◆第2話 不死の実験体と誘惑の契約◆
ヴィオラを従えて城に戻ったのは夜だった。
玉座の間が静寂に包まれ、リアナは僕の左隣、ヴィオラは右の階段に腰をかける。
「……さて、次の牙だ」
僕が呟くと、リアナとヴィオラが同時に首を動かした。
ヴィオラは唇を吊り上げ、リアナは少し怯えながらも期待に震えている。
「獲物は?」
「どんな奴?」
問いが重なるが、僕は答えずに立ち上がった。
「人間の王国――地下研究塔《エクス=グラディウス》。
そこに“殺せない男”が監禁されている。
彼を迎えに行く」
リアナの表情が強張る。
ヴィオラでさえ、少しだけ目を細めた。
「殺せないってのは……?」
「文字通りだ。身体を切り裂かれ、臓腑をえぐられ、焼かれ続けても――死ぬことができない」
リアナの顔色がわずかに失われる。
ヴィオラは興味深そうに舌で歯を鳴らした。
「つまり、何をしても壊れないおもちゃ、ってわけね」
「違う。壊れないのではない――壊してほしいのだ」
玉座の間に、冷たい空気が流れる。
僕はゆっくりと命じる。
「リアナ、外套と“封印の鍵”を。
ヴィオラ、おまえは周囲の掃除と牽制。人間兵が寄ってきたらすべて黙らせろ」
二人は同時に頭を下げた。
魔王の軍勢は、すぐに夜の王国へ向けて動き出した。
◇◇◇
地下研究塔《エクス=グラディウス》。
外見は豪奢な石造りだが、内部には血と薬品の匂いが染みついている。
鉄の扉、魔法障壁、拘束具。
すべてが“外へ出せないもの”を封じるための設備。
リアナは僕の背中に付いて歩いている。
恐怖ではなく、魔王の隣で役に立ちたい、という欲望で静かに燃えているのがわかる。
「この先に……?」
「ああ」
重い扉を押し開けると、そこは研究室だった。
割れた瓶、干からびた血痕、焼け焦げた机。
どれも“何度も実験を繰り返した末”の光景。
そして。
部屋の中央に、ひとりの男が座っていた。
白でも黒でもない髪。
飼い殺され続けた獣のような眼。
身体中に実験器具の跡、焼印の残り。
だが、決定的に異質なのは――その目の奥の“期待”。
「……やっと来たか」
声はかすれているのに、妙な艶を帯びていた。
ずっと誰かを待っていた声。
殺されるためか、救われるためかは分からない。
僕は男を見下ろす。
「名は」
「……ラザロス」
「おまえは死ねない」
「そうだ。どれだけ切り刻まれても、どれだけ燃やされても、首を跳ねられても、心臓を撃ち抜かれても――生きてしまう」
リアナが震える。
ヴィオラでさえ息を呑むほどの異様さ。
だが、ラザロスの目は薄笑いすら浮かべていた。
「なあ、魔王だろ?」
「そうだ」
「助けにきたのか? 封印しにきたのか? 殺しにきたのか?」
質問はすべて正しい。
だが答えはどれでもない。
僕は足を止めず、ラザロスの目の高さまでしゃがむ。
「どの答えが聞きたい?」
ラザロスは肩を震わせるほど静かに笑った。
「“俺を終わらせてくれる”って答えだ」
その瞬間、リアナの瞳が鋭く揺れた。
ヴィオラも反射的に身構える。
だが僕は――笑った。
「終わらせてやるさ。
ただし、世界の終わりよりあとだ」
ラザロスの瞳から、色が抜け落ちる。
絶望でも恐怖でもない。
“まだ続くのか”という理解。
そして――その理解が与える甘美な屈服。
「……本当に魔王だな、おまえ」
「おまえは壊れることを望んでいる。
だから僕は、おまえを壊す舞台を用意する。
世界という名の舞台だ。
――それまで壊れることを許さない」
ラザロスはかすかに息を吸い、笑うような声を漏らした。
「最高だ。
救いでも慈悲でもない。
俺と同じ、どす黒いのを見てる目だ」
鎖が切れる音がした。
僕が解除していないのに、ラザロス自身が千切った。
指で、鎖ごと、拘束具を砕きながら立ち上がる。
「契約は?」
「もちろんだ」
僕はリアナから受け取った“封印の鍵”を床へ叩きつける。
鍵が崩れ、黒い契約陣が広がる。
ヴィオラの時と同じだが、性質がまったく違う。
ヴィオラは“栄光と刺激”に飢えた。
ラザロスは“終わりという救済”を求めた。
違う欲望でも、結びつく鎖はひとつ。
「ラザロス。
おまえの望みはただ一つ――終わることだ。
ならば、僕が決めてやる。
“いつ、どこで終われるか”。
終わらせる権利は僕だけが持つ」
ラザロスの顔がわずかに歪む。
苦痛でも、快楽でもない。
“依存”に近い感情。
「……命令してくれ。
俺の終わりまでの時間を、無駄なものにしない命令を」
僕は手を伸ばし、ラザロスの顔を持ち上げる。
「十人の守護者のひとりとなり――僕の戦いの先兵となれ」
ラザロスの身体が魔法陣に沈み、黒い文様が刻まれていく。
首から胸、肩、背中、腰、脚――
焼け跡の上に、闇色の紋様が重なっていく。
「……っ……! これは……!」
「不死に理由を与える呪いだ。
おまえは死にたくなるほど戦い、死ねないまま戦い続ける。
それこそが、おまえの終わりまでの“生”だ」
ラザロスは膝をつき、荒い呼吸をしながら笑った。
「やっぱり……おまえは魔王だ……」
契約は終わった。
不死の実験体――ラザロス。
十人の守護者、二本目の牙。
リアナは複雑な目でラザロスを見る。
ヴィオラは獲物を見るような獰猛な笑みを見せる。
そして、僕は告げた。
「二本目の牙。
次は――“時間を視る魔眼の賢者”だ」
ラザロスが鼻で笑った。
ヴィオラが獲物を嗅ぎつけた獣のように笑った。
リアナが僕を見上げ、そっと腕を取った。
十人の守護者。
二人目までが揃った。
――世界が、少しずつ“僕色”に染まり始めている。




