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その二 宿にて

その二 宿にて


 冬風が肌を刺す季節ではあったが与謝(よさ)の町を行き交う人々からは目に見えない活気が滲み出して冷気を跳ね返すかのような、冬の風に負けぬ逞しさが見てとれる。

 与謝の町を綺麗に碁盤の目状に区切る幅の広い通りは、多くの人々で埋め尽くされていて、声を張り上げる商家の人々の声は何重にも響き、旅人達の財布の紐を緩めようとしている。

 通りを埋める人の波に流れて人々は歩いていたが、雪輝ら一行だけは人並みの流れに足を委ねる必要は無かった。


 一人残らず並みならぬ美貌の持ち主達の集まりである雪輝ら一行の進む先で、一人でに人の波が掻き分けられて自然と道が出来上がっていた。

 老若男女を問わず最も視線を引き寄せている雪輝はと言えば、周囲の人々の注目などどこ吹く風とまるで気に留めた様子はなく、初めて足を踏み入れた人の町に好奇心を隠さずにあちらへこちらへと忙しなく視線を向けている。

 編み笠で半分隠した美貌の口元に、うっすらと陽性の笑みを浮かべる雪輝は自分の後ろを数歩下がった所を歩いている鬼無子に声をかけた。なお雪輝の右手は相変わらず狗遠の左手を握ったままである。


「鬼無子、町には着いたが次は何をするのだね? 食事か、買い物か、それとも宿を取るのか」


 雪輝の青い瞳は無垢な好奇心の光で夜空の星の様に輝いている。

 雪輝の外見から年齢を計れば、二十二、三歳の立派な青年なのであるが、精神面において一部に幼子と変わらない部分を残していて、初めての経験を前にして雪輝はその幼い部分を前面に出していた。


 多少陽が傾きはじめており冬の時節を考えれば、町に暗闇の帳が落ちるのにそう時間は掛らないだろう。この時刻なら宿を取って夕食もそこで取るのが一般的だ。

 鬼無子は相変わらず狗遠と雪輝が手を握り合っているのは気に入らなかったが、それを素直に表に出すのもなんだか狗遠に負けた様な気がして癪に感じられたので、表には出さず澄ました顔を作って雪輝に答えた。


「宿を取りましょう。休憩は挟みましたがひなにとっては初めての旅路でしたし、それなりの距離を歩きました。疲れはきちんと取らねばなりますまい。既に大和領内に入りましたし、織田の追手が掛るのにも時間はありましょう」


「追手を気にしながらの旅路ではゆとりが持てぬからな。早く追手が諦める様な所まで行くか、その様な状況に持ってゆきたい所だ。とはいえまずは体を休めねばな」


 元々大きな街道の交錯する地の宿場町として作られた与謝の町には、大小無数の宿がひしめいている。

 武家や公家、あるいは裕福な大商人を相手とする格式高い宿は景観も客を選ぶ重要な要素であるから、一般の旅人が泊まる宿の一角とは離れた場所にまとまっている。


 鬼無子はそういった庶民には一生縁の無いような高級宿には泊らず、一般的な宿よりもやや格の良い宿を選ぶ事を予め雪輝とひなに伝えていた。

 食事も体を清める湯の提供もないただ寝床と厠があるだけの最低格の宿に泊まれば、金の消費も抑えられるが、ひなの様な子供をそんな宿に押し込めるつもりは鬼無子には毛頭なかった。


 またそう言った危険性以外にも、樵小屋での清潔で快適な生活を送った影響もあって、鬼無子の中で宿に求める清潔さなどの敷居が高くなっている影響も否定はできない。

 三人分の宿賃となるとそうそう馬鹿に出来たものではない。現在鬼無子が預かっている一行の財布には、妖哭山を離れる際に錬鉄衆――主に凛と祈祷衆のお婆から餞別として渡された金子があり、現在はそう切り詰める必要性を感じない程度に豊かだ。


 七風の町でしたように雪輝の毛を適当に切ってそれを売り払って金に変える手もあるが、売り払った毛を妖魔改の追手に見つけられる可能性は無視できず、鬼無子は雪輝の毛を換金する事は追い詰められた状況になるまでは選択肢から外している。

 用心棒家業にでも鬼無子が身を費やして銭を稼ぐ方法もあるが、時間を取られるし行動にも制約が掛るから、これも現実的な手段ではない。


 かような状況で鬼無子が考えているのは、大和国領内各地に四方木家や百方木家の先達たちが密かに配置した隠れ家を漁るという手段だった。

 規模はまちまちだがどの隠れ家にも日持ちのする保存食料や、ある程度の霊的処置を施した武具や衣服、非常時に換金する為の財物が蓄えられておりこれを持ちだして金子に変えれば、金銭面での問題はしばらく気にしないで済むだろう。


 二年間の旅の間でも鬼無子が本当に追い込まれない限りはしなかった最終手段だ。四方木家最後の生き残りとして、先達たちの遺産を漁る所業に対する罪悪感の為だが、雪輝やひならと行動を共にしている今なら、それも仕方がないと割り切っている。

 ひなと手を繋いで歩きながら、財布を預かる者としての責任を鬼無子が噛み締めていると、ひなが繋いでいた手を引いて鬼無子の意識を向けさせた。


「あの、鬼無子さん。雪輝様が」


「ん?」


 少し困った様に眉を八の字にするひなの視線を追うと、いつのまにやら狗遠の手を離した雪輝が鬼無子達の前の方に進んでいて、通りの左右に立ち並ぶ宿から出てきた客引きの男や女達に囲まれている。

 何重にも人間の輪が出来上がっており、通りを行き交う旅人達に二の足を踏ませていて、人の流れを大きく阻害する原因になっていた。


 どんなに熱心な客引き達だったとしても、こうも他の人間に迷惑がかかる様なやり方はしないものだが、それも無理はないかと鬼無子は輪の中心にいる雪輝の顔を見て納得した。

 左腕がない事や編み笠で顔の上半分を隠している事は客引きの男女には、まるで関係がなかったようで恋の熱に浮かされた子供の様に雪輝の周りに群がっている。


 押し合いへしあう人の輪の外でひなに待つよう言いつけてから、鬼無子は細身の腕から想像もつかない怪力を発揮して、雪輝への勧誘冷めやらぬ客引きを強引に掻き分けて進んでゆく。

 人心を惑わす様な術を雪輝が使っているわけでもあるまいに凄まじい熱気と圧力に、鬼無子はいくぶんか心が折れそうになるのを堪えて、やたらと恰幅の良い中年女性の話に四つの耳を傾けていた雪輝の肩を叩いた。


「おや、鬼無子。どうかしたかね」


 よほど話に集中していた様で雪輝は肩を叩かれてからようやく鬼無子達の事を思い出したように、首を小さく傾げすっとぼけた調子で返事をする。

 人品の良さが滲む顔と声ではあるのだが、いささか呑気の度が過ぎると一緒に行動する者には堪ったものではない。鬼無子は溜息一つを飲み込んでから切り出した。


「雪輝殿、話をするのが楽しいのは分かりますが、限度がございますぞ。狗遠を置いてきぼりにしてしまってどうするのです」


「いや、すまん。これほど多くの人々に囲まれるのも話をするのも初めての事だから、つい話をするのに夢中になってしまった」


 鬼無子の指摘に、雪輝は恥ずかし気に頬を掻く。確かに話をするのに熱中し過ぎていたのは確かだ。

 話をするのに意識を引かれていたのも事実で、照れ隠しに雪輝が頬を掻く動きに合わせて雪輝の編み笠ががさりと揺れるのを鬼無子は見失わなかった。話に熱中してしまい気が緩んで変化に支障をきたし、狼の耳と尻尾が出ていたようだ。


 子供っぽい所のある御仁と雪輝の事を理解していた鬼無子ではあったが、こう言った形で発露されるといささか手間が掛るのが厄介だ、という正直な気持ちを胸の内に仕舞いこんで、周りを囲む客引き達に声を張り上げる。

 いきなり横から入って来た鬼無子に対して客引き達が向ける視線は見えない針の如く鋭いものだったが、それを気にするほど鬼無子の神経は繊細ではなかったし肝もと小さくは無かった。


「ほら、皆店に戻れ。人の邪魔になっておろう。宿は改めて決める故、この方から離れて道を開けぬか。……こら、離れよと言うておるのだから素直に離れぬか」


 唐突な鬼無子の言葉に周囲に集まっていた客引き達は殺気の一歩手前と言った所の、なんとも危うい空気を滲ませたが、集団心理の暴走や圧力など屁とも思わぬ鬼無子がぱんぱん、と手を打ち合わせて声を張り上げると、渋々と言った様子を隠さずに自分達の宿へと戻ってゆく。

 ほとんど人間は名残惜しさを隠そうともせずに、頻繁に雪輝を振り返ってはもの欲しそうな目をしたが、それら全員に鬼無子が丁重に視線を叩きつけるとさっと顔を逸らした。


 格の低い妖魔や存在密度の低い霊魂位なら、一睨みで退散させる鬼無子の妖気混じりの視線であるから、当然の結果と言える。

 鬼無子に追い払われてからは正気に戻ったようで、雪輝の事を忘れようとしている様な熱心さで、客引き達は一般の旅人達に声をかけ始める。


 雪輝の好奇心の強さを考えると今後も似たような事が繰り返されるのは間違いがない。

 雪輝は自分に非があり、理路整然とそれを説かれれば素直に聞き入れる性格をしているが、妖哭山を出たばかりで世界の全てが物珍しい現在の心理状態が続く限りは、好奇心を優先させるだろう。


「まあ、それでもただの宿で良かったか。これが夜鷹や楼閣の客引きに声を掛けられていたら、どうなっていた事やら」


 雪輝が一人きりの時にそんな連中に声を掛けられでもしたら、雪輝はほいほいと後についていってあとでどんな面倒を起こすか分かったものではない。

 いや雪輝の顔が顔だけに下手をしたら、雪輝が娼婦を無自覚の内に買うのではなく逆に雪輝の方が買われていた、なんていうことになっていたかもしれない。

 いやいや男娼の元締め連中などから熱心に勧誘されてもおかしくは無いし、弁舌の長けた老獪な連中に言いくるめられて、その日の内に男娼として雪輝が売り出されかねない。

 自分でも少し想像が過ぎると鬼無子は思ったが、人間に変化した雪輝の美貌と人の世の事をまるで知らぬ雪輝のちぐはぐな知識と騙される為に生まれてきた様な素直な性格を考えると否定しきれず、鬼無子は胃の痛む様な思いであった。


「まったく。雪輝殿、良いですか人里に入ったら決して一人きりになってはなりませんぞ」


 雪輝に背を向けた立ち位置で鬼無子が雪輝に言い聞かせると、返って来たのは奇妙な返事であった。


「ふむ、鬼無子二人半と言ったところか」


 いつもの癖で、ふむ、と一つ置いた雪輝の台詞の意味の不明さに名人の筆で引かれた様に整った眉を潜めて鬼無子が振り返る。


「それがし二人半でございますか?」


 くるりと振り返った鬼無子の視界になんともでっぷりと肥え太った背丈五尺ほどの女の姿が飛び込んできた。

 陽を浴びて褪せた赤色の小袖を内側から肉と脂肪がぱんぱんに膨らませていて、樽に特大のまんじゅうを頭代わりに乗せて、手と足は丸太かなにかを差し込んだかのようである。

 横に広い潰れた鼻がまんじゅう顔の真ん中で胡坐をかき、唇は人差し指を二本並べたように分厚く、目は糸の様に細くて瞼を開いているのかいないのか判別が極めて難しい。

 なるほどこれなら雪輝の言うとおり鬼無子二人半か三人分くらいの体重は軽くありそうだ。ひななら十人分くらいになりそうだ。


 鬼無子の声にも怯まずに雪輝の傍から立ち去らずに残っていた最後の客引きが、この女である。

 脂肪と肉の代わりに餡子が詰まっているかもしれん、と実はまんじゅうが変化しているのではなかろうか、と鬼無子が至極真面目に勘繰りながら客引き女の顔を観察すると、今にも顔面から血が吹き出そうなほど紅潮しており、かろうじて開いていると分かる瞳はこれ以上ないほど潤み、雪輝に熱い視線を注いでいる。


「鬼無子!」


 と何時になく浮き浮きと弾んだ声で自分の名前を呼ぶ雪輝の瞳が、楽しげな光を宿している事に気付き、鬼無子はもう何を言っても手遅れだなと諦めた。

 最後まで残っていたまんじゅうの妖怪のごとき客引きの事を面白いと判断した雪輝によって、この日の鬼無子達の宿が決定した瞬間である。


 少し離れていたひなと狗遠を呼び寄せてまんじゅう女の宿で、今日は一泊する事を伝えて、二人と二頭はまんじゅう女の案内に従って宿の方へと足を進めた。まんじゅう女の宿は稲葉屋という名前だった。

 二階建ての小奇麗な宿で、少なくとも外見を見る限りにおいてはよく手入れが行き届いている様に見える。鬼無子をはじめ雪輝も特に嫌そうな顔を作らず、酷い異臭がするといった事もないようだ。


 宿の中に入って、控えていた仲居が雪輝達一行の息を飲むほどの美男美女揃いぶりに呆気に取られ、正気に戻ってから案内をしようとするのをまんじゅう女が仲居を睨みつけて横からかっさらい、雪輝達はまんじゅう女の案内で宿の二階の奥にある部屋へと案内された。

 八畳の居室の中には炭の燃える火鉢が中央に置かれ、既に部屋の中は暖められていて冬風に冷された体がぬくもりを感じて弛緩するのを、鬼無子とひなは感じていた。


 雪輝が背負っていた大風呂敷を部屋の片隅に置くと、ふむふむとしきりに頷きながら部屋の中をうろうろと歩き回り始める。

 雪輝の知る人間の家屋と言うものは樵小屋と天外の庵ぐらいのもので、一般的な家屋に足を踏みいれた経験がないのである。狗遠はさっさと通りに面した壁に背を預けて腰を降ろし、腕を組んで目を瞑っている。


「夕餉はお部屋にお持ちしましょうか?」


「夕餉か。如何いたしますか、雪輝殿、ひな」


 三つ指を突いて問いかけてくるまんじゅう女の問いに、もうそんな時刻かと頷きながら鬼無子はひなと雪輝に意見を求めた。ほとんど自己を主張しない二人であるから、聞くだけ野暮かもしれなかったが。


「私は外で食べるのも宿のお食事も初めてですから、どちらでも構いません」


「私もひなと同じになるか。食にはこだわらんよ。財布は鬼無子に預けているし、好きにしてくれて構わない」


 この様な具合にである。まるっきり全部任されるのもそれはそれで重圧を感じるのだが、まあ仕方がないと鬼無子は少し考えてから、まんじゅう女に答えた。


「こちらに運んでくれ。量は八人分で頼む」


 鬼無子は袂に入れておいた巾着から金を取り出して、まんじゅう女に手渡した。まんじゅう女の手はまんまるで芋虫のように太く短い指が伸びている。柔らかそうに見えたが、長年の水仕事や苦労によって肌は荒れて硬かった。


「ありがとうごぜえます。膳は一刻後にお持ちいたしますで」


「よろしく頼む」


 八人分を頼んだわけだがその内訳は、ひな、雪輝はそれぞれ一人分で、鬼無子が六人分を平らげる予定である。

 相場の平均よりも多めに金子を渡したのが功を奏したのか、まんじゅう女はにこやかに部屋を退室して行った。

 静かに戸が締められてから雪輝は歩き回るのを止めてようやく編み笠を外して、火鉢を中心に座布団を人数分敷いて自分もそこに座る。

 既に座り込んでいた狗遠にも座布団を渡すあたり、雪輝も律儀である。


「色々と興味を引かれるものばかりが、やはり人の姿のままでいる事は肩が凝るな」


 見知った者達だけがいるという事から既に気を緩めているようで、雪輝の白銀の髪の毛から飛び出していた狼の耳の先端が、ぴくりぴくりと左右に跳ねるように動く。

 雪輝の右隣に腰かけたひなが無垢な疑問を雪輝にぶつけた。


「狼の姿で居る時よりもお疲れになるのですか?」


「疲れると言うほどではないさ。何と言えば良いか、身体に不自然に力を掛けていると言ったところか。なに、だからといってこのまま人に変化し続けていても問題は無いから、心配する事は無い。

 ただ私は何かに気を取られるとどうにも変化が緩んでしまうからな、余計に気を張らねばならん。人間の姿も良いがやはり元の狼の姿の時の方が気は楽だな。それにこの姿ではひなに構ってもらえんのが問題だ」


 人間の姿になっている時、二本足で歩く事や耳や鼻の位置の変化などから、周囲に環境に対する感じ方が違う事を雪輝は面白がっていたが、そう言った人間の姿である事の楽しみ以上に、狼の姿で居る時の様にひなに抱きつかれ、毛並みを撫でて貰えない事が残念で仕方がないようだ。

 ひなはと言えば雪輝が心底残念な様子を見せるのに、申し訳なく思いながらも嬉しかった。自分とのふれあいを雪輝がとても大事にしているとはっきりと表明したのだから、嬉しくないわけがない。


 とはいえ雪輝が狼の姿で居る時なら、何のてらいもなく首筋に抱きついたり、お腹の特に柔らかい毛の感触を堪能する為に顔を埋めたりするひなであるが、流石に雪輝が成人男性の姿に変化している時に、同じように触れあう事に対しては躊躇を覚えている。

 その為、精々が手を繋ぐ程度に留められており、その事が雪輝にとっては人間の姿で居る時の大いなる問題点なのであった。


「鬼無子や、いま私が変化を解除するのはやはり問題があるだろうか?」


「そうですな。……妖気の抑制はきちんと出来ておりますし、霊能者でもそう容易くは雪輝殿や狗遠の気配には気付けますまい。しかし、やはり人里の中で本来の姿を露わにする事は危険の方が大きゅうございますから、なんとか辛抱していただきとう存じます」


「そうか、ま、無理は言えんな。……ふむ、そうだ。ひなや、こちらへおいで」


「こちら、と申されましてもう雪輝様のお隣におりますけれど」


 雪輝の意図する事が分からずに困った顔をするひなに、雪輝は胡坐をかいている自分の足をぽんぽんと叩いた。


「私の隣ではなくこちらだよ。私の膝の上だ」


 え、とひなが問いかけるよりも早く、雪輝が右腕一本でひなを抱きよせて自分の膝の上に乗せる。この国の成人男性と比較すると体格がよく背の高い雪輝と、小柄なひなであるから胡坐を掻いた雪輝の膝の上にひなが座ると、すっぽりと雪輝の腕の中にひなが収まる構図が出来上がる。


「あ、あの雪輝様、この様な姿勢では、私が重くは無いでしょうか?」


「まさか、ひなは羽毛の様に軽いのだ。負担になどならぬよ。第一私が狼の姿で居た時など、良く体を預けてきたではないかね。それよりもこの体勢は悪くないな。いやとてもよい。人間の姿になるのもそう悪くは無いものだ」


 ひなを膝の上に乗せる体勢は、雪輝にとって非常に心地が良いらしくひなを乗せてから途端ににこにこと上機嫌さを周囲に振りまわしている。狗遠は、ふん、とつまらなそうに一つ吐いただけで何か言う様子は見せない。

 雪輝の膝の上でひなはおろおろと困った顔のまま鬼無子を見て助けを求めるが、鬼無子は


「やれやれ」


 と心底羨ましげな顔で雪輝の膝の上のひなを見るばかりである。ひなはこれは助けて貰えそうにないなあ、と早々に諦める事にした。

 それに人間の姿をした雪輝の膝の上に乗せられるのは、少し恥ずかしいけれど、雪輝のぬくもりを直に感じられて、ひなはとても嬉しかった。


 狼の姿から人間の姿に変わっている間は、今までの様に雪輝と触れあう事が出来ずに少しの寂しさと物足りなさを感じていたひなにとっても、雪輝の行動はとてもよいものだったのである。

 そのうちに雪輝の右手がひなのお腹に回されて、より一層力強くひなは雪輝に抱きしめられる。負担は無いと言う雪輝の言葉に従って、雪輝の逞しい胸板に背中を預ける。

 お腹に回された雪輝の手から着物越しにも感じられて、ひなは体ばかりでなく心も温かくなるのを感じて、うっすらと頬を赤くして微笑を浮かべた。それはとても綺麗で、愛らしい笑みであった。


<続>

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