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蹂躙_03(伍)

 リュシカ王国近衛師団隊長であるフェアブレアは、英雄というものに憧れていた。


 『無比の剣帝』、フェアブレア・ナッツィ・レッヒェエンド。

 麒麟児、神童、幼い頃からそう呼ばれ、その名に恥じない才を持っていた彼は、己の全力を出す場所が存在しなかった。正確には、一対一などの試合ではなく、自身の下で育成した部下達と共に――というのはフェアブレア自身の感覚でだが――戦える戦場が無かったかのである。

 フェアブレアが近衛師団の隊長の座に就いた時に、既に《大戦》の前線の位置は大幅に変動しており、軍を率いた戦闘等出来る筈もなく、又近衛師団という立場上、遠征することすら叶わない。故に彼が過ごしたのは、ひたすら己とその部下を鍛えるだけの日々。

 始めはそれで良かった。不満など無く、特に不自由な生活をする訳でもない。しかしその考えが変わったのは、一冊の本を読んでからだ。


 《ルヴィクェスの丘》。

 彼が少年期に読んだ物語は、一人の英雄の噺。その中で出てくる数々の戦いに、フェアブレアは魅入られたのだ。


 ある時は仲間と共に巨大なモンスターと戦い。

 ある時は街を破壊する邪竜を相手に剣を振り。

 ある時はお姫様を浚った大魔王に勝負を挑み。

 ある時は彼を裏切った国を相手に立ち向かい。

 戦いの度に全力を尽し、そして最後に勝利する。

 ああ、彼はなんて羨ましい立場にいるのだろう。その物語を読み終えた時、フェアブレアはそう思わずにはいられなかった。

 彼が羨ましいと感じたのは英雄の名誉ではなく、勝利でもなく、英雄という人物や役割でもなく、英雄の“立場”であった。死闘に次ぐ死闘、敵わない相手、不可能という壁に立ち向かえるその“立場”。そして、己の力を正真正銘全力で引き出せる相手がいるというその場所が、彼にとっては何よりも輝いて見えたのである。


 全力を出してみたい、かつそれを受け止めてくれる相手が欲しい、しかし“剣帝”という人類の最上位クラスの戦力を内包するフェアブレアと勝負になる者は、この国にはいない。否、いたとしてもフェアブレアの立場上、そう簡単に剣を交える訳にはいかないのだ。

 ましてやフェアブレアが求めている戦いは一対一の闘いなどではなく、己が育てあげた私兵とも言えなくもない部下達と共に、戦うというもので、そんな機会など戦争でも起こらない限りある訳が無かった。


 そう、ある訳が無かったのだ――【迷宮】という存在が出現するまでは。



「――――ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」


 ――っ、と雄叫びと共に振るわれる剣としては想像出来ない程、恐ろしい程に研ぎ澄まされた一閃が、フェアブレアの頬を撫でつける。

 回避してすぐに視界の端に捕えた、風を切る音すら許さない二太刀目の軌道上に重なるように、剣を地面に突き刺して固定、その一撃を受け止める――――直前、本能が悪感を発し、それに従いフェアブレアは武器の位置はそのままに、力を加減し真上に跳んだ。


 直後、フェアブレアがいた場所を敵の一撃が通り過ぎる。

 相手の一閃はフェアブレアが察した通りに、まるで“何も無かったかのように”彼の真下を通り過ぎ、地面に音もなく突き刺さる。フェアブレアが剣を引いてみれば、自身の剣はまるでそうであったかのような綺麗すぎる程の痕を残し、半分から先を失っていた。


 ――防御すら、意に介されず、か。


 フェアブレアは内心笑いながら、それでも剣を振るうために敵を見る。

 全長は六メートルを軽々と越えた体格、皮膚は常闇の如き漆黒に染まっており、左半身を埋め尽している蚯蚓が這ったような刺青からは、赤黒い光が漏れ出している。四本の捻れた角を持ったそのミノタウロス、〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉。


 《ファンタジア》の中に住む人間達の中でも最上位クラスの力を持ったフェアブレアですら、一撃死させることが可能であると本能で分かる化け物と、フェアブレア率いる近衛師団は戦っていた。




 ミノタウロスの軍隊【戦に飢えるモノ達】と、【リュシカ王国軍迷宮探索隊】が虐殺と変わらない戦闘を開始してから約十分。

 残り二千百人程まで人数を減らされているリュシカ王国側の中で、未だ一人も人数を減らしていない部隊だったリュシカ王国軍近衛師団が〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉と接敵したのは、彼等がミノタウロスの骸を百五十程積み上げた頃であった。


 漆黒の牛頭〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉がリュシカ王国軍に対し動きを見せたのは、近衛師団から二百メートルは離れていた場所からである。

 彼は腰に巻いていた鎖を外し、その先端に繋がれているのは大人よりも高い巨大な鉄球――少なくとも転がるだけで人をひき潰せるそれ(・・)を、〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉は片手で掴み、軽々と頭上に持ち上げて、そのまま投げた(・・・・・・・)

 それだけで鉄球は地面と平行に飛び、避けることが出来なかった数頭のミノタウロスを巻き添えに、何十人ものリュシカ兵の命を奪う豪速球と化した。地面に落ちた際に周囲を揺らし、皹を入れた鉄球の重量は語るまでも無いだろう。


 これが鎖の部分を持ち上げて、それを振り回して遠投した威力ならばまだ分かる。しかし現実では鎖は鉄球を引き戻すだけに使われ、そして何の捻りもなく、ただ普通に投げた鉄球が有り得ない程の速度で飛んで来て、何十人もの兵士があっという間に、まるで塵を掃除するかのように死んでいく。

 そんな光景が馬鹿らしいにも、規格外にも程があると言って、何処に間違いがあるのだろうか。


 そしてこの恐怖の投球を近衛師団が防いだ直後、〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉は近衛師団を襲いに来たのだ。

 まるで今までの投球が己の武器を振るうに値する獲物を、品定(ふるい)にかけていたとでも言うように。


 そして近衛師団が〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉と接触してから約二十秒が経った今、既に近衛師団の前衛の三割が既に死に絶えて、他者よりも前に出ていたフェアブレアだけが唯一、漆黒の牛頭とまとも(・・・)に剣戟を打ち合っていた。




「――――ッ、おォッ!」


 本能のざわめき。

 フェアブレアの正面から見て左を見れば、今しがた避けた剣の方向から折り返しの一閃が。

 即座にフェアブレアは空中で体を捻り、重心を移動。向かい来る剣の上を滑るようにやり過ごす。

 そして地面に着地した瞬間に脚の筋肉を最大限に発揮させ、突進。十を越える数の残像と、数多ものフェイントを入り混ぜたその攻撃はしかし〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉に通じない。


 本物を見抜き、頭蓋を狙って音もなく振るわれるバスターソード。

 フェアブレアはこれも当たる直前に地を蹴り真横に回避。肩に付けた金属の鎧が音もなく、皮一枚分の厚さで紙のように切断される。


 ――〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉の正に神業とも言える一閃は、フェアブレアにとって死闘を繰り広げている今この時ですら称賛したくなる程だ。

 音の無い一閃、音を斬る一閃。無音、無風、剣に乗った殺気すら微かにしか感じることが出来ない程の気配の薄さで飛んでくるその剣は、同じ近接武器を扱い至近距離で戦う者にとって、驚異以外の何物でもない。


「――ふッ!!」


 掛け声に気合いを乗せて、フェアブレアが剣を振る。

 しかしすぐにバスターソードで弾かれ、返すように黒の牛頭からの右腕の一閃が、フェアブレアに襲いかかる。

 フェアブレアは反射的に膝を曲げて身を低くし、バスターソードは彼の頭部の真上を通過する。フェアブレアのそこまで長くない髪の毛が短くなり、斬られた金色のそれがパラパラと宙に舞う。

 刹奈の間を置き、再び激突。目にも止まらない速さで無数の攻防の傷痕が、彼等の周囲に刻まれていく。


 フェアブレアが〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉と一対一で打ち合い始めてから、十五秒。既に五百を越える攻防が繰り広げているのだが、未だ両者共に負傷無し。

 そこだけを聞けば両者の実力が互角とも思われるかもしれない。しかしこの勝負はフェアブレアにとって――相手はどう思っているかは知らないが――正にギリギリの死闘なのであった。


 一撃を貰えば死に至る。その剣撃を紙一重の回避やまぐれに近い反射で応じ、フェアブレアはこの十五秒を生き残ることが出来ていた。

 なぜそんな反応が出来たと問われれば、それは一撃死というスリルを前にして、フェアブレアの心に湧き出た言い表せない興奮と、また彼の内にある才能と築き上げられた自身の肉体が、最大限に発揮されていたからとしか言いようがない。そして己のポテンシャルが最大限に発揮させているということが、〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉にとっても喜ばしいことに違いなかった。



 剣剣剣剣。斬撃の嵐。

 己の命を奪おうと振るわれ続けている黒の牛頭の剣の間合いにいながら、フェアブレアは加速された思考の中でふと思う。

 もし、この化け物がバスターソードという大剣ではなく、“切る”ということに重点を置いた剣――『刀』に属する武器を手に入れた時、一体何れ程の一撃を魅せてくれるのだろうか、と。

 そんな考えが意識に浮かんだ瞬間、フェアブレアの思考に電撃が走る。


 ――まて、自分は今何と言った?

 この化け物が『刀』に属する武器を手に入れた時、己は何に期待した?


 『一体何れ程の一撃を魅せてくれるのだろうか』。


 己の疑問を理解した時、ざわ、と彼の背中に鳥肌がたつ。

 なんということだろうか。フェアブレアがそう思うのも無理はない。

 なぜならば彼が今辿り着いた疑問の答えが示すことは、自身とその部下である近衛師団の八十二名が全力を出して相手している化け物が、フェアブレアよりも十数段――下手をすれば別次元の実力を持っているのにも関わらず、まだ強くなれるという証明に他ならないのだから。


「……は」


 しかし、そんな馬鹿らしい程の実力差を悟りながらもフェアブレアは笑う。


「はははっ」


 素晴らしいじゃないか。己の全力を受け止めてくれる者がいるということは。

 自分が積み重ねてきた歳月の確かな実感を、与えてくれる者がいるということは。


「――二番隊ッ、【槌】、やれッ!」


 〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉の剣を受けながら、フェアブレアは後方にいる部下に指示を出す。

 それを聞き、部下は即座に出された命令を実行する。


「『風皇衝(エアリアルアウト・)ノ槌(クラシュディデューエ)』!!」


 作戦名、【槌】。それは近衛師団が保有する切札のひとつ。

 近衛師団の中でも精鋭である魔術師の三人分の魔力を消費して、僅か二十幾秒という時間で唱えられたその魔術は、【嵐風魔道】に含まれる儀式魔術の上位に位置するもの。

 その威力、伊達ではない。


 魔術が発動した直後、〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉の前方の空間が渦を描いて大きく歪む。瞬く間にその歪みは巨大化し、一秒足らずで半径数メートルの球の空間が、周りの景色から浮き上がった。

 空間の歪みで形作られた球、その空間の中心が〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉に向かって滑らかに動き触れた瞬間――爆発が起きた。


 限りなく圧縮された空気の爆弾。『風皇衝(エアリアルアウト・)ノ槌(クラシュディデューエ)』はその威力の指向性を一点に集中させて、六メートルを越える〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉を吹き飛ばす。


 十メートルは軽く吹き飛ぶ巨体、しかし確りと二本の脚で豪快に着地。土煙が舞い上がり、ずずんと低い音をたてて大地が揺れた。

 直撃したのにも関わらず、彼の膝は崩れるどころか、笑ってすらいない。


「ッオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ!!!」


 咆号。

 それは怒るようなものではなく、まるで「やるな」とでも言うような。

 くくっ、と込み上がる笑いを殺し、フェアブレアは口を開いた。その言葉の内容は、退却などでは断じてない。


「―――グリゲネス! モーリィ! 【(アテラ)】はまだか!?」

「あと四十秒です!!」


 フェアブレアが飛ばした質問に、部下が即座に答えを返す。

 告げられた時間は“四十秒”。

 十五秒ですら五百を越えた手数を交えなければならぬというのに、四十秒。〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉を相手に時間を稼がなければならない側からすれば、永久にも及ぶ長さである。


 だが、フェアブレアはその難題をどうにかするやり方を、いとも容易いかのように部下達に告げる。


「ロドナック、ウェルナー、カートゥーゴ、マルナン、タギス、リアーエ、バルトライ、スティーティア、ギジダ、ヤテ、ウィーノ――――行くぞ」


 それは余りにも単純で、最も可能性がある手段。

 捨て身の突撃による時間稼ぎ。つまりそれはフェアブレアが名前を呼んだ十一名に“死ね”と言っていることと同義であった。


 そして一秒も経たず、打てば響くように名前を呼ばれた彼等の返事が、フェアブレアに返される。


「――了解しました」


 答えは、承諾。

 覚悟と興奮をが混じりあった言葉と共に、彼等はフェアブレアを先頭にして〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉に刃を向けて走り出す。


 ――そして二十数秒足らずでフェアブレアを除いた十一名は殺されて、後衛にいた幾人かの魔術師が己の命を文字通り削った攻撃と、フェアブレアの決死の攻防により“四十秒”。約束された時が来た。


「隊長ッ!!」


 部下の叫び。フェアブレアは声が届いた瞬間〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉から――彼を助けようと命を捨てて飛込んできた二名の部下を犠牲に――距離をとり、そして言う。


「【(アテラ)】、やれッッッ!!」


 フェアブレア達がこの荒野というフィールドに飛ばされてきた直後から、フェアブレアが指示を出していた作戦名、【(アテラ)】。

 近衛師団が持つ切札の中で最上級のカードが今漸く、この空間に晒される。


「『天の光を(アル・レイ)』」


 近衛師団の魔術師達が手に持っている杖が光る。直後〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉の上空に、直径四メートルを越える巨大な光球が出現した。

 光球、と言っても人魂のようなものではない。それは綺麗な球を描いており、限りなく白に近く輪郭の部分が少しだけ赤く見える、まるで太陽のようなものだ。

 されど見た目からして明らかに尋常ではない熱を内包していると分かる光の太陽。近衛師団の血肉の結晶とも言えるそれが現れたと同時、奇妙な現象が光球を中心とした空間に起こり始めた。




 初めに異変に気づいたのは、光球の真下にいた〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉だ。

 己の上空に現出した、明らかに自身に向けられた攻撃だと分かる魔術。ここに止まっていれば攻撃をくらうことは明白、故に回避しようと足を一歩踏み出して、そして不可思議な感触を得た。

 それは、さくり、という軽いものを踏み潰す感触だ。言うなれば雪を踏む感触に近いもの。

 霜である。

 空気の気温が氷点下近くまで下がり、空気中に含まれている水が凍って出来る霜。それが、明らかに熱を保有している光の球の真下に降りていた。


 一体何が? そう疑問が浮かび上がるが、その解答に至る前に、事態は更に異常を増していく。

 いつの間にか、吐く息が白い。地面に生えていた草が凍っている。荒野の上に霜が降り、切り伏せた死体が氷像と化して、半分に断たれた腹の傷から溢れ出ていた血が一瞬で氷に変わっていった。


 上空に浮かぶ光球を中心に数十メートル、あらゆるものの“熱”が奪われていく。

 そのことに〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉が気づいた時、既に彼の脚は地面から生えている透明な氷により大部分が覆われていた。

 ――そして数秒後、黒の牛頭の化け物は、幾多もの彼の仲間と共に、ものを言わぬ氷の像となる。

 完全に凍りきった空間の上で魔術の太陽が、光々と白く輝いていた。




 【魔道】の中の交差点と言われる儀式魔術のひとつ、戦略級最上位殲滅魔術『天の光を(アル・レイ)』。

 【陽光魔道】を歩む者でも習得、行使出来得る者は極僅かというこの魔術は、半径数十メートルの空間内の熱を奪い取り、その範囲の中にいる者を凍らせるという熱吸収の超魔術――――などでは、ない。


「――やれ」


 フェアブレアの指示。それに従い、部下は言う。


「『放射』」


 その言葉で突如、光球が変貌を遂げる。

 弾けるように球の体積が増大し、今まで熱を持っていなかった光が、灼熱の如き熱を内包させて降り注がれる。

 その熱の温度は、たった今凍った地面を焼き尽し、一瞬の間に土をも溶かす程に高く、氷原と化していたた荒野が一転、灼熱の海に変わる。


 “周囲から熱を奪う”。そこまでがこの魔術の前座であり、本番は奪った熱をその身に“取り込んだ”光球から降り注がれる灼熱地獄。

 直撃すれば生き残れる生物はまずいない。正に唱えれば必殺の魔術。

 近衛師団の中でも精鋭である魔術師小隊ひとつの魔力と数多もの貴重なアイテムを消費して、漸く十五分程に短縮出来た切札中の切札。その結果が、フェアブレア達の視線の先に広がっていた。


 ――――漆黒のミノタウロスにとって、全くの無駄であったという結果だけが、彼等の前に広がっていた。


「ブモォ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!!」


 未だ灼熱が降り注いでいる地獄の中から〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉が優々と歩いて姿を現して、無傷の体躯を動かし、確かに笑った。

 そして、フェアブレアに問掛ける。

 まだ、これで終まいじゃないんだろう? と。


「…………はっ」


 思わず、フェアブレアの表情が引きつった。

 口角が(いびつ)につり上がり、笑いが喉から込み上がる。


「はははっ」


 空気をびりびりと震わす声の衝撃を肌で感じながら、フェアブレアもまた口端を吊り上げ、獣のような笑みで顔を歪ませる。


 ――この、化け物め。


 笑う、笑う、笑う。

 自身の最も欲しがる物を手に入れた(わらべ)の如く。餓鬼の如く。

 今も尚フェアブレアの思考は氷のように冷静だが、この戦闘に対する意識はもはや狂人の域に達している。

 そしてそれを本人は気づいている。気づいている上で、彼はその狂気を肯定していた。感情の高ぶりがほとんど無かった彼の人生の中で、これが最上級の歓喜だと分かっているために。

 相対する敵と自身の軍に、“異世界人”は不必要。むしろ真剣な、フェアブレアにとっては神聖ともいえるこの戦闘に、あの二人は邪魔でしか無い。だが、もうそんなことはどうでもよかった。


「――はは」


 再び此方に向かう姿勢を見せる〈肉を裂く者スプイッシュ・ミンドゥ〉を前に、近衛師団の中の一人がフェアブレアと同じように笑い、武器を構えた。


「ふ、ふふふ」

「ははは、ひひひ」


 一人、また一人。

 近衛師団の兵士達は笑い始める。

 口角を吊り上げ、敵を見ながら。

 傷口から血を噴き出している者も。

 体力や魔力の酷使で倒れた者も。

 何が可笑しい? いいや、何も可笑しくはない。

 彼等の心内は恐怖と怯えで一杯だ。しかしそれ以上に、笑いが込み上げてくるのが止められないのだ。

 だから、笑う。彼等は、笑う。


 ――狂気は伝染する。

 人が喜びを分かち合うように。

 人が悲しみの涙を流すように。

 近衛師団の兵士達も、伊達に長年上司である隊長に付き合っていた訳ではない。

 フェアブレアの狂気が今この場にいる近衛師団の総員に、余すことなく伝わっていた。


「――ああっ、黒の怪物よっ! まさに、正にっその通りだっ!」


 フェアブレアは所謂“絶対”という存在に出会ったことがない。それは彼が強すぎたために。住む世界が狭かったがために。


 だからフェアブレアは、強敵がいる英雄の立場に憧れていた。

 だからフェアブレアは、己の腕が振るえる場面に憧れていた。

 だからフェアブレアは、今この時が楽しくて、愉しくて、仕方がない。

 積み上げた塔を自分自身で崩すように。

 育てあげた自身の力を全力で晒すように。

 絶対に勝てる筈がない相手だと頭の中で分かっていても、自身の、自身が持てる最大の戦力を全力を出せることが、楽しくてしょうがないのだ。


「――グリゲネス! ダプトラ!! 【(クレス)】、【水陣(ウーダ)】、五番展開ッ!!」


 だからフェアブレアは、彼に向けて笑いを返す。

 彼は笑う。

 童の如く。餓鬼の如く。


「――リュシカ王国近衛師団隊長フェアブレア・ナッツィ・レッヒェエンド、いざ!!」


 さあ、続きを始めよう。






《――――『“剣帝”スコア:13,258,914p』が加算されます》

《【決戦】が終了しました!》

《【決戦】の勝利者は【戦に飢えるモノ達】です!!》

《敗北した【リュシカ王国軍迷宮探索隊】の生存者は自動的に外部に排出されます!!

 Good bye till next time!!》





◆◇◆―――――◆◇◆





 ――――おおぉん、おぉおん。

 死霊達の声が鳴る。精神を汚すように、魂をけがすように。

 森の中を這いずるように飛び廻る青白い湯気のような正体は、幾百を超えた数の死霊である。

 彼等は捜している。己の主に危害を加えたその敵を。

 森の中に居る敵を。


「――【獄門鬼の砲弾】」


《『罠作製(トラップ):【獄門鬼の砲弾】×1』を選択しました。50,000p×3に加えコマンド【クイック】【ポイント】によりコストが50倍されます。使用Pは2,500,000pです》


 森の中から、轟音が響く。

 【迷宮】の地獄は、漸く最終章へと突入する。




 やっと『03』の折り返し地点に到達しました。

 次回、ようやく主人公の出番です。


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