であり、屋敷の面積の広さの一つを担う一室――即ち食堂では、数十人を超える女性や男性、年はのいかない子供や少年少女達が集まっていた。

 彼等は皆長テーブルに配置された席に座り、既に食べ尽された空の皿を前に、祈るように両の掌を合わせて口を開く。


 ――ごちそーさまでした!!


 重なる声。その言葉を契機に、カチャカチャと食器を片付ける音がその場に響く。おいしかったねー、また作ろう、などという明るい声の会話が子供達の間に広がり、一斉にその場が活気づく。


 先ずはお皿を片付けなさい、と大人の女性が優しい言えば、はーい、とすぐに返事が返される。

 穏やかで、平和な食卓。

 この状況を表すならば、そんな言葉がふさわしかった。


「ごちそうさまでした」


 そんな中、狼の耳が生えた美少女――に見える子供、ジゼルも掌を合わせていた。

 彼の右隣は空席。丁度長テーブルの端の位置に当たるそこは、ジゼルの主が座る場所だ。彼は未だ帰って来る気配を見せず、ジゼルはなるべく考えないようにはしているが、その焦燥感はなくなるどころか募る一方。尻尾はその感情を示すかのように、ぺしぺしと椅子の背中を叩いていた。


 そして、左隣の席には白髪の少女、リュネが座っており、何に集中しているのか、真剣な顔で三つの瞳の内額にあるのだけを開眼させ、静かに目を閉じていた。


「…………」


 ちら、と横目でリュネを見ながら、ジゼルは何をしているんだろうか、と考える。

 決して、彼女が寝ている訳ではないというのは分かっている。ただ、食事中にくふ、と含んだ笑みを洩らしたのをジゼルだけが知っていて、その笑みの意味が分からないから少々不安があるだけなのだ。


 ――もし、主に害することを考えているならば。


 そう思考が傾けば自然、自身の腰に右手が行く。服に触れれば、ちき、と小さな金属の音が服の下から鳴った。

 刃渡り十センチにも満たないナイフ型の、小さな隠し刀である。

 更に左手は食卓に置いてある、未だ片されていない食器の上――正確には、その皿の上に置かれた銀製のナイフに翳された。

 同時に、しん、とジゼルの纏う雰囲気が変わる。子供の柔らかいそれから、針のように鋭利なそれに。


「…………」


 わいわいと、ざわめきが収まらない食堂の中で、ジゼルの変化に気づいた幾人かの目付きが、不自然じゃない程度に鋭くなる。子供達をまとめていたエルティオネや、茶髪のおさげをしているメイド、そして元貴族の戦奴隷だった戦士達がその代表各だ。

 一触即発。今この空間には、とりあえずながらも【住居層】に届まることを良しとした、所謂“停滞派”の者達しかいない。故にこの場を乱す行為は見過ごされる筈もなく、幾対もの視線がジゼルを射る。


 ――流石に、今は不味いか。


「…………ふぅ」


 一息、ジゼルは肩の力を抜き指でつまんでいた銀製のナイフから手を離す。かちゃん、と小さい音が跳ね、食器がほんの少し振動した。

 場も悪ければ、時期(タイミング)も悪い。

 “停滞派”の――否、【住居層】に居る者達の中で、“覺”であるリュネの能力を知っている者は、エルティオネと己の主を除いて、ジゼル一人しかいない。故にこの場で刃を向ければ必然、悪者はジゼルであるし、また証拠も無いというのに行動に移すことは暴挙だということぐらい彼には判断がつく。そして最大の理由は、主に迷惑がかかるのは、出来る限り避けなければならないことであるからだった。

 第一、後でリュネ本人に聞けばいいだけの話であるし、そもそも彼女の態度を見ている限り、ジゼルの主であるハルアキには悪いことはしないだろうと考えられる。

 どうも先程から、苛々している。ハルアキが帰って来ない焦燥が、ジゼルの心を掻き立てていた。


「……ふぅ~~ぅ。………………やっと、見つけた」


 隣から聞こえた、小さなな声。それは彼女の容姿に合った高いもので、ジゼルはすぐに声をかけた。

 

「――ねぇ」

「んー? どうしたのジゼル?」


 分かっているくせに。とは言わず、心でリュネに向けて言い、口では後で会う内容の約束を取りつける。リュネはジゼルと二言三言話した後食器を片付け、ててて、と子供達の方へとかけていき、皆の中に加わった。

 その姿は、正に年相応の子供だろう。だからこそ、何か策略を考えられる程頭脳が明晰ではないと思える。――――しかし、ジゼルがリュネに対して不安がないと言えば、それは嘘だ。


 食器を片しながらジゼルが見る先は、複数のグループに分かれた子供達の集団。リュネはあちらこちらのグループを周り、その内の一つ、昨日とは別のそれに加わった。

 その光景を見て、表情や雰囲気を和らげない者などいないだろう――一部を除いては。


 己の主には言っていないが、ジゼルはあることを知っている。

 今、食堂にいる子供達の一人の少年。彼は他の子よりも強く自我を主張し、それが軽く流されたことに怒り、そして泣き伏していた彼のことを。そして、翌日にはすっかり我儘を言わなくなったことを。

 一聞すれば少年が改心した、で終わる話である。しかし部屋を飛び出した少年を追い掛けた者達の中にリュネがおり、その時彼女の小さな唇の間から、くふ、と微かな笑みがこもった息が洩れだしていたのを見たら、話は別だ。


 彼に何があったのか分からないが、ジゼルは確信している。リュネが、本性を隠し、何かしらの皮をかぶっているのは間違いない、ということを。

 だが、ジゼルが不安なのはそこではなく。


 ――――彼女は一体、皮の下に何を隠しているのだろうか。

 そのことが彼が彼女に対し、抱いている不安であった。





「うーん…………」


 腕を組み、片手を顎に。手入れをしなくとも綺麗な肌に生えた柳眉を思案に歪ませ、無意識にぴこぴこと狼の耳を動かす。

 時間にして数秒ほど。ジゼルの耳が一瞬にしてぴーんっ! と音が出そうな勢いで立ち、表情や纏う空気が明るいものへと変化する。

 理由は単純。

 《存在昇格(ランクアップ)》して強化されたジゼルの感覚で見つけるまでもなく、彼の主が食堂の扉を開いたことが分かったからだ。


「みんな、ただいま」


 黒目、黒髪。

 肉は無さそうだが、あまり筋肉も無さそうな――所謂中肉中背といった体格に、見る人が見れば悪くはない、と言われそうな顔。額が見える程度に切られた黒髪は、水に濡れたのか少々湿り気を帯ていた。


 ――主様!


 そう声を出して飛びかかるように抱き締めたかったが、いつの間にいたのかエルティオネがジゼルの服を軽く引き、飛び出す寸前の所で我慢する。

 ……ちょっと邪魔すんな的な意思を込めて睨むが、エルティオネは肩を疎ませ、軽く受け流した。

 そしてジゼルが飛び出せなかった一拍を置いて、集まっていた少年少女達の一部のグループがハルアキー!やらハル兄!などと言いながら、彼の周りを取り囲む。


「げ、もうお昼食べ終わったの? まじかー!」


 遅いぞー、何してたんだよー、お昼終わっちゃたよっ、などと子供達の言葉を浴びせられながら、ハルアキは丁寧に一つ一つ聞き、また返事をかえしていた。


 なるほど、エルティオネが自身を止めたのはそのためか。とジゼルは納得した。

 ハルアキを囲んでいるのは、そのほとんどがジゼルよりも年下の子供達だ。彼等がハルアキに話しかける前にジゼルが彼に突撃してしまうと、おそらくは子供達は萎縮ないしそれに似た感情を持ってしまうかもしれない。そうなれば必然、ハルアキに話しかけることを遠慮してしまい、彼と子供達の距離が離れてしまうだろう。


 ジゼルの視界ではハルアキが、自分で作ったご飯はおいしかったかー?! と問えば、おいしかったー!! と口を揃えて返されている光景が。

 そんな彼等にジゼルは、羨ましいやら何か悔しいやらの感情が沸く、が主にとって必要なことなので我慢する。何せ放っておくと、彼等は【住居層】からの脱出――或いはハルアキを下し、【住居層】の占領を企てているらしい“反乱派”に属してしまうかもしれないのだから。


「――ル、ジゼル。ジゼルさーん?」

「…………わひゃい?! な、なんでしょうか!?」

「あ、ああ。特に大事な用でもないんだけどさ――――」


 吃驚。気づけばハルアキは子供達にはやくー、とか言われながら引っ張られ、長テーブルに向かわされている。

 おそらくハルアキが座るであろう席には、既に皆で作った料理が盛られた皿が並べられており、すぐに食べられる準備が整っていた。

 まあ、大方、ハルアキに味を誉めて欲しいのだろう。裾を引っ張られ苦笑しながら、ハルアキは口を早めにジゼルと会話する。


「――――うん、それじゃ」

「はい」


 ハルアキが片手をかるく上げ、それにジゼルが頭を下げる。二人が交した会話は、特に何もない。何かあったかどうかの確認だけであった。しかしそれだけでも、ジゼルの耳や尻尾は振れに振られて、ばさばさという域にまで達していたことを記しておく。


(…………どうしたの、かな)


 ただ、気になることがあるとすれば一つ。

 おそらくハルアキは、上層から戦闘を終えて【住居層】に帰って来たのだのだろう。そのせいなのか、そのせいだと信じたいのだが、ジゼルはまた別の不安に駆られて仕方がない。


 ――己の主の表情が、今にも崩れそうだったことを。






 食堂での昼飯の後、ハルアキは一人屋敷を歩く。向かう先は屋敷の一室、一人の少女が居る場所だ。


「――入るよ」


 扉を二三度ノックし、開き、踏み入れる。


 内装は他とあまり変わりはない、質素だが綺麗な部屋だ。汚れのない白い壁、四角いテーブル。木枠の窓は閉じられているが、内部は天井からの灯りにより暗くない。


 そんな部屋の中、ハルアキの視線は自然、壁に接するように配置された柔らかいベッド――ではなく、正確にはその上、枕を腕に抱きながらこちらを見ている一人の少女。

 張りのある、きめ細やかな褐色の肌。ほんのりと光るようにも感じられる、金糸の髪。ハルアキのことを視界に映している緋色の瞳。人間よりも長い耳は、彼女がダークエルフということを示していた。


 ハルアキは【迷宮創造】を行使し、手にお盆を出現させる。更にその上にタリアテッレという細長い長方形のパスタで作られたペペロンチーノ。赤、黄、緑等の野菜が盛られ、更にその上に油や酢、香辛料を混ぜあわせたドレッシングをかけたサラダ。細かくきざまれたじゃが芋や人参等が入っている、湯気が昇るスープ。鉄皿の上でジュウジュウという音や垂涎の匂いを出して、染み出た脂を跳ねさしているのはソースがかけられたハンバーグステーキ。ちなみに、全て【迷宮創造】に登録されている料理である。

 最後に端にジュースを置き、様々な料理をのせた盆を持ちながら、ハルアキは少女に近づいた。


「――残していいから」


 好きなものを食べて、とハルアキは言い、少女が座るベッドの近くに配置されているテーブルに料理を置く。

 ぴくり、と枕を腕と膝で抱えこみ、部屋に入ってきたハルアキのことをじっ、と見ていた彼女の視線が用意された料理に向いた。

 料理全体に向けられた視線は真剣そのもので、見ていたハルアキが苦笑するほどの品定だ。そしてハルアキが彼女に対するデザートのつもりで用意していたミルクレープ(ケーキの一種)と何種類かのアイスクリームを見た瞬間、少女の目に光が走った、ような気がする。

 少女は身を起こさずに、ゆっくりと腕を伸ばす。まっすぐに伸ばされた腕の先、唯一閉じられていない人指し指の先にはデザートの皿が。


「……ん」


 少女の声。綺麗な鈴の音を思わせるそれが部屋に響く――が、それだけ。ハルアキには意味が分からない。

 ……静寂。すると今度は呆然としていたハルアキに指を向け、もう一度デザートの皿に。そして先程より強く、ん! と声を出す。

 一体何を少女が望んでいるのか、その答えが分かりかけてきたハルアキは、思わず顔を引きつかせた。

 ハルアキは思わず下がろうとするが、しかし少女は容赦しない。痺れをきらしたのか、それとも敏感に彼が逃げようとしている気配に気づいたのか身を起こし、ハルアキの片手を掴む。無理矢理にスプーンを握らせ、アイスクリームを一掬い。そして、ぁー、とのどびこを見せるほどに口を開いて、待つ。

 待つ。

 ……待つ。

 …………待つ。


「…………」

「…………………あー、うー……はぁ。分かった。分かりましたよ、ほら」


 どうして女性はこうも甘いものを見つける嗅覚が備わっているのかと思いながら、ハルアキが差し出したスプーンに少女はぱくり、と口に入れ、味わう。

 もむ、と舌に広がる初めての味に驚きながらも頬を緩ませ、もう一度、もう一度……。


 そして、デザートの皿が空になり、ほにゃ、と小さいながらも確かな笑顔を見せる少女は口を開き、まるで疑いようもなくハルアキに“こう”言うのだ。


「――――ありがと、おとーさん」






『この娘の、この娘の記憶をさ――――消すことは、できるのか……?』


 その後、自室に歩きながら、ハルアキは先程のことを思い出す。

 あの時、ハルアキが選んだことは、【幻影魔道】の魔術による、記憶の破壊だった。

 自身にかけられた【呪い】を解呪するには、頭を――正確には記憶を破壊しなければならなかった。何故ならば脳を壊さない限り、記憶領域に存在する“核”を傷つけることが不可能だからだ。しかしそれは記憶破壊するために脳を破壊するということであり、逆説、記憶を破壊できれば脳を破壊する――つまりは命を奪はなくともいいことになる。

 とはいえ、【呪い】を、それも“致死”のかけるということは、即ちその状況は殺し合いに他ならない。だからこそそんな余裕などが産まれる筈がないのだが、だがしかし、その大前提に“双方が相手の死”を望むなら、だ。


 あの少女との死闘の際、ハルアキは【死霊魔道】の脅威を知っていた。

 もしかしたら、手を下した自身が死ぬかもしれない、ということを。

 もしかしたら、彼女の墓場が、死の大地になるかもしれない、ということを。

 だからこそ本来ならば生かしておけない筈である少女を生かそうと、ハルアキはダークエルフの少女の記憶の破壊を下したのである。


 禁忌の【魔道】の知識は後付けの記憶、いうなれば苗木に似ている存在とも表せるし、キャンパスに描かれていた絵にぶち撒けられたペンキのような存在である。

 培われていた土に植えられるように、【魔道】に関することが“学んだ知識”として過去の記憶に根をはり、また消すことが出来ない汚れと化す。


 ならばどうするか。

 ハルアキの出した答えは、少女の記憶の白紙化だ。上書き、と言ってもいい。

 キャンパスにかけられた汚れがとれないならば、その上を白で塗り潰せばいい。

 【死霊魔道】の知識を無くすのではなく、覆い尽し、そこに何もないと騙して、隠蔽する。それがハルアキの閃いた救済策である。


 蛇足だが、何故ハルアキが【住居層】に少女を運んだかといわれれば、理由は二つ。

 記憶の隠蔽、とは言うが、ハルアキ達が少女にしたことは言わば記憶のメッキ、つまりは何かしらの事象の影響――例えばスケルトン等と対面する等――で、思い出してしまう可能性があるのである。

 ある程度――言語や常識までは消していないが、魔術等に関することは隠蔽済み。それはあのダークエルフがただの見掛け通りの少女でしかない。その上少女の容姿は抜群であり、何かしら外部のモンスターや野盗等に襲われて殺されるないし記憶のメッキがはがれたとなれば元も子もない。

 【死霊魔道】の脅威は無くなったのではない、身を潜めているだけなのだ。


 しかしそのリスクを負ってまで、ハルアキが少女を抱え込む大きな理由は、もう一つ。


「父親、ねぇ…………」


 禁忌の【魔道】はその力を得られる代わりに、術者から対価を問答無用で奪ってゆく。

 それはダークエルフの少女も例外ではなく、彼女が奪われたのは、今まで過ごしてきた人生の“思い出”だった、らしい。……らしい、というのは記憶の隠蔽を頼んだ兎が魔術をかけている時に気づいたことを教えられたからだ。


 歩んできた人生の“思い出”を奪われ、培ってきた“知識”の大半も隠され、残ったのは一人の舌足らずなダークエルフのか弱い少女。

 もはや一度死んだとも言えなくもない彼女が、記憶の操作の後に目を醒まして、最初に視界に写ったハルアキのことをどう思ったのか、彼はしらない。

 されども、少女が自身のことを“父親”と言ったその瞬間から、ハルアキは彼女の精神を安定させる一つのファクターとなった、なってしまったことを悟ったのだ。

 故に、彼女はここにいる。

 部屋を当てがわれ、【住居層】の新たな住人として。


「…………はぁ」


 自分の部屋にたどり着き、中に入る。ガチャン、と扉が自然に閉まるが、ハルアキは玄関から動かないでいた。


「――――疲れた」


 そう吐くように呟いて、ハルアキは閉まった扉にもたれかかる。背中と足で体は支えられるが、ずるずると力なく、その場に沈む。

 しまいには尻をつき、座ってしまうが、立ち上がらず、逆に両腕で膝を抱えて丸くなり、顔を膝に押し付ける。

 ぎゅう、と腕に力が込められ、服に皺ができた。


 ――ハルアキの脳裏に浮かぶのはかつての記憶。

 奴隷競売の時に大半のことは思い出せはしたが、未だ思い出せないことがある。

 地球に居た時のこと、この世界に召喚された後のこと。

 幾つも、幾つも。


「――ジャル、エリー、ゴル爺、リデルナ……アスタさん――」


 ――そして、最愛の人。


 彼等がいたから、ハルアキはあそこでも頑張っていけた。

 彼等が支えてくれたから、ハルアキは元に戻ることができた。

 彼等とともに過ごしたから、今、ハルアキは此処にいる。


 ――されど、今のハルアキの周りには誰も、いない。


「会いたいよぉ…………」


 寂しい、と。ハルアキの心を表すように、顔を押し付けているズボンに、涙の染みが広がっていく。

 この日、一人の青年は独り、その場で泣いていた。


 ――――そして。


「…………」


 そう呟く扉の裏、ハルアキの部屋の扉の前で、狼の耳と尻尾を生やしている、灰色の髪を持つ子供が、手を握り締めながら、ただただ其処に佇んでいた。


 ぎりぃ、と音を出す程に固められた小さい拳が、強く、強く。






 推定一万六千名を越える兵士達が死んだとされ、リュシカ王国の滅びた根源的原因であるこの日の事は、後に歴史に取り上げられ、【迷宮】に対する一種の教訓として未来永ごう語られることになる。

 また歴史を研究する学者達は、その日同時に起きたとみられるモンスター達の大移動は、何かしらの関連性があると提唱されているが、その信憑性は定かではない。


 モルル山脈に眠っていた破壊の黒竜、〈ベルティミルド〉が一角を担う“災厄”達が目覚め、移動し、大陸を揺らがしたその事変。それに付けられた名前の由来は、その時期にリュシカ王国で開かれていた“とある”催しから取られ、こう呼ばれることとなる。



 ――《迷宮事変:イースリッション》――



 此れにて、了。













【EXTRA CHAPTER:《いつまでも変わらない青空の下で》】



[12:44:59]



「……………………ぅそだ」


 放心の声と共に、一人の少年の膝が地面に着いた。

 その少年の息は荒く、身体中にはつけられてから然程時間が経っていない傷がある。


「…………うそだ。こんな、こんなのうそだ」


 頭を振るが、目は前の光景から離さない、離せない。

 右腕は、力無くだらんと垂れ下がっていた。


 彼の左腕には血は止まっているものの、千切られたかのような傷とともに二の腕から先が無くなっており、左足は膝から下が存在していない。

 左目は顔を縦に走る一直線の刀傷で塞がれていて、右耳は付け根から半分程切られた傷から出た血で首元まで濡らしていた。


「うそだ、うそだぁっ…………!!」


 力無き叫び、それは目の前に広がる現実の否定。

 されど、それはただの叫びである。


 ミノタウロスとの死闘でボロボロになり敗北したあの時、彼は己の死を悟った。

 ――ああ、ここで死ぬのか。

 諦めたくなくとも現実は非情、紛れもない強者と弱者の境界線が、彼処にはあった。

 血を吐きながら、死ぬ覚悟なんてない、と思った。

 薄れ行く意識の中、死にたくない、と願った。

 仲間との約束を守りたかった。自分を育ててくれた親に会いたかった。

 ――――恋をしたあの子に言いたかった。


 そして願いが聞き届けられたのか、彼は気づけば此処にいた。

 そこは彼が見慣れた筈の都市。そうその筈なのだ。

 なのに、なのに、それなのに!!


「…………ぁぁあ」


 視界に入るのは、瓦礫の山。折れた材木に、崩れた壁。地に着いた膝の側には、《ラッツェ》と描かれた平看板が。

 右を見る。馴染みの店が半壊、全壊。瓦礫の山を築いている。

 左を見る。何時も目についていた城が消えていて、青空の中の雲が視界に入る。


 都市は、壊されていた。

 無事な家屋が遠くに見えるが、彼がいる場所の周囲はどれ一つ例外なく破壊されていた。


 彼は、知らない。

 自分達がこの惨状を作り上げた原因の一つだということを、彼は知らない。

 だが、それを知れた所で、なんだと言うのだろうか。


「――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!!!」


 全てはもう、遅すぎる。

 少年の慟哭が、青空の下で響いていた。






 数刻後、少年はまだ、其処にいた。

 喉は潰れ、声は渇れ果て、腕を動かす元気もない。

 じゃり、と血だらけの手で土を削る。

 彼の心には、何も残されていなかった。


 ――――死のう。


 自然と、こぼれ落ちたように、そう思った。

 気力もない、力もない、希望も、未来も。親は既におらず、彼には何も残されていないのだ。あれだけ同じ日々を過ごした友も、あれだけ会話を交した仲間も。

 …………あれだけ、思いを寄せてた人も。

 だから、そう思った。


 腰にはナイフ、手をやり布のベルトからそれを抜く。

 震える手、されども止めようと思う気持ちは何処にもなく。例え耳にガラ、という瓦礫の崩れる音が届いたとしても――――。


「………………レベック?」


 ――微かに、そう聞こえた。

 少年は腕を止めて、しかしすぐに否定する。幻聴だ。これは、幻聴だ。

 だってありえないじゃないか。目の前の店は見る影もなく破壊されていて、塵の山と化している。

 期待してはいけない。だってそうだったじゃないか。あの時見送ってくれた親友は、荒野で再び出会って、死んでしまった。


「……レベック――――レベック!!」


 だから耳に入るのは幻聴で、瓦礫の音も気のせいで。

 ……だけど、もし、もしも自分の願いが叶うならば――――。


 少年は顔を持ち上げた。

 広がる視界に写ったのは、一人の少女。

 茶色の髪、青色の目、そして額に生えた二本の角。

 そんな彼女は、今にも泣きそうで、崩れた顔で近づいて来る彼女は――――いつも見ていたあの子の姿で。


「……………ユリ……ネ……?」


 少年が少女の名前を呼ぶと同時、彼女との距離が零になる。

 包容、少女が少年を包むように背中に手を回す。大事なものを守るように、壊れないように、優しく、やさしく。


「ユリネ、なんで生き、て」

「鐘が鳴ってね、みんなで地下室に避難してたの。おじさんやおばさんも、みんな、生きてるよ」

「…………みんな?」

「うん、みんな」

「ゆ、ユリネも?」

「もちろん。ほら」


 そう言って、少女はぎゅうっ、と力を込めて少年のことを抱き締める。

 少年の顔が少女の胸に着き、柔らかい感触が包みこむ。耳には、とくん、とくん、と確かな鼓動の音が聞こえ、少女が生きていることを、力強く示していた。


 そして、今にも崩れそうな彼を、少女は壊れないように優しく撫でる。

 少年の頭に、一滴、雫が落ちた。


「――おかえり、レベック」


 多くは、いらない。

 だけどその言葉は、少年の心には十分過ぎて。


「…………ぅ、ぅう、うぐぅぅううっ、ひぐっ、よ゛がっだ! ほ、ほんどに゛っ!!」

「うん」

「み゛んなざ、み゛んなっ。おっ、おれをだしでっ、でもおれ、おれっ、ひぐっ、や、や゛ぐぞぐをざっ」

「うん」

「なざけなぐで、ひっ、でも、でも゛じに゛たぐなぎでさっ」

「うん、うん。頑張ったよね、辛かったよね」


 声が声にならず、両目からは涙が止まらない。抱きとめている少女の服が彼の血や涙で汚れるが、彼女は気にもしないで、少年を更に強く、優しく抱き締める。

 ぽん、ぽん、と少女の手が背中を軽く叩く度に少年は震え、涙が溢れて服を濡らす。

 そして彼女は、静かに、少年が泣き止むまで、少年の体を包んでいた。


 青色の空は、いつまでも変わらない。

 そんな蒼の下で、少年の泣いている声が、その場に響いていた。







 という訳で蹂躙編終了しました。けれど本編はまだまだ続きますので、これからも読んでくださればうれしいです。


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