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蹂躙_01(急)

 [11:33:14]




 No,10208:〈向こう見ずな猪〉▲詳細

『消費P:[0p]

限界個体数:[1/1匹]

生息可能階層:第1、第2階層

出現条件△

[前提条件]

・“魔獣型”モンスターが生成可能。

[条件:1]

・1つの【パーティ】に決められた規定人数の上限を越える。

・1つの【パーティ】が魔獣型モンスターの中で、猪型モンスターを一定期間内に80匹以上倒す。

再出現必要時間(リポップタイム)

[168:00:00]

特徴△

・決められた条件を満たすことで発生するユニークモンスター。

・見た目は茶色の体毛を持つ猪だが、4メートル前後の体長と、一回転以上捻れて円を描く二本の牙が、他の猪型モンスターよりも異常だという事を物語る。

・表皮は何もしないでも硬いが、獲物を見つけた際に、無意識に行使し始める微弱の『身体強化』が合わさり、鉄の如き硬さを誇る。但し魔力保有量は然程ある訳でもないので、身体強化は長持ちはしない。頭蓋骨が異常に固い。

・条件を満たした状態で死ぬと、極稀の確率で転生する。』




「う、うわあああぁ!!」

「あぎッッ――――」

「逃げっ、逃げろぉおおお!!」

「――ブオオオオオオオオオオッッ!!!」


 迷宮第一階層、その通路の中で、リュシカ王国軍第二十二軍は、その数を半数にまで減らしていた。

 悲鳴をあげながら逃げ行く兵士の背中を追うのは、巨大な猪〈向こう見ずな猪〉。

 幾十人を吹き飛ばした顔面は多少の傷はあれど深いものはなく、初めは白く輝き、捻れて鋭利な牙は、兵士達を貫いた際に真っ赤に染まっていた。

 体には何本もの剣や斧等が刺さっているがどれも四肢の動きを重くするには至らない。

 猪突猛進、その文字がぴたりと当て嵌るモンスター、〈向こう見ずな猪〉は相対して二分弱、休む事なく走り続ける。


「――ブオオオオオオオオオオッッ!!」


 ずざざざざ、と土を巻き上げながら、〈向こう見ずな猪〉は急停止。ブルブルブル、と首を振り、突き刺さっていた兵士が宙を飛んで行く。

 〈向こう見ずな猪〉が止まった場所は、迷宮の通路の別れ道――十字路の中心だ。今突進してきた通路を除いた三本の道には、全て兵士達の姿が見える。

 ――さて、どれを追うか。

 〈向こう見ずな猪〉は一秒足らずで三本の道を照準し、そして体の向きを九十度左に曲げた。


 選んだ道は、左の道だ。


「――ブオオオオオオオオッッ!!」

「く、くそっ! こっちに来んじゃねぇ!!」

「はやっ……! そこッ……、どけッ……!!」

「魔術隊詠唱開始!! 奴の背中を狙えェ!!」

「突撃部隊準備は出来たな!! いくぞぉおおおお!!!」


 前方からは焦りと苛立ちと憎しみが混じった声が、後方からは気迫が込められた敵意の声が。

 迷宮のモンスターである〈向こう見ずな猪〉はそんな言葉に反応する筈もなく前方の獲物を排除するために、脚を動かすギアを上げた。



 リュシカ王国軍が、〈向こう見ずな猪〉に劣勢を強いられている原因は、ただ単なる強さの違いではなく、その地形等にある。


 まず一つ目は、対峙した場所が通路であった事である。

 〈向こう見ずな猪〉と通路の隙間は殆どなく、よくて大人一人分ぐらいしか入らない。

 薮の中に逃げると言う手もあるが、そもなので逃げられる時間がないし、常に右下から左上へ、左下から右上へと牙を――正確には頭全体を動かしているので、逃げ場が無いのだ。


 ズン、と地面が少し沈む程の力を込められ、〈向こう見ずな猪〉の巨体が更に加速する。

 逃げる兵士との距離は、近付いている。


 二つ目の原因は、彼等の誤算であった。


 〈向こう見ずな猪〉が自分達に突撃してくるという事を認めた時、彼等の対応は素早かった。

 最前列に、身を覆い隠せる程の大きさを持った巨大な盾――カイトシールドを装備した、重装歩兵を並ばして、〈向こう見ずな猪〉の衝突を押さえ付け、次に後列に構えた歩兵達の槍や、弓兵、魔術隊達の攻撃による反撃をする。という単純だが想定外の状況に対して作った、即興の策にすれば出来のいい方であった――――のだが、そこで、彼等の誤算があった。


 迫り来ると重装歩兵がぶつかる寸前、〈向こう見ずな猪〉は口から突き出た牙を使い、重装歩兵がいた地面ごと、迷宮の土を抉り取ったのだ。

 腰を落とし、重心を低く地面に預けていた重装歩兵の彼等はバランスを崩した状態で戦技――魔力を消費する技である――を使う暇さえ与えられずに衝突し、魔術隊達のいる後方まで吹き飛んだ。

 全身を鎧で包んだ彼等の体重は百キロを越えており、そんな塊が飛んで来ようものなら攻撃所ではなかったのは当然の事。しかしそれでも反撃にでた者はいたのだが、全てが〈向こう見ずな猪〉の一番丈夫な箇所である顔面にしか当たらずに、対したダメージを負わなかったのであった。

 そしてこの“ダメージを負わなかった”事こそが、リュシカ軍の誤算だったのだ。


 ズン、と地面が少し沈む程の力を込められ、〈向こう見ずな猪〉の巨体が更に、加速する。

 逃げる兵士との距離は、あと少し。


 リュシカ王国軍の攻撃は確かに余りダメージを与えられずに終わったが、しかしそれは顔面以外にぶつければ多少の傷を負わせる事が可能なレベルだったのだ。

 しかしリュシカ軍は〈向こう見ずな猪〉が顔面が特別丈夫だという事を知らなかった。

 それ故に、こう考えてしまう、


 ――このモンスターには、自分達の攻撃は聞かないのではないか。


 勿論、〈向こう見ずな猪〉に当たった魔術は、少々時間が足りずに下級に入る魔術しか唱えられなかったのが原因の一つであったが、そんな事は前衛を努めるに歩兵達にとって知らないものである。

 前衛がいなければ、後衛の魔術は唱えられず、出来ることは撤退のみ。

 これが二つ目の劣勢の原因だ。


 そして三つ目はコマンド【楽園の謳香】の効果の一つ、『死屍濁濁』の二次被害である。

 運良く吹き飛ばされただけの、負傷しただけで一命を取り留めている兵士達は死んでしまった仲間の〈ゾンビ〉や〈スケルトン〉に囲まれて――――。


《〈侵入者〉の“腐敗”が完了しました。〈侵入者〉は〈ゾンビ〉に新生します。消費コストは0です》


 ――――こうなる。


「ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」


 ズン、と地面が少し沈む程の力を込められ、〈向こう見ずな猪〉の巨体が更に、加速した。

 逃げる兵士との距離は、零。

 兵士の背中に、牙が届いた。


「ああああ゛あ゛あ゛あ゛――――!!」

「ごっ――」

「たすげでぇェ…………あガッッ」


 大の大人が、紙の様に吹き飛ばされ、宙を舞う。

 吹き飛ばされた者は木々に叩き付けられて気絶して、宙を舞った者は着地の際に首を折る。

 猪の足に巻き込まれた者は、その重さに潰され圧死する。


《『“人間”スコア:7039p』が加算されます》

《『“人間”スコア:4483p』が加算されます》


 加速する、加速する。

 〈向こう見ずな猪〉は、牙を掬い上げるように動かし、前を走る獲物を吹き飛ばす。


《『“人間”スコア:2239p』が加算されます《『“人間”スコア:3491p』が加算されます《『“人間”スコア:4227p』が加算されます《『“人間”スコア:3815p』が加算され《『“人間”スコア:6255p』が加算《『“人間”スコア:4211p』が《『“人間”スコア:7039p《『“人間”スコ《『“人間”《『“人間”《『“人間”《『“人間”――――《『“人間”スコア:5001p』が加算されます》


 ガツ、ゴッ、メギャ、ゴキ。

 鈍い音が迷宮の通路に響き渡る。

 悲鳴が上がるが、それでもモンスターは止まらない。

 それでもモンスターは、止まらない。




[11:34:48]




「――クソがあぁあッッ!!」


 リュシカ王国軍第十八、十九軍を合わせた六百二十八人は、一匹の蟲相手に圧倒的劣勢――ワンサイドゲームを繰り広げており、その人数を二百六十人にまで減らしていた。


 入口程の広さを持つ巨大な部屋の中で、彼等が相対しているのは一匹の蟲、甲虫。

 それはカブトムシとクワガタを足して二で割り、それを人型サイズの三倍程にまで巨大化させた様な外見を持つモンスターだ。

 兜虫に見られる、先端が左右二分された角状突起と、鍬形状になっている一対の顎を持ち、その黒褐色の甲殻は迷宮の光を反射し、輝いていた。


「さ、刺さらねェ!!」

「慌てるな!! 関節部を狙うんだ!!」

「おおおおお!!」

「ヤバイ! みんな避け――」


 モンスターを取り囲む様に陣を組み、剣や斧を振るっている兵士達。

 それをモンスターは煩わしそうに、六本ある足の内の二本を動かした。


 両断。


《『“人間”スコア:7018p』が加算されます》


「うああああ!!」

「なっ?! はや――」


 三分割。

 二等分。


《『“人間”スコア:8824p』が加算されます》

《『“人間”スコア:5041p』が加算されます》


 幾重もの鋸を組み合わせたかの様な歯状突起を脛節が、目にも止まらぬ速さで動き、周囲に肉薄していた兵士達を切り刻む。

 もって五合、剣や盾でその斬撃を防いだとしても、突き出た顎に挟まれて、上半身と下半身に両断される。そのモンスターのシンボルとも言える角状突起は、その先端を、兵士たちの血によって赤く染まっていた。


 No,10302:〈洸々兜蟲〉▲詳細

『特徴△

・決められた条件を満たすことで発生するユニークモンスター。

・全12種類(+1)の巨大甲虫型ユニークモンスターが1匹。

・特徴は兜虫の先端が左右2分された角状突起と、鍬形状になっている1対の顎。その黒褐色の甲殻はそこらの剣等簡単に弾くだろう。

・〈洸々兜蟲〉の驚異は、最も硬度が高い角や顎による攻撃ではなく、翅を閉まっている甲殻の下に隠されている器官から放たれる『洸線ヴェローマストレイ』。

・しかし、最も破壊力がある攻撃は、その角から発射される――――』


「――『太陽の槍ソル・ザ・ジャベリ』!!」

「――『爆炎華火グラス・ダリア』!!」


 魔術師達の攻撃。

 〈洸々兜蟲〉に、数十センチの炎の槍が突き刺さり、三つの火の華が、甲殻の上で爆発を咲かす。


「――放てェ!!」

「お、おおおおおおお!!」

「やああああああッッ!!!」


 その二つの魔術を先頭に、次々と〈洸々兜蟲〉へ様々な魔術が矛を向けた。

 それは圧縮された炎の弾丸。

 それは切味を持った鋭い風。

 それは斧の形を担った青い水。

 それは木々を絡み合わせた巨大な木槌。

 それは地面から突き出て来た土の槍。


 全てが〈洸々兜蟲〉に向かい、その全部がモンスターに当たるかと思われた瞬間。


 ――ギイィィィィイイイイ!!


 〈洸々兜蟲〉が、大きく鳴いた。

 ガバン、と〈洸々兜蟲〉の翅を隠していた甲殻が、大きく開く。

 乳白色に近い色を持った体には、直径十センチ程の無数の孔。それはまるで息をしているかの様に開閉し、脈動し、その一つ一つが光を内部に取り込んでいる。

 ガチガチ、ガチガチ、ギチギチギチ、〈洸々兜蟲〉が顎や歯を鳴らしながら体を揺らし、周囲の大気を震わせる。〈洸々兜蟲〉の孔の発する光が、より強く輝き始めた。


 ――あれは、まさか。


 二度目ともなる甲殻の下の出現に、部屋の内部にいる兵士の殆どが何が起こるかを察し、誰かが叫ぶ。


「“アレ”が来るぞぉおおおお!! 避けろォおおおおおッッ!!!」


 直後、〈洸々兜蟲〉の孔からそれは、放たれた。


 ――――『洸線ヴェローマストレイ』。


 光の針。

 孔の一つ一つから光の道とも言える光線が発射され、直線を描いて部屋の内部を突き進む。

 〈洸々兜蟲〉を中心にして、全包囲に発射された『洸線』は、何かに着弾しても止まらず、人の体を貫通していき、肉を焼く。

 『洸線ヴェローマストレイ』を放った後、光を溜め込んでいた孔は萎み、少しだけだが〈洸々兜蟲〉の体が縮む。

 数秒にも満たない内に放射は終わり、部屋には肉を焼いた、鉄を熱した、草木を燃やした焦臭い匂いが充満し、阿鼻叫喚の叫び声が舞い降りる。

 死臭漂い、呻き声。

 その中心に立つ〈洸々兜蟲〉は、倒れ伏す彼等に追撃をかける。


 ――ビイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ッッッ!!!!


 鳴き声、ではない。

 それは空気を圧迫させるような音に近く、〈洸々兜蟲〉の二又に分かれた角から発せられていた。


 十秒もしない内に、角は漆黒のそれから熱した鋼の様に赤く変色、周りを膜の様に覆い始めたものは、集中されて可視化される程のエネルギー。その威力を解き放つのを今か今かと待つ様に、膜の輪郭が時たま揺れる。


「な……なんだ、あれ……」

「だ、だれか、だれか防御を……!」


 そんな顕現された暴力を前にして、『洸線(ウ゛ェローマストレイ)』を辛うじて避けた者達も、膝が震えながら立ち尽くす。


 ――ィイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ッッ!!


 角から発生する音は更に強くなり、〈洸々兜蟲〉の近くにいた兵士達の肌をびりびりと震えさせる。

 だが、それが放たれる前に。


「ラァアアアアアアアアアアアアアア!!」


 顔を崩し、股間を濡らしている者すら出始めている中、一人の兵士が飛び出した。

 全身の所々が焼け焦げて、しかし腰にバスターソードを構えて突進する彼の左腕は、先程の『洸線ヴェローマストレイ』に被弾しており、二の腕から先が無くなっている。

 焼き千切れた腕の断面は、全てが焼き焦げ壊死しており、血が出る前に塞がっていはいるものの、脳に響く激痛に顔を青く染めていた。

 それでも彼は走る、雄叫びをあげて。


「――頑張れえっ!!」

「い、いっけえええええッッ!!」

「やっちまえぇぇ!!」


 後方からの声援を受けて、突撃する彼は唇の端をあげた。

 任せろ、と言うかの様に右腕を振り上げ、〈洸々兜蟲〉に向かって跳躍。

 果たして、彼は角を覆う光を発する膜へと突撃し、そして一瞬で消し炭と化す。


《『“戦士”スコア:325568p』が加算されます》


「………………え?」


 彼は死んだ。

 近付いただけで、触れただけで。

 炭となった体はボロボロに崩れ、宙に舞う。

 彼の武器は液状になり、地面に落ちる。


 声援の声は空白を産み、余りにも救い様の無い結末に、兵士達は呆然とするしかなかった。


「…………『守護防壁:壁結界』」


 誰かが、弱々しく魔術を唱えた。

 〈洸々兜蟲〉の前に、幅数メートルにも及ぶ壁が生え、その視界を塞ぐ。

 だがそんなものは、意味がない。


 ――ビイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛、ィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!


 音は擦りきれるように高く、高く。

 〈洸々兜蟲〉の六本足が地面に突き刺さり、体を固定する杭となる。

 角を地面と平行に、甲殻を開き、蟲は鳴いた。


 兵士達への絶望は、解き放たれる。


 ――『極・光線ゼロレイン』。


 それは、巨大なレーザーだ。

 〈洸々兜蟲〉の体格に劣らない大きさを誇る熱線が、迷宮の部屋を焼いて行く。

 目の前に存在していた『守護防壁:壁結界』は、『極・光線ゼロレイン』により紙の様に消し飛んで、その射線上に倒れていた兵士達も同様に炭になる。

 立ち尽くした兵士が、生きていたモンスターが、復活した死体達が、同様に、平等に、歯向かえる筈もなく消えて逝く。

 ――そして〈洸々兜蟲〉は地面と平行に、角を横へと動かした。

 『極・光線ゼロレイン』は『洸線ヴェローマストレイ』のようにすぐに止まず、光の暴力を吐き出している。

 つまり、レーザーは止まっていない。その状態で角を動かせば当然――――。


 ――――イイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィ……ィィ……ィ……ン……。


 きっかり五秒後、暴虐の光は止まる。

 『極・光線ゼロレイン』を射った角は、未だ赤く発熱しており、しゅうしゅうと白い煙を噴き出している。

 迷宮の地面は扇状に焼き付くされており、見える一面生きている者はおろか、草木一本残っていない。

 部屋を貫通して通路側にまで届いたのだろう、遠くで叫び声が上がっていた。

 ざすんざすんと『極・光線ゼロレイン』の反動で、地面に埋まった足を持ち上げる。

 そして、百八十度向きを変え。


 ――ヒィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ッッ!!!!


 再び足を、地に埋めた。




[11:33:25]




 ――こっちだよ、こっち!

 脳内に直接響く、不思議な声。

 男のような、女のような。

 少々高いトーンのそれは、老人のようにも聞こえるし、子供の無邪気な声にも聞こえる。

 老若男女で判別不可能、その声が、囁く。


 ――ほぉら何やってんのさ! そこにいたら危ないよ! 右にずれて、そう右に!!


 注意を受ける。

 彼は言われた通りに行動し、足を動かし、右にずれた。瞬間、たった今まで自分がいた場所に矢が通過する。

 ――ああ、そういえば探索中だっけ。

 そう思いながらも、しかし意識は上の空。

 間一髪で避けれた弓矢の鏃の先は、地面に刺さり、その威力を物語っているのに、彼の意識は頭に響くその声に向いている。


 ――エヘヘヘヘ! ほぉら言った通りっしょ!! だからこっちだよ、こっち!!


 自慢気な声。

 彼はふらり、と感覚的に捕えて、音が聞こえてきた方に近付けば見えたのは仄かに灯りを照らす小さな街灯が目に入る。黒く塗り潰されたそれは、まるで杖の様に小さくて、先端に付いている硝子のケースの中で映る焔は幻想的で、蟲惑的な光を放つ。

 ――もっと、あの光を見てみたい。

 だから彼はふらりと歩き、足を光の方へと向けた。

 周りの者達も、皆同じ様になっているのに気付かずに。

 彼等は宛ら、光に群れる蛾の様に。


「…………おい、どうした」


 彼等の異常に気が付いたのは、とある兵士の一人だった。


「――おいっ! みんなどこに行くんだよ!!」


 彼は叫ぶ。彼の周囲――否、彼の部隊は隊列を崩し、ふらふらと何かにつられるように歩いている。

 彼は隣を横切った兵士の肩を掴み、ぐいとこちらに引っ張った。ぐるり、と然したる抵抗なくその兵士は彼の方を向き、足をもたつかせて体制を崩す。こちらを向いた兵士の顔を見れば、視線は宙をさ迷っており、半開きの口からは涎が垂れている。


 ――一体、何が。


 彼は沸き出る不安に圧され、ガクガクと肩を掴んで振った。


「おいッッ! しっかりしろ!!」

「………っ……ァ、……あ?」


 ――気が付いた!

 今すぐ大声を出して問い質したい感情に駈られるが、しかしそれを行動に移す前に、意識を覚醒された兵士は額を抑え、次いで何かに気付いて顔を起こす。

 右へ、左へ。顔を振りながら、彼は何かを探し求める


「ど、どうしたんだ?」

「……ひかり、光は…………?」


 恐る恐ると口を挟むが返事は返事とならず、ただぶつぶつと呟いているだけ。

 ――まるで幻覚を見ていたようだ。

 そう彼は思い、そして答えに辿り着く。

 幻覚、そう幻覚だ。

 つまり、彼等は幻覚を見ているのだ。

 効果は薄いが、それもかなり広範囲の。

 周囲で唯一幻覚に掛らなかった彼は、リュシカ王国軍迷宮探索隊第十五軍の魔術隊に属する彼は、『守護の防膜』という称号を持っていたからであった。


 『称号』というものは多かれ少なかれ、その名に関する特殊能力を保有している。

 それは例えば、己の得意な魔術の強化であり、それは例えば、身体能力の急上昇でもある。

 それは当然、自身の『分類カテゴリ』の名前が入っていれば効果は倍増し、『神』等を冠する称号ともなれば乗増になる。


 『守護の防膜』、その効果は常にその持ち主の周りに展開される、防御の膜だ。

 微弱ながらもその膜は、幻術等から防いでくれるといったもの、故に彼は幻術をくらわずに、一人正気でいられたのだ。


 で、あるならば、だ。

 今この状況を打破するためには、彼がその原因を絶てばいい話であり、ならば彼は幻術を放っている大元を探す事から始めなければならない訳であるのだが。


「…………あったぁ……光だぁ」


 ――それはすぐに明らかになる。

 恍惚とした声を出したのは、彼が先程目を醒まさした兵士であった。

 その兵士は通路の奥を見つめており、その方向に向かって歩き始める。

 彼もそれに倣って視線をやると、成程確かに光が見える。

 それは漆黒に光る真っ直ぐな棒の先端に、六角柱の水晶の形をとった、硝子ケースが付いている。その中でぼんやりと光っている淡い火が、幻覚を見ている仲間達が言うものなのだろう。

 そのランプが付いている棒は、迷宮の曲がり角から地面に平行になるように姿を覗かせており、誰かに操られてゆらゆらと揺れている。それに合わせて周囲の兵士が動くのを確認し、推測は確信に変わる。


 だが、彼はそのランプに攻撃を仕掛けない。

 即座に攻撃を試みたい気持ちはあるが、しかしすぐには叩けない理由があるからだ。

 己の杖を抱くように握り締める彼は、主に防御の魔術に秀でており、攻撃魔術は然程威力が少ない。もしここであのランプの持ち主を倒さなければ、逃げられてしまい、今度は別の場所で違う部隊に牙を向くかもしれない。その時、自分みたいな人物がいなかったら、どうなってしまうのか。

 そういった危険性を無くす為に、彼は機会を待つ事に決めた。

 操られている周囲に溶け込みながら、彼は仲間達と一緒になって、ランプについていく。

 ――その心の奥底に、自分は特別だという考えを持ちながら。


 すぐに移動は終りを告げて、幻術により意識を半ば無くしている兵士達が着いた先は、巨大な部屋だ。

 入口の部屋の半分程の広さを持ったその場所で、彼等はぼんやり立っていた。

 正気を保っている彼は、その部屋の中を見回し、ランプの持ち主を目で探す。

 部屋に入る寸前の曲がり角で見失い、しかし幻術を掛けられている兵士達は、この部屋の中心で集まっていた。


 ――どこにいる。


 ここで仲間が止まったのだから、何かを仕掛けてくる筈。弓や魔術ならば防ぎきれるし、準備は万端。もう一度杖を握り絞める。


 来るなら、来い。

 そう意気込んでいた彼の自信は、しかし次の瞬間、呆気なく霧散する。

 何故なら、それは。


「…………あ、あれ? 俺、なんでこんなとこにいんの?」

「――っは! あの光は? 光はどこだ?!」

「う……ん……。あー、頭がくらくらする」

「…………い、一体なにが……?」


 仲間達が、目を冷まし始めたからだ。


「………………あ?」


 意味が、分からない。

 そんな感情が込められた彼の呟きは、周りに雑音に紛れ、掻き消えた。

 意味が、分からない。

 彼は心の中で呟いた。

 なぜこんな所で幻術を解いた?

 攻撃準備に取り掛かった為に?

 彼は慌てて周りを見る。しかし、何も仕掛けてくる気配はない。

 目標を次の得物に変えたため?

 分からない。しかしここにも隊長格は混じっているのに。

 分からない。

 分からない。

 分からない。

 何故、何故、何故。

 混乱が脳内を犯す、考えがまとまらない。

 皆目見当が付かない答え、それを導き出す為に、彼は頭を掻き毟る。


「――ヘヘヘ」


 しかし、その答えが出る前に、部屋の隅に生えた木から、笑い声。

 枝に座り、足をばたつかせながら腹を抱えて哂うベストを纏った兎が一匹。腹は白く、他はベージュの毛波に覆われて、長い耳にはリング状のピアスが右に二つと左に一つ。足には巨大なサイズのブーツを履いて、腹を抱える腕の間に、先程まで見た小さな外灯。

 白い歯を剥き出しに、ユニークモンスター〈気狂い狡兎バニー・バニー・バニー〉は嘲り笑う。


「――ヘヘ、エヘヘ、エヘヘヘヘヘ!! バッカじゃないの? バァカじゃないの!? 自分で隊列組んで、欠伸して! 幻術くらう状態になりやすくなるとかバカすぎるでしょっ!! エヘヘヘヘッ!!」


 笑う、笑う。

 愉快そうに、狂ったように。

 これからの末路を、見ているように。


「エヘヘヘヘエヘヘ、エヘエヘエヘヘッッ!! 今日っ、この日っ、この場所で! テメェらみ~んな――」


 幻覚を見ていた兵士達には、聞き覚えがありすぎるその声は、呆然とする彼等に向かい、楽しそうに宣言した。


「――死にましたっ!」


 足下から、答えは来る。


《オンリートラップ〈奈落箱アルフォビヌ〉が発動します》


 ひゅうん、と聞こえたのは一瞬。

 彼等の足場は、無くなった。


「え」


 オンリートラップ〈奈落箱アルフォビヌ〉。

 本来ならば下の階層に繋がる穴は、何故か底が見えない程の深さを持って。部屋の四隅以外をほぼ無くす程の巨大な穴は、この場にいたリュシカ王国軍――全二百八名を一人残らず呑み込んだ。

 落とされた彼等の思考は、気付いたら別の部屋にいて、いつの間にか奈落の穴に落とされて――当然思考は付いては行けず、叫び声は上がらない。


 だから、そのまま落ちて死ねれば、どれ程幸せだっただろうか。

 幻覚を見たまま死ねれば、どれ程楽だっただろうか。

 彼等が起こした災害は、落とされてから牙を剥く。


《〈奈落箱アルフォビヌ〉が作動しました。特定条件を満たしたことにより〈箱の中に住む者ロゥパ・ドゥードルバァグ〉が寄生します》



「ぁぁあああああああ――――!!」


 状況を把握した兵士達がした行動は、死にたくないという願いではなく、神に対する祈りでもなく、本能からの絶叫だった。

 落下していく風圧で顔を歪ませて、兵士は絶叫しながら落ちて行く。


「――――ああああああ、ああ!!?」


 しゅるり、と落ちて行く兵士の一人の腹に、蠢く何かが回される。その外側には粘り気のある粘膜を分泌しており、内側には吸い付いたら離れないと確信できる大小様々な吸盤が。

 それは触手の様なもの。

 それが兵士の腹を抱えて、落下を止めた。

 但し、受け止めるようなものではなくて、無理矢理落下を止めるやり方で。


「――――オッボェッッ!!」


 急停止した反動で、兵士の体はくの字に曲がり、胃の内容物をぶちまけた。

 ボキポキボキィ、と背骨が砕け、今度は激痛に顔を歪ませる。


 ――しかし、それも束の間。


「――あっ……がッ……! あ、ああ、うああああああ――――!!!」


 腹に巻かれた触手により、彼は空を飛んで行く。

 右へ、左へ、上へ、下へ。

 子供が玩具で遊ぶ様に、急上昇、急降下、急停止、急発進を繰り返し。触手を紐の代わりに使い、円を画いて旋回させて。独楽を回す様に触手を使い、回転する兵士を空中で掴む。

 疾うにその兵士の命は潰え、遠心力により触手に弄ばれた兵士の体は、背中と膝裏が密着していた。


 No,10422:〈箱の中にいる者ロゥパ・ドゥードルバァグ〉▲詳細

『消費P:[0p]

限界個体数:[1/1匹]

生息可能階層:なし。(〈奈落箱アルフォビヌ〉内のみ)

出現条件△

[前提条件]

・オンリートラップ〈奈落箱アルフォビヌ〉が発生している。

[条件:1]

・1つの【パーティ】に決められた規定人数の上限を越える。

・1つの【パーティ】に――

~中略~

特徴△

・決められた条件を満たすことで発生するユニークモンスター。

・全高10メートル、幅8メートル。見た目は磯巾着の中心に、幾百と枝分かれした珊瑚を生やしている様な形状。珊瑚の表面には咀嚼器官が何百とついており、磯巾着状の部分に生えた触手を使い、侵入者を喰らう。

・熱に弱く、弱点部位は珊瑚の形状をしている部分なのだが、その前に強靭な筋肉を有する1000以上の触手に阻まれてしまうだろう。

・〈箱の中にいる者ロゥパ・ドゥードルバァグ〉は〈奈落箱アルフォビヌ〉内に寄生し、そこを住処にするので、〈奈落箱アルフォビヌ〉内から動く事はない。

・しかし触手は〈奈落箱アルフォビヌ〉内から外に出れるので、迂濶に近付かない方が賢明だ。

・転生不可』


《『“人間”スコア:3744p』が加算されます》


 そして触手は、彼を掴んでいた一本だけでは、当然、ない。

 〈奈落箱アルフォビヌ〉に落ちたリュシカ王国兵士――二百八、一人減った二百七名全員は、既に優に千を越える触手に捕まっていた。


「アガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」

「だずげッッ!! だずげでぇ゛え゛え゛―――――」

「やめっ、やめ――ああああああああああああッッ!!」


 兵士達の絶叫。文字の通りに血の雨が降り、その地獄は終わらない。


《『“人間”スコア:89924p』が加算されます》

《『“人間”スコア:6154p』が加算されます》

《『“人間”スコア:6263p』が加算されます》

《『“人間”スコア:2071p』が加算されます》

《『“人間”スコア:4829p』が加算されます》


 部屋に空いた穴、そこから叫ぶ兵士達。

 それを肴に、狡兎は笑う。


「エヘエヘエヘヘッッ! 紅茶で乾杯、れっつぱーてぃってかっ!? エヘヘヘヘ、エヘヘヘヘヘ、かんぱーいっ! エヘヘヘヘヘヘッ! おっもしれー!! 人を騙すの超っっっっっオモシロッッ!! エヘヘヘヘヘ!!」


 No,10502:〈気狂い狡兎バニー・バニー・バニー〉 ▲詳細

『特徴△

・決められた条件を満たすことで発生するユニークモンスター。

・全高86センチ、体重27キログラム。腹(白)以外の部分はベージュ色の毛波を持った“獣人型”モンスター。皮のベストを着込み、足には不釣り合いなブーツを掃いている。

・笑い方は「エヘヘヘヘ」しばらく聞いてると何故か腹が立つ。

・基本的に戦闘はしない。が、逃げ足は恐ろしく速い。たまに反転し、その脚力をラビットキックで反撃にでるので注意が必要。

・人語、獣語、亜人語、の中でも様々な言語を介し、様々な生物を騙す。〈気狂い狡兎バニー・バニー・バニー〉の魔道は【変幻魔道】。また、“幻術”系統のアイテムを持つと、相互に+補正がかかる。

・とにかく騙す事を主流にはしているが、【迷宮】に不利になる事はしない。他のユニークモンスターとも会話することがあり、その際は交渉やら作戦についての事が大半である。

・狂ってる割には比較的冷静であり、命の危機と察したら即逃げる。』


 No,105428:〈寂しがりやの誘蛾灯〉詳細▲

『消費P:[0p]

限界出現数:[2/8個]

出現条件△

[固定条件:1]

・[72:00:00]内に【迷宮層】に侵入者が1人も来ない。

・[144:00:00]内に【迷宮層】に侵入者が1人も来ない。

・【ソロ】の【パーティ】が累計100以上になる。

・【ソロ】の【パーティ】のどれか1つが、1回の探索でモンスターを100以上撃破する。

・【ソロ】の【パーティ】のどれか1つが、1回の探索でモンスターを200以上撃破する。

・【ソロ】の【パーティ】のどれか1つが、1回の探索でモンスターを300以上撃破する。

・【ソロ】の【パーティ】のどれか1つが、迷宮内を累計50km以上歩く。

・【ソロ】の【パーティ】のどれか1つが、迷宮内を累計100km以上歩く。

効果△

・火を灯せば、光につられて周囲から敵が集まってくる。

・対象に対して“幻術”の効果を持っているが、所有者が対象に殺意を見せるとすぐに効果を失う。

・所有者に“幻術”に関するものに+補正を与える。

特徴△

・条件を満たすと迷宮内に出現するユニークアイテム。

・外国(欧州風のデザイン)の街灯を1/3サイズにした様な形状をしている。カラーは黒、青、濃青、紺、濃紺、青紫、淡黒、濃黒、の8色。どれも暗い色をしている。効果は変わらない。

・燃料は持ち主の魔力。満タンにすれば30分間は魔力を補給しないで済む。ちなみに、一般人の持つ魔力でも二十分程はもつ。(魔術師の平均で考えるならば25~30時間)

・灯りは持ち主の意思により点火、消火が可能。この時〈寂しがりやの誘蛾灯〉に掛っていた者への効果はリセットされる。』



「はーあ、笑った笑った。さてさてさてさて、行きますか――っと」


 迷宮内部に落ちていた、ユニークアイテム〈寂しがりやの誘蛾灯〉を持ちながら、〈気狂い狡兎バニー・バニー・バニー〉は枝から降りて歩き出す。


 そして歩いている途中、狡兎はベストにくくって取り付けた、ジャラジャラと鳴る布袋に腕を突っ込み、中身を一掴み程取り出した。

 手に掴まれているのは、瑠璃色に輝く綺麗な小石。尖った先で突けば、皮膚を貫けるであろうそれを。


「――いっただっきまーす」


 まとめて口に放り込む。

 口に入れた物は、兵士から盗んだ小さな『原石』。

 ガリ、ゴリ、ガリ、と噛み砕き、喉を鳴らして嚥下して、ふぅ、と息を吐いて、口を拭う。

 背後にある、阿鼻叫喚の地獄を無視し〈気狂い狡兎バニー・バニー・バニー〉は歩き出す。


「――ランクアップまであと三百二十と五千といくつ、今の内に稼がせて貰いますかねっ」


 エヘヘヘヘ、エヘヘ、エヘエヘエヘ。

 狡兎は笑う。

 笑う。

 笑う。




[11:40:21]




 場所は変わって【迷宮第一階層】――入口付近。

 そこにはリュシカ王国軍の地上と迷宮の中間地点の役割を担う筈の天幕が張られている途中である。

 現在この中にはリュシカ王国軍の総指揮官である男を中心にして、近衛師団を除いて、王領軍に支援してきた者を含めた参謀達が集まっていた。


 何故、近衛師団を抜いているのか。

 それは端的に言えば、ただの嫉妬に近い感情により生まれてしまった区別意識が原因だ。

 近衛師団は近衛師団、王国軍は王国軍。

 同じ国に属してはいるが、最早別々の組織と言っても過言ではない。

 王国軍にとっては都合のいいことに、近衛師団は第一王子に付き添い、護衛役をかっている。なので現段階での【迷宮】探索の最高指令官は形式上近衛師団隊長に任命された王国軍にあるのだが――。


「――何が起こっている!!」


 天幕の中で、一人の男が怒声をあげた。

 ダァン、と設置された卓を叩かれ、その威力によりぐらぐらと机上の物が揺れた。

 立派な口髭を生やしたその男は、顔に皺を寄せながら、たった今報告しにきた兵士を睨みつけている。


 怒声をあげた男の正面に立つその兵士は、肩を震わせながらも、もう一度同じ答えを報告する。


「――だ、第一、第二、第六、第八、第十、第十二、第十五、第十八、第十九、第二十一、第二十三軍が各々数十人から半数に及び死傷者が出ており、特に第六、二十一軍が半数以上が死亡が報告されています」そして兵士は一度下を向き、躊躇いがちに口を開く。「…………中でも、第二、十八、十九軍は――全滅だと言われています」

「馬鹿な!!」


 もう一度同じ言葉を耳にして、意味を反芻し終えたのか、今度は別の者が怒声をあげた。

 彼は十八軍に自身の部隊を属させていた者である。

 彼はたった今報告された言葉を信じられず、意味はないというのに、その兵士に向かって反論した。


「我がイリーズ家の騎士団達はこんな辺境な場所にいるモンスター風情に負ける程弱くは無いッ!!」

「然り! 我等も同じ意見であるッ!! その報告は我がダウ゛ァラス家達を貶めんとする誤報に違いない!!」

「そうだッ! 私の騎士団とて敗けは――」


 それに伴い、次々と。

 というよりも、論点はそこなのか。

 その言葉を聞いても何とも言えない兵士は、弱々しく彼等の中へと割って入る。


「……いえ、でも報告には」

「黙れ! この平民風情が!! たかが平民の癖にこの私、ゲッヒ・シュナ――――」

「そ、そうだ! 貴様は駄目だ!! 違うやつを持ってこい!!」


 事が出来る筈もなく、怒鳴られるだけに終わる。というよりもこの兵士じゃなくとも、報告内容は変わらないのだが、貴族達は気付いているのだろうか。


「だいたいさっきから何だと言うのだ!兵士達がゾンビになって動き出す?一瞬で肉体が腐敗するとでも言うのか?馬鹿を言うのも大概にしろ!!」

「いえ! それは事実で――」

「全くです。――それでもそうだと言うのなら、なんなら貴様が今此処で死んで、証拠を見せて欲しいですねえ」

「そ、それは」


 何、を言っているんだ。

 兵士はそう叫ぶのを寸前で堪え、次にどう返すかを考える。

 なにせ返答を誤えば、そのまま首をはねられるかもしれないからだ。

 返答を考えながら、頭の片隅で彼は思う。


 ――まさか、ここまで軍が、腐っているとは、と。


 そして、そんな取り付く島もない状況に、喝が飛ぶ。


「静まれ貴様らァッッッ!!!!!」


 発した人物は、リュシカ王国王領軍最高指令官リベルド・バス・ゲードルウィッシュ。

 年齢は四十代ぐらいだろうか。白髪混じりの髪、髭、少し丸みを帯たその体には、他の者にはない威圧感を放っていた。


「――確認だ。第二軍と十八、九が壊滅だと?」


 静寂が天幕の内部を包む中、最高指令官である彼――リベルドの低い声が空間に響く。


「あ、は、はい、そう報告を受けました」

「――どんなやつだ」

「は?」

「壊滅させたのは、どんなやつだと聞いている」

「は、はい……! えっと……」兵士は手にもった紙を見て、気まずそうに口を開いた。「角があり、体表が黒い大型の蟲……としか」


 静寂が再び天幕の中を包み込む。


「――半壊した部隊があるといったな、それは?」

「は! 現在伝わっているのは軍隊らしき行動をとる〈小鬼〉、巨大なガルボアと思わしきモンスターと二匹の怪鳥に、〈オーガ〉の亜種だと推測されています」

「…………ふぅむ、それらは恐らく、この森から出ているのだろう」そして息を吸い込み、リベルドは言った。「一度撤退する。兵を引け」


 三度、静寂が訪れた。

 リベルドは、にやりと口角をつり上げる。


「――モンスター達は森から出ているならば、その住処を消してしまえばいいだけの話だ。元から我々が住んでない場所だ、開墾地にするにしても良いだろう」

「で、ですが地上に出てくるのでは……?」

「なに、その時は」


 リベルドは言う。


「その時は近衛師団に精を出して貰おうじゃないか」


 数分後、天幕から王領軍最高指令官、リベルド・バス・ゲードルウィッシュから指令が下る。

 彼等はまだ知らない。

 その時既に、リュシカ王国軍に属する約三千五百名が屍を晒し、元同僚達へと牙を剥いている事を、彼等はまだ知らない。


《『条件:迷宮内部の森を規定時間内に一定数以上故意に燃やす』を満たしました》

《『特定条件:森の怒り』をの1つを満たした事により、ユニークモンスター〈燐爛蝶蝶アービルラリィ〉、〈獅子炎炎フェライガベル〉、〈爆薬火葬グラス・マンドゥラグラ〉が発生します。消費コストは0です》


 彼等はまだ知らない。

 迷宮に対する常識を、彼等はまだ知らない。






◇■◇■◇――――――――――――――◇■◇■◇




[11:42:03]




 リュシカ王国の都市の一つ、タロッソル。

 リュシカ王国の北側に接している帝国、その境界線の役割を果たすモルル山脈の近くに存在している其処は、リュシカ王国の市民達が比較的穏やかな日々を過ごし、暮らしている。


 そしてそのタロッソルを西から東へ、上下に分断するように伸びているのは、俗に表通りと呼ばれる道だ。

 タロッソルの表通り、そこは裏通りとは百八十度違い、人々の活気に満ち溢れている。

 平均サイズの馬車が二台分の幅を持っている中央の道は、馬車が絶えず走っており、脇には様々な露店が立ち並ぶ。武器家や防具屋、魔術商店等は看板を掲げ、客を呼ぶ声が、表通りには絶えず聞こえてくる。

 十にも満たない少年が、その親であるだろうという女性と手を繋いで歩き、もう片手に露店で買った果物を食べながら笑っている。

 腹が出ているが、健康そうな表情をしている女性が、売られている肉の値段の交渉をして、店員と競うように己の提示価格をあげている。

 冒険者だと思われる男性は、表に出された剣の値札を片手に、財布の中身と向き合っている。

 活気満ちた大通り、その一角で。


「はあっ、はあっ―――ふぅぅ……。だ、大丈夫?」

「は、はい。平気、です。だから、あの、降ろしてもらっても……」

「あ、うん、ちょっと待ってな」


 【灼熱の息吹】リーダー、ラック・スミルソウは、己の故郷である此処タロッソルにて、一つの厄介事に巻き込まれていた。


「――にしてもあいつら、しつけぇなあ……」


 そんな喧騒溢れる人混みの中、ラックはため息をついて呟いた。

 その言葉が耳に入ったのか、たった今ラックが降ろした金髪の女性が頭を下げる。


「ご、ごめんなさい。わたしのせいで……」

「ん、ああ。別に気にする事は無いよ、俺が勝手に首を突っ込んだだけだから」


 ラックは少々慌てながら、目の前の少女の言葉を否定する。

 ラックの目の前にいる一人の少女。彼女はラックが裏通りを歩いていた時に聞こえてきた、助けを求める声を発した張本人である。


 結論から言えば、ラックはこの少女を助けたがために、厄介事に巻き込まれているのであった。


『――――は、放してくださいっ』


 この声が耳に届いた時、ラックは少しの間助けに行くか行かないかで逡巡したが、このまま放っておけば寝覚めが悪いと結論を出して、裏通りの路地で悪漢に捕まっていた彼女と出会う。

 ラックが路地に突入した時、少女を襲っていた悪漢は二人いたのだが、そこはラックの腕前で何とか出来た。しかし予想外だったのは、彼等に対する増援が大量に来た事だ。十人以上の男達を相手取り、少女を守りきれる自信がなかったラックがとった行動は、逃げの一手。

 そうしてラックは少女の背中と膝裏に腕をやって持ち上げながら、走って表通りまで来たのであったのだ。

 ――しかし、ラックには既に、先程の仲間と思しき者がちらほらと目についている。


 ラックが助けた少女の髪は金色で、胸まで届いたセミロング。身なりはただの一市民と大差なく、冒険者等から懸け離れている。顔の作りは整っており、弱気そうな――小動物の雰囲気が見受けられる。十四、五歳、といった所であろう少女の体は胸、腰、尻、と出るとこは出で、引っ込むところは引っ込んでいるという、一言で言えば魅力的なラインを画いていた。

 そんな美少女の部類に入る彼女は、首から掛けた紐に取り付けられた菱形の水晶を握りしめながら、申し訳無さそうにラックを見上げる。


「…………でも、貴方に迷惑ですし」

「なんだ、そんなことか」

「え?」


 あっさりとしすぎた答えを聞いて、ぽかんとする少女の肩に片手を置きながら、ラックはからからと笑う。


「いーからいーから。それともミルティちゃん、だっけ、俺がいなくてもキミ一人で何とか出来たの?」


 少女はあう、と呟いて、頭を垂らす。

 そして両手の指を使ってもじもじしながら、小さな声で返事を返した。


「で、できません…………です」

「うん、なら俺が助けてやるから」

「あ、あうう」

「それとも迷惑かな?」

「い、いや、迷惑じゃ、ない、です」

「なら手伝ってもいいよな。というか多分俺もマークされてると思うし」


 何せ少なくとも四、五人程は殴打等して気絶させたのだから、恨まれてない方がおかしいだろう。

 あと骨も折っちゃったしなー、とそんな事をつらつらと考えていると、少女は自分の心に踏ん切りがついたのか、ラックにぺこりと頭を下げた。


「…………よ、よろしくお願いします」

「ん、よろしく」


 そしてラックは自分の腰に手をやり、一息ついた。


「さて、まずは仲間達と合流するけど、いい」

「は、はい」


 とりあえず仲間に会って、彼女のことを話さなければ。

 ラック達が今いる場所はタロッソルの西の方、エルナやデリテュードはここから真逆の位置にあるので、少々時間は掛るが合流する事は可能だろう。


 ――まったく、とんだ誕生日だな。

 ぺこぺこと繰り返し礼をしている少女を見ながら、そうラックは思う。今日は彼が十八に成る日、この少女との出会いは運命なのだろうか、そんな益体の無い考えが頭をよぎる。

 思わず、空を見上げる。

 そこには白い雲が流れる、蒼い空。

 何一つ変わらない白と蒼、その視界には、遠くに黒い雲を捕えていた。

 ――――黒い雲?

 ラックが疑問に思った瞬間、それは鳴った。


 ―――ゴォォォォオオオオオオオオオオォォォ………ン…………!


 それは突然だった。

 遠くから、大きな鐘の音が鳴る。


「―――っ!!」

「きゃぁ!? か、かねの音?」


 ラックの目が見開き、表情が驚愕のそれに変わる。

 少女は肩を震わせて吃驚し、突然の鐘に反応して周囲を見る。


 ――――ゴ、ォォォォオオオオオオオオオオォォォ………ン…………!


 鐘の音が、もう一度。

 その音は都市中に響き渡り、一瞬にして表通りの喧騒が静まりかえる。


「………………まさか」


 ラックは思わず呟いた。

 この鐘の音は、聞いたことが、ある。

 己の記憶が間違っていなければ。

 その意味がここ数年で変わってないとするならば。

 タロッソル中に響く鐘、その意味は。


「――――モンスターの、襲来か」


 誰かが、言う。

 そう、この鐘の音は、モンスターの襲来の合図。

 都市タロッソルは、帝国イグナードとは地図上では接しているものの、厳密に言えばそうではない。というのも、リュシカ王国とイグナード帝国の境界線を担っているモルル山脈と呼ばれる場所が在ることが原因だ。

 モルル山脈は、リュシカ王国の領土でもなく、イグナード帝国の領土でもなく、モンスターのものと定義されている。

 これはモルル山脈内に住む〈ワイバーン〉や〈岩石巨人ロックタイラント〉等のモンスターや、山脈の麓に広がる森を住処にしている〈ゴブリン〉や〈オーガ〉、〈オーク〉等のモンスター達が、種族ごとに分かれて大量に住み着いているからだ。

 今現在の学者達によれば、このモンスターの大群は、千にも万にも達していると言われており、駆除するにも時間と労力が掛り過ぎる事と、とある一つの事情があり、どちらも昔に開拓して作り出した王国と帝国を繋ぐ通路以外は、手を出してはいないのが現状である。


 で、そのモルル山脈に一番近いこの都市タロッソルでは、生存競争が激しいモルル山脈から溢れたモンスターが、都市に向かってやって来るのがよくあるのである。

 そういうモンスターは都市内に入る前に、タロッソルを囲む壁の前に阻まれ、常に警戒している兵士達に駆除されるのだが、時たまそういう溢れたモンスターが、部族単位で攻めてくる事があるのである。


 それを知らせるのがたった今鳴った、鐘の音だ。

 これは住民に避難を呼び掛け、兵士達に対して迎撃準備の指示を出すものであるのだが、住民達は余り避難をしようとしない。

 これは長年の間モンスターが侵入された歴史が無いからであり、皮肉な事に兵士達の実績を証明する一つである。


 そして今日も、皆は同じく避難の行動を取らなかった。

 ――――但し、取らなかった理由は、それではない。


「………………なあ、あれ、なんだ?」

「え? どれ」


 恐らく彼等は、本能で感じたのだろう。

 いつもと違うと、何かが違うと。


 ―――ゴォォォォオオオオオオオオオオォォォ………ン…………!


 三度目の、鐘が鳴る。

 誰かがごくり、と唾を飲んだ。


「……あれ、あの黒い雲みたいなやつ」

「あ、あれ……雲? くも、なの、か?」

「おい、あれ見ろよ……!」

「あ、あ、あ…………うそだろ……?!」


 ―――ゴォォォォオオオオオオオオオオォォォ………ン…………!


 四度目の、鐘が鳴る。 


 何処か切迫した空気を肌で感じられる。

 殆どの住民が、異変に気付く。


 キョロキョロと周りを見渡していた少女の肩に、ぽん、と震えた手が置かれる。


「ひゃ! …………ら、ラックさん?」


 置かれた手の持ち主は、彼女を助けた冒険者、ラック・スマイソウ。

 彼はある一点を捕えて放さず、小さな声で、彼女に言った。


「――――逃げるぞ、逃げないと。でも、いや、そんな、嘘だろあれは」

「へ? え? あの――」


 しかさ少女の口が最後まで言葉を紡ぐ前に、彼女の後方から、叫び声があがった。


「――――あれは雲じゃない! モンスターだ!! ワイバーン達が!! あの雲が!!」


 モルル山脈の方角から見えた黒雲は、雲ではない。それは、山脈に住む飛行種のモンスター。

 遠くからでも塊として認識できたその一団は、どれ程の数が集まっているというのか。。


 ――――ゴ、ォォォォオオオオオオオオオオォォォ………ン…………!


 五度目の、鐘が鳴る。

 恐ろしい速さで接近する黒雲は、既にそれを構成するモンスター達が認識できるほどで。

 Cクラスが対等とされる〈ワイバーン〉やBクラスが対等とされる〈レッドドラゴン〉を初めとするモンスターが形作るその雲は、まっすぐタロッソルに向かっていた。

 しかし、タロッソルの住民の言葉を失わせたのは、彼等ワイバーン達ではない。


「………………〈ベルティミルド〉?」

 

 それは、巨大な竜だ。

 ワイバーン等比較にならないほど巨大な竜。

 光に反射し輝くは、全身を覆う漆黒の鱗。羽撃くたびに嵐を起こす三対の翼。遠くから見ても禍禍しいと断言出来る迫力は、見る者全てを凍りつかせる。


 《大戦》中、凶悪過ぎる程の暴力を持って、万を越える死者を出す程の猛威を奮ったモンスター達がいた。

 彼等は、魔族、人間族と関係なく襲い掛り、果ては“魔王”、“勇者”を殺す程の強さを誇る。そんな彼等は“絶対に手を出してはならない”として“災厄”と大陸に生きる者達に、畏怖されるようになる。


 ――ォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンッッッ!!!!


 びりびりと、優に十数キロは離れている場所から、大気が震える。

 ある者は耳を抑えて蹲り。

 ある者は目を閉じ頭を振るう。

 ――こんなことは、ありえてはいけない。


 “災厄”が一頭、『破壊を司る黒竜』〈ベルティミルド〉。

 モルル山脈に眠っていた筈である存在が、青空の中を飛んでいる。


「――終りだぁ!! この都市は、終りだぁああああ!!」


 〈ベルティミルド〉の顎が開き、キラ、と輝きを放った直後。

 鐘の音とは違う轟音がラック達の元まで届き、鉄壁と言われた城壁が、紙の様に吹き飛んだ。




 モルル山脈に近い都市タロッソル、その辺り周辺を俯瞰する事が出来たならば、彼等は目を疑う光景だっただろう。

 何故なら、陸続きの台地である筈なのに、山脈から沸き出る黒い波が、タロッソルを呑み込んで行ったのだから。

 そしてそれは、タロッソルだけで起きていた訳ではない。


 それはリュシカ王国全土で、更には周りの三大大国の一部を含めて、一斉に起きていた。

 もしもリュシカ王国を中心として、大陸を俯瞰する事が出来るならば、波を作ったモンスター達は、皆同じ場所に向かっていた事が分かっただろう。


 行き着く先は、リュシカ王国首都バスラノの南部にあるトリューシャ平原――――突如現れた、その巨大な門である。


 No,0004【楽園の謳香】▼

『消費P:全体pの1割

持続時間:[03:00:00]

効果▼

『憐憫謳歌』:【迷宮層】に存在しているモンスター全てが指定された階層にやって来ます。これは本来指定された階層に住んでいないモンスターや、ユニークモンスター、オンリーモンスターも含まれています。

『屍死濁濁』:このコマンドが発生している間、【迷宮層】に存在する者全ての者にエクストラステータス“猛進”“腐敗”“風化”が付加されます。コマンドが発生している限り解除はできません。

『楽園の香』:このコマンドが発生すると同時、指定範囲内(変更不可)にいる地上からモンスター達を収集します。これは生後3ヶ月以上経過したモンスターに有効です。』



蹂躙はまだ、始まったばかり。







            ▼▼▼       ▼▼▼











 リュシカ王国、王都バスラノ。

 その市民達が大通りには、いくつもの店が存在している。

 その一角にある喫茶店ラッツェ

 深い香りと苦さが人気なティーノや、木苺ジャムのサンドイッチなどが人気なそこで、お盆を持ちながら、商品を受け取るカウンターと、客席の間を行き来している少女がいた。


「ご注文、お待たせしましたー」

「おおユリネちゃん。ありがとう」

「いえいえ」


 明るい、活発そうな声である。

 褐色の肌に、茶色の髪。深い青色の瞳を持った彼女の額には、ぴょこんと盛り上がるように、二本の角が生えていた。

 “魔族”の種族の一つ、鬼族。

 ユリネ、と呼ばれた少女は、その一人であった。


 《ラッツェ》の入口の扉が開き、鈴が鳴る。

 入って来たのは、頭が光を反射している男性であった。

 一瞬ちょっと眩しくて、ユリネは目をつむった。


「いらっしゃいませー。あ、店長」

「おーユリネちゃん。いつもご苦労様ー」

「いえいえそんな。奴隷という身分なのに、奥さんにはいつもよくしてもらってますし」


 奴隷。

 終結したとはいえ、未だ≪大戦≫の傷跡は深く残っており、ユリネも己の買い主――つまり店長“が魔族”のよき理解者であるからこそ、このような会話ができるのである。


「――ユリネちゃん、ウチは奴隷として見てないって言ってるだろうに」

「あ、はい、そうでした。ごめんなさい」


 店長と呼ばれた男はうむ、と頷いて、あ、と思い出した様に声をあげた。

 少し声色が低くなる。


「――ところでユリネちゃん、あの男は今日も来るのか?」

「あの男?ああ、レベックの事でしょうか?彼ならまだですけど……」

「そーかそーか、よしよしよし」


 店長はどこか嬉しそうだ。それはそう、目に入れても痛くないほどの愛娘がまだ嫁に行かないと分かったような。


「ユリネは渡さん、絶対渡さん」

「なーに馬鹿なこと言ってんだいアンタは」


 どこから現れたのか、店長の妻がバーンとお盆で彼の頭を叩く。


「いてぇ!! 頭狙うな! これ以上薄くなりたくいんだよ!!」

「もうないよ、幻覚見てるんじゃないよ。ったく」


 がくり、店長は頭を抑えたまま崩れ落ちた。

 店長の周りが、気持ち程度に暗くなる。しかし頭は輝いていた。


「はぁ、まったくだらしないねぇ。ユリネ! あの坊やはまだ見てないけどどこいったんだい?」

「は、はあ、えっと、レベックは軍の仕事らしくて……」

「軍ねぇ。道理でそこらかしこに歩いていたバカガキ共がいないのかい。」そして彼女はにやりと笑い「――で、坊やへの返事はどうすんだい?」

「?」

「……まさか何も聞いてないとか言うんじゃないよね」

「あ、はい。特に何も」


 そういうと店長の妻は額に手をあて大きくため息をついた。


「あの坊や、本当にヘタレなんだねぇ」

「はあ……。あ、でもレベックは帰ってきたら私に何か言いたいことがあるそうでして」

「ん、ああそう、…………行く前に言えば良いのにねぇ」

「まあ、でもレベックですし、わたしは帰ってくるって信じてますから」

「そうかい、ならいいけどね」


 店長の妻はやさしくユリネのことを見つめる。

 そしていまだ崩れている店長の尻をけった後、さあ、と声をだした。


「じゃあさっさと仕度を始めるよッ! もうすぐ昼だ! 気合入れなよ!!」

「はいっ」


 そうしてユリネが明るい返事を返した直後。


 ――――ゴ、ォォォォオオオオオオオオオオォォォ………ン…………!


 地獄の到来を知らせる、鐘が、鳴った。

















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