◆第24話 欲望は、救いと同じ顔をしている◆
魔王国ラスタ=ディアの朝は、
“願い”から始まる。
玉座の間の奥――
一般の民が立ち入れる、ひとつの広間。
そこは裁定広場とは違い、
重苦しさよりも、張り詰めた期待に満ちていた。
アリアは、リアナに案内されて、その場に立っていた。
「……ここは……?」
「“願いの間”です」
リアナは静かに答える。
「魔王さまが……直接、民の話を聞く場所……」
アリアの胸がざわつく。
(……願いを……直接……?)
聖王国では考えられない。
王が民の“欲”を聞くなど、禁忌に等しい。
やがて――
黒衣の男が、玉座の前に立った。
魔王だ。
だが、玉座には座らない。
一段下り、民と同じ高さに立つ。
その光景だけで、
空気が変わった。
「順に話せ」
それだけ。
命令でも、祝福でもない。
最初に進み出たのは、
片足を引きずる老兵だった。
「魔王さま……
戦で脚を失いました……
働けず……家族を養えません……」
聖王国なら、
祈りと感謝の言葉が返るだろう。
だが魔王は、問い返した。
「望みは?」
老兵は一瞬戸惑い、
それでも正直に答えた。
「……再び……
立って……
自分の足で……
家族を守りたい……」
欲望。
隠されていない、率直な願い。
魔王は頷いた。
「条件がある」
老兵の目が揺れる。
「治療の代償として、
お前は“後進の育成”に従事しろ。
戦い方ではなく――
“生き残り方”を教えろ」
老兵は、膝をついた。
「……喜んで……!」
魔導師が進み出て、
老兵の脚に術を施す。
骨が再生し、
筋が繋がり、
老兵は――立った。
歓声は上がらない。
ただ、静かな感嘆。
アリアは、息を呑んでいた。
(……願いは……
本当に叶えられてる……
でも……
責任も……同時に与えてる……)
◇◇◇
次に現れたのは、若い女性だった。
震える声で言う。
「……私は……
この国で……
安全に……
生きたいだけです……」
何も特別な願いではない。
魔王は、静かに聞いた。
「何から逃げてきた」
女性は、唇を噛みしめる。
「……聖王国で……
“穢れている”と……
言われました……」
アリアの胸が痛む。
(……また……)
魔王は、一瞬だけ目を伏せた。
「ここでは、その理由を問わない。
ただし――」
女性が顔を上げる。
「自分を守る意思を持て。
この国は、安全を与えるが、
“生きる覚悟”までは代わりに持たない」
女性は、深く頷いた。
「……はい……」
その瞬間、
彼女の背後にいた警備兵が一歩前に出る。
「住居、仕事、医療、
すでに手配済みです」
女性は、泣きながら頭を下げた。
アリアの視界が、滲む。
(……救ってる……
でも……
“弱者”のままにはしてない……)
◇◇◇
だが――
次の願いが、空気を変えた。
進み出たのは、若い男。
目に、焦りと欲が宿っている。
「魔王さま……
俺は……
もっと……
上に行きたい……」
ざわめき。
「力が欲しい……
金が欲しい……
認められたい……」
率直すぎる欲望。
アリアは、思わず息を詰めた。
(……これは……
危ない……)
魔王は、しばらく男を見つめた。
「なぜだ」
男は即答する。
「今のままじゃ……
何者にもなれないからだ……!」
沈黙。
魔王は、はっきりと言った。
「却下だ」
場が凍る。
男は叫ぶ。
「な、なぜだ!?
欲望を否定しない国なんだろ!?」
魔王の声は、冷たかった。
「欲望は否定しない。
だが――
空虚を埋めるための欲望は、叶えない」
男は言葉を失う。
「力も金も、
“何者かになりたい”という焦りの代用品だ。
それを与えれば――
お前は一生、欲し続ける」
魔王は一歩近づく。
「ここでは、
“何者かになれない自分”から逃げる手段は与えない」
男は、震えながら後ずさった。
(……厳しい……
でも……
正しい……)
アリアは、そう思ってしまった自分に気づき、
胸がざわついた。
◇◇◇
願いの間が終わり、
人々が散っていく。
アリアは、動けずにいた。
(欲望は……
救いにもなる……
でも……
依存にもなる……)
そこに、魔王が近づく。
「どう思った」
アリアは、正直に答えた。
「……怖いです……」
「何が」
「……欲望が……
“優しい顔”をして……
人を縛ること……」
魔王は、否定しなかった。
「だから、俺がいる」
アリアは、顔を上げる。
「……魔王が……
“線”を引いているんですね……」
魔王は、静かに言った。
「線を引くのは、王の仕事だ。
越えたい者を止めるためではない。
越えた結果を、誤魔化さないために」
その言葉に、
アリアの胸が強く打たれた。
(正義は……
越えた結果を……
“神の意志”で隠してきた……)
◇◇◇
その夜。
アリアは、自分の部屋で剣を抜いた。
初めて、
“戦うため”ではなく。
刃に映る、自分の顔を見る。
(私は……
欲望を……
否定してきた……)
それは、
誰かを守るためでもあり、
自分を縛るためでもあった。
剣を、静かに鞘へ戻す。
(……私は……
欲望から逃げない勇者に……
なりたい……)
その想いは、
まだ名もなく、
だが確かに芽生えていた。




