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蹂躙_02(中・その2)

   [12:14:51]




「――まだなのかね?」


 苛立ちの混じった低い声が、その周囲に響く。

 それに対する明確な返事はなく、「――もう少々お待ち下さい」などという月並みな言葉が返される。今のを数えれば八回目となる質問は、今までと同じ言葉しか返ってこない。


「――まだなのかね」


 思わずといった感じでもう一度、彼は同じ言葉を繰り返す。

 ただし今度は先程のような問い掛けるものとして紡がれたものではなく、答えを返されないが故の、“しょうがない”というため息が混じった肯定であった。


 声の持ち主は体全体に肉が付き、脂ぎった顔の中心には豚のような鼻を持ち、短く切られた金髪を頭部に生やした四十程の男。彼の表情は不愉快そうに歪められ、内心の苛立ちを少しでも緩和しようと太い腸詰(ソーセージ)のような指でコンコンと木製である椅子の肘掛けを叩き、綿が贅沢に詰められたそれに、背中を預けるように座っていた。

 ――彼の名前は大陸を股に掛ける大商人、ゴコロブ・バルネ・アガルゴニッシュ。正真正銘、(まが)うことなきその本人である。


 彼が今いる場所は、リュシカ王国首都バスラノ。その王城であるムーグル城の一室だ。

 床には細かい刺繍がされた幅広い絨毯、壁にはいくつもの絵画が飾られ、その真ん中に配置された暖炉の上にはリュシカ王国を象徴する鎖に交差する戦斧の紋章が縫われた旗。部屋の中央には木で作られた、少々高さが低い長方形のデスクが置かれ、机上には書類と思しき何枚かの紙。長い方の側面に二つずつ、布で張られた高級椅子が配置されている。

 そんな高級椅子の一つに腰かけるゴコロブは、ふぅぅ、と口から息を吐き、一度目を閉じる。そうして数秒後、ゴコロブは静かに目を開き、自身の眼に商人の矜恃を乗せて、対面に座るリュシカ王国の財務官を睨みつける。

 お世辞でも綺麗と言えない顔から放たれたのは、財務官の彼が思わず情けない悲鳴をあげそうになる程の、濃厚な怒気。


「――いくらなんでも、遅すぎる。この国はちゃんとした取引をする常識が無いのか?」


 ゴコロブが口にしたのは、馬鹿にするような皮肉ではなく、心からの怒りが込められた言葉。

 リュシカ王国の財務官はその言葉に反論出来ることなく、吹き出る汗を拭いながら縮こまっていた体を更に縮こませ、彼の後ろに付いている二名の兵士は、その迫力にごくりと息を呑み込んだ。

 大陸中の商人に知れ渡っているゴコロブの経験は並大抵のものではなく、その気迫も同様であり、また彼の内に激動している個人的な苛立ちと、今現在も踏みにじられている商人としての矜恃からくる憤怒が、その迫力を後押ししていた。


 本来ならば国に対する侮辱だと、罪を問われかれない先程の言葉は、しかし何も言われることなく、リュシカ王国の財務官に甘受される。

 ――反論したいが、反論出来ない。

 それはゴコロブと対峙している財務官が思っている事であり、言葉の裏に隠れた彼の心境は、なんとことをしてくれたんだ、という自分の上司である財務大臣への恨みであった。


 通常、ゴコロブがこの国に来る時は、国の借金の返済日と、《イースリッション》の前日日から終了日までという短い期間のみ。なのにそのどちらでもない今日という日に来ているのは、この国の財務大臣が国王に言及し、王の勅命で呼んだからに他ならないからである。

 何故国がゴコロブを呼んだのか。その目的は主に二つ。

 一つは国が背負う借金の返済であり、本命はトリューシャ平原に出現した【迷宮】の所有権を奪うためであった。

 ややこしいことではあるが、トリューシャ平原の所有権は、王国の領土にあるにも関わらず、リュシカ王国の王の土地ではなく、ましてや貴族達のものでもなく、財務官の彼が相対しているこの男――ゴコロブ・バルネ・アガルゴニッシュのものなのだ。

 王国領土である筈なのに、どうしてゴコロブがその所有権を有しているのか。その答えは、やはり“借金”という存在に帰結する。

 《大戦》終結後、リュシカ王国は借金を返そうと躍起になり、国の民からの財産の徴収、関税を含めた増税等の政策を企画。これはリュシカ王国がしていた借金の金利を少しでも減らすためであり、勿論貴族達は自分達の資産が増えると考え、これに反対するどころか賛成の意見が多かった。

 そしてその結果は国が傾きかけることになる。原因は財政苦によるものではなく国にいる民達の飢餓等による市民達の被害によるもので、まあ、当然といえば当然だろう。

 しかしリュシカ王国の王は賢王とはいかないものの、愚王でもなく、また少なくとも“国”と言うものを優先しているので、国が手遅れになる前に、なんとか一度国を建て直すことに成功するのだが、その際に唯一借金ができるゴコロブの商会から更に金を借り、結局借金を増やすという事態に陥ってしまうこととなるのだが、自業自得であった。

 そしてこれにより、リュシカ王国の財産が圧迫され、借金を返すという余裕すら殆んどなくなるという悪循環。解決策としてゴコロブ商会から提案された案である《イースリッション》を開催し、なんとか細々とだが返せ始めていたのだが――さて、この《イースリッション》、実はゴコロブ商会からの提案を受け入れる代わりに、トリューシャ平原の土地をゴコロブ商会へと所有権を移すという条件が含まれていたのである。

 つまりトリューシャ平原に出現した【迷宮】の所有権はゴコロブにある、ということなのだ。

 勿論、リュシカ王国は軍を【迷宮】に出陣させるという許可をとっているのだが――ここである一つの事実が浮き出てくる。


 【迷宮】の内部にいる全てのモンスターは、世に出回る商品の中でも上の方の価値がある魔石の『原石』を持っていると確信に近い推測されている。

 故に【迷宮】からでる利潤は相当なものの筈であり、それこそ利子が殆どついてないのにも拘らず、返済するには到底不可能と思えた借金が、数年足らずで返せる可能性がある程である筈なのだ。つまり、リュシカ王国にとって【迷宮】とは金銀財宝が埋もれていると分かっている鉱山なのである。

 それに略奪とも言える行為をしようとしているリュシカ王国軍の行動を、一商人であるゴコロブが見逃すだろうか? 答えは否、そんなことを彼が許す筈がない。

 ともすれば、可能性は一つ。

 ゴコロブは知らないのだ。

 迷宮のモンスターから『原石』が採れることを。

 異世界人である海斗のスキル【転移術】で軍を動かしたのも、他国に軍の動きを察せられないようにすることと、出撃準備にかかる時間を短縮する意図が込められており、ゴコロブが【迷宮】が何足るかを知られないようにするため、リュシカ王国側は少なからず工作をしたのも事実である。

 そしてその全てはゴコロブからトリューシャ平原の一部の土地の所有権を奪還するため――【迷宮】の所有権を奪うために。


 ――――だが、だ。

 苛立つ商王を前にして、その怒りを全身に浴びている彼の心境はたまったものではない。


「――す、すす、すみませ、ん……。も、もう少々、もう少々お待ちになって下さい……!」


 震える声。

 ゴコロブと対面している財務官が謝罪の言葉を述べながら、止まらぬ冷や汗を拭い、深く頭を下げる。

 その動作は正しく、蛇に睨まれた蛙のように見え、また彼の真摯さが伺えるもので。

 だがその誠意も、既に意味をなさない。

 ゴコロブはふぅ、と息を吐き、その歯並びはいい口を開く。


「駄目だ。商人を舐めるのもいい加減にしろ」


 暇潰しにと出されたこの国の娼姫など、元より彼には興味がなく、食指も沸かない。

 ゴコロブはここに“商人”として来ているのであり、遊ぶために来ているのではないのだ。更には呼び出されたことが急だったということで、自分が出張る筈であった幾つかの取引を、他の者に預けることからきている不満や苛立ちが混在するストレスが腹に溜まり続けているゴコロブの怒りは、たとえ一国を相手にしようとも、既に限界に達していた。

 普通ならば、国がどれほど馬鹿にしようとも、商人は平身低頭するのが常識である。

 しかし、もう一度言おう。

 リュシカ王国に所属する財務官の彼が視界に入れている男は“あの”ゴコロブ・バルネ・アガルゴニッシュ。敵に回せば、この国が滅びかねない程の財力と権力を持つ大商人。

 それを理解しているからこそ、彼は何も言い返さず、またひたすら謝罪を繰り返していたのだ。


「っどうか! どうかもう少しだけ、どうか……! お、お願い致します……!!」


ゴコロブの否定の言葉を聞いた彼は、椅子から降りて、膝を床につけながら、先程より更に頭を低く下げる。

それは最早謝罪のための礼ではなく、“命ばかりは許してくれ”とでも言うような、“どうか助けてください”とでも言うような、ある種一つの懇願のものと化していた。

そして事実、彼は謝るために頭を下げているのではなく、ゴコロブがこの場にいて欲しいがために、その所作を行っていた。


 ――何やってんだよ、早く来いよ……! いや、来てください……!!

 頭を下げながら、彼は祈るように心の中で叫んでいた。

 最後の詰めという詰めの段階にきて、何故己の上司と王が来ないのか、何も知らない彼は、呪うように祈るしかなく。そして、その祈りが神に届いたのかどうかは知らぬことではあるが――。


「――――いやあゴコロブ殿、お待たせした」


 そんな、悪いとも思っていない謝罪と共に部屋に入って来た彼の上司が、部下である彼にとって救いだったのは、語るまでもない。




   [12:23:49]




 ゴコロブが連れて行かれた場所は、リュシカ王国の玉座の前、つまり謁見の間であった。

 数百人は優に入れる場所は天井から吊り下げられている巨大なシャンデリアで照らされていて、入り口から伸びているのは、幅が五メートルを越える深紅の絨毯を金色の糸で縁取ったカーペット。十分な厚みと衝撃を吸収する柔らかなそのカーペットは、この国が王であるバースルダイグの玉座にまで一直線に届いており、また国王の血族である子供達の椅子の下にまで敷かれていた。

 入り口の正面に置かれた玉座に座る、色が薄れた金髪と白が混じった顎髭を生やし、全体的に悪い意味で痩せている男性――バースルダイグの横には、正面から見て右に一つ、左に二つの椅子が置かれてはいるものの、国王の玉座を除いて空席であった。

 彼の背後に下ろされている垂れ幕は、当然だがリュシカ王国の国旗。王の側には先程ゴコロブのことを呼んだ財務大臣――ちなみにそれまで相対していた部下である彼はこの場にはいない――や、国に関わる重臣達がおり、また壁際には全身鎧を着込んだ兵士達が立ち列んでいて、皆王の前に立つゴコロブの方へと視線を送っていた。


「――――んん、ゴコロブ殿、お待たせしたな」


 バースルダイグは少々すまなさそうに、そんな言葉を口に出す。

 ぴくり、とゴコロブの眉が跳ねたが、すぐに表情を元に戻すと、膝を絨毯の上につけ、頭を下げる。


「……いえ、そのようなことは特にございません。それと、此度は私めの商会をご利用頂き、まことにありがたく存じます」


 ゴコロブの言葉は、聞くだけならば何も問題はない。

 ただその声には、感謝という感情が混ざってないだけで、問題はないのである。

 バースルダイグは満足そうに頷き、もう一度んん゛、と咳払い。 


「ふむ、そうか。なにせどうにもシューゼリエが言うことを聞かぬのでな、少々時間が掛かったのだ。何せ昨日から――」バースルダイグが己の娘のことを思わず口にして、すぐに自重する。「――っと、いかんな。それはよいとして、本日ゴコロブ殿を呼んだ理由は、これを見て欲しいからだ」


 そう言い、バースルダイグが指示を出す。それに重臣の一人が頷き、部屋の奥にある扉を開け、その中から一人の兵士が手押し車を押して、ゴコロブの前に持って来た。

 木で出来た台座の上にはベージュ色の布がかけられており、その下に覆っている物の輪郭だけが浮き出ている。


「…………拝見しても?」


 バースルダイグの言葉を聞いて、只の自慢をするために来いと言ったのか?と始めは顔を(しか)めているゴコロブが、リュシカ王国の王に問うた。

 言葉使いが少々無礼になってはいたが、バースルダイグはそれを咎めず、ゴコロブの問いを肯定する――王が何も言わない代わりに、幾人かの重臣達が陰口を叩いてはいたが。


 ゴコロブはそんなことなど気にもせず、静かに、丁寧に、両腕を使い、掬うようにかけられた布を捲る。それは彼自身の見た目からは想像できない程綺麗な所作であり、正しく物品を傷つけないと心に誓う、一商人の姿であった。

 音も立てずに取り払われた布は、覆っていた物を外気にさらし、そしてゴコロブは一瞬目を見開いた。


「! これは…………!」

「うむ、我が国で取れた『原石』だ。」


 バースルダイグがゴコロブの感じた筈である疑問に答えを述べて、優越感による笑みに表情を変える。

 そしてゴコロブが我に帰る前に、バースルダイグは予め決めていた台詞を流暢に語り出した。


「『原石(それ)』は我々の宮廷魔術師によれば一つ二、三百金貨には届くそうだ。何せ稀少中の稀少なのだからな、属性汚染されていない魔石というものは。何か違うか、ゴコロブ殿?」

「……ふむ、私も魔石は確かに扱ってきましたが、このような物は…………いや、これを何処で?」


 そう言いながらも目を放さずに、真剣な目つきで台座に置かれた瑠璃色の『原石』を観察するゴコロブ。

 そんな様子に満足したのか、バースルダイグは内心で、この取引は成功すると確信する。

 思わず弧を画いてしまう唇を隠そうともせずに、リュシカ王国の王は答えた。


「――それを言う訳にはいかんだろう。ただ国内であるとは言っておこう、協定を破るなど我が国はありえはしないのでな」

「まあ、そうでしょうな……。で、陛下はこれをどうなさるのですかな?」


 きた! とバースルダイグは内心で叫ぶ。

 そして流暢に、不自然に思われないように、彼は言葉を紡ぎ出す。


「――実はな、そのような山のように見付かっているのだ。今すぐにでも全てを掘り返し、それを売却した金でゴコロブ殿に渡したいのだが、しかしそれをするにはどうにも時間が掛ってしまうのだよ」


 んん゛、と一度咳払いをして、彼は話を続ける。


「なのでここは一つ提案なのだが、我がリュシカ王国はゴコロブ殿の商会に、一定の『原石』を納める、という契約を結ばしたいのだが、どうだろうか」


 バースルダイグの言葉にぴくり、とゴコロブが反応する。彼は目を『原石』から外し、リュシカ王国国王へと向ける。


「……契約、ですかな?」

「ああ、正しくその通りだ。此方が提供する利点だが、一つ目は『原石』の提供。二つ目は他の国に対してリュシカ王国内で採れた『原石』の取引をしない。三つ目は『原石』によって得た利益の一割をそちらの商会に譲与するというものだ。これはリュシカ王国が存続する限り有効なものであり、つまりは永久的に、我が国はその契約を破らないと誓おう」


 そう言い、再びバースルダイグは重臣の一人に指示を出す。

 同じように奥にある扉から台車が押されてくるが、今度の台座の上には二枚の紙と、一冊の書類。それらはバースルダイグが今言った契約を結ぶための契約書であり、その横には小さな円柱型の瓶に注がれた黒インクと――〈黒白鷹モノトーン・ホーク〉と呼ばれる稀少価値の高いモンスターから剥ぎ取ることができるものである――上半分が艶やかな黒で、下半分が汚れ一つない純白の羽を加工したペンが置かれていた。

 そして未だ何も言ってこないゴコロブを目に、バースルダイグは仕上げの言葉を告げる。


「――ゴコロブ殿、今すぐ返事をいただきたい」


 ――勝った。

 今ゴコロブが置かれた状況を見て、バースルダイグはそう確信する。

 ここまでくれば、如何に商人といえど、その反対は難しいだろう。何せ小国と言えど、玉座に座るバースルダイグは一国の主。そんな彼からの提案を、商人であるゴコロブが断る訳にはいかないだろうし、何より商会に対しては特にデメリットもないはずなのだ。

 ――ただ、彼がゴコロブに話してないとすれば、その契約の対価のことである。


 ぱらぱらと捲っている契約書類を読んでいたゴコロブの目が、ある一点で止まる。


「――バースルダイグ様、とりあえずその条件は置いておくとして、商会(こちら)に対する要求の項目の内“リュシカ王国側が商会に対して借り受けている金銭から発生した利子の帳消し”という一文がありますが、これは文章通りのものとして受け取ってもよろしいので?」


 ゴコロブの眉根が下がり、少々不快気な表情に変わる。

 これは今まで発生していた利子を返せと言うことか否か、それを彼は交渉相手(バースルダイグ)に質問した。


「それは違う。あくまで今まで発生していた利子はそちらのものである、それを卑しくも返せとは言わん」

「つまりはこれからかかる利子を無くして欲しい、そういうことで?」

「うむ、まあ概ねその通りだ。ゴコロブ殿は理解が速いな」

「お誉めに預かり恐悦至極。――――しかし、成程。その契約の際に友好の証としてトリューシャ平原の土地の所有権の返還、ですか」


 ゴコロブが言っていいるのは、この契約を結んだ際に、その契約が大事であることを証明するための確認のことである。

 これはお互いに友好であるということを認識しあうための項目なのだが、しかしこれが、これこそがリュシカ王国側の、真の目的なのであった。


 初めからリュシカ王国側の狙いは、借金についての緩和ではなく、トリューシャ平原に現れた【迷宮】の所有権。故にそれ以外――借金の利子等についての要求や、ゴコロブに当てた利点等――は全てプラフであり、契約の本命であるトリューシャ平原の奪還という目的を隠すためのものだったのである。

 交渉の位置から遠く、且つその条件を出しても不自然でない場所にある項目。リュシカ王国が借金を緩和するためにこの契約をだしているのだろう、とゴコロブがミスリードさえしてくれれば、高確率でこの条件は通る。

 そして、ゴコロブからは不満の色は見られない。


「ああ――何か問題があるのかね」


 だからバースルダイグは、自信満々にそう言うのだ。


「――――バースルダイグ様」

「なんだねゴコロブ殿」

「いえ、たいしたことではございません。二、三聞きたいことがあるだけですのが」

「ふむ、申すがよい。が、しかし、それよりも早く、返事を聞きたいのだが?」

「まあ、それは後に致しましょうか」


 ゴコロブはさて、と息をつく。


「バースルダイグ様、確かにこちらは『原石』のようですが――――これだけですかな?」

「……いいや、そんなことはない。専門家が言うには、測ることなど不可能な程だそうだ」

「しかしながら、ここにはこれだけの量しかない。失礼を承知で申し上げますが、たったこれだけの量で信用しろというのはなんとも――――」

「確かに、それについてはそうかもしれぬ。しかしゴコロブ殿、これは本当のことなのだよ。たった今も採掘しに向かわせているし、本当は山ほど積んだ『原石(それ)』を見せて驚かそうと思っていたのだがな、少々帰って来るのが遅れているのだ。どうか信用して欲しい」

「ええ、バースルダイグ様のことは信用しておりますとも。常日頃から商会をご利用頂いておりますゆえ、それはもう」


 ならばさっさと契約を結べ、とバースルダイグが口を開く前に、ゴコロブは言う。


「――だからこそ、なのですよ。バースルダイグ様。貴方様は信用できる、それを磐石をきして行きたい、というのが私の方針ですので」

「ふむ、ならばもう暫し待って欲しい。もう少しで来る筈なのでな」

「そう……ですか」


 ゴコロブは顔を伏せ、謁見の間に沈黙が降りる。

 そしてそれを催促するように。


「答えを聞こう、ゴコロブ殿」


 バースルダイグは含みのある声を出した。

 あともう少しで【迷宮】の権利が手に入るということを確信しているからか、その唇は弧を画いていた。


 ――さて、リュシカ王国国王であるバースルダイグ・グリッドバルム・ゲッテ・ライル・セルグリウッドは――彼だけに言えることではないのだが――一つ、重大な勘違いをしている。否、“勘違い”というよりも“認識の違い”と言った方が正しいか。

 それは根本的な問題であり、また仕方がなかったかもしれないもの。

 つまるところ、バースルダイグはゴコロブのことを、彼という人物を舐めていたのである。


 どういうことかというと、確かにバースルダイグは、対峙しているゴコロブのことを、重要な人物だとは認識している。何せ大きな声では言えないが、国が利用している金貸しの取締役なのだ、重要視しない方がおかしいだろう。

 だがしかし、バースルダイグの認識は、あくまで“商人”という枠組みの中で考えている重要度なのであり、そこにはゴコロブという“人物”の脅威性は含まれてはいなかったのだ。

 つまりバースルダイグはゴコロブのことなど、“たかが有名で金を持っている商人なだけである”という認識をしており、実際にゴコロブが何をしようとも、国王や国という存在には頭が上がらないし、また影響もあまり受けないだろう、という考えを持っていたのだ。

 たかが商人が一国の主に対して、さしたる反抗など出来はしない。何故ならば対等な立場ではないからである。それがバースルダイグが国王だったが故に、抱いてしまった偏見で、商人という実体と、その重要性を知ろうとしなかったが故の認識不足。

 その皺寄せが、今、ここに。


「この契約は――断らせてもらおう」


 そう言ったゴコロブの言葉と共に、バースルダイグは固まり、謁見の間の空気が、凍った。

 しかしそんなことを気に止めず、ゴコロブは台座に置かれた『原石』を丁寧に布袋の中に入れ、踵を返す。


「この『原石』は利子として貰っていく。……ああ、安心しろ。値段は此方でつけるが、適切な値段で買い取ってやるから」

「な、な――ま、待て!!」


 言葉使いや態度が急変したゴコロブを、いち早く混乱から脱け出したバースルダイグが呼び止めた。

 ゴコロブは面倒そうに顔だけを彼に向け、価値の無いゴミを見るかのような目をバースルダイグにやりながら、彼はつまらなそうに口を開く。


「なんだ?」

「ご、ゴコロブ殿は契約を結ばないというのか!?」

「そう言ったが、聞こえなかったのか?」

「な、何故だ?! この契約はゴコロブ殿にとって利点がある! それに――」

「はあ、まったく。言葉の理解が出来ない猿が。おい、そこの、その紙を寄越せ」

「は、ははっ」


 なぜ断られたのか、動揺しながら叫ぶバースルダイグを傍目に、ゴコロブは書類を持ってきた人物に声をかけ、国王のサインだけが書かれた書類を両手に持つ。

 バースルダイグはそれを目にし――サインしてくれるのか?と考えたが、次の瞬間。


「――これなら理解できるか?」


 びりぃ、という音と共に、それは真っ二つに切り裂かれた。


「…………は?」


 開いた口が塞がらないとばかりに、バースルダイグの表情は呆けたものに変わる。

 そしてその間もゴコロブは、びり、びり、びり、と書類を細切れにし、まとめて絨毯の上に捨てた後、それを足で踏み潰した。

 ――これ以上ない程最悪な形の、破談。

 あ、あ、と口を震わせ始めた重臣達を無視し、ゴコロブはため息をついた後、口を開く。懇切丁寧に説明するためではなく、今まで溜り溜った鬱憤を張らすために。


「――自分で指定した時間に遅れる、謝罪もない。果てには脅しもどきの契約を迫り、証拠すら見せずただただ同じ言葉を繰り返す。信用しろだと?馬鹿を言え。借金の利子すら、こちらの提案を呑まなければ返せない阿呆共の何処を信用しろというのだ」


 そう言い、ふん、とゴコロブは片足を捻る。

 紙が潰れる音が、その下から漏れた。


「こ、断ると言うことはっ、き、貴様ッ! 何をしたか分かっておられるのか!!」


 そう叫んだのは、謁見の間にいり重臣の一人だ。

 茶色の髪の中に白髪が混じっている彼の言葉に一拍遅れて、周囲の者も騒ぎ出す。壁際にいた兵士達が、手に持った武器を構え始める。


 しかし、ゴコロブはその場から動かず、ただ一言。


「――――貴様等、いい加減にしろよ」


 その一言で、十分だった。

 ただそれだけで謁見の間は静まり返り、再び沈黙が訪れる。

 先程と違うのは、ゴコロブから放たれる怒気。

 応接間で待っていた時よりも強いそれは、謁見の間にいた全ての者を呑みこみ、ゴコロブがための舞台に変える。

 ふぅぅ、大きく息をつき、この場の支配者となった彼は、その脂ぎった顔を上げる。


「お前達が何を基準に常識を学んでいるかは知らんが、これだけは言っておこう。――――お前等如きが私と対等だと? 冗談も程々にしろ。そんなことは金を返してから言え。次ふざけたことを吐かせば、今後一切この国での取引は断らせてもらう、精々口に気をつけろ」

「――――さて、なんだったかな? 断るとどうなるか、か。ふむ、このまま帰ろうとは思ったが…………それだけでは腹の虫が治まらん。そうだな――――おい」


 ゴコロブが睨みながらバースルダイグのことを見る。憤怒と嘲りが混じったその目は、彼を震わせるには十分過ぎた。

 バースルダイグは唾を飲み、額から冷や汗を流しながら、ゴコロブからの言葉を待つ。しかし彼の口から発せられる言葉には嫌な予感しかなく、そしてそれは最悪の形で、狂いなく的中する。


「貴様等のと狙いはトリューシャ平原だろう? いや、正確にはあそこの独占か。まあ、嘘か本当かは知らんが、そこから『原石』が大量に採れるんだったな?――――なら、三日だ」


 ゴコロブは空席に向けていた指を人指し指、中指、薬指、と三本立てる。

 その動作の意味することは。


「三日以内に五割、金を返済してもらう。出来なければ――」ゴコロブはバースルダイグを指差した後に、その左側――二つの空席に指をやる。「――王女のどちらかを担保として頂こう」


 王族とやらはそれだけで高く売れるからな。

 そうして固まった空間の中、ゴコロブは顔を歪ませ、言う。


「――――さあ、どうする?」


 その十秒後、リュシカ王国が国王の怒号が飛び、壁際にいた兵士達が武器を持って走り出す。


 ――――直後、謁見の間は光に包まれることとなるのは、誰も知らない。






◇■◇■◇――――――――――――――◇■◇■◇






 例えばの話をしよう。


 トランプのカードを二枚使って立てた一段ピラミッドと、大量に消費して立てた五段ピラミッド。どちらか一方しか崩せないという条件下で、どちらを崩すかと聞かれれば、恐らくはほとんどの者が後者を選択するだろう。

 これは物を崩す時に起こる優越感や高揚感――つまりは崩すものが大きければ大きい程、快楽がより得られるからではないだろうか。


 もう一つ例をあげよう。

 ドミノ、という遊戯がある。

 この遊戯は全二十八個ある牌をプレイヤーに振り分け、如何に早く自分の牌を無くすかを競うゲームである。牌は賽の目のようなデザインの記号を二つ並べた長方形をしており、(0-0)――この場合は無印の牌――から(6-6)までの目を組合わせた牌を使用する。

 ゲームは(6-6)の目から始め、その牌の目に合わせて並べていくという単純なルールであり、例えば(6-6)(6-3)(3-5)……、という風なものだ。


 とまあドミノとはそのような遊戯のことなのだが、本題はそれではなく、ドミノで使用する牌を使った、とある有名な遊びの方だ。

 それは長方形であるドミノの牌を等間隔、というよりは隙間を開けて、次々と並べていき、最終的には端に置いた牌を倒していく、という勝ちも負けもない、単純すぎるといえば単純すぎるもののことだ。

 一般的に【ドミノ倒し】と呼ばれているそれ、十万枚以上の数が消費されて作られたドミノの牌と、二枚しか並べられていないドミノの牌。どちらを崩したいかと言われれば、ほとんどの者が前者を選択するのではないだろうか。


 何が言いたいかと言うと、つまるところ破壊するだけの者にとっては、より壊し甲斐のある物の方が優先的に破壊されるのではないか、という精神的な話、ただそれだけのことである。




[12:26:22]




 城が消えた。

 それが、リュシカ王国の首都バスラノにいて、その瞬間を見た者達の感想である。


 ただこの言い方には語弊があり、正確には、王城であるムーグル城の上半分が、下半分の土台を残して木端微塵にされた、と表現した方がいいだろうか。

 粉々に破壊された王城の部分には、当然の如く謁見の間も含まれており、生きている者は確実に零であることは明白、一瞬にして百を優に越える命が、この世から消えた。


 何も知らない一般人にとっては、意味が分からないことだっただろう。

 それは一瞬、ほんの一瞬だ。

 太陽のものとは別の、雷のものとも別の、あえて地球の物で表すならば、その光はカメラのフラッシュのような輝きが空から照らされた直後、王城はその建てられてから過ごしてきた歴史を嘲笑うかのように、その上半分を消されたのである。


 では一体、それを何者がやったのか。

 答えは首都バスラノの北側、その上空に。


 それは、巨体を覆う漆黒の鱗。

 それは、力強く羽撃く三対の翼。

 日本の東洋の龍と西洋の竜をかけ合わせたような姿であり、人の背丈よりも大きい牙がずらりと並んだ口からは、白い煙が吐き出されていた。


 『破壊を司る黒竜』、(ベルティミルド〉。


 災厄と称されるその竜は、決してその名前に劣らない。

 逃げ惑い、叫び、混乱する国民達。

 何が起こっている。

 何故こんなことに。

 早く逃げなければ。

 日常は非日常へと変貌し、そして既に遅すぎることを知る。


「――北は駄目だァ!! モンスターの波が! 波が来るぞぉおおお!!」

「ああ゛!? 東門が開いてないだと!? 一体どこに行けっつうんだよ!!」

「西門もだ! くそ、そういや兵士がいねぇと思ったら、こういうことかよ! 畜生ォッ!!」


 そう、今日この日に限り、リュシカ王国内部の兵士の数は少ない。

 その理由は言わずもがな、【迷宮】への出兵だ。

 本来王であるバースルダイグがいる首都バスラノには、普段と余り変わらない兵士の数を用意していたのだが、第一王子の迷宮出兵に関する我儘によりかなりの数を減らしていた。故に警備などの強化を重点的に置くことにし、比較的人の出入りが少ない西門と東門を閉めていたのである。

 開いている門は北と南、ただし北からはモンスターの大群が向かってきており、南に行ったとしても到底逃げられるとは思わない。

 正に八方塞がりであり、手も足も出ない。そんな絶体絶命の状況に、リュシカ王国首都、〈バスラノ〉は置かれていた。



 首都バスラノの北側上空。

 迷宮へと向かう途中に見つけた、目立っていた建築物の筆頭であった王城を壊して満足したのか〈ベルティミルド〉は大きく息を吸い込み、それを音に変えて吐き出した。


――ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 獲物を威嚇するための咆哮ではなく、物事が上手くいき「やったぁ!」とでも言うような、そんな声に近いものだ。


 しかし、それは黒竜だけの認識であり、ただの人間や魔族達にとってみれば、今のは音の衝撃と化す。


――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォンンン…………!!


 黒竜の鳴き声が終えた後、〈バスラノ〉に訪れたのは物音一つしない静寂だ。

 鳴き声の煩さで声が出ない?否である。

 黒竜の恐ろしさで動けない?否である。

 ――ただ、〈ベルティミルド〉の魔力が混ざった音に当てられて、皆抵抗できずに気絶しただけである。

 恐らくは意識が刈り取られていない者も中にはいるだろうが、そんな者はどうせ一握りにも満たないのは明白、ましてや空を悠々と飛翔している〈ベルティミルド〉に歯向かおうとする、ある意味で勇者な者は一人もいない。


 そもそもこの世界では空を飛翔出来る者は少なく、また戦いにおいても大きなアドバンテージを有している。

 それは【魔道】の魔術だけではその足場から測って精々五、六メートル、よくて十メートルの高さまでしか浮けず、更には空中で急制動、急加速などという曲芸じみた飛行は――空を飛べることが出来る者では三パーセントも満たない――できないという欠点はあるものの、その利点はあまりある。


 制空権しかり、攻撃範囲しかり。

 空に浮かぶことで視野が広くなった索敵や、俯瞰して見える土地に関する情報収集等。

 そしてその利点の中で最も大きなものである“敵の攻撃が届かない絶対安全圏”を優しており、更には実力ですら化け物中の化け物である〈ベルティミルド〉を止められる者は皆無。つまりバスラノの住民の命運は、正に彼が持つ運によって、その生死が決まろうとしているのだった。




   [12:27:08]





◇■◇■◇――――――――――――――◇■◇■◇





   [11:48:27]




『――おら、先に行ってろ。コイツの相手は俺がやるから』


 走る。

 彼は走る。


『――立ち止まるなレベック! 振り向くんじゃねぇぞ!!』


 自分が何処にいるか分からない。

 けれど彼は走る。迷宮の中を、出口を目指して。


『――たっくよぇ、なんで男に俺がやってみたい立場(シチュエーション)第三位をしなきゃならねえんだか。おしレベック、お前は女だ。それで決定、それなら俺も戦える』


 視界に映る景色は涙でぼやけ。

 周囲から聞こえてくるのは絶叫のみ。

 それでも彼は、レベックは走り続ける。


『――まあ、なんだ。あんまいい言葉浮かんでこないけどさ、俺達のことは気にしなくていい。けど、その代わりに――は変かな、まあ、ユリネと仲良くやれよ』


 脳裏に浮かぶのは、先程別れた彼等のこと。

 認めたくない。認められない。

 引き返したい。引き返せない。

 彼等は自分に託し、自分は彼等と約束した。

 だけど、それでも。ガハハ、と笑う同僚を筆頭に、彼等達の顔が脳裏に浮かぶ。


『――いいか、レベック。お前は外に出ることだけを考えろ。ガハハハ! なあに、誰もお前を責めやしない。皆お前のことが大好きなんだからな。……そら、行け。お楽しみはもう少し、家に帰るまでの時間だぞ』


 最後に視界に収めた彼は、右腕は真っ黒に焼け焦げ、傷だらけになっていた。顔色はよくないのに、無理をしているということが見え見えなのに、いつも通りに笑ったような笑みを見せて。


『――――そぉら化け物! 掛ってこいよ!!』


 彼等は対峙していた炎を纏う獣に向かって行き、自分は背中を見せて逃げ出して、今もひたすら走っている。

 情けなかった。

 どうしようもなく、情けなかった。

 レベックはそう思わずにはいられない。仕方がなかったじゃないかという心の囁きを感じ、更に自分が情けなく思えてくる。

 自分は、あの人達のようになりたかった。

 カッコ悪くて、弱い自分から変わりたかった。

 自分に力があれば、こんなことになっていなかったのだろうか。自分に力があれば、彼等を置いて逃げ出さないことが、出来たんじゃないだろうか。

 もうそんなことを考えても、意味はないのに。


「――ッ! ぅああ゛あ゛ッ!!」


 だからレベックは走る。

 涙を流しながら、拭いもせず。

 そんな彼等に言われた最後の約束を守るために。

 “生きたい”、その心からの叫びを叶えるために。


 ――――しかし、その思いを笑うかのように。


「ガアアァアァアアッ!!」

「ギキィイィッッ!!」

「――ッ!」


 突如、レベックが走る道の両脇から、二体の魔獣が飛び出した。


 内一体は、黄色を地に、黒の縞模様の毛皮を持ち、頭胴長四メートルを越えた大きな虎、〈虎角(タイガー・ランス)〉。

 眉間からは捻を巻きながらも、先端が恐ろしい程に鋭く尖った一本の角が生えており、人の頭を丸呑みできるであろう口元と同様に、既に幾人もの鮮血によって赤く染まっている。


 左から飛び出したのは、一匹の巨大な猿だ。

 全身を覆う茶色の剛毛に、丸太のような太い尻尾。背中には蝙蝠のような翼を一対生やしており、〈エイビルエイプ〉はずしんと地面に着地する。

 巨猿の全長は〈虎角(タイガー・ランス)〉と同等程度だが、前足を地面に触れさせているだけという二足歩行に近い立ち方により、その身長は虎よりも一回り大きく見え、またこちらも同様に、大岩のような両手の甲と、口元が赤く濡れていた。


 両者は共に、Cランク相当の者でなければ苦戦必至のモンスター。ギルドに入っていればE+だろうレベックにとっては脅威以外の何者でもない。

 しかし何より最悪なのは、〈虎角(タイガー・ランス)〉と〈エイビルエイプ〉の二体が固まってではなく、丁度レベックを真中に挟むようにして現れたことだ。

 モンスター達は意図せぬ形で彼を狙う挟撃となり、レベックの逃げ道を完全に塞ぐ。


 普段ならば隙を見て即座に獲物へと飛びかかるのだが、彼等は今、【楽園の香】の効果の一つ『屍死濁濁』で付加されるエクストラステータス“猛進”により、その身に全力の殺意を滾らせている。

 故に彼等は、慌てる獲物を見て優越感に浸ろうという思考や、隙を見い出すという動作を破棄し、即座に行動に移す。


「――グルルァアアァアッッ!!」


 〈虎角(タイガー・ランス)〉が前方から、〈エイビルエイプ〉が後方から飛びかかり、レベックの命を奪おうと襲いかかる。


 木々の中では〈エイビルエイプ〉の方が速いが、このような障害物がない一直線上の道の場合、〈虎角(タイガー・ランス)〉はその比ではない。

 故に〈虎角(タイガー・ランス)〉が獲物に当たる方が早く、茫然と立ち尽くしていた彼はその突進を身に受け、血が舞った。


「――――がっ、あ゛あ゛!!」

「ガルァアアァアッッ!!」


 苦痛に歪む声が、〈虎角(タイガー・ランス)〉の頭上から響く。

 その鋭利な角に突き刺さっているのは、鎧ごと貫かれた左腕。貫通した角は、先の方であるのにその直径は五センチを越えて、新しい赤がその表面に上塗りされていく。


 〈虎角(タイガー・ランス)〉は己の武器で突き刺したレベックのことを、邪魔だと言わんばかりに顔を振る。

 直後レベックの体に、激痛ではない、しかし今までに経験したことがない感覚が走る。

 彼の視界には、数メートルは離れている地面と、人間のものと分かる左腕が映っていた。


 ――誰のもの?

 この場には、レベック以外の人間はいない。

 つまり、あの腕の持ち主は――。


 乱暴に、力強く宙を踊らされたレベックの左腕は、その負荷に耐えられることなく、呆気なく千切れ飛んだ。

 しかし、レベックがその答えに至る前に、もう一匹の脅威は、彼の間近に迫っていた。


 それは後方から接近していた巨大な猿、〈エイビルエイプ〉。

 そのモンスターは〈虎角(タイガー・ランス)〉に振り払われ、宙に投げ出されたレベックの方へと跳躍。空中で正確にレベックを狙い、人が腰かけられる程の大岩に負けるとも劣らない手を組み、頭上に上げて振り被り、鉄槌の如く振り下ろす。


 ごしゃり、という肉を潰す音と、どごん、という土にめり込んだ震動。

 確実に攻撃が入ったということを感覚で悟り、レベックが地に叩き落とされた位置から数メートル離れた場所に着地した〈エイビルエイプ〉は己の筋肉でぶ厚い胸板を腕でドラミング、歓喜の感情を表した。

 ……しかし、その音もすぐに止む。

 〈虎角(タイガー・ランス)〉は再び跳躍の姿勢をとり、〈エイビルエイプ〉はたった今潰した筈の獲物の方へと振り向いた。


 彼等の視界に映っているのは――――。



◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi2519さんの発言◆

 ――死なないって、約束したんだ。

[11:49:07]



 それは絶望を前にして、笑っていた同僚達と。


 紅く染まった視界が持ち上がり、前にいる二体のモンスターを、彼の頭は認識する。

 諦めたかった。

 死ぬと思った。

 そんな時、彼等の声が頭に響いた。

 だから。レベックは立ち上がる。



◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi2519さんの発言◆

 ――生き残るって、約束したんだ。

[11:49:07]



 それは最後まで笑っていた唯一無二の親友と。


 一歩踏み出せば、ぱちゃ、と小さな音がした。

 左腕からは止まることなく血が流れ、がしゃり、と衝撃で歪んだ鎧が地面に落ちる。



◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi2519さんの発言◆

 ――帰ったら、言いたいことがあるって、約束したんだ。

[11:49:08]



 それは彼が最も愛する一人の少女と


 残る右手には剣を持ち、腰を低く、ふらふらになりながらも構えをとった。

 鉄の味しかしない口を大きく開き、息を吐く。

 瞼の裏に写る景色は、褐色の肌に、茶色の髪。深い青色の瞳と目を合わせて、彼は彼女と約束をしたのだ。



◆【リュシカ王国軍迷宮探索隊】:Heishi2519さんの発言◆

 ――ユリネに会うまで、俺は、死なない。

[11:49:08]


《――特定条件を満たしました。

レベック・スタンデュードの『分類(カテゴリ)』が“人間”から“剣士”へと《存在昇格(ランクアップ)》します》


「――ガァアァッ!」


 本能に従い、〈虎角(タイガー・ランス)〉がレベックに向かって二度目の跳躍。

 高速で迫るモンスターに対し、ゆらりとレベックの体は動き、その右腕に掴んだ剣を突き出した。


 かぁん、と骨を突き抜く小気味好い音が響き、レベックが右腕に握る剣が四分の一程が〈虎角(タイガー・ランス)〉の脳天に埋まる。

 ず、と虎の額から剣を抜き、レベックは前を見、駆け出した。


「――あ、ああ、あ゛あ゛あ゛ああ!!」


 レベックは走る。

 立ちはだかるモンスターを殺すために。

 自分がこの地獄から生き残るために。

 “死なない”そう約束した彼等との誇りを守るために。


 彼は駆け出す、その誇りの中に、約束を持って。


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