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蹂躙_02(下・その2)

◆【近親姉弟】:uru-sisuさんの発言◆

 ――――愛してるよ、姉さん。

[11:56:08]


 迷宮最下層、【住居層】の一角で、ハルアキは【迷宮にもぐったー】の画面を静かに閉じた。

 なんとも言い表せられないもどかしさが全身に広がり、気分が少し悪くなるを心に感じる。

 姉と弟、その恋愛。――彼等姉弟は、幸せだったのだろうか。そのパーティーのログに目を通した時、ハルアキはそう思わずに入られなかった。

 姉と、弟。血の繋がっている、愛。

 兄と、妹。血の繋がっていない、愛。

 しかしそれは今考えるべきことではなく、ハルアキは頭をふって思考を追いやり、別の画面に目を通す。


「――なんだこれ……?」


 そしてある画面を見て、ハルアキはぽつりと呟いた。

 目の前には幾つもの項目と、それに伴っている数多の文字や数字。

 その中の一つである画面に書かれているのは、現在【迷宮層】に侵入してきている敵対者のことで――正確には、その侵入者の中の一つの標示についてであった。



   ▼現在侵入者リスト▼



『全侵入者数:[7215/16504]』


【リュシカ王国軍迷宮探索隊】……[7214/16501]

【近親姉弟】……[0/2]

【死霊術師】……[1/1+852]



   ▲        ▲



 上の三つは、まあ分かる。

 多少この【迷宮創造】の命名システムに気になることもあるが、【】内がパーティの名前、[/]の数字の左側が生きている人数で、右側が全体の人数だと言うことも、よく分かる。

 ……既に九千人以上の死者が出ていることも、分かっている。だけど、立ち止まる訳にはいかない。ハルアキは今はそのことを考えないようにして、目の前に表示された謎の数値を視界に入れる。


 ハルアキが今気になっている問題とは、【死霊術師】の項目に表示されている[1/1+852]の数値であった。

 左が生存者、右側が全体人数ということは分かっているのだが、これは一体どういうことか。マップ画面を見れば【迷宮層】には入って来ているということは分かるのだが――。


「………………【死霊術師】?」


 ぽつり、とハルアキは呟いた。

 【死霊術師】、今までその使い手は見たことない、しかし恐らくだが、この侵入者が使う魔道は概要だけならハルアキの記憶の中にある。

 そしてハルアキは思い出す。確か、あの【魔道】は。


「…………やばい、やばいやばいやばい。まさか“あれ”か? “そうなるのか”?」


 ふざけんなよ、そうハルアキは一人ごちる。

 今の彼の心境は、どうすればいいんだよ、という苛立ちと焦燥が含まれており、事実その焦りの原因は、このままでは自身の目標が叶わなくなる可能性が濃厚であったからだ。

 リュシカ王国軍とやらは、恐らくだが外からやって来ているモンスターによって全体の五分の一、約三千人程度も生き残れば良い方だろう、とハルアキは思っているし、このまま放っておいて良い。

 ――なるべく『原石』を取って、周囲に宣伝して欲しい。という余りにも救えない期待すらしている自分がいて、ハルアキは自身にため息をついた。


 話を戻す。

 【リュシカ王国軍迷宮探索隊】やもう一つのパーティは置いておくとして、問題の侵入者【死霊術師】。此方の扱いが、どうすれば良いのかハルアキには分からない。

 生かしておくには危険過ぎて、殺すにしては最悪過ぎる。


 ならば、今出せる結論は――。


「…………行くしかない、か」


 そう言い、ハルアキは椅子から立ち上がる。

 すると、彼の背後から、尋ねる声。


「――どこにですか?」


 いつの間に部屋にいたのか、声の持ち主――ジゼルはハルアキに近付いて、にこり、と裏の無い笑顔を見せる。

 この反応から、ハルアキはジゼルは上で起きている状況を知らないことを悟り、安堵を覚え、また心が読めるリュネも近くにはいないので、これから自分がどこに行くか知られることもないのに、更にハルアキは安堵を覚えた。


 こんな子供に、上で展開されている地獄のような光景を見せることは、ハルアキ自身が許せない。だから、ジゼルはここでくい止める。

 ハルアキはそれを心に決めて、口を開いた。


「……ちょっと、上にね」

「ならぼくも行きます」

「すぐ戻ってくるから」

「行きます」

「……本当にすぐだから、問題無いから」

「……どうしても、だめですか?」

「だめ」

「うぅぅ……」


 ハルアキは少し表情を暗くさせてしまったジゼルの肩をぽんぽんと叩き、笑って言った。


「ま、すぐ戻ってくるけどその間、ここ、頼むよ」

「――――はいっ」


 そうしてハルアキは地獄(うえ)へ跳んだ。

 そこに自分の考えが甘すぎたということを叩きつけられる現実が待ち構えているのを、知りもしないで。






◇■◇■◇――――――――――――――◇■◇■◇





   [11:45:38]




 時は少しだけ、フェアブレア一行が迷宮に入った所まで遡る。

 場所は迷宮外部、突如出現した門の周囲に張られた、リュシカ王国王子のための天幕、その一室――というよりも王子がいる個室である。


 部屋の中には六人の女性と一人の王子。

 中心に置かれた円形ベットの上には王子と女性とが二人の計三人が乗っかっており、椅子には二人の女性が座っている。

 残る二人はどこにいるかというと、それは部屋の入口手前、丁度王子の正面だ。

 その入口手前にいる二人の内一人は、二十代半だと思われる人間の美女だ。薄い緑色の髪を後ろで束ね、もう一人の女性を立って見下ろしている。片手には水が入っているグラスが握られていて、もう片方は、趣向品の中でも高級品である煙草が指で握られていた。


 もう一人、こちらは地面に手と膝を着けて、四つん這いになった少女。

 肩まで伸びている髪は乱雑に地面に広がっており、登頂部の方は水をかぶったように濡れて、少女の肌に張り付いている。彼女の横には清人と海斗が顔を顰めた原因である小瓶が転がっており、あの時よりも強烈な香りが部屋の中に充満している。

 また褐色の肌でも分かる程、彼女の右頬は叩かれたように赤くなっていた。

 ――否、叩かれたように、ではない、叩かれたのだ。

 ダークエルフの少女の横に立っている、煙草をくわえた女性によって。


「ねぇ、なんとか言いなさいよぉ――――ブタ」


 嘲りを含んだ、舐めるような声で、緑色の髪を持つ彼女はダークエルフの少女の背中に、踏むようにして足を乗せた。

 がく、と少女の体が崩れ、顔を地面にぶつけてしまう、が、心配する声は誰もあげなてはいない。

 履いたヒールのような靴の踵が、少女の柔肌と肉に食い込む感触を靴の皮越しに感じ、少しキツめの顔立ちをした美女は、にやにやと見下した笑みを見せる。


 王子はそれを咎めようとせずに、同じように下卑た目付きで目の前に広がる三流の喜劇に負けるとも劣らない光景を楽しんでいた。


「ふふ、ふ」


 第一王子が、鼻を鳴らしながら笑った。

 それに気をよくしたのだろう、少女の背を踏んでいた彼女は、今度は腹に蹴りを入れて、自分よりも小さな少女を仰向きにさせる。

 絨毯が敷かれていたものの、少女は背中を打ち、かふっ、と小さく息を吐き出した。腹の上には蹴りを放った彼女の脚が置かれているのにも関わらず、腕は投げ出したまま抵抗しない。表情はまったくと言っていい程変わっておらず、瞳は人形のように透き通っていた。

 余りにも、無反応。

 少女は痛みに顔を歪めることもなく、声をあげるわけでもない。ただいいようにされる人形だった。


 今この場で起きている事態は、ちょっとした不慮の事故から始まった。

 フェアブレア達が去った後、緑髪の彼女がダークエルフの少女とぶつかり、自身のバランスを崩してしまったのである。

 ダークエルフの少女は一歩も動いておらず、緑髪の彼女がぶつかったのは前を見ておらず、酒を少し飲んでいた彼女自身のせいなのだが、本人からすればそうはいかない。

 何せ倒れてしまったのが誰も見ていない廊下とかならばよかったのだが、よりにもよって王子の前で倒れてしまったのだ。

 媚を売る側である彼女にとって、格好悪くこけてしまい、果ては少々情けない叫び声を一瞬だけだがあげてしまったことは、自身の顔に泥を塗られたようなことであり、つまりは恥であった。よくも媚を売る対象(王子)の前で恥をかかせてくれたな、という逆恨み――中には少女の美貌に対する嫉妬も含まれているが――からくる怒りは、酒で短絡的になった彼女の冷静な思考を破棄するには十分過ぎるもので。彼女は立ち上がるとすぐに何も言わない少女にくってかかり、それでも謝罪の言葉一つも言わない少女に堪忍袋の緒が切れて、その褐色の頬を叩いたのである。


 初めに浮かんだ感情は、しまったという思いだったのだが、それを見た王子が言ったのだ。


『――続けるがよい。たまにはこのような余興も面白い』


 それは彼女の暴力の肯定。

 にやにやと脂の浮いた顔を歪ませて、もっとやれ、そう言ったのだ。

 だから彼女はこれはいい機会だとばかりに、少女を床に倒した後、芳香剤の瓶の中身をかけたりしていたのだが――。


「……やだねぇ、このブタは鳴くことすらできないのかい? ほら、何とか言いなさいよっ」


 今度は横腹、ぴく、と少女の体が跳ねたが、それは彼女が放った蹴りで揺れたものか、それとも痛みに反応したのかすら分からない。

 ――ここまで何も反応しないと、逆に気分を害したのではないか、と彼女は思い、とりあえず煙草を加えながら、ちら、と王子の表情を伺った。


 そこに視界に入った景色は、満足そうな王子の醜い姿、特に不満そうには見えないから大丈夫そうだ、と彼女は心の中で安堵の息をつく。そして、彼女のような、強者に媚び、弱者だけに自己主張をするタイプは、“これが大丈夫ならば、もっとやってもいいだろう”という思考に行き着いたのは言うまでもなく。

 彼女は自身の緑髪を片手で掻き上げた後、口にくわえていた煙草を指で持ってから、白煙を少女の顔へと吹きかける。


「はぁ、まったく。これだから“汚れた”耳長は。やっぱり魔族って……クズね」


 そう侮辱の言葉を吐いた後、彼女は手に持っていたグラスを傾け、倒した少女に浴びさせた。


 次はどうしてあげようかしら。

 そう彼女が、考え始めた時である。


「………………『――――』」


 淡く光る美しい金髪を持つダークエルフの少女が、小さな声で呟いたのは。 


 少女の纏う、空気が変わる。




   [11:46:02]





◇■◇■◇――――◇■◇■◇





 一つ、一人の少女の歴史を語ろう。

 昔、といってもそれほど昔のことではないが、ある村で一組のダークエルフの夫婦が死んだ。

 偶然の事故等ではなく、モンスターに襲われて。

 彼等には娘がおり、幼くして死別してしまった両親――妻の親に引き取られることとなる。妻の親の夫、つまり祖父の方は既に他界しており、夫の両親は他にも息子や娘がいたことから、渋々孫である娘を引き渡した。

 〈エルフ〉に限らず〈ダークエルフ〉も、“魔族”の中では長寿の一つ、平均寿命は約三百年。強い個体――《存在昇格(ランクアップ)》等――ならば更に寿命は伸びていき、伝説の中に出てくるエルフの一人は万を越すとも語られている。


 話を戻そう、少女が引き取られた時の祖母の年齢は二百三十、つまりはまだまだ余裕で生きていかれる――人間ならば初老に入る前辺りの段階だ。

 だが、少女を引き取った翌年、彼女は死んだ。

 モンスターに襲われてではなく、ある日を境にベットから永遠に目を覚まさなくなって。


 少女は嘆く、幼い頃に親が死に、次いで祖母が逝ったのだから。


 次に引き取ったのは、少女の夫の方の両親だ。

 初めは抵抗はあったものの、時が経つにつれて、少女は周囲と溶け込んでいった。

 そしてその翌年は、彼女の親族は死にはしなかったが、少女のペットが天寿を全うし、土へと還っていった。


 翌年は毎日餌をあげていた家畜が病死した。

 翌年は羽化を待ち侘びていた蝶の蛹が踏み潰された。

 翌年は再び彼女のペットがモンスターに襲われ、命を落とした。

 翌年は、翌年は、翌年は…………。


 ――それが数えはじめてから十を越えた頃、少女は不安を覚え始める。

 両親は死んだ、祖母も死んだ、長年の友も死んでしまった。

 もしかしたら私は、死を招く者ではないのだろうか。


 ――どうしてみんな、死んじゃうの?

 少女は祖父母に、言いました。

 しかし祖父母はその言葉に、そんなことはないという。

 信じたかった、けれどどこか彼女は不安で、“もしかしたら”。その考えが、棄てきることは出来なくて。

 魔力の量は膨大と言われ、天才だと言われても嬉しくはない。少女はそれよりも、周囲の家族が死んでしまわないか、それだけがしんぱいだったのだから。


 そうして暫くの時が経ち――――少女の村は壊滅する。

 なんのことは無い、【魔界】と【人間界】か引き起こしていた《異界大戦》の飛び火であった。


 その村で、唯一生き残った彼女は確信する。

 けれど、言いたかった。聞きたかった。

 誰かが答えをくれる、そう信じて。


 ――どうしてみんな、死んじゃうの?

 少女は独り、言いました。


 それから数年の時が経ち、ダークエルフの少女は独り、そこにいた。

 人当たりの好い宿屋で働いていたのにも関わらず、奴隷として売られたのは先日のこと。

 自身が王子の奴隷――遊び相手という役割を負うことに絶望し、なにより彼女を絶望の底に突き落としたのは、彼女が働いていた宿屋の店主が、この王子の魔術で殺されたこと。首に填められた枷により、己の魔力は封じられ、年相応の筋力しかないただの少女となっており、復讐はおろか、自殺することすら許されない。

 悲しみで一頻り泣いた後、少女は自身に問いた答えを得る。


 ――どうしてみんな、死んじゃうの?

 それはわたしが――――。


 そう自分の中で決着がついた瞬間、ぱりん、儚い音を経てて、彼女の心は砕けて散った。


 目の前が真っ暗になり、なにも感じない。

 正にそれは、絶望だった。

 自分ではどうしようもなく、そして遊ばれ死んでいく。

 今まで死んでいった皆は自分のせいで。

 偶然とかではなく、自分という存在がいたからで。

 少女は絶望に浸る。確証なんてないけど、証拠なんてないけど。少女はもう、そのことを否定するのは諦めたのだ。

 誰にも理解されない、誰にも理解できないそれ。一生付き合わなければならない地獄と隣り合わせのこの絶望。

そして、そんな中。


「はぁ、まったく。これだから“汚れた”耳長は。やっぱり魔族って……クズね」


 耳に入った声が、仲間が侮辱されたことを認識した瞬間、彼女の壊れた心の中で、撃鉄は落ちたのだ。


《――【死霊魔道】を歩みますか?》


 脳内に響いた声に、少女は頷く。

 そこに躊躇いなど、欠片もなく。


《――【死霊魔道】を歩むことを選択しました。この【魔道】を歩むこととして――》


 そう無機質な声が響くと同時、少女の魔力が変質する。

 より強大に、異常と化して。

 脳に直接、【魔道】の知識が流れ込む。使用方法、条件、効果、詠唱……その全てが【魔道】から与えられ、その全てが少女の糧となる。


《――特定条件を満たしました。

セレアーナ・ツェルウェルリトゥン=ブリジストの『分類(カテゴリ)』が“魔術師”から“死霊魔術師”に《存在昇格(ランクアップ)》します》


 首に填められた枷は、既に少女にとっては無い物に等しく、魔力を扱うことの障害にはなりえない。

 少女が初めて放つ【魔道】の魔術は、誰にも憚れることなく、静かにこの世界に顕現する。


「…………『魔術抽出・魔道書原典(オリジンテキスト)【ネクロノミコン】:18(ページ)・第23項目=腐魔(ヴェルディグュイ)慟哭(・ヴィ・ア・ロー)』」


 【死霊魔道】

 呼ぶ声がする。

 耳を傾け、瞳を開け。

 恐嗟が蠢く。亡者は哂う。

 視てはいけない。聴いてもいけない。

 貴方を呼ぶ声がする。

 さあ、さあ、引摺り堕とそう。

 ともに嗤おう。ともに寐むろう。

 貴方を呼ぶ、声がする。


 今、この時、この場所で、天才と呼ばれた少女は新たに生まれ変わった。

 転じて災。天才が故の、天災と。




   [11:46:02]




「ひっ……あ、あ――――!!!」


 少女が魔術を唱えた直後、彼女の一番近くにいた、緑髪の美女が悲鳴をあげた。

 否、それは悲鳴という生易しいものではなく、どこか異常で、どこか狂気に触れた、言葉では言い表せられない、聞くだけで背筋が凍る、そんな気持ちの悪い声。

 奇声をあげている彼女の全身は、ガクガクと痙攣が起きているかのように震え、肌は真っ青を通り越して土気色と変色ている。瞳はぐるんと上を向き、完全な白眼となっていた。

 目の前で広がる異常事態、それを少女は何事も無いかのようにゆっくりと、仰向けで倒れた体制を、腕を使い起き上がり始める。


 一体、何が起きたのか。

 少女の纏う雰囲気の変貌と、直後に突如大声をあげた状況に、第一王子を含めた五人は驚愕がために目を見開いて、本能からくる恐怖により目を放せずに、衛兵を呼ぼうにも声は出ず、かちかちと歯を打ち鳴らす。

 しかし、今も尚、部屋の中で反響している叫び声を聞き付けたのだろう。


「王子ッ?! 大丈夫で――」


 部屋の入口から乱雑に二人の兵士が突入し、そして緑髪の彼女に襲われた。

 彼女の標的は部屋に入って来た二人の内の一人の兵士、正面に向かって右側の男は押し倒されて、うわ、と情けない悲鳴を漏らす。

 兵士と彼女は二人揃って転倒し、押し倒されて彼の上になった美女の豊満な胸が、兵士の胸板にぶつかり、ぐちゃりと音をたてて押し潰されて、ぴち、と濡れた何かが、頬に跳ねた。


 ――――ぐちゃり?

 その感触に、思わず彼は表情を変える。

 それは彼が倒れながらも期待していた弾力あるものではなく、まるでぐずぐずに腐った果実のような。

 彼はそれを疑問に思い、飛びかかって来た異性の顔を見ようと視線を上げて――彼女の顔の一部が腐っているのを視界に入れる。

 芳香剤の香りを掻き消したのは、肉が腐った香り。


「な」


 アンデット、そんな言葉が唐突に、彼の脳裏に湧き出てきたが、反応するには遅すぎて。

 がぶり、涎を垂らしながら剥き出している彼女の歯が、素肌を晒している彼の首に突き刺さった。

 ぶしゅうと血が吹き、激痛走る。


「っあ、ぐ、がっ!? ――ああっ!!」


 痛みに歪んだ声をあげ、反射的に彼は彼女を突き飛ばす。


 首にかぶりついていた彼女は部屋の壁側へと吹き飛び、そこにあった椅子や机にぶつかった。

 その衝撃で机の上に置いてあったグラスや

 花瓶が倒れて床に落ち、割れる。硝子が割れた大きな音で我に返ったのか、王子や他の女性達の時が、漸くこの場に追い付いた。


 ――直後、幾重にも重なった甲高い悲鳴が、部屋中に響く。

 声をあげたのは当然、王子の奴隷の女性達。未だ絨毯に手をつけているダークエルフの少女と、背にぶつかった椅子をのけて立ち上がろうとしている彼女を除いてだ四人だが、果たして彼女達が出した悲鳴は“悲鳴”であった。

 つまりは悲鳴をあげている彼女達は正常であるということなのだが、しかしそれでも彼女達はその場から動こうとはせず、立っていた女性はへたり、と崩れるように座り込み、ベットの上にいた別の女性は、側にいた王子に縋りつく。


 未だ何が起こっているのか把握しきれない兵士の彼は、首を押さえて床に転がるもう一人の兵士に声をかける。


「……お、おい。大丈夫か?」

「…………」


 返事がない。

 首を押さえたまま、倒れた兵士は動かない。

 何も言わない彼に兵士は不安を覚えるがその思いとは裏腹に、状況は先程より悪く、より混沌へと化してゆく。


「い、いや、こないで! こな、こない――きゃああああああ!!」


 耳に聞こえた悲鳴に顔を上げれば、いつの間にか起き上がっていた緑髪の彼女が、近くにいた藍色の髪の女性に襲い掛っている光景が。

 左右の肩を両腕で掴まれ、助けを求める声があがるが、誰もその声には応じない。

 そして緑髪の女性は先程、組み伏せた兵士と同じように顔を近づけ、両腕に捕えた彼女にがぶりつく。

 ――――絶叫。

 痛みに叫ぶその声を聞き、無傷の方の兵士は不味いと腰に()いた剣を抜く。

 構えた剣の先端を緑髪の彼女へと向け、ふぅぅ……、と息を吐く。

 それは戦いに集中するために、不気味に飛び込む覚悟を決めるために。

 そうして、彼は斬りかかろうと右足を前に出し――左脚を掴まれた。


 掴んだ腕の持ち主は、首を噛まれた彼。

 大丈夫だったか、と安堵の息と共に今は腕を放せという言葉を出そうとしたが、それは発せられることなく、代わりにひゅ、と息を呑む。


「…………ア゛ア゛ー…………」


 低く、鈍くて、暗い声。

 それは脚を掴んでいる彼の口から漏れ出していて、彼の両目は、それぞれ別の方向を向いていて、開いた口からは涎が滴り落ちている。

 ――アンデット? その言葉が脳裏に浮かんだ次の瞬間、彼は鎧に覆われていない部分を布の上から噛じられた。


 そして、噛じられた兵士に、今まで一度も体験したことがない感覚が全身を巡る。


 それは己の魔力が侵され、犯され、凌辱される感覚だ。

 自身の血液以外の液体が、注入されているような圧迫感と嫌悪感。その嫌な感覚が注がれる毎に、ぐずり、と体が、心が、腐った何かに侵食されていく。

 吐き気がする。そう思った直後、彼の意識は闇へと落ちた。

 【死霊魔道】の魔術、その犠牲者が、また一人。


 ――歯から注入するのは、腐った魔力。

 それは噛まれた者の魔力を侵食、汚染し――そして彼等を作り替える。

 少女が唱えた【死霊魔道】が一つ、『腐魔(ヴェルディグュイ)慟哭(・ヴィ・ア・ロー)』』。これは本来反発し合う魔力を一方的に侵略し、無理矢理その注入された者の体を作り替えるという、残虐非道の感染魔術。

 一度発動すれば、術者の魔力が無くなるまで発動し続けるその魔術は、もう、止まる所を知らない。


 そして、もう一つ。


「『魔術抽出・魔道書原典(オリジンテキスト)【ネクロノミコン】:8(ページ)・第11項目=肉を乞え(アドュカルネ)骸は大地を這い回る(・スヴィディーソウ)』」


 少女がそう魔術を唱えると、彼女は周囲に出現した、球体状の真白い材質の中に閉じ籠る。

 彼女を保護する役割を持ったそれは見た目は骨のようであり、少女が完全に球体の防御壁に密封された――その、直後。

 凄まじい衝撃と音をたて、人一人を鷲掴みに出来る程巨大な骨の腕が、部屋の床から地面を爆発させて飛び出した。






◇■◇■◇――――◇■◇■◇






 あまりにも信じられない光景に初めに気づいたのは、天幕の外にいた一人の兵士だった。

 巡回中で二人一組であったが故に、彼ともう一人の兵士は、護身用の槍を手に持ったまま、真ん丸と口を開けて、ある一点を見つめている。


「おいおい、お前等警戒さぼってなにみてんだ……よ……」


 彼等の正面から、彼の同僚の一人が苦笑しながら近寄った。それでも無反応の彼等に眉をひそめ、何を見ているのかと後ろを向く。そして彼も同じように言葉を失い、口を開いたまま固まった。


 彼等の視線の先にあるのは、リュシカ王国の王族のための特別な天幕だ。他のものより豪華な作りで、大きさは八メートルを越えている筈のそれには今、その天井に大きな穴を空けていた。

 そもそも、天幕とは雨や日差し等をしのぐという用途が含まれており、そのため天井部分は一段と分厚く、また丈夫な作りとなっている。

 だというのに、天井に穴が空くとは何事か、と思われるだろうが、気にする所はそこではなく、何故外にいる彼等が“高さ八メートルを越す天井に穴が空いているのに気づいたか”という所である。

 

 穴が空いた場所を偶然見つけたから?否である。

 天幕の天井に穴を空けられる程の何かが落ちたから?否である。


 その答えはもっと単純で、もっと馬鹿らしいものである。


「……スケルトン、だよ……な……?」


 兵士の一人が、自分に言い聞かせるように呟いた。

 そう、何故彼等が分かったかと言えば、それは王族の天幕の天井から、遠くからでも分かる程の巨大な髑髏が突き出ていたからである。

 その髑髏は顔全体に深い蒼色の線で、様々な文字や紋様が描かれており、まるで血管のように脈動している。しかも天幕の天井から見えているのは頭部である髑髏だけではない。繋がるようにして脊骨、背骨、鎖骨、肩胛骨、胸骨、肋骨……とどれも規格外の大きさを誇る骨格が見えており、接合部が黒い症気で埋まっている。

 それは最早全長は十を越え、十二、三メートル程という超巨大な骸骨であった。


 兵士達が呆ける中、【死霊魔道】の魔術によって顕現した骸骨は、その巨大な右腕をゆっくりと、地面から遠く離れた自身の頭上へ持ち上げる。振りかぶられた右手には、何かを掴んでいるように握られており、事実、骨の親指と人指し指の間からは、リュシカ王国第一王子の顔が覗かせていた。


「――き、貴様っ! わわ、私を誰だと心得るっ!! リュシカ王国が第一王子っ、エ、エベクテー・グリッドバルム・ゲッテ・ライル・セルグリウッドであるぞッ!!」


 リュシカ王国第一王子は、脂肪で肥えた顔を大きく震わせ、そう叫ぶ。

 しかし骸骨はそれに言葉で返さず、骨の手を更に握り締めることで、返事を応えた。


「放せっ!! 放さ……おぼ、が、ぐえ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛……」


 みちみちと王子自身の肉が圧迫されて悲鳴をあげて、顔には血が集まり紅くなる。

 筋肉どころか皮すらない骨だけの指、しかしそれは肋骨の中、丁度心臓の位置に配置された術者を包んでいる球状の骨から送られてくる魔力によって、正しく人外の力を発揮していた。


「だ、だずげ……がね゛な゛ら……だず、げ……」


 息を吸いたいが呼吸は出来ず、肺が潰される程の圧迫感。王子は肺に残っていたなけなしの空気を使い、命乞いを敢行する。

 そしてその返事は、頭上まで振りかぶっていた右腕を、勢いよく全力で振り下ろすことで成立した。


「あひゅ――――」


 ばぁん、と空気を揺らす衝撃と共に、地面に赤い華が咲く。

 リュシカ王国第一王子――了。

 呆気なく、そして無惨に殺された彼。しかし、今ここで、そんな些細なことを気にする兵士はいなかった。

 何故ならば、それは。


「う、うわああああああ!!」

「噛まれるな!! 絶対噛まれるんじゃねえぞ!!」

「なあ、噛まれちまったよ……! どうすればいいんだよ! 死にたくねぇよぉ!!」


 悲鳴と怒声をあげながら、王族のために張られた天幕から、幾人もの兵士が飛び出した。

 顔色を青くし、汗を流しながら走る彼等を追って出てきたのは、同じく仲間だった同僚達。後続の彼等の顔色は、青色を通り越した土気色。口はだらんと大きく開けて、両目は白目を向いている。

 彼等は【死霊魔道】、の効果によって作られた、半自立型アンデット。


 彼等は獲物を噛み、増えていく、次々と。

 まるで、感染したように。


 ―――――――オォオォォォォォ……!!


 地上で広がる地獄を脇に、巨大な骸骨が歩き出す。

 より犠牲者が出る方に、自身の殺意を収めるために。

 術者である少女を胸の中に入れた彼の行き先は、【迷宮】入口、骸骨の巨体よりも大きい、その門へ。


 

 【陽光魔道】、【変幻魔道】、【爆炎魔道】、【嵐風魔道】、etcetc……。

 魔術の真の領域、【魔道】。

 それは確かに強力で、人知を越えた世界の法則(ルール)

 英雄譚に語られる【魔道】や、“勇者”が使う光の【魔道】。子供達がそんな強者に憧れる一方で、【魔道】には、触れてはならない領域がある。

 【殺戮魔道】、【狂気魔道】、【混沌魔道】、【畜生魔道】…………これらは特に神を重要視する聖国〈アレルカルドラン〉が提唱している《神光教会》に禁忌指定を受けている【魔道】の一部である。

 これらの【魔道】を一言で表すならば、それは正しく狂気である。

 他のものとは違い、歩む者に“何か”を代償として奪い、桁外れの力を与えるという悪魔の【魔道】。そして魔術の知識と共に、殺戮衝動、狂気に混沌、破壊衝動を一方的に、暴力的なまでの量を混ぜ合わせて贈られるという最悪の【魔道】。

 精神をそれに埋め尽されれば、後に残る結果は破壊と殺戮。よくて精神が狂う程度で済むそれは、昔からこの世界に莫大な被害と犠牲を及ぼしている。


 そして少女が得た力(魔道)、【死霊魔道】は――――そんな悪魔の【魔道】の中の、一つである。






◇■◇■◇――――――――――――――◇■◇■◇




   [11:59:42]




「――――」


 迷宮の一角に、小さな声で、歌が響く。

 歌といってもそれは鼻歌だ。されどこの戦場では場違い過ぎる。


 歌い手は、髪が黒い一人の男性。

 手には一本の剣を持ち、静かに瞼を開けて、その黒い瞳で目標を見据える。


 彼の視線の先には、巨大な骸骨。

 頭蓋は蒼く脈動している紋様が、四肢は殺した生き物の血と肉で覆われていた。

 先程まで阿鼻叫喚の地獄絵図を描いていた何千もの兵の姿は消えており、迷宮の第一階層に残っている侵入者は骸骨の胸に隠されている少女のみ。


「――――.」


 青年は鼻歌を止めない。

 恐怖で震える心を鼓舞するために。


《『【迷宮創造】モード:内装構築』の操作を開始します》


 ハルアキにとって、命をかけた戦闘は、別段これが初めてではない。

 設置可能範囲を越えたトラップを発動させるコマンド【ポイント】には、【迷宮創造】の術者本人が、その階層にいなければならない制約(ルール)があるからにして。

 だけど、それでも戦闘は、恐怖であった。

 しかし、戦闘自体は、やるとなるなら話は別だ。

 使えるものは何でも使う。物も、命も。不意打ちなど、気にはしない。


「――――.………」


 一息、一拍。

 口を閉じて。

 迷宮の主であるその青年は、未だこちらに気づいていない骸骨に向けて、静かに笑った。


「――――まずは、くらえよ」


《『罠作製(トラップ):【獄門鬼の砲弾】×3』を選択しました。50,000p×3に加えコマンド【クイック】【ポイント】によりコストが50倍されます。使用Pは7,500,000pです》


 【迷宮】の主、ハルアキと、【死霊魔道】の少女の死闘が今、幕を開ける。


 轟音。



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