昔の話
その昔、私は1人の日本人だった。
どこにでもいる、ありきたりで何者でもないただの日本人女子高生。
その日も代わり映えしない日常が始まって、終わるはずだった。
後ろから何かぶつかられたかと思えば、視界が滅茶苦茶になって、地面を転がって、意識が薄れていく。
当時は何が起こったのか全く分からなかったが、今思い返せば何が起こったかは推測できる。
交通事故。
歩道を歩いていたはずだけど…まあ、暴走した車が歩道に突っ込んで歩行者が死傷するという事故は、よくある話だ。
ニュースでよく聞く話の犠牲者が、たまたま自分だっただけの話。
今ではそう割り切っている。
事故に遭って、恐らく私は死んだんだろう。
どこにいたのかと聞かれれば答えることはできない。
何となく…暗くも明るくもない空間を、水の上にぷかぷか浮かんで流されていた気がする。
その間意識はハッキリとしておらず、何があったか覚えていない。
ただ確かなことは、そこで誰かに出会ったということ。
もしあれが昨今人気のラノベにおける定番の展開なら、その誰かとは恐らく“神”と呼ぶべき存在のはず。
おおよそ人型で、背が高く、それ以外はどんな形をしていたかわからない。
その誰かに導かれ、どこかわからない空間を漂った先。
私は声を聞いた。
女性の声だったと思う。
恐らく母の声…苦しそうな声だったことから、出産のタイミングだったに違いない。
微睡みの中でハッキリとしない意識を持っていた私は、その声を聞いて急激に覚醒していった。
それに合わせてさっきまでいた空間が遠くなっていくのを感じたと、今でも覚えている。
何故ならその時に“神”から何かを受け取った。
その何かがなんであるかを知るのは…まだ少し先の話だ。
転生した。
一言で言えばそれに尽きる。
日本の一般無個性女子高生だった私は交通事故で死に、異世界に転生したのだ。
私が生まれたのは農村の家庭。
裕福ではなく、かといって明日食べるものに困るほど貧しくもない。
いたって平和で、のどかで、何でもない農村。
そこで私は、エルフの父と母のもとに女として生まれた。
名前はイルミーナ。
生まれつき色素が薄く、いわゆるアルビノ体質であることを除けば普通のエルフ。
両親と村の人たちの保護のもとですくすく育ち、5歳になるまで何不自由なく暮らせていた。
…そう、5歳になるまでは――
「ただいま…」
「おかえり。あなた。何か良くないことでもあったかしら?」
「ああ…西の畑は全滅だ。東と南の畑も無事とは言えない。厳しくなるぞ」
帰って来た父がそんな話をしていた。
畑が全滅…話を詳しく盗み聞いていると、どうやら畑の作物が腐ってしまったらしい。
ずっと前から降り続いた長雨の影響で、畑に被害が出たんだろう。
この村はそれなりに村民が多く、当然それに合わせて畑も多い。
それが全滅……嫌な予感がした。
食糧不足など経験したことないが…知識として、何が起こるか知っている。
それが起こらないことを祈る。
その時の私にできたことなどそんなものだった。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
日に日にダメになった作物は増え、新しく植え直せる時期でもなく…
近くの森に食べられるものを探しに行ったり、街に出て食べ物を買ったりしたものの…ついに村の食糧が底をついた。
耕作用の家畜を肉にして食べ、村の周囲に生えた雑草を食べ、それでも足りない。
そんな状況が十数日続いた。
事態を解決すべく領主が外から買い付けていた食料が届き、なんとか事なきを得たものの…人数分はなかった。
これではまたすぐに食糧が底を尽きてしまう。
その事は明白であり…村の有力者は口減らしを迫られた。
私も…その対象の一人だった。
「………お腹すいた」
村を追われ、遠くの森に捨てられた私は森の雑草を食べて何とか命を繋いでいた。
消化に悪く、食べたからと言ってそれほど栄養にもならない雑草。
死ぬまでの時間を引き延ばすだけにしかならず、体は日に日に衰えていく。
極限状態に追い込まれ、もはや生きる希望が見えなかった。
「なんで…私が……」
飢餓がこんなに苦しいものだとは思わなかった。
死期を悟ったころ、前世で食べずに捨てた賞味期限切れの食品の数々を思い出して悔やむ。
あのどれか一つでも、今の自分の手元にあれば…
そんな後悔の中で木にもたれ掛かり、どこでもないどこかを眺めていた。
「エルフか。それにこの魂は…」
そんな私に、誰かが声をかけてくる。
見上げると2メートル近い長身の男が立っていた。
私が住んでいた村では見ない顔つき、金髪と青い目、耳があるべき場所に付いておらず、代わりに動物の耳が頭に生えていて、服装は汚れているが一目見ただけでそれが高価なものだとわかる立派なもの。
それが、その時見た私の評価だった。
「…面白い力を与えられているな。ちょうどいい、雑用係として使ってやる」
彼はそう言って私に食べ物を差し出してきた。
携帯食のパンのようなもの。
それを彼の手から奪い取るようにして自分の手に収め、食事マナーなんか一切気にせずかぶりつく。
そのパンは固かったが、残された力を使って全力で噛み千切り、咀嚼して飲み込む。
「食いながら付いて来い。はぐれても知らんぞ、次はない」
相手は瀕死の捨て子だというのに、そんなことを言い出す。
当時は生き残ることに必死で何も思わなかったが、あとで思えばこれでも彼なりに譲歩していたのだろう。
私は食料を求めて彼の後を追い、そして彼の雑用係兼弟子として働くことになった。
それから…かなりの年月が経った。




