◆第23話 剣を抜けない理由は、弱さじゃない◆
夜。
魔王国の空は、静かだった。
アリアは部屋の床に座り、
膝の上に剣を置いていた。
勇者の剣。
神に祝福された刃。
数え切れないほど「抜け」と言われ続けた剣。
(……でも……
私は……いつから……
この剣を“怖い”と思うようになったんだろう……)
指先が、無意識に柄をなぞる。
その感触が――
記憶を引きずり出した。
◇◇◇
――孤児院。
まだ“勇者”と呼ばれる前。
アリアが、ただの子どもだった頃。
石造りの古い建物。
冬は寒く、夏は暑い。
食事は少なく、
笑顔はもっと少なかった。
「正しく生きなさい」
神官は、いつもそう言った。
「神は、正しい者を救う」
「欲を持ってはいけません」
「怒ってはいけません」
「疑ってはいけません」
アリアは頷いた。
何度も。
疑わずに。
なぜなら――
“疑った子”は、助けてもらえなかったから。
ある日、
小さな事件が起きた。
孤児院の倉庫から、
パンがひとつ消えた。
神官は言った。
「誰かが盗んだ。
神は見ている」
沈黙。
誰も名乗り出ない。
アリアの隣で、
年下の少年が震えていた。
「……ぼ、ぼく……
お腹が……」
その言葉を聞いた瞬間、
アリアは理解してしまった。
(この子だ……)
でも――
名乗り出なかった。
言えば、この子は罰せられる。
祈りを強要され、
時には“神の試練”と称して閉じ込められる。
だからアリアは――
嘘をついた。
「……私です」
神官が、驚いた顔をした。
「アリア……?
どうして……?」
アリアは、震えながら言った。
「……欲を……抑えられませんでした……」
神官は、悲しそうな顔で頷いた。
「神は……赦してくださるでしょう。
だが……罰は必要です」
アリアは、祈りの部屋に閉じ込められた。
暗くて、寒くて、
ひとりきり。
扉の向こうから、
少年の泣き声が聞こえた。
「ごめん……ごめん……
ぼくのせいで……」
アリアは、答えられなかった。
(……正しいことをしたはずなのに……
どうして……
こんなに苦しいの……)
その夜、
神に祈った。
“正しく生きたい”と。
その祈りが――
剣になった。
◇◇◇
――勇者選定の日。
神殿に集められた子どもたち。
剣が置かれ、
“選ばれた者”だけが触れられると言われた。
アリアは、何も考えず剣に触れた。
――光。
歓声。
「勇者だ!!」
「神に選ばれた!!」
その瞬間から、
アリアは“個人”ではなくなった。
勇者。
象徴。
希望。
誰かを救う存在。
でも――
誰かの代わりに罰を受ける存在でもあった。
(……あのときから……
私は……
“誰かを救うために、自分を削る”ことを
正義だと思い込んでた……)
◇◇◇
現在。
アリアは、涙が頬を伝うのを止められなかった。
「……だから……
私は……剣を抜けない……」
剣を抜けば、
また誰かを“代わりに罰する”ことになる。
魔王を斬れば、
世界は救われるかもしれない。
でも――
その救いは、
誰かの“考える権利”を奪う。
(私は……
もう……
誰かの代わりに罪を背負う“象徴”には……
なりたくない……)
そのとき――
静かなノック。
リアナが、扉の外に立っていた。
「……入っても……いいですか……?」
アリアは、涙を拭って頷いた。
リアナは、そっと隣に座る。
何も聞かない。
何も否定しない。
しばらくして、
アリアがぽつりと言った。
「……私……
正義が……怖いんです……」
リアナは、静かに答えた。
「……魔王さまも……
正義は怖いって言ってました……」
アリアは顔を上げる。
「……え……?」
「正義は……
“間違っても自分を疑わない力”だから……って」
アリアの胸が、震えた。
(……魔王は……
正義を否定してるんじゃない……
盲信を……拒んでいる……)
◇◇◇
翌朝。
訓練場。
アリアは、剣を持って立っていた。
ヴィオラが腕を組んで言う。
「抜く?」
アリアは、首を振った。
「……今日は……
抜かない理由が……
言えます」
皆が、黙って聞いた。
アリアは、剣を見つめて言った。
「私は……
剣を抜くと……
“考えなくなる”から……」
沈黙。
「考えずに振るった剣は……
誰かの正義を……
奪う気がして……
怖いんです……」
ヴィオラは、ふっと笑った。
「……それ、弱さじゃないな」
メルカドが頷く。
「むしろ……
剣を持つ資格があるやつの言葉だ」
その言葉に、
アリアの胸が少しだけ軽くなった。
◇◇◇
夕方。
玉座の間。
魔王は、アリアの話を静かに聞いていた。
話し終えたあと、
魔王は言った。
「剣を抜けない理由を、
言葉にできたな」
アリアは、震えながら頷く。
「……それは……
勇者である前に……
人である証だ」
その言葉に、
アリアの目から涙が溢れた。
魔王は、続ける。
「剣はな、
抜くためにあるんじゃない。
“抜かない理由を持つため”にも、存在する」
その瞬間、
アリアは初めて――
剣を“怖いもの”ではなく、
“問いを投げかけるもの”として見た。
◇◇◇
夜。
アリアは窓辺に立ち、
黒旗を見つめる。
(私は……
まだ……選んでいない……)
だが――
一つだけ、確かだった。




