第21話 都の外れ、採掘民の村
数日後の朝、黄晶都の門を出ると、空の色が少しだけ薄く見えた。城壁の影が切れ、風がそのまま頬に当たる。都の中では石畳が熱を抱えていたのに、外の道は冷たく、足裏へ真っ直ぐ伝わってきた。
志音は振り返り、共鳴塔を見上げた。黄いろい巨大結晶は遠目にも分かる。昨日より、光が硬い。呼吸の合間に、脈みたいな揺れが一度だけ走り、志音の掌の札が、言い訳なく震えた。
「……揺れは、続いてるんですね」
華音は返事の代わりに、水筒のふたを開けて志音へ差し出した。志音は受け取り、ひと口だけ飲む。冷たい水が喉を通ると、胸の奥の焦りが、ほんの少しだけ沈む。
陽海は荷車の綱を握り、指をいったん開いては握り直した。盾は背に括りつけてある。歩くと金具が鳴りそうで、彼は肩をすぼめ、鳴らない角度を探し続けている。愛恋は道順の書かれた紙を胸に抱え、風でめくれないよう親指で押さえた。
志音たちの行き先は、都の外れの採掘民の村だった。黄いろい宝石を掘り出す村。都が光で回るなら、村は土で回る。宝石を掘るほど心が荒れる、と古文書にも、噂にも書かれていた。
「掘るほど荒れる、って……その文章、なんだか乱暴ですよね」
志音が言うと、愛恋が小さく頷いた。
「“荒れる”の前に、別の言葉を置いたほうが届きます。たとえば、“急ぐ”とか、“固くなる”とか」
華音が歩幅を揃えながら言った。
「村の人は、宝石を掘るとき、息を止めるそうです。息が止まると、言葉も止まります。止まった言葉は、出るときに尖りやすい」
志音は「なるほど」と言いかけて、また自分語りが始まりそうになり、口を閉じた。代わりに、道の端の草へ目をやる。霜が白い。霜の下の土が硬い。硬いものばかりだ。
途中、休憩のための小さな屋根がある場所に着いた。木の柱に、誰かが札を一枚貼っている。濃い黄いろの線で書かれた短い文。
『ここで怒鳴らない。水を飲む。』
華音が、その札の前に紙コップを並べ始めた。誰に頼まれたわけでもないのに、手が動く。志音はその横顔を見て、胸の奥で何かが柔らかくほどけた。椅子もない休憩所なのに、彼女は立つ位置を半歩ずつずらして、聞こえやすい距離を作ってしまう。
「志音さん、座ってください。……座ると、話しやすい人がいます」
言われ、志音は丸太の腰掛けに腰を下ろした。すると、陽海も少し離れて座り、盾の紐をほどいた。緊張していたのは自分だけじゃない。分かると、息が出る。
そこへ、赤い外套が風を切って近づいてきた。ナツカだ。荷物の紐を一本引き、布を一枚広げ、柱に結びつける。次に、木箱をひっくり返して舞台にしてしまう。たったそれだけで、休憩所が「見せ場」になった。
「ねえ、村まで退屈でしょう? 子どもがいたら、途中で泣くわよ」
ナツカは笑いながら言い、志音の札をちらりと見た。
「あなたは、泣かせる文章を持ってる顔。今日は笑わせてね」
志音は「え、顔で分かるんですか」と言いかけ、華音の水筒が視界の端で揺れたので、言葉を短くした。
「……努力します」
昼前、採掘民の村が見えた。家は低く、屋根は土色で、煙突の煙が風に押されて横へ流れている。道の脇には、黄いろい砂が溜まり、踏むと靴の縁が粉で染まった。村の中心には、小さな坑口がいくつも口を開け、そこから冷たい空気が吐き出されている。
村の子どもが、志音たちを見つけて駆け寄ってきた。だが、足が止まる。子どもの視線が、志音の掌の札ではなく、陽海の盾に刺さっている。盾は「守る」ものなのに、ここでは「責める」ものに見えるらしい。
陽海は盾を背から外し、地面にそっと置いた。置く音を立てない。置いたあと、掌を見せて笑う。子どもはまだ半歩だけ引いたが、泣かなかった。
「こんにちは。……僕ら、話を聞きに来ました」
陽海の声が少し震えた。その震えを、志音は見逃さないようにして、短い札を一枚だけ取り出したい衝動を飲み込んだ。ここで札を出すと、村の人が「都の力」を押しつけられたと感じるかもしれない。
愛恋が一歩前へ出て、丁寧に頭を下げた。
「採掘のお仕事の合間に、少しだけ。都で起きている黄ばみのことを、私たちは調べています。……責めるためではなく、守るために」
「守る、ねえ」
返事は低い声だった。坑口のそばから、煤のついた手の男が出てくる。頬は乾き、目の白い部分に、薄い黄いろが滲んでいる。彼は志音たちを上から下まで見て、鼻で笑った。
「都の人は、宝石を飾る。俺たちは、宝石で飯を買う。……同じ石でも、手の汚れ方が違うんだよ」
志音は反射で言い返しそうになり、華音の水差し――今日は水筒――を思い出して口を閉じた。代わりに、膝の上で指を組み、掌を見せる形に戻す。
「違いは、分かります。……だから、教えてください。掘っていると、どんな言葉になりますか」
男は一瞬だけ目を細めた。怒りが増す前の、迷いの顔だった。だが、背後から別の声が割り込む。
「言葉? 言葉なんて、出るわけないだろ。石の音しか聞こえねえ」
別の男が笑った。笑いは乾いている。笑いの後ろに、舌打ちが混じった。二人の間に、見えない火花が散る。
華音は、紙コップを二つ取り出し、水を注いで二人の間の土の上へ置いた。誰にも渡さない。間に置く。呼吸の逃げ道を作る、いつもの仕草だ。
「飲んでください。……怒鳴る前に」
言い方は静かだった。だが、静かな声ほど、村の冷たい空気に残った。二人は面白くなさそうに鼻を鳴らしながらも、水を飲んだ。飲むと、肩の高さがほんの少し下がる。
その瞬間を、ナツカは逃さなかった。木箱の上に乗り、村の子どもへ手を振る。
「はい、ここから。石を叩く音、まねしてみて!」
子どもたちは戸惑いながらも、足踏みで「コツ、コツ」と鳴らした。ナツカはそれを受け、手を叩いて「タン、タン」と返す。足踏みと手拍子が合うと、坑口の冷たい息が少しだけ軽くなった気がした。
「昔話、ひとつ。――穴の中で、泣き虫の石がいました」
ナツカは声の高さを変えない。目線だけで、泣き虫の石と、困った掘り子を行き来させる。子どもが笑う。笑い声が、乾いた土に落ちて、跳ね返ってくる。
志音は気づいた。村の大人たちが、笑わないままでも、口元だけが緩んでいる。自分では笑っていないつもりなのに、息が少しだけ長くなっている。息が戻ると、言葉が尖らない。
芝居が終わると、最初に鼻で笑った男が、少しだけ視線を逸らした。
「……子ども、泣かねえな」
「泣いてもいいのよ」
ナツカがあっさり言った。外套の襟を指で整え、笑顔のまま、眉だけをほんの少し動かす。
「泣ける場所があると、怒鳴る場所が減るの。……都だって、村だって」
その言葉に、男の喉が一度だけ動いた。だが、何かを飲み込んだまま、拳をぎゅっと握る。拳の粉が舞い、黄いろい砂が光った。
愛恋が、坑口の奥を見つめて言った。
「……この村の宝石片、都のものより、濁りが早い。言葉が、石へ吸われているみたいです」
志音は坑口の冷たい息を吸い込み、吐いた。口の中に、金属みたいな味が残る。掘る音。息を止める作業。止まった言葉。尖る言葉。ヒビ。黄ばみ。全部が一本につながりかけて、背中がぞくりとした。
その時、村の奥から杖の音が近づいた。背の低い古老が、ゆっくりと歩いてくる。頭巾の下の目は澄んでいるのに、瞳の縁だけが薄く黄いろい。古老は志音たちを一人ずつ見て、最後に、村の祠へ視線を移した。
祠には、握りこぶしほどの黄いろい結晶が祀られていた。光は弱いのに、脈は強い。まるで、泣くのを堪えているみたいに震えている。
古老は杖の先で土を軽く叩き、結晶へ向かって、ぽつりと言った。
「……泣きたいのか」




