同じ距離のはずなのに
朝の坂。
今日も健人の寝癖は跳ねている。
いつもなら、見つけた瞬間に手が伸びる。
でも今日は、少しだけ歩幅を緩めた。
先に追いつくのをやめる。
後ろから見る。
それだけで落ち着かない。
健人「……おはよ」
振り向かれた。
見つかったみたいで、変な感じがする。
愛莉「おはよ」
健人「今日遅くね?」
愛莉「アンタが早い」
前に回り込む。
ネクタイが曲がっている。
指を伸ばして――一瞬止まる。
健人「やらないの?」
愛莉「やるわよ」
結び目をほどく。
指先に触れる体温。
いつもと同じ距離。
同じはずなのに。
なぜか、少しだけ遠い。
健人「なんか今日静かじゃね?」
愛莉「朝だから」
健人「いつも朝からうるさいじゃん」
愛莉「ぶつよ?」
手刀を構える。
避けられる。
健人「キレがない」
愛莉「次は当てる」
坂を上る。
並ぶ。
歩幅が揃う。
それが今日は、少しだけ意識に引っかかる。
自販機の前。
いつもの流れで健人がコインを入れる。
そのとき。
女子「沢木くん、おはよ」
聞いたことのある声。
同じクラスの――名前はすぐに出てこない。
健人「おはよ」
女子「昨日のプリントありがとね」
健人「別にいいって」
自然な会話。
笑ってる。
距離も普通。
ただそれだけ。
それだけなのに。
足が止まる。
自販機の光がやけに明るい。
プルタブを開ける音が遠く聞こえる。
健人が振り向く。
健人「愛莉、コーヒーでいい?」
いつもと同じ問い。
すぐに返せるはずの言葉。
なのに一拍遅れる。
愛莉「……いい」
女子「二人ほんと仲いいよね」
健人「腐れ縁」
いつもの返し。
いつもの言葉。
何度も聞いた。
何度も一緒に笑った。
――なのに。
今日は、笑えない。
女子が去っていく。
健人が缶を渡してくる。
健人「はい」
受け取る。
指が触れる。
それがやけに意識に残る。
健人「どうした?」
愛莉「別に」
歩き出す。
並ぶ。
距離は同じ。
影も同じ。
何も変わってない。
変わってないはずなのに。
さっきの会話が、頭の中に残って離れない。
――腐れ縁。
自分で何度も使ってきた言葉。
そのはずなのに。
今日は、少しだけ違って聞こえた。
昼休み。
いつもの席。
健人が弁当を広げる。
健人「卵焼き交換」
愛莉「やだ」
健人「即答」
愛莉「今日は自信作」
健人「いつも言ってる」
箸が伸びる。
叩き落とす。
愛莉「ぶつよ?」
健人「それ暴力の予告」
笑う。
周りも笑う。
いつもの光景。
なのに。
向かいの席の女子が健人に話しかける。
女子「沢木くんってさ――」
その声だけが妙にクリアに聞こえる。
箸が止まる。
卵焼きが掴めない。
健人が普通に返事をしている。
それを見ている自分がいる。
視線を落とす。
弁当の隙間。
朝、自分が整えたネクタイ。
もう少しだけ曲がっている。
直さなきゃ、と思う。
思うだけで動かない。
放課後。
帰り道。
並んで歩く。
いつもの距離。
何度も確認するみたいに。
健人「今日なんか変じゃね?」
愛莉「何が」
健人「静か」
愛莉「気のせい」
健人「体調悪い?」
愛莉「悪くない」
自販機の前で立ち止まる。
ネクタイを見る。
手が伸びる。
今度は止まらない。
掴んで引き寄せる。
距離が近くなる。
健人「うお」
愛莉「動くな」
結び目を直す。
指先に体温。
呼吸が近い。
夕焼けの光。
全部同じはずなのに。
胸の奥だけが違う。
健人「……怒ってる?」
愛莉「怒ってない」
整えて、離す。
でも。
離れた距離が、さっきより遠い。
健人「ありがと」
その一言で、心臓が跳ねる。
誤魔化すように手刀を構える。
愛莉「ぶつよ?」
健人「今日当たり強くね?」
愛莉「気のせい」
坂を下りる。
並んで歩く。
影が重なる。
その影を見ながら。
愛莉は初めて思う。
――この距離は、
ずっと同じままでいてくれるわけじゃないのかもしれない。




