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蹂躙_02(中)

 天幕の壁に飾られた、鎖に交差する戦斧、リュシカ王国を示す紋章が紅と金色の糸で刺繍された旗、メディルデという大樹で作られた大きめの豪華なデスク、周りに置かれた同じ素材で作られた幾つかの椅子に、部屋の中心にどんと配置されている人が何人も乗れる円形ベッド。更にリュシカ王国王子が一人と計六名の女性奴隷、王族用の部屋は大体そのような内装を、フェアブレアを初めとする三人の人物に晒していた。


「――なんだ貴様、早く用件を言え」


 部屋に入って来て入口に立つ彼等に対し、不機嫌を隠さない声が飛ぶ。

 発した者は、円形ベッドの中央に寝転がっている一人の男。肥えて真ん丸くなった腹は彼が息をする毎に膨らみ、縮むのを繰り返している。上半身は裸だが、その下には一応ながらもズボンは履いている。

 金色の髪に、青色の瞳。彼こそがリュシカ王国第一王子であり、唯一がその人であった。


(…………まあ、周りを見る限りはまだ、と……)


 部屋の中にいた女性達の事を見回して、どうやら事をする前だった様だ、という事を察し海斗は内心でほっと息を付く。理由は語るまでもない。

 まあどうせ自分で言い出した癖に文句を言うんだろうなぁと思いつつ、海斗は表情を仮面に変えた。


「…………ぅぅ……」


 ――しかし、清人は王子の前にも関わらず、思わず顔をしかめてしまう。

 それは情事が見れなかった等という浅ましい考えの元からではなく、部屋に入る前から匂っていた――デスクの上に置かれている四角い小瓶から発している――鼻につく妙な香りが、更に濃くなって部屋中に充満していたからだ。

 小瓶の匂いは何処となく花の香りのような匂いがするので、場の雰囲気の引き立て役に限らず芳香剤の役割も兼ねているのだろう。だがその匂いは――大した運動もしていないのだが大量に掻いている――王子の汗と、部屋の中にいる女性が付けた香水の香りが混じり合い、何とも言えないものになっているのであった。

 海斗はすぐに清人の態度に気付いたが、特に指摘しようとはしない。海斗が表情を変えているのはあくまで話を客観的に聞きたいし、フェアブレアと第一王子の話が円滑に進む事を望み、また此方の態度をちらちらと見ている王子から絡まれたくないだけであるからして。要は他の人は知ったこっちゃないのである、というのがこの場での海斗の本音であった。それに部屋に入った瞬間「臭い」と言わなかっただけでも、清人にしては上出来だと海斗は思った。


「――エベクテー様、私達近衛師団はもう少しで【迷宮】へと出撃致します。ですので準備を始めたいと思うのですが」

「なに? もうなのか?」


 部屋の中に入っても、顔色一つ変えないフェアブレアが言った言葉に、エベクテーと呼ばれた王子の表情が怪訝な、そして少しばかりの焦燥感が混じったそれに変わる。

 しかし彼が浮かべた焦燥は、決して【迷宮】にもぐっている王国軍に何か異常が起きているなどという危機を悟り、そのせいで焦ったものではなく、手に寄せていた女性とのお楽しみの時間を取られてしまう、というものであるのだが。

 リュシカ王国第一王子、エベクテーは数秒程肉の付いた手を顎にやり逡巡した後、丁度良い言い訳を思い付いた、と言わんばかりの笑みを見せる。

 そして彼は待った、と言うかのように片手を突き出し、フェアブレアに口を開く。


「分かった、暫し待つといい。しかしこれには時間が掛る、私が赴く前にも色々と準備がいるのでね」


 そしてちらりと女性奴隷を垣間見て、好色そうな感情を宿した目に変わる。

 深く考えなくとも分かる、彼はフェアブレア達に邪魔だと言っているのだ、

 清人はその返答が予想外だったのか眉を寄せ、逆に海斗はまあそうなるわな、という納得の表情を見せる。


(――――まあ、馬鹿王子の事だからこうなるんじゃないかって事は大体予想はついてたけどさ。で、これからどうすんのさ、フェアブレア?)


 そう考えながらも、海斗は前に立つフェアブレアの背中に視線をやり、次いで部屋の中にいる女性達にもう一度目を向ける。

 部屋に立てられた『照明ライト』が付加された灯りに照らされているのは六名の女性。

 藍色の顔の女性、金髪のスレンダーな体を持つ女性、同じ金色だが少々此方の方が淡く、又肉付きがいい女性。皆顔は美女と言って差し支えない程であり、着ているドレスや化粧等をしている事から、この国のそこらの平民よりも裕福な生活を送れているのだろう。

 ちなみにこの世界では、平均的に――とは言え大衆の一般的な感覚で見るとするとである――美女、美少女が多い。男の方もその点は当て嵌らなくはないのだが、どちらかと言えば女性の方が顕著である。

 異世界補正とはこの事か、それとも人口から見れば海斗がいた地球よりも少ないからそう見えるだけなのか、答えは謎のままである。

 とまあそんな全くと言っていい程関係ない事を思う中、海斗がふと疑問に思ったのは、部屋の隅にまで目線を動かして、そこにいる人物を捕えた時だ。


(…………んん? あの()、前にいたっけかなあ?)


 その疑問とは単純に、王子に付いている女性の数が前より一人多い、という事である。

 海斗は十日前、つまり前の会議の際に、王子が彼女達を侍らせているのを確かに見た。しかしあの時、彼の周りにいた女性は五人だった筈、であるならば彼女は当然、ここ数日の間に王子へと貢がれたのだろう。

 ――海斗がこの事に気付けた理由は、常日頃から王子の奴隷に目を付けていたからではなく、その貢がれた彼女の容姿が海斗の目を引いたからだ。


 短いワンピースから生えている二本の足から見えるきめ細かい褐色の肌、肩まで伸びているのは手入れがされていないものの、淡く発光しているようにも感じられるほど美しい金髪。瞳の色は硝子の様に透き通った綺麗な緋色であり、美しい方の“美”というよりは可愛い“美”に分類されるであろうという整った顔立ちをしている少女。

 ――魔族の内の種族が一つ〈ダークエルフ〉、少女はその内の一人であった。


 “人間”と“魔族”、《ファンタジア》における法則(ルール)の一つ『分類(カテゴリ)』により大きく二分されてはいるものの、あくまでそれは“超”が付く程大雑把である。

 例えば『分類(カテゴリ)』“人間”で言えば、住んでいる地域ごとに違う呼ばれ方をするなんて多々あるし、特に“魔族”で言えばそれが顕著である。

 耳が長く、魔術や弓に長ける〈エルフ〉や、風の魔術やそれに関する事に秀でた〈シルフィード〉、体格が人間の子供程しかない〈ホヴィット〉、他にも〈ドワーフ〉、〈ワーウルフ〉、〈ワーキャット〉etcetc……。

 勿論当然と言えば当然なのだが、モンスターも多種多様であり、この世界には地球よりも数多くの――人間並、それ以上の知能を持つ――知的生命体に溢れている。 


 そして〈ダークエルフ〉、別段種族としての〈エルフ〉とは仲は悪くないみたいだが、部族間同士の争いはあると海斗は聞いた事がある。それを聞いて、やっぱり人間と同じ様に争い事があるのだな、と感じた事が、すぐに記憶領域から取り出せる。

 今まで海斗はダークエルフという種族を見た事が無かったが、成程、これは綺麗な少女であると一人納得した。

 きっと少女が笑えば向日葵が満開に咲いた様な、明るい感情が浮かべるのだろう。そう思う反面、しかしそのような事は決してないな、と海斗は確信する。

 何故ならば、それは部屋に佇む少女の瞳、硝子の様に透き通った綺麗な(あか)は――――透き通り過ぎていた。その瞳は、最早生物のそれではなく、ただ体に血が巡るだけの人形の様に。

 海斗から見て、彼女はもう、生き物では無くなっていたのだから。

 


「――――承知しておりますが、態々仰られた事有り難く存じます」


 ふと気付けば、フェアブレアとリュシカ王国第一王子との会談が、終局に差し掛かろうとしていた。

 海斗は慌てて意識をフェアブレア達に向け、直ぐ様耳を傾けて、出来うる限りの情報を聞き出す。

 二言三言聞いていくと、どうやら先程から余り話は進んでないらしい。が、どうやらフェアブレアは根気よく王子相手に頑張っていたようだ。色んな意味で駄目なこの人間に根気よく話したフェアブレアは、素直にすごいと海斗は思う。

 海斗がある種尊敬の目で見ているフェアブレアは、ん゛ん、と咳払いをし、続いて大袈裟に腕を開いて、自身の言葉をアピールする。 


「そこでです、エベクテー様の準備が完了なさる迄に私達近衛師団から百人程、【迷宮】に派遣させて欲しいのです」

「……派遣?」

「はい、正しくその通りです。これには様々理由が有りますが、まず――――」


 フェアブレアは矢継ぎ早に言葉を続けようとすると、王子が疲れた様な顔をして此方に向けて手を振った。


「――ああ、よいよい、分かった分かった。派遣だったな、好きにしていいぞ。私の命だ」


 それは有無を言わせ無い程の肯定。

 余りの返事の軽さに対して、へっ?と海斗は驚きの声をあげそうになるのを何とか抑え、王子の言葉を反芻する。

 王子の命令とは、このリュシカ王国においての最上位の指令であり。王国軍からの指示を出されて受諾された命令でさえも凌ぐもの。

 そしてフェアブレアは百人程の近衛師団を出すと言ったが、その中に含まれているのは決して兵士達だけではない。隊長(フェアブレア)も、副隊長達(清人と海斗)も、(れっき)とした“近衛師団”の一員なのだ。

 つまりそれがあるならば――。


「はっ、既に部隊の編成は済ましております。それではすぐに」

「ああ、さっさと去るがいい。私は忙しいのだ」

「御意に」


 かくして、王子との対談は終わる。

 フェアブレア達は、部屋から退出し、踵を返す。

 もう、此所には用は無いと、言わんばかりに。






◇■◇■◇――――――――――――――◇■◇■◇






 聖国、アレルカルドラン。

 そこはリュシカ王国の南部分一面に接しており、俗に【聖国】と呼ばれる国である。

 大陸の中でも大国の内に数えられる聖国には、当然の事だが数多くの都市が点在している。そしてその都市の一つ〈アルフレブ〉という場所は、『ゼノイックの宿り木』や『フォークズの種火』等の様々な名産品があり、リュシカ王国に一番近い都市としても知られている。

 ――そして同時に、コマンド【楽園の謳香】の効果範囲内、迷宮へと続く道の一直線上に存在していた。


 都市〈アルフレブ〉の四つある関所、その内の一つである南門の前には、千を越える冒険者達や兵士達がモンスターを中には入れぬという意思を心に持ち、各々が各々の武器を手に、大雑把に前衛と後衛に分かれて並んでいる。

 彼等の視界に映るのは、最早大地を走る波と形容した方が的確な程のモンスター。

 〈ゴブリン〉、〈コボルト〉、〈角兎スパイク・ラビット〉、〈緑水グリーンスライム〉等の冒険者からすればFランク相当のモンスター達や、D、E相当の〈猛鬼オーガ〉や〈灰色狼グレイウルフ〉の群れ。他にもB、Cランク相当である〈岩竜ロック・ドラゴン〉、〈赤金斑豹レデュヤック〉、更には夜にしか姿を見せない筈の〈篝火狐ヴァンフォクス〉、〈陽炎魂ウィプス・オブ・ファイア〉、〈獰猛梟バッドオウル〉等々等々……正にピンからキリまでの――とは言えAランク相当のモンスターの数は余り多くなく、また規格外と言える“災厄”級のモンスターはいないのだが――モンスターが揃い踏み、その全てが同じ方向に前進している。


 しかし彼等は、アルフレブという都市を侵略しようという意思で動いている訳ではない。彼等の目的であり目標は、アルフレブの遥か奥にある【迷宮】の存在であった。

 【楽園の謳香】――そのコマンドが内包する第三の能力、『楽園の香』の効果によってモンスター達は迷宮に引き寄せられており、アルフレブは道を塞いでいるただの障害物に過ぎないのだ。

 しかし、彼等は道を塞ぐ物に対して、迂回するという考えを持つ者はほぼ皆無。

 つまりモンスターの波の端の方はアルフレブを素通りし、逆に波と都市が重なっている箇所は激突が避けられない、という事である。


 ――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!


 一つとして聞き取れない程に混じり合ったモンスター達の鳴き声が、大気を震わし、大地を揺らす。

 都市〈アルフレブ〉を守る為に並んだ戦士達と、迷宮という名の楽園へと只管(ひたすら)歩むモンスターとの距離は既に二百メートル足らず。あと数秒も経たない内に、前衛達は前に出ていい筈の間合い、敗北の可能性が、波に呑み込まれる可能性が濃厚な死闘の始まりを告げるのは明白だった、筈なのだが。


 何故か一分以上経った今ですら、誰も前に出る者はいなかった。

 そう、一人も。

 千人を越える中、一人としてアルフレブの戦士達は、その場からは動いていないのだ。


 何故、とは思わないで欲しい。

 動けないでいる彼等の行為を責める者は、きっと誰一人としていないだろうから。

 別段彼等は、恐怖によって立ち疎んでいる訳ではないのだ。それこそ、ここで死ぬならば、いっそ生き残ってモンスターを蹴散らしてやろうではないか、という気概を心に決めている者ばかりである。

 そんな者は戦の前線への配属を希望している彼等の中にはいない。もしかすれば、法に従い、戦いに強制参加である兵士の中にはいるかもしれないが、その様な者は大半がアルフレブの中に入る。

 アルフレブ内にいる彼等は彼等で、住民の避難や先導を行っており、自分達にしか出来ない事をやっているのだ。ましてや前線に出ているのは自らの意思を持って希望してきた者達のみ、文句など言える訳がない。


 ならば彼等は何故、武器を手に持ちながらにして、前に進まないのだろうか。


 ――答えは否。進まないのではない、彼等は進めないのだ。

 目の前に繰り広げられている光景に、圧倒されて。


 彼等の目の前に広がっているのはモンスターの超大群、それは間違いないのだが、一つ付け加えなければならない事がある。それはアルフレブに激突すると思われていた波の部分が、一向に近付いて来ない、という点だ。

 つまり、大地を埋め尽すモンスターの波は、都市アルフレブに当たる箇所だけが無くなり、凹の形に変化し始めている、という事であった。

 しかし、それはモンスター達が自身の進路を変更した訳ではなく。


『――皆の者は下がっていろ。我等が同盟国に住む民に傷を付ける訳にはいかない』


 たった一分前の事、モンスターの大群の前に立った冒険者や兵士達にそう言い、両手に輝く剣を一本ずつ装備した一人の青年が前に出て、アルフレブに激突するモンスター達を一匹残らず相手取っているだけ。

 単純明快、簡潔明瞭。

 人間が怪物(モンスター)を殺している。

 ただ、それだけの事であった。



「――はははははっ! 遅い、遅い、遅い遅い遅い遅いッ!! 遅過ぎるぞッッ!!」


 アルフレブの南門から百五十メートル程離れた場所で、嘲りを含んだ笑い声が響いた。

 若い、青年の声だ。

 柄の根元に十字に交差させた二本の(つるぎ)と鮮やかな赤色の華を咲かせるアルレの蔦に、アルレの花という細かい印――法国に属する国の聖印である――が彫られた(つるぎ)を両手に持ち、よく手入れがされているのだろう、首元まで伸ばしたさらさらとした金髪が風でなびき、太陽の光を反射している。

 体には金属で作られた鎧ではなく、金色の糸で繊細ながらも中々に豪華な刺繍がされた、淡い蒼色の布の服。但しそれは唯の布ではなく、様々な魔術や魔力障壁を纏わせた、魔道具(マジックアイテム)の中では魔術礼装の一種に分類される、国宝級の一品である。

 青色の瞳、すらりとした鼻、男として整えられているその美貌。戦場に笑い声が響く度、彼の真白い歯が、唇の間から覗かせる。 


「――ガァァァアアァッッ!!!」


 怒りを込めた咆哮をあげたのは、数十センチに延びた鈎爪を生やし、赤と金色の斑模様の毛皮を持ったモンスター〈赤金斑豹レデュヤック〉。

 通常、森の中ではBクラス相当のパーティが討伐に当たるその獣は、目の前に立ち、進路を阻んでいる青年に向かい飛び掛る。

 常人よりも数倍の体格を持ちながらにして驚異的な速さを誇る突進。Bクラス相当の原因であるそのスピードを保ちながら鈎爪が生えた腕を振り抜き――しかし獲物に当たる事なく空を切る。


「――遅いな」


 直後、〈赤金斑豹レデュヤック〉の横から、青年の声が。

 だが、モンスターがそちらを向くよりも先に。


「ほぉら、一太刀ッ!!」


 〈赤金斑豹レデュヤック〉の突進を避けた彼からの反撃。

 嘲りが含まれた声が発せられると同時に、一人モンスターの波に立ち向かう青年の腕の輪郭がぶれる。

 左に持つ剣を使い、横から一閃。

 放たれた斬撃は分厚い皮や強靭な筋肉を裂くように切っていき、豹の胴を半分程――その斬撃は骨にまで届く。

 腹を半分斬られた〈赤金斑豹レデュヤック〉の傷口から紅い血が吹き出すが、既に彼は動いていた。


「――二太刀目ッ!!」


 閃光、走る。

 〈赤金斑豹レデュヤック〉の逆側、つまり斬り付けていない方の腹側に周り、掛け声と共に振り抜かれたのは、文字通りの光芒一閃。

 豹が苦しみの声をあげる前に、彼の右手から放たれた一太刀――否、二太刀目が、モンスターの体を両断する。


 〈赤金斑豹レデュヤック〉――討伐完了。

 倒れゆくモンスターの体を見届けずに、青年は既に次の獲物へと剣を振るう。


 ――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!


 びりびりと、耳を塞いでも尚鼓膜を震わせる程に場に響くは、モンスター達が鳴いた声。

 波の最前列には、人型モンスターが(ひしめ)き合いながら前進している。

 特に多く、最前列の大半を占めているモンスターは緑色の肌を持ち、一メートル程の身長に、人よりも猿よりである容姿、茶褐色の瞳をぎょろりと動かしている、一般的に〈フォレストゴブリン〉と呼ばれるそれである。


 同じ種類でも様々な特徴を持つ生物がいるように、ゴブリン――というよりはモンスター全体の話ではあるが――も同様に、多種多様の生態に分かれている。その中には〈ホブ・ゴブリン〉や〈ゴブリンメイジ〉等という種族的な違いから、能力的には殆どと言っていい程変わりが無いものの、外見が全く違うといった違い等があり、この〈フォレストゴブリン〉は後者の違い、つまり外見だけが大幅に違うというだけのモンスターであった。

 だが、それでも褐色の肌を持つ〈ゴブリン〉に並ぶ戦闘力を保有する〈フォレストゴブリン〉が数百体。波の最前列を走る彼等を青年一人で止める事はまず不可能、と一見誰もが思うだろう。

 しかし、アルフレブの南門に並んでいる冒険者や兵士達は誰一人、そう思ってはいなかった。否、その考えに至れなかったと言うべきか。

 たった今繰り広げられた〈赤金斑豹レデュヤック〉と青年との攻防は、経過だけを見れば青年は常人よりかは幾分か強いという事が分かるだろう。何せ中型と言えど三メートルはあるモンスターの胴を二撃で絶ち切ったのだ、彼を弱いといえる者は一握りの者だけだ。

 とはいえ、ただ力が強いだけでは冒険者達が黙って見ている筈もなく、またモンスター達の波が抑えられる訳がない。 

 しかし、である。先程の〈赤金斑豹レデュヤック〉と青年の攻防、この戦闘の決着が、青年がモンスターに止めを刺すまでに掛った時間が一秒にも満たない時間で、それこそ瞬きよりも速く行われたとするならば、果たして波は抑えきれないと言えるだろうか。

 目にも止まらぬ速さで殺していけば、不可能とは言えないのではないだろうか。


 ――そう、真に注目すべきは、彼自身の装備ではなく、膂力でもなく、その“速さ”。


 誰にも成し遂げられない速さで、誰にも追い付けない速さで動く彼は、その『不可能』を『可能』に変える。

 青年は、数多もの戦士達の目を釘付けにさせるその青年は、そんな規格外の存在なのであった。

 それ、故に。


 ――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!


 モンスターが作る波の最前列、〈フォレストゴブリン〉達等が並ぶそこに、ひゅお、と一塵の風が吹く。

 さあぁ、と大地に生えた草が風で揺れ、一拍、それは突如、肌を殴る暴風へと変わる。

 それと同時、波の中から血が、宙を舞い始めた。


「ガッ―――」


 一匹のモンスターが死ぬ間際の声をあげる。刹那、その周りのモンスターも同様に首を斬られて生き絶えた。

 彼等の死体が傾く前に、今度はその隣のモンスター達が胴を断たれて殺された。

 初めに斬られたモンスターが地に伏す前に、その周囲にいた三百を越えるモンスターが既に、死んでいた。

 次々と、次々と、次々と。

 彼等は逝く。見えない速さで動く、一人の青年の手によって。

 たった一人の手によって。


 風が吹く。

 棍棒を当てるよりも先に〈ゴブリン〉は胴を両断された。

 風が吹く。

 威嚇の声をあげるよりも先に〈コボルト〉は喉笛を鋭く裂かれた。

 風が吹く。

 額に生えた捻れた角で突くよりも先に〈角兎スパイク・ラビット〉は蹴りによって潰された。

 風が吹く。

 丸太並の太い腕が振るわれるよりも先に〈猛鬼オーガ〉の心臓は(つるぎ)によって穿たれた。

 風が吹く。

 何十を越えた〈灰色狼グレイウルフ〉の群れは仲間と連携をとるよりも先に、全匹首を両断された。

 風が吹く。

 鉄よりも堅い白巌を纏う〈岩竜ロック・ドラゴン〉は、敵を見付けるよりも先に、片眼に突き立てられた剣から、脳を掻き乱されて即死した。 

 ――時が僅か十を刻む前に、最前列にいたモンスター達は何一つ抵抗も出来ずに骸を晒し、皆一瞬にして自身の命に別れを告げる。

 青年が巻き起こした暴風は、最前列の一部から吹き始め、そしてすぐに吹き終える。吹き終えたその場所には汗一つ掻いていない彼の姿。

 一滴の返り血も浴びず、愉しさで破顔して。

 右手に持った剣を腰に下げた鞘に収め、優々と髪を掻き上げる。先程まで目にも止まらない速さで動いていた彼の姿は、常人の速さに戻っていた。


 ――『八点配置(ダブルスクウェア=)黒炎ヶ龍ドラボニッグ・アヴァルゲイブ』。


 そして、その瞬間を狙い済ましたかのように、幾多もの方向から魔術が飛ぶ。

 青年を目標に強襲を仕掛けたのは、八匹にもなる黒の龍。胴周りは二メートル越、胴の長い“龍”という輪郭を保ったそれには目や鼻等はなく、自身の躯に揺らめく闇の炎を内包していた。


『―――()ケィ!!』


 皺枯れた、しかし覇気のある声が、その龍へと指示を出す。

 放った者は、波の奥に紛れて身を隠す、襤褸と化した青い布のローブを羽織る不気味な骸骨。手には錆びた鈴が三つ付いた二メートル程の杖、空洞でなければならない筈の髑髏の中からは夜の闇を思わせる症気が漏れだし、その中心には紅く輝く光が灯っている。

 ――それは魔術師の骸の成れの果て、モンスターの魔術師の一角〈リッチ〉。

 元々の躯や、取り込んだ魔力に悪霊等により強さが変動するモンスターは今回、実にAランクの冒険者の魔術師と同等以上の力を持っていた。


 【闇焔魔道】。

 それは闇に映えた焔。

 揺らめき、榮え、音も立てずに燃え尽きる。

 杳杳(ようよう)永永(ようよう)、ゆらゆら、ゆらゆら。

 燃えて、静かに。

 闇の中で、静かに。


 〈リッチ〉の魔道【闇焔魔道】、その道で授かる魔術の一つ『黒炎ヶ龍ドラボニッグ・アヴァルゲイブ』。それは現在解明されている【闇焔魔道】の魔術の中でも最高峰には及ばないものの、上位に属する魔術であった。

 八点配置(ダブルスクウェア)、正方形の陣から等間隔に黒炎龍が飛び出した。

 彼等八匹の竜は口を開き、八方から高速で中心にいる筈の青年の方へと接近する。

 しかし当たると確信していても、〈リッチ〉の思考には油断は無い。既に次の魔術を唱えようと詠唱を開始、もし避けられたりしても、そこを突くという二段構えの敵愾心。


 だが、〈リッチ〉の予想に反し、標的の青年は動かない。

 そのまま黒炎を纏う竜は更に青年に接近し――――そして不可思議な事象が起こる。


『ッナ?!』


 表情を表す筋肉など付いていない、唯の髑髏でしかない〈リッチ〉の顔に、驚愕が刻まれる。

 それは〈リッチ〉にしても予想外の現象、それは彼も知らない事象。


 八匹の『黒炎ヶ龍ドラボニッグ・アヴァルゲイブ』が、その動きを遅くしたのだ。

 青年に近付けば近付く程遅く、より遅く。

 放たれた直後は常人の目で何とか追える速度だった黒龍は、既に子供が駆ける程度のものになっており――そして青年まであと三メートルという所で、その動きを完全に止めた。

 完全な魔術の停止、それは即ち、魔術の無力化。


 青年はその場から動いておらず、ただ〈リッチ〉の方へと顔を向け、にやりと笑った。

 それは馬鹿にしているような笑顔で。

 お前ごときに敵う訳が無いのだと、見下しているような笑顔で。

 彼の表情に現れた感情を見て、〈リッチ〉の視界が真っ赤に染まる。

 ふざけるなよ、と激昂する精神とはまた別に、冷静な思考を保つ〈リッチ〉は骨の腕で杖を振り上げ、練り上げた魔術を繰り出した。


『――――舐メルナヨ小僧ォッ!!』


 ――『天堕骸の黯炎矛グロッツェル』。


 〈リッチ〉の強大な魔力が放出されて、周囲の空間から、ずるり、とそれは現れる。

 三本の捻れた角を持った、漆黒の矛。

 刃の部分だけでも術者である〈リッチ〉よりも大きく、三メートルの体格を持つ〈猛鬼オーガ〉に匹敵する程巨大であり、支柱をそのまま使ったかの様な柄の部分は、細部に渡り文字や幾何学的な紋様等が彫られている。

 じゃらり、と刃の付け根部分に巻かれた二本の鎖が宙に垂れ、〈リッチ〉が出した矛は黒い症気を巻き散らす。

 〈リッチ〉が、くんっ、と骨の腕を動かすと同時、巨大な矛は打ち出された。

 衝撃を周囲に飛ばしながら矛は飛び、音速に限りなく近い弾速で。これならば多少の謎の減速が起こったとしてもあの人間に牙は届く。

 ――そう、〈リッチ〉が思った直後。


 目標である金髪の青年の唇が、言葉を紡ぐ。


「『四重行使(テトラマジック)迅速付加ヘイスティア』」


 瞬間、彼は消えた。

 そして〈リッチ〉が吃驚するよりも早く。


「――ここにいたか」


 背後から声が。

 いつの間に、そう考えるも意味はない。

 振り向くよりも先、魔術を行使しようと魔力をたぎらせ。


 ――『閃光斬跡リーンレイル導かれる光ルゥス・エルベティーク


 しかしそれよりも先に青年の魔術が放たれる。

 視界に光が一瞬走り、そして〈リッチ〉の体は両断された。そして自身の体が腹から真っ二つに斬られた事に気が付く前に、次いで青年の持つ二本の剣に切り裂かれた。

 四、八、十六、三十二、六十四、百二十八、二百五十六。

 一秒にも満たない時間、正に一瞬で〈リッチ〉は死んだ、着ていた青色のローブごと細切れにされて。


「―――そい」


 ぺろり、と唇を舐めて、彼は言う。


「――遅い、遅い、遅すぎるぞッッッ!! もっと速さを、スピードを!! ハハ、ハハハハハハッ!!」


 瞬間、声だけをそこに残し彼は消え、再び血しぶきが宙を舞う。

 高らかに、馬鹿にした様に笑う声の持ち主は、両手に持った剣を振るい次々にモンスターを肉塊へと変えていく。

 但し、その速さは尋常ではなく、人の目には見えない速さで。

 万を越えるモンスターの波、それを一人で抑え、しかも未だ本気の実力を出していないかの様に戦う青年。彼は既に強者という概念に属することは出来ない程の規格外。

 ――ならば一体、何者なのか。


 青年の殺戮を見ている――とは言っても青年の姿は捕えられてはいないが――冒険者の一人が、ぽつり、と小さな声で呟いた。


「………………あれが、“勇者”」


 ――その呟きは、すぐに虚空に溶けて。


「――ハハハ、ハハハハ! 見えないか!? 捕えられないか!? 追い付けないか!? 悔しいだろう! 歯痒いだろう! しかし私は止まらないッ!! 出来るものなら止めてみよッ! フフ、フハハハハハハハハ!!」


 モンスターの混じり合った鳴き声と、青年――否、“勇者”の高らかに笑う声だけが、アルフレブの南門の前に存在していた。






◇■◇■◇――――――――――――――◇■◇■◇






 リュシカ王国の西部にある都市〈スィーダブル〉、そこから更に北西に進んで行けば、イグナード帝国の領土〈ゼノギラデル〉という都市に着く。


 帝国の都市の一つ、〈ゼノギラデル〉。

 【風の谷】と呼ばれている土地に隣接して作られたその都市は、その近くの鉱脈で採れる魔石の一種『風の魔石』――通称『風石』という産物を筆頭に、多くの行商人達が売り買いする場所であった。


 ――荒れ狂う嵐、死せず風。近付いては為らぬ。その名は災厄、その名はデルドラ。ガリデリュアに住まう者。


 これは〈ゼノギラデル〉が出来る前からその地域に伝えられている風の民話の一説だ。

 ガリデリュアとは【風の谷】の事であり、つまりはこの民話は、何かが【風の谷(ガリデリュア)】に封じ込められている、という解釈が出来る。

 勿論、それを嘘だ何だと言う者もいたが、そんな彼等は【風の谷(ガリデリュア)】の深部に行って、そして帰らぬ人となる。それが一人だけだったならばまだしも、その数が百を越えれば認めるしかない。

 ――あの谷には、化け物がいると。

 故に〈ゼノギラデル〉に住む住民は、民話は確かに本当の事を記しているのだ、という事を理解して、ならば逆に不必要なまでに近付かなければ【風の谷(ガリデリュア)】に住むと言われる化け物を起こさないだろうという考えに至り、結果的にはその場所に近付かないようにしていた――のだ、が。


「…………あれが」


 〈ゼノギラデル〉の住民の一人が、震える声で、口を開く。

 〈ゼノギラデル〉の街には多くの人がいるが、彼等は今、我先にと逃げる為に走り出していた。

 びゅうびゅう、ごうごう。

 肌を殴る勢いで降る雨と共にくる風が、街道の立て看板を乱暴に揺らす。風の強さは更に増し、既に幾人かは立つのがやっと。逃げ出していた者達も進めなくなる程で、行商人の馬が暴れ、それを抑える為に怒鳴る声など、止まない暴風により掻き消される。

 ぴかり、ごろごろ。

 朝方は雲一つ無かった晴天は今はもう見る影もなく、濃黒色に染まった雲が蒼い空を埋め尽しており、光ると同時、黒雲の中に紫電が走る。

 そしてその雷の到着点に、それはいた。

 黒雲が漏斗状に渦巻いて、その尖端が大地に接し、恐ろしい程の速さで動いている。渦を中心に風は吹いており、中には進んでいる途中に巻き込まれたのだろう、体長数メートルを越える大型モンスターが宙を舞っていた。

 風を操る〈風妖精(シルフ)〉や意思を持つ鉱石のモンスターである〈妖岩・風(ウィッド・エレメンタル)〉等は逆に、その力の恩恵を受けているのか、嬉しそうにくるくると、暴風の中を飛んでいる。

 あれが、“あれだ”。

 〈ゼノギラデル〉に住む彼等は本能で悟る。

 そして、その確信は間違いではなく。


 『乱逆を司る暴風』〈デルドラ〉。


 只人だけでは決して勝てぬ意思を持った台風が、〈ゼノギラデル〉に近付いていた。



「――危ないッ!!」

「きゃあああああああ!」

「看板が落ちてくるぞ! 頭を守れェ!!」

「くそ! 一体何だってンだよ! ――一体俺達が何したってンだよぉ!!」


 近付いて来る台風(デルドラ)から逃げようと騒ぐ住民達。しかしその大半がそこから動く事が叶わず、悔しさを顔に滲ませながら、近くの店や家の中へと駆け込んで行く。

 だれもいなくなる街道に、煩く吹き荒れる雨と風。

 ――そしてその中に二人、その場から離れようとしない者がいた。

 彼等の身長は頭一つ分程違い、高い方の人物は百七十あるかないかといった所。どちらもフード付きのコートで顔を隠し、身長の高い片方は腰にバスターソードと呼ばれる剣を、身長の低い片方は手には金色に光る錫杖を手に持っている。

 二人は迫り来る〈デルドラ〉を視界に入れたまま、その場から動かず、確りと足で地を踏みながら、暴風に憚れぬ事なく立っていた。


「――アリティア」

「――はい、終わりました」


 静かで、落ち着いた声が、コートを着ている者から発せられ、それを錫杖を持つ人物が肯定する。

 そして錫杖を軽く持ち上げて。


「『守護聖域アルルカーヤ』」


 しゃらん、フードの下から漏れ出た透きとおるような清楚な響きと共に、錫杖の先端が石畳の道にこつんと触れた瞬間、錫杖に付けられた二つの鈴から音が鳴る。それと同時に、錫杖が接している場所から蒼色に輝く魔法陣が浮かび上がった。

 二重の円形枠で囲まれたそれは、中央に位置する場所には十字架の紋を、その外内にはどちらにも刻まれている文字のような印を円の中に描いている。数多もの円や文字が重なり合い、錫杖を中心に発生した陣は、水面に浮かんだ波紋の様に拡がって行く。そして魔法陣は十も満たない時間で、〈ゼノギラデル〉をその内に収める巨大なものとなる。

 〈ゼノギラデル〉をすっぽりと、自身の内側に入れた魔法陣は次の段階へ移行、『守護聖域アルルカーヤ』がその姿を展開させる。

 〈ゼノギラデル〉を覆い始めたものは、淡く、白の輝きを放ちながら魔法陣の縁から現出し、一秒数メートル単位で張られていく障壁だ。肌を殴る様な豪雨や吹き荒ぶ風等を防ぐ五メートル超という極厚な幅を持つ壁は、高く、高く、〈ゼノギラデル〉の中心の上空まで弧を描き、そうして出来上がったその防壁は半円球状、ドームの様な形状になっていた。



 ――〈デルドラ〉はモンスターの(タイプ)に分けるとすると、“意志魔力型”という項目に属するモンスターとして分類できる。

 “意志魔力型”モンスター。

 “意志魔力型”とは文字通り、意志を持った魔力の生物という意味であり、つまりは肉体を持たず、魔力のみで現実世界に存在しているモンスターのことである。

 “意志魔力型”に対し、〈風妖精(シルフ)〉や〈土妖精(ノーム)〉等のような“精霊型”や、〈妖岩・火(フィライア・エレメンタル)〉や〈妖岩・風(ウィッド・エレメンタル)〉等の“魔岩型”等のように、似たような(タイプ)は多々あるが、“意志魔力型”には他の(タイプ)に見られない、ある一つの特徴がある。


 それは意志を持った魔力が“それそのもの”ということである。

 例えば“精霊型”の〈風妖精(シルフ)〉。彼等は主に緑色、肌色の皮膚を持ち、背中には二対の薄い翅が浮いていて、全体的に緑の色を基調とした布で出来た様な服を着ていたり、見た目は人間の子供を一回り小さくしたような外見をしている生物である。

 彼等は人の形をとっており、つまりは意志がある魔力を人の形という“枠”に収めた、魔力生命体の一種だ。この意志がある魔力とは極めて漠然的なものであり、空気中にある気体を構成する一つのものとして構わない。“妖精型”は枠に意志魔力が満ちることにより産まれ、そして動き出す。そしてその際の魔力の微細な違いや“枠”の違いにより、その者その者の性格や性質、特性等が決定するのである。

 そしてこの“枠”というものが中々複雑なもので、その枠を壊されてしまうと意志を持った魔力が漏れだし、枠を直さなければそのまま“妖精型”を形作っていた魔力が無くなり、その命は消滅してしまうのだ。

 ――つまるところ“枠”とは人間でいう“骨格”やら“皮膚”やら”血管“であり、“意志魔力”とは“血液”だと思ってくれればいいだろう。

 人間は傷口から血を流しすぎれば死んでしまうし、妖精は傷口から意志魔力を流しすぎると消えてしまう――まあ、似たようなことである。

 そして枠にも直せる箇所と直せない箇所とがあり、直せない箇所は首より上の部分である。ただこれには人間と違う所が多少あり、心臓を穿たれても死にはしないし、四肢を絶たれても、直すのに時間がかかるだけという、やはり妖精と人とはどこか違うということを納得出来る特徴を持っている。


 そして〈妖岩・火(フィライア・エレメンタル)〉や〈妖岩・風(ウィッド・エレメンタル)〉等の“魔岩型”は、同じように特殊な石という“枠”に意志魔力が込められて動き出すという仕組みとなっている、という点では同じである。


 しかし“意志魔力型”とは“それそのもの”。つまり枠という枠がほとんどと言っていい程存在しないモンスターなのだ。

 “枠が無い”ということは、限りなく魔力を自身の内に取り込むことが可能であり、つまりは強大な力を持つことと同義である。

 ならば“意志魔力型”に属するモンスターが全て強いのかというとそういう訳でもなく、たまにふわふわと浮いている毛糸玉くらいの大きさの〈風塊デフィア〉というモンスターは、子供が冒険者や騎士ごっこをする際に棒で殴られて消えてしまう儚さを持つモンスターが“意志魔力型”モンスターの大半を占めている。

 その理由は“枠”が無いので逆に自我や意志を持てなかったり、魔力を取り込める範囲が極端に狭かったり、魔力を取り込んだそばから魔力が漏れ出している、というのが原因なのだが――――だが、しかし。

 逆に言えば、“意志魔力型”で、ちゃんとした自我が芽生えており、魔力を取り込める範囲が広く、取り込んだ魔力を内から外へと出さない意志がある場合、そのモンスターはどれ程強くなれるのか。その答えを体現しているのがこの『乱逆を司どる暴風』、〈デルドラ〉なのだ。



 ――遥か遠くに見えていても届いていた、暴風と豪雨という〈デルドラ〉の脅威が、たった今張られた防壁により無くなった。

 一瞬にして雨は止み、風は既に静まっている。


「――『光創造(フォトンクリエイト)天火輝く栄光剣ティリュティース』」


 たった今錫杖を鳴らした人物の隣、身長の高いその人物から、金剛石を打ち鳴らしたかの様な、美しく、綺麗な声が紡がれる。

 数多もの魔術師を圧倒的なまでに凌駕する魔力が声の持ち主の前方を中心に吹き荒れ、二人のローブをはためかせる。一秒後、白く、眩しい光が前方に集まり始め、そして一つの形へと変容する。


 それは輪郭を持った、光の剣。

 まるで巨人が扱うかのような――否、巨人ですら扱えない程巨大なそれは、白熱を纏い、太陽のように輝いている。内包する魔力でびりびりと周囲の大気を震わせている光剣は、神の武器の一つと言われたとしても納得できる程の聖の雰囲気を発していた。

 きらきらと光の欠片を溢しながら宙に浮かぶその大剣の切っ先は、ローブを羽織り彼等の前方、斜め上空を向いており、その一直線上、数キロ離れた所には、災厄〈デルドラ〉。吹き荒れる嵐の中心にある、風で出来た魔力の核が存在していた。


 “意志魔力型”を倒す方法は二つ。

 そのモンスターに取り込まれている魔力を全て吹き飛ばすか、モンスターのどこかにある“意志魔力型”の唯一である“枠”部分を破壊することである。

 前者は〈デルドラ〉のサイズ的にまず不可能、何せ大型台風級にまで発達しているのだ。その規模を満遍なく吹き飛ばすのは、“勇者”級でも流石に厳しい。

 後者の核の破壊の方法。“意志魔力型”の核は、内と外との境界が薄いが故に、脆く、崩れやすい。それはたとえ半径が優に数十キロは越える〈デルドラ〉でも変わりはない。

 となれば後者の方法しか残らないのだが、問題はどうやってその核にまで行き着くかであった。

 十キロを越える暴風の壁、それは余りにも分厚く、また余りにも遠い道。


 ――しかし、この世界はそれが、最上ではない。


「『光創造(フォトンクリエイト)天火輝く栄光剣ティリュティース』」


 現れたのは、二本目の光の剣。

 一本目の上へ水平に並ぶようにして出現したそれは、同じく同等の魔力が込められている。


「『光創造(フォトンクリエイト)天火輝く栄光剣ティリュティース』」


 三本目。

 同じく重なるように出現し、込められている魔力も変わっていない。


「『光創造(フォトンクリエイト)天火輝く栄光剣ティリュティース』」


 四本目。

 先の三本と変わらず水平に。魔力の量も減る事を知らず、三本と全く変わっていない。


「『光創造(フォトンクリエイト)天火輝く栄光剣ティリュティース』」


 五本目。

 光剣を中心に吹き荒れる魔力は、最早先程の暴風と変わらず、しかし力強く吹いている。

 もしも五本の剣が並んでいるこの光景を、一流の魔術師と自負している者が見てしまったら、恐らくは涙を流しながら教えを請い願うか、プライドを完膚無きまでに叩き壊されてしまうか、そのどちらかになりそうな程であった。

 何せ一本一本に込められている魔力は、尋常ではないのである。それを五本合わせた魔力の量は、魔術師の最高位とされる“賢者”ですらそれに及ばない者が出ると分かる程の量。


 それほどの事をしておきながら、ローブの下に冷や汗の一つも掻かず、優々と腰に下げていた両手剣を構えるその人物は、まるで朝の散歩に出掛けるような口調で、言う。


「――それじゃあ、行ってくる」

「お気をつけて」


 直後、〈ゼノギラデル〉の一角で爆発が起きたかのような衝撃が起こる。

 街道からは五本の閃光が重なり合い、一本の光の道が、迫り来る〈デルドラ〉に走る。

 そして――――。




「…………終わりました、か」


 数分も経たぬ内に、二人の片割れ、身長の低い方の人物が、上を見上げながら呟いた。

 もう一人の、頭一つ分背の高い方の人物はいなくなっており、街道にいるのは一人だけ。

 上に向いた視界に映る空には、先程までの灰色の曇天などではなく、雲一つ無い澄み渡った蒼い空。

 時たま台風(デルドラ)に巻き込まれて舞い上がっていた岩などの無機物や動植物等が落ちてくるが、そこは彼女が展開した『守護聖域アルルカーヤ』で防いでいおり、今は全く落ちてこない。

 〈デルドラ〉は無くなり、脅威は去った。

 ならば、ここで立ち止まっている理由もない。


「――さ、早いとこ家に帰りましょうか。あの人も倒した後、先に行っちゃってるだろうし」


 そう言い、彼女は歩き出す。

 しゃらん、と右手に持った錫杖が、雨も風も止んだ静かな空間に染み透るように、美しく響く。


 残されたものはいつもの日常と変わらない――――いつまでも変わらない、蒼穹の、空。





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